EXCITE 〜ソード・ライダー・オンライン〜 作:春風駘蕩
「記憶喪失…だネェ」
ベッドの上に腰かけさせた少女を前に、アルゴが呟く。
急遽借りた宿の一室にて、少女を囲んで四人の少年少女が険しい表情を浮かべる。少女自身も、告げられた言葉を反芻しながら眉間にしわを寄せていた。
「何があったのかはわからないケド…脳に何らかの衝撃が加わっテ、記憶が混濁しちゃってるんだろうネ。何かこう、VR関連デ」
「…正直記憶喪失とか、マンガとかアニメでしか見たことがないな」
「私も…」
少女―――シノンという名がカーソルに表れている彼女を凝視し、キリトとアスナが呆然とした様子で呟く。
創作上では数多く目にする状態異常だが、実際に目にするとは夢にも思わなかったため、どうしても無遠慮に本人を見つめてしまう。
少女もまた、自身の頭上のカーソルを見上げたまま、唖然とした声を漏らしていた。
「まだ信じられないわ…私があのデスゲームの中にいるなんて」
「直前に何やってたかも覚えてないのかイ?」
「ええ…何も思い出せないわ」
「う〜ん…」
さすがに世界的ニュースについての記憶は残っていたらしく、少しの怯えを滲ませながらシノンが顔を伏せる。
不安げな彼女をじっと見つめ、考え込んでいたユウキは、一度シノンの頭上のカーソルを見上げ、口を開いた。
「名前とかはシノンであってる?」
「いいえ、私の名前は浅田詩乃で……」
「ああ、うん! この世界で本名はやめとこうか! 取り敢えず上に出てるシノンって名乗っとこう! ね⁉」
案の定、ネットマナーについて理解できていない事がわかり、慌てて止めるユウキ。こんな危うい立場の少女の個人情報の流出など、許すわけにはいかない。
ユウキは強く息を吐くと、落ち着かなさそうに目を伏せるシノンの肩を叩き、にっとやさしい笑みを浮かべてみせる。
「とりあえずはここで落ち着くまで待ってなよ。何かあったら力になるから」
「…そう、ありがとう…」
「キリト、しばらく隣にいてあげて。ボク、ちょっとアスナ達と話してくるから」
「⁉ よりによって俺がかよ……」
アスナとアルゴの肩を叩き、部屋の出入り口に向かうユウキに頼まれ、キリトがぎょっと目を見開く。
片や不埒者と勘違いして殴った側、片や置換扱いされて殴られた側と、気まずい関係になってしまった二人が、恐る恐る視線を絡ませる。
ぎこちない雰囲気に陥った部屋を後にし、ユウキはアスナとアルゴに険しい顔で向き合った。
「…今はあの子を一人にさせるほうが危ないわ。しばらく様子を見ましょう」
「うん…あのままじゃいつ敵キャラにやられちゃうかわかったもんじゃないもんね」
「それもだケドネ…」
いきなりデスゲーム世界に閉じ込められ、右も左もわからない少女を放っておくわけにもいくまい、とアスナの言葉にユウキが頷く。
だが、アルゴはまた異なる理由で少女の事を案じていたらしく、首を横に売ると辺りを気にし、やがてユウキの耳元に口を寄せ出した。
「ユウちゃんは知ってるかイ……〝レッドプレイヤー〟の噂」
「⁉」
はっ、とユウキは顔色を変え、アルゴを凝視する。
プレイヤーを示すカーソルは、ある要因で色を変える仕組みになっている。
すなわち、殺人や強盗等の犯罪を犯したか否かである。
誰とも争った事のないプレーヤーのカーソルは緑のまま、罪を犯した経験のある者はオレンジに変色する。
そして好んで殺人を犯すプレイヤーは、レッドと呼称され恐れられていた。
「レッドって…『殺人』を犯したプレイヤーってこと⁉ 本当に⁉」
「確かな筋で事実だと確認済みだヨ。確実に一人、同じプレイヤーの手によって殺されてル…モンスターやトラップに殺されたわけじゃなイ、悪意を持った人間に殺されたんダ」
「そんな…!」
あまりにも聞き捨てならない話に、ユウキは怒りと共に悲しみを抱く。
本当ならば、多くの人々が一丸となってゲームクリアの為に戦うべきなのに、それを妨害するような悪意を振りまく者がいるのかと。
「ここは間違いなく現実なのに…何でそんなこと…!」
「ある種の現実逃避か…それとも何かのきっかけでタガが外れたのか…少なくとも、私たちには理解できない思考よ」
拳を握りしめるユウキに、アスナは首を振って肩を竦める。
