「ゲーム、終わりませんね」
「そうですね。これは一体どういうことなんでしょうか」
ゴーナイトはモモンガと顔を見合わせて、バッと目を逸らした。
「ゴーナイトさん?俺何かしましたか!?」
「い、いえ。モモンガさんは悪くありませんから」
空っぽな鎧の中、無いはずの胸の鼓動がうるさい。もし彼の表情が伺えれば、その顔が真っ赤に染まっている様子がわかっただろう。
なぜこんなにも胸がときめくのか。なぜこんなにもモモンガさんがカッコよく映るのかわからない。胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
一方、モモンガの方は。
「(うわあ、ゴーナイトさんそのポーズ可愛い)」
ゴーナイトに見惚れていた。
先程の、目を逸らされた事はショックだった。だが、それを忘れさせてくれるほどの尊さがモモンガの胸の包んでいる。いや、照らしている?とにかく、自分が悪く無いのなら問題はない。ゴーナイトを待つだけだ。その間に考えよう。
ここはナザリック地下大墳墓、第十階層、玉座の間。それは間違いない。最後に移動させたNPCたちもそのままだし、俺たちの姿もユグドラシルのゲームのアバターのままだ。だが、視界がまずおかしい。マップも時間もその他も表示されていないのだ。これじゃGMコールだってできやしない。そもそもログアウトができない。では、どうすればいいのか。
「まずは身の安全確保か……」
そう呟いたとき、声が発せられた。
「モモンガ様、ゴーナイト様、何か問題がございましたか?」
美しい女性の声だ。発生源を辿ると、そこにはNPCのアルベドがいた。アルベドは顔を上げてモモンガを見つめている。視線が合った。合うはずのない、交差するはずもない視線が交わったのだ。まるで生きている人間同士のように。
NPCの視線は中空を見つめているものだ。そもそも視線が定まってすらいない。それが合うなんて一体どういうことか。あまりにも続いて起こる不測の事態にモモンガも、隣にいたゴーナイトも麻痺していた。
ここでゴーナイトが話す。
「……アルベド」
「はい、ゴーナイト様」
「…………回ってくれないか?」
「かしこまりました」
ぎょっとした。よく見かけるだけの女性に普通命令などしない。そして相手だって、そんな事が起きたら警察を呼ぶか、強い拒否反応を示すはずだ。だが、アルベドは素直に従った。
アルベドはその場に立って時計回りに回った。命令を聞いたのだ。モモンガは呆気に取られる。ゴーナイトだって驚いた。それでもお礼は忘れない。
「ありがとう。今日も美しいよ」
「まあ、勿体無きお言葉ですわ」
美女が頬を赤く染めて微笑む姿の、なんという破壊力か。
いや、それよりも会話ができている。ありえないことだ。こんなこと、ゲームじゃできない。ゲームじゃないのか?ありえないだろ!思考が爆発し、喚きたくなった。だが、ふと感情が平坦になった。なんだ、急に冷静になれたぞ?
「モモンガさん」
理由を探す前にゴーナイトさんが話しかけてきた。彼もやけに冷静だ。もしかして自分と同じように大きな起伏は平坦になるのか?
「セバスたちを玉座の下まで来るように命令していただけませんか?」
「?わかりました。ーーセバス、メイドたちよ!玉座の下まで」
『かしこまりました』
全員の声が重なる。セバスたちはすくっと立ち上がり、綺麗に背筋を伸ばしたまま動き、玉座の下まで来ると膝をついた。
驚いた。ゴーナイトと顔を見合わせる。NPCを従わせるコマンドワードを使わずとも、彼らが言葉の真意を汲み取り実行したこと。アルベドだけではなく言葉を発したこと。
少なくとも玉座の間の中ではNPCがおかしくなっている。さらに情報を掴もうとして、モモンガはアルベドを鋭く見る。アルベドが言葉を発するよりも前にゴーナイトがモモンガに問いかけた。
「モモンガさん、セバスたちに命令を出してもいいですか?」
「ーぇ?はい、いいですよ」
どうせ先程と同じような、意味のない命令だろうと思って許可を出した。あのぐらいならNPCも聞いてくれるようだし。
予想は覆った。
「では……セバス、及びプレアデスに命じる。大墳墓を出て半径一キロメートル周辺を探索してくるんだ。危険な行動はするな。戦闘行為も許さない。もし知的生物がいた場合は、そうだな。会って話がしたいが、どうしましょう。俺たちから会いに行きましょうか?」
「えーと。ここに連れて来させましょう。例え交渉が決裂して、戦闘になってもここなら安全に戦えますから」
「わかりました。聞いていたとおりだ。知的生物を確認した場合、交渉の末、俺たちの下へ連れてくるんだ。その場合、相手の条件をほぼ聞き入れても構わない。交渉ごとが決裂したり、戦闘になった場合はプレアデスの一人を必ず逃がせ。情報を確実に持って帰らせるんだ。あと、プレアデスの何名かは残って第九、第十階層の守護にあたれ」
「了解いたしました。直ちに行動を開始します」
「畏まりました。ゴーナイト様」
「うむ。では、行け」
セバスたちは了解の意を取ると、玉座の間から出て行った。
本来、NPCたちは拠点から出ることはできない。セバスたちが出られるだろうか。それは彼らが外に出られればわかるだろう。
「それでは、私は如何いたしましょうか」
アルベドが俺たちを見て、ゴーナイトさんが俺を見る。俺に命令を出せということだろう。
「アルベドは、そうだな。階層守護者たちを集めてもらおう。今から一時間後、第六階層の円形闘技場で待っているぞ」
「承りました」
「うむ。行け」
「はっ」
アルベドも巨大な扉を開けて出て行く。
彼女が出て行って、ようやく俺たちは大きな息を吐き出したんだ。
「はあー!疲れた。何が起こっているんだ!」
「あー、本当ですね。一体どうしたんでしょう?ユグドラシルIIではないようですし」
「こんなリアルなゲームなんてあり得ますかね?それにしても、命令したとき嫌だと言われないで良かったですよ」
「俺とモモンガさんの命令を聞きましたね。まるで俺たちの方がはるかに偉いって感じで」
「ゴーナイトさんがどんどん先に試すから、こっちはちんぷんかんぷんですよ。少し情報をまとめてもいいですか?」
「私からもお願いします」
「では。えー、GMコールができません。画面ではなく、視界に切り替わっています。体もリアルのボロからアバター姿に変わっています」
「ボロって、自分の体に容赦ありませんね」
「事実ですから。それから、NPCたちが動き出した」
「俺アルベドをよく確認したんですが、唇動いてましたよ」
「マジですか!えー、唇まで動くなんて……ますますゲームの線は無くなりましたね。……これってリアルなんでしょうか?」
「まだなんとも言えませんね。とりあえず、自分の身を守れるか確認しないといけません。まずはレメゲトンの悪魔たちを動かしてみましょう」
「……………」
「モモンガさん?」
モモンガは悩んでいた。これを言えば嫌われてしまうかもしれない。けれど、確実にゲームかリアルか確かめられる方法。
それはお触り。
ユグドラシルIIなら絶対に許さないだろう18禁行為。ゴーナイトさんに頼むのは心苦しいが、これは大切な実験だ。この実験が許されるかどうかで、ここがゲーム内かそうでないのかがわかる。
「一つ、確実にここがリアルかