EXCITE 〜ソード・ライダー・オンライン〜 作:春風駘蕩
第二階層最初のエリアは、夕暮れに照らされて美しく輝く草原が広がっていた。
高く伸びた木々も岩場もない、ただただ平原が広がるその場所は、キリトの心境を表しているかのように静かだった。
「キリト!」
だがそこに、聞こえるはずのない声が聞こえてくる。
まさか、と目を見開いたキリトは、不満げに腰に手を当てて睨んでくるユウキの姿に、思わずため息をついていた。
「…来るなって、言ったのに」
「言ってないわよ。死ぬ覚悟があるなら来い、って言ったんじゃない」
「…そうだったか、ごめん」
続いて顔を見せたアスナに言われ、キリトは困ったように頬をかく。
その態度に、先ほどのような最低な人間の面影は微塵も感じられない。完全に、元のキリトに戻っていた。
「ボクらは伝言を伝えに来たんだ。二人分ね」
「伝言?」
「エギルさんとキバオウからね。エギルさんは『また一緒にボス戦をやろう』って。キバオウさんは『今回は助けてもろたけど、ワイはやっぱジブンのこと認められん。ワイはワイのやり方でクリアを目指す』…ですって」
キリトは言葉を失い、伝言を預かってくれた二人を凝視する。
エギルが気を遣ってくれたのはもちろん嬉しいが、意外だったのはキバオウもキリトの意図に気づいていたことだ。
言葉こそぶっきらぼうだが、彼なりの励ましに心が温かくなった。
「…そっか。伝えてくれて、ありがとう」
遠い目で立ち尽くすキリトの儚さに、ユウキは深いため息をつく。
相談も何もせずに、勝手に損な役回りを引き受けた相棒に、ユウキは思わず呆れた口調でつぶやいていた。
「君は、嘘つきだよね」
キリトは訝しげに、半目で睨んでくるユウキを見つめ返す。
ユウキは腰に手を当て、肩をすくめてキリトへの不満を表していた。
「何も悪くないのに悪ぶって、みんなの嫌悪を自分一人に集めて、他のβテスターに向けられないようにして…平気で他人を蹴落とすわる〜いプレイヤーを作り出した」
スケープゴート。
悪意を別の箇所に向けるために用意された生贄、新たな敵。
自分がそうなることで、他のβテスターが苦しまないように選択したキリトを、ユウキは厳しい目で咎めていた。
「……そして、苦しいくせに自分で自分に嘘ついて、誰にも心配かけないようにしてる」
もしユウキがβテスターだったとしても、そんな解決方法は望まない。
アルゴもディアベルもきっと望むことはないだろうと、ユウキは不器用なキリトを見て困ったように苦笑を浮かべていた。
「そういう生き方はさ、すごく辛いし苦しいよ」
「……わかってる。覚悟はしてるよ」
「わかってない。わかってないからそういう道を選んじゃったんだよ、君は」
すでに苦しげに視線をそらすキリトだが、ユウキはその覚悟を否定する。
ただの普通の少年に、周りの人間から悪意を持たれ続ける苦しみを背負えるだろうか。ユウキはとてもそうは思えなかった。
「苦しみとか悲しみとか、全部自分一人でまとめて抱え込もうとしたらね、いつか絶対パンクしちゃうよ。…ボクらにぐらい、少しだけでも重荷を背負わせてくれてもいいんじゃないかな?」
目を見開き、ユウキを凝視するキリトに、ユウキだけでなくアスナも困り顔で微笑みを見せる。
少なくともここに、キリトの敵は一人もいなかった。
「前に言ってたじゃない? …また一緒に冒険しようって」
「……ああ、そう、だな。そう……だったな」
最初に出会い、そして無捨てようとした時のセリフをもう一度聞かされ、キリトは熱くなる目を隠すように目をそらす。
涙がこぼれそうになるのを必死に耐え、キリトはどうにか絞り出すように告げる。
「じゃあな……お前たちも、生き残れるように頑張れ」
「うん!」
「またどこかで……会いましょう」
望む答えを聞けたことで、ユウキは嬉しそうに、アスナは安堵したように笑みを浮かべる。
キリトはわずかに肩を震わせ、次なる街に向かって歩き出していった。
「……行っちゃった」
「……そうね」
小さくなっていく黒衣の少年の背中を見送り、ユウキとアスナは少し寂しげに言葉を交わす。
また会おうという言葉が、どれほど頼りになるかはわからない。しかしそれでも、一度くらいはまた顔を合わせたいと思っていた。
「…ちょっと意外だったわ」
「ん?」
「あなたのことよ」
さて自分はどうしようかと考えていたユウキは、不意にアスナにそう言われて首をかしげる。
やや間抜けな表情で固まっている彼女に吹き出しながら、アスナは先ほどの戦闘中のことを思い出していた。
「あなたって、ゲームでノってくると性格変わるのね。驚いたわ。急に自分のこと『俺』なんて呼び出すんだもの」
「…へ?」
「下に戻るわ。……またいつか会いましょう、ユウキ」
指摘された事実に、ユウキはぽかんとした様子で立ち尽くす。
そんなユウキに気づかず、アスナは軽く手を振ると一旦下の階層で出直すために、ユウキに背を向けて去っていってしまった。
残されたユウキはアスナに言われたことを考え、戦闘中のことを思い出そうとする。
しかしすぐに諦め、首を傾げながら自分のメニューを再び確認した。
「とりあえずはこれで、最初の関門をクリア……ってわけにもいかないよね」
ユウキの目に映っているのは、メニュー欄の中で異様な存在感を放つ二つのアイテム。
そして脳裏に蘇るのは、βテスターでさえ見覚えのない、理不尽とも思えるフロアボスの変貌と戦闘パターンの変化。
「豹変した敵…キリトも知らないゲーム展開…世界観に合わないアイテム……わかんないことだらけで正直理解ができないけど、コイツとは…長い付き合いになりそうだな」
アイテムを見つめるユウキの目が、厳しく細められる。
敵は未知、状況は先を読めず、次の瞬間にも何か事件が起こるかもしれない。
だがそれでも、ユウキは現実から逃げるという選択肢を選ぶつもりは、毛頭なかった。
「……でもこれ、プレゼントって出てたけど、一体誰から送られてきた物なんだろうなぁ?」
ユウキのふとした疑問に答える者は、まだどこにもいなかった。