彼女もレッドプレイヤーに対する義憤を抱いているようで、誰もいない虚空を睨みつけている。
しかし、今この場で彼女達にできる事は何もない。
危険な思考の持ち主達が、この世界に確実に存在しているという事実を認識し、注意する事しかできない。
悔しさが滲み出て、少女達は荒いため息をついて目を伏せる。
「とにかく…あの子を一人にさせないことね。精神的にも今、不安定になってるみたいだし。私もなるべくサポートするわ」
「オイラも話ぐらいは聞くヨ」
「うん、ありがと、アスナ」
アスナとアルゴの提案に頷き、ユウキは部屋の扉に向き直る。
なるべく、先程の怒りがまた顔に出てこないように気を付け、平静を取り繕いながら再び入室する。
「おっまたせー!」
気分を切り替えるため、わざと元気よく声をかけて中に入ると、キリトがあからさまにホッとした様子で肩を落とした。
狭い部屋に訳ありの少女と二人きりにされて、相当落ち着かなくなっていたらしい。
ひらひらと手を振って詫びつつ、ユウキは再びシノンの前で椅子に腰かけ、向かい合った。
「さっき、あの人と何の話してたの?」
「君の今後について。ぶっちゃけ今の君、ゲーム世界で序盤と中盤の段階にレベル1状態で放り込まれた上に、マニュアルも読めてない縛りゲー状態なんだよね……な、の、で」
そう言って、にやりとユウキが笑い身を乗り出す。
ずいっと鼻先が当たりそうな距離まで顔を寄せてきた少女に目を丸くし、シノンが息を呑む前で、ユウキはある提案を口にした。
「しばらくボク&キリトと一緒に行動するのはどうでしょうか! …っていう話さ!」
「はぁ⁉」
ユウキの誘いに、シノンではなくキリトが声を上げて腰を浮かす。
非力な、覚悟が何もできていない少女を放っておけないと思っていたのは彼も同じだったが、しかし一緒に行動するとは一言も言っていない。
勝手に人を勧誘し出すユウキに苛立ちを覚え、キリトは思わず鋭い目を向けて迫る。
「おい、何で俺まで…!」
「君もさー、いい加減ソロで行くのはきついでしょ。意地はってないでパーティー組もうよ、ね?」
「意地なんてはって…」
「はいはい、ぼっちさんはちょっと黙っててねー」
「おまっ…!」
ぼやくキリトを押しやり、無理矢理黙らせるユウキ。隣でアスナが呆れた目を向け、アルゴが肩をすくめている事を知りながら、なおも一人でこの世界を生き抜こうとしている少年に咎めるような目を向ける。
先程のアスナ達の話を聞いて、彼を放置する事などユウキにはできなかったのだ。
そんなユウキ達のやり取りを、ぽかんと呆けた顔で眺めていたシノン。
だが、彼女は胸のあたりを抑えたかと思うと、悲しげに目を逸らしてしまった。
「…ごめんなさい。それは、できない」
シノンの返答に、言い合っていたユウキ達ははたと固まって、シノンをじっと凝視する。
何故、と言わんばかりの表情で見てくる彼女達から、申し訳なさそうに目を逸らし、シノンはグッと唇を噛んで俯く。
「あなた達がいい人だってことはわかるわ…けど、全部を預けるのは、むり…」
はっきりとした拒絶、というよりも見えない壁を作っているように見えるシノン。手を取りたいという考えはあるようだが、今一つ一歩踏み出せない様子に見える。
不安げに身を縮こまらせるシノンを見つめていたユウキは、やがて小さくため息をついた。
「…何か、あったんだね」
「ごめんなさい、たくさん助けてもらっておいて…」
「いーよいーよ、気にしないで」
険しい顔で頭を下げるシノンに、ユウキは両手を振って笑顔を返す。
キリトもアスナもそれはそうだ、というようにしつこく誘う事はせず、しかしやはり心配そうな視線を彼女に向ける。
大丈夫なのだろうか、と表情を曇らせる二人を背にし……ユウキが不意に小さく呟いた。
「……人に話したくないことってさ、結構あるからさ」
その場の誰にも届かないような、小さくか細い声。
しかし、少女の様子がほんの少し変わった気がして、キリトが訝しげな視線を向ける。
だが、しばらくするとユウキは顔を上げ、いつもの変わらない陽気な笑顔を浮かべて、シノンの肩をぽんぽんと軽く叩く。
「まー、それならあれだ。困ったことがあったらそっちから好きなときに連絡入れてよ。すぐ助けに行くからさ!」
「…あなた、ものすごく強引よね」
「いつもこんなんだぞ」
「それがユウちゃんの魅力だと思うけどネ」
関わるのが不安だから距離を取ろうとしていたシノンに対し、やはり助ける事を諦めないでいるユウキ。
シノンだけでなくキリト達も呆れた目を向ける中、シノンはふっと、安堵したような笑みを浮かべた。
「…そうね、覚えておくわ」
少しだけ、シノンの作っていた壁が薄くなったような気がして、ユウキもホッと息を吐く。
そこでふと、ユウキがぽんっと掌を叩き、キリトとアスナ、アルゴに振り向いた。
「あ、そうだ! チュートリアルだけでもボクらでやってあげようよ。多分だけどシノン、メニューの開き方もわかってないよね?」
「メニュー?」
「ほら、初歩の初歩からつまづいてるもん」
「…確かに、ここで生きる上での最低限の知識は必要そうだな」
首を傾げるシノンを見て、ユウキのいう事にも一理あるとキリトが頬引き攣らせる。
ゲームにおける、基礎の動きだけでも教えておかなければ、生き残るどころか何一つすることができない。
キリトの同意を得たと受け止めたユウキは突如、呆けた顔で座っていたシノンの手を引っ張り始めた。
「んじゃ、早速フィールド行こっか! 何事も実践あるのみ、ってね!」
「え? え⁉︎」
「待って待って、待ちなさいユウキ。いきなり本番って、どれだけスパルタな指導をするつもりなのよ」
本人の同意も得ないまま、ユウキがシノンを外に連れ出そうとする。
さすがに速すぎるのではないか、とアスナが止めに入るも、やる気になったユウキは聞き入れる様子がない。
その様子に、シノンを見つめて考え込んでいたキリトが、ユウキの身を案じて囁きかける。
「ユウキ、同情する気持ちはわかるが、あまりのめり込むのは…」
「いーのいーの。……キリトだって、放っとくつもりはないでしょ?」
自分一人が生き残るだけでも難しい様な世界で、他人の今後まで背負えるのか、とキリトが忠告する。
だがユウキはそれに、真剣な表情で首を振り、キリトに囁き返す。
途中で投げ出す事を考えていない、真剣な少女の眼差しに、天を仰いだキリトは神を掻きむしり、ため息とともに肩を落とす。
「あー…わかった! 俺も付き合ってやる! だからあんまり無茶させるな」
「キリトならそう言ってくれると思ってたよ。やったねシノン! コーチが増えたよ!」
「頑張れヨ、キー坊」
ユウキ達を案じたキリトも渋々付き合う事を決め、狙い通りだと笑うユウキにアルゴがやれやれと肩を竦める。
シノンはそれを、不思議そうに見つめるばかりだった。
へらへらと目尻を下げ、一切気負っていない様子のユウキを見て、困惑の眼差しを向ける。
「……どうして、私にそこまで」
「ん? んー、なんていうかさ……」
見ず知らずの他人の為に、どうしてそこまでできるのか。
あたり前の質問をぶつけられたユウキは、顎に手をあてて考え込み、しばらくして得意気に肩眉を上げてみせる。
「助けられる人は、なるべく助けておきたいな…って、思っててさ」
そんな、子供っぽい正義感のような、偽善と捉えられかねない言葉を平然と吐くユウキに、シノンはまた絶句する。
自分の質問の答えになっていない気がして、真意を探ろうと目の前の少女の瞳を覗き込もうとする。
だが、ユウキは急に咳ばらいをし、シノンの視線から目を逸らしてしまった。
「んんっ! さーさー考えるのは後にして! とっととフィールドに行こう! この近くならビギナー向けの敵キャラが何種類かいるはずだしね!」
「だから待て待て! はやまるな! まず説明からだってさっき言ったばかりで……」
「ちょ、ちょっと! 私まだ行くって言ってないんだけど⁉︎」
返事も聞かず、ぐいぐいとシノンとなぜかキリトの手も引っ張って、宿屋を飛び出していく。
二人から抗議の声が上がるのも気にせず、一番近く、危険が少ない草原に向けて思い切り走る。
幼い、元気いっぱいの子供のような姿を見せるユウキに、一人老いていかれたアスナは、やれやれと腰に手をあててため息を吐く。
「まったく……騒がしい子達なんだから」
「行ってらっしゃ〜イ」
そんな、母親のような一言をこぼしながら、アスナも彼女達の後を追い、小走りでフィールドへと向かっていく。
忙しく駆け出していった彼女達を、アルゴはひらひらと手を振り、にこやかに見送るのだった。