うちのオペレーターが過保護過ぎる。   作:杜甫kuresu

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背筋に触れられると言う事は、その人の道に触れられるようなものではないだろうか。


"弦のような背筋"

「唐突なんだが、ハグをしてもいいか?」

「…………?」

 

 ヴィルトゥオーサが素っ頓狂な顔になった時、執務室に吹いた風で髪がなびいた。

 出来事は砂のように時と共に流れ、吹き抜ける全てでドクターの歴史が増え、舞い、朽ちて、また足場となった。第二の人生という言葉に思いを馳せるものが居るが、ドクターにとっては川を泳ぐ魚に思いを馳せるようなものらしい。

 

 話は戻るが、やはり彼女はじぃとドクターを見て、それ以上に何も進展する様子がない。攻め込まれているようで、言葉を引き出されている。ドクターは理解できていたし、それでもヴィルトゥオーサはそういった手法を好んでいる。

 

「ハグをしたい」

「違うのよ、ドクター。声は聞こえていたの、ただ唐突すぎて…………前奏から聴きたいの」

「前奏?」

 

 疑問の意味で聞いたのではなく、確認の意味だ。ヴィルトゥオーサの独特な言葉遣い自体には慣れているから、困るほどではない。

 

「最近、私は強いストレス環境に置かれすぎているせいか、リラックスするという観念が欠如した精神状態にあるらしい」

「そうなのね」

「だから、ハグをさせて欲しい」

「間奏をちゃんと入れて欲しかったの」

 

 ドクターは漸く納得できた。

 時計を見て、残りの自由時間が限られたものであることを噛み締めつつ、困惑しつつあったヴィルトゥオーサに顔を向け直して、息を整えた。

 

 ヴィルトゥオーサは静かに傍らに置いたチェロのバックルを擦っていて、それは不安な子供が宝物を手元に置きたがるような所作にも見える。

 

「ハグで人間はある程度快楽物質が出るんだ。怪しいものではなく、楽しいとか、落ち着くみたいなレベルの話だな」

「そういう事」

 

 もう少し長い下りを想像されていたが、手を大きく開くと一際目尻を下げて微笑みかけられる。

 

「勿論問題ないわ。それでドクターの音が少しでも艶を取り戻せるなら、幾らでも」

 

 二つ返事なのか、と逆にドクターが当惑する。歓迎ムードのヴィルトゥオーサを見ながら、軽くショートしているようにも見える。

 

 過負荷に陥りがちであるとよく言われているのもあり、ドクターの奇行そのもの自体は珍しくもない。オペレーターとしても、大抵それほど拒否するような内容は少ない。

 

 職務上の責任の話ではなく、ドクターの振る舞いに個人的な好感を寄せる人員は少なからずいるからだろう。

 

「おかしな相談をしているがいいのか、これは…………」

「んん…………少し嫌がられる方がお好みかしら。そういうのは得意ではないけど、それが貴方の望みなら……」

「そうじゃない…………」

 

 お互い困惑したままだった。

 正直、ヴィルトゥオーサからすれば要求が相当可愛らしいものなのが大きかった。人の欲望(自身に向いたものを含めて)に極めて経験豊かな彼女にかかると、軽い身体接触は本当に限界の人間にしては軽いものなのだ。

 

 時間だけがぼんやりと過ぎる。ドクターは休憩の終わりにそわそわとし始めており、その様子を見たヴィルトゥオーサは顔にも出ないほど短い間、逡巡が走る。

 

「休憩が終わってしまうのではないかしら?」

「…………そうだな。忘れてくれ」

 

 そうじゃないわ。

 声は警笛、視線はタクト。ドクターは椅子に向かった爪先をそのままに、目深なフードの闇だけを向け直そうとした。

 

 それより早く、クレッシェンドにカーテンが舞い上がった。ぶつかる体は柔らかく、しかし陶芸のように脆そうで、整えられた服越しの温かな感触に神経の全てが収束していく。

 

「こういうのがお好みだったのね。意外だわ、貴方は指揮者だと思っていたから」

「いや。普通に違う…………」

 

