ゆっくりと時間が進んでいく。
窓から風が心地よく部屋に流れ込んでくる。
私のパソコンを打つ音が、静かに、この空間に鳴り響く。
「ねぇ、透(とおる)?」
私は向かいの席に座り、雑誌を眺めている教師に声をかけた。
黒縁の眼鏡をかけ、適度に整えてある頭髪、男性にしては少し小柄で細みの体格、そして、アイドルの雑誌を眺めている教師――橘 透(たちばなとおる)は、私が立ち上げたアイドル研究部の顧問であり、少し歳の離れた幼馴染でもある。
私が小学校に通っていた頃、私の家の近くに引っ越してきたのだ。最初の頃は、突然現れた見ず知らずの彼に「一人で学校に行くの?」って話しかけられて少し怖かったんだけれど、一緒に学校の校門近くまで、自己紹介も踏まえて話しながら向かってらすぐに仲良しになったのよね。仲良しになれた理由は、私に学校の友達がいなかったからか、彼の人柄のおかげか、はたまた別の理由か今では分からないのだけれど。
それから彼が私の住む家の近くに引っ越してきたことを知って、朝は彼の転入した学校と私の向かう小学校の途中まで同じ道を話しながら一緒に歩いたり、放課後は彼の家に寄って遊んで帰ったりもした。そんなことを続けて数年、いやでも仲良くなっちゃう。これが私と彼の小さい頃からの関係だ。
そんな私の教師であり幼馴染でもある彼は視線を雑誌に向けたまま、いつもの決まった言葉を言い放つ。
「にこ、いつも言ってるだろ?透って名前で呼ぶんじゃなくて先生と呼ぶんだって。せめて学校にいる時くらいはさ。」
「いいじゃない別に。それにこの私たちがいるアイドル研究部の部室には、今、私と透の二人しかいないのよ?家にいる時と大して変わらないじゃない。それに透だって私のこと、にこって名前で呼んでるわ。これって不公平でしょ?」
私の言い分に彼は雑誌から私へと顔を向け、ほんの少し声のトーンを高くして、これまた何度聞いた分からない言葉を私に言う。
「不公平ってそんなことないだろ。僕は教師だ、学生であるにこを名前で呼んだって何も問題ないんだ。」
「問題あるわ!」
「……何の問題だよ?」
「あなたに~にこの名前を~呼ばれるなんて~、はっ、恥ずかしいにこ~☆」
体をくねらせて可愛さアピール!どう、決まった!?期待を込めて彼の方に視線を向けると……、うわぁ、ジト目……。
「……にこは一体何がしたいんだ?」
「えっ!?あっ、いやぁ~その~、にこの可愛さアピール的な?にっこにっこに……。」
「出直してきなさい――さてと。」
時刻は18時に差し掛かる頃で、そろそろ教師である彼の帰宅時間のようだ。彼が自宅に帰る準備に合わせて、私もパソコンを閉じ身支度を整える。
「ん?にこも帰るのか。」
「当然じゃない。校門で待ってるか早く来なさいよね?」
「りょーかい。」
変わらない毎日、それが私にはとっても心地が良い。彼は教師で私は学生、身分は違えど一日のサイクルは似たようなものだ。朝は一緒に学校に向かい、共に授業へと参加(ここでは教える側と教えられる側だが)、放課後はこの部室でアイドル談義をして一緒に自宅へと帰る。そして帰宅後は私と妹のこころとここあを連れ、彼の自宅へと向かい夕食を一緒に食べ、一日の残りの時間を費やす。こんな毎日が年単位で続いているのだ。
この毎日がいつまでも続いて欲しいとは思うけど、それが難しいことは重々理解している。私は現在音ノ木坂学院の三年生で卒業後は就職希望、家庭の都合で自宅から通える距離での勤務先がいいのだが、この厳しい社会でそんなこと言ってはいられない。彼だってそうだ、今は私の通う高校の教師として自宅から通うことが出来ているが、いつ転勤で違う場所に住むことになるかなんて検討すらつかない。だから――
「にこ?」
「ん、どうかしたの?」
「今日も、アイドルは大好きか?」
「当ったり前じゃない!」
――こんな些細なやりとりが出来る幸運に、私は神様に感謝する。
そして私は切に願う、せめてこの学校に通っている間だけは、当たり前であり貴重でもあるこの毎日が続いて欲しいと……。