 不安定な体勢のまま逃げようとしてみたが、振り払うとそのまま折れてしまいそうで咄嗟に躊躇った。引き寄せるように体に回された腕に力が入り、どちらかと言うと絡め取られるようにヴィルトゥオーサに体重を預けてしまう。

 

 少し女はよろめいた。

 

「危ない」

 

 考えることもなく、ドクターは机に手をかけ彼女を引き寄せた。少し冷静になれば、ヴィルトゥオーサの方がよほど力があると分かっただろうに。

 そういう人間だったから、そうなった。

 

「ふふ、心配だったかしら?」

「それは、まあ……」

「大丈夫よ…………大丈夫」

 

 このゆっくりとあやされる感じに、覚えがあった。ただ、重ねることもない。ヴィルトゥオーサという人物は、今日初めて“こうなった“。

 

 耳元に彼女の口元が近づき、自然と囁き声になる。ドクターは背筋を芯から撫でられ、弾かれているような緊張感で力が入る。

 だがすぐに脱力し、背中に回された手の微かな動きを静かに追っていた。

 

 温かかった。拍動に重ねるように(或いは添えるように)ゆっくりと摩られると、気分は高揚どころか落ち着いていった。

 

「そこまでは疲れていない」

「そう。私がしたいからしている、と言ったら?」

「要求を引き出す癖は相変わらずだ。誘導尋問には乗らない」

 

 つれないのね。寂しいわ。

 口ぶりと声色は一致せず、服の擦れる音と共に体がより強く引き合った。

 ドクターは時折、女性とは誰かを抱きしめるための形をしているのではないかと考えることがあった。これはメルヘンチックな意味合いだけに留まらず、生物としてそのような仕事を持つのではないかと。

 

 安心感がある。心臓の音が聞こえると、そのまま意識が止まりそうな気分だった。

 

「心臓の音、大きい」

「緊張しているからかもしれない」

「どうして?」

 

 どうしてと言われると、視線から離れない射干玉の髪を見つめる。

 黒真珠のように輝き、そして透き通った瞳。主張が強くもなければ埋没もしない、整いながら悪目立ちしないくっきりとした目鼻立ち。

 

 ドクターは言葉を選ぼうとしたが、それを気取ったように小さく笑うヴィルトゥオーサに根負けした。

 

「君は、綺麗だろう?」

「他の人にも言っていそうで心配だわ」

「躊躇うような種類の言葉じゃない」

「貴方の思うような意味で伝わらないことの方が多いのよ、ドクター?」

 

 やんごとない身分と話す立場には浅はかではあるが、ドクターにはそんな無意味な付加価値に対する危惧は無駄なように見えた。

 

 美しかったものが去った。美しくなれたものが消えた。美しくあるべきだったものが壊れた。

 その記憶だけが無数にある。

 それらは必ずしも覆せたものばかりではないと知っているが。

 

 しかし、“そうなり得た“事すら知る事なく去るのは、もの寂しかろう。常々、そう考えていた。

 

「もしも伝わらなくたって、それが良いんだ」

「…………」

「君は、理解出来るだろう?」

 

 音にするのであれば、終わらない悪天候。

 嵐でもなければ雷雨でもなく、全ては既に爪痕。止まない雨や死体を埋める雪のように、ドクターの心から流れる音はつぶさな悲劇に真摯だった。

 

 ヴィルトゥオーサは、ここまで繊細な音使いが簡単に見つからないとよく知っている。譜面の一つ一つの記号に、これほど心を砕き続けたような温かく遠い音は殆ど知らない。

 

 名曲だ。彼は心の雪を見せている。

 

「…………変ね。その答えを音にするのは、少し無粋な気がするの」

 

 そんな事を思ったのは、数えるほど。もしくは、ない。

 

 アルトリアが背中に回す腕には、力が入った。今までよりずっと強い。

 ドクターを壊してしまうような予感すらちらつき出す。楽器を持つにはあまりに乱暴に思える手つきだが、アルトリアは信条を飛び越して自然とそのように振る舞った。

 

 まるで、冷えた心臓に熱でも分けようとしているようだった。

 

「ドクター。私はここで貴方の指揮を待っているわ」

「君のトランスポーターとしての実力は感心している。助かるよ」

「違うわ。貴方はいつでも私を傍に置くことが出来る。楽譜は音と光を越えられるの」

 

 ドクターは静かに聞き入り、その理解に一切の曇りがないかのようだった。

 同じ月を思うことに変わりはない。そう吟じる詩人を幾人も見てきたが、ヴィルトゥオーサには音楽も同様に聞こえている。

 

 だが、そうであって欲しいと切実に願う感覚を、久方振りに体で理解した。

 彼女は客人であって、脇役であって、つまり主役になる事は珍しい事だったからだ。

 

 その違いを、こういう瞬間にだけ実感できる。

 

「雨はいつか止むし、大地は雨でより堅牢になる。貴方もそうでないといけないわね、ドクター」

 

 否。そうであって欲しい、だ。

 これがヴィルトゥオーサの最も大きな瑕疵である。願いを摂理と履き違える世界の狭さ。

 

 汚点であるが、ドクターは今ばかりは心強いように感じた。

 人の願いは横暴であるほど変える力を持つ。どのような方向性であっても。

 受容体を貫徹したヴィルトゥオーサはその実最も強大な自我を持ち、そしてそれが帯びる偏執は悉く関わるものを突き動かす。

 

 それをアーツなどと呼ぶ者もいるだろう。

 

「…………行進曲」

「ん?」

「今、鳴ってるの。貴方の心臓の奥で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ってくれ」

「待つっていうのは、刃先の話? 処罰?」

 

 スルトの両手剣は澱みなくドクターの首筋に当てられており、思わず身じろぎをするが、薄皮ひとつ切る事はなかった。

 仕事帰りに上官が部下の女性と抱擁していた場合、一般的に誤解を受ける。現在も当然そうである。

 

 ドクターは椅子に磔になったように座り込んで黙っていたのだが、スルトの刃先が“わざと当たらないようにされている“と気づいてからはベラベラと喋り出す。

 

「ストレス過多だと診断されて、ハグは改善されるというから、だな」

「ふぅん。それが言い訳? 遺言にしてはつまらないね」

「待ってくれ! 間違っても変な事はしてない!」

 

 助けてくれ、の視線をひっきりなしに送るドクターをクスクス笑って元凶は眺めている。つまり、半ば詰み。

 

「おやおや、またハグ魔かい。ドクター…………私というものがいながら」

 

 モスティマが遅れて入ってきて話はややこしくなる。なぜか状況がわかっている辺り、機を見計らって面白がって入ってきている。

 以前モスティマとも似たようなことがあった、というのはヴィルトゥオーサも聞いている。とはいえ、ドクターは巻き込まれる側だったようだが。

 

「あれは君が強要したんだろう」

「あぁ、なんて酷い。私たちはあれほど熱い抱擁を交わし、数えきれない夜を共に超えたというのに」

「頼む。スルトが本当に首を刎ねそうな顔をしている」

 

 しょうがないなぁ、とスルトに事情を説明しながらチラリと、ヴィルトゥオーサの方を見る。

 

 目線が合い、一歩引いて見ていたヴィルトゥオーサは微笑んで返す。

 しかし、説明がひとしきり終わってからあれやこれや言うドクターを捨て置きながら

 

「ふーん。作り笑い、得意じゃないんだね」

 

 等とモスティマは言った。思わずヴィルトゥオーサは自身の口元を触り、確かにいつもより下がっていて…………ともすれば不機嫌だったような気がするのに気づく。

 

 何故? 逡巡が季節を巡り、結論が出ないまま燃え尽きた。努めて笑顔を貼り直して、ドクターを宥め始める。

 

「ドクターって随分人気者なのね?」

「…………え、そうなのか」

 

 ぽかんとするドクターに、ヴィルトゥオーサはモヤっとした。




冷静になったらここだろこれ、と思って短編投稿から切り替えました。ちなみに持ってません。無力なドクターだと笑いなさい。

今後更新するかは不明。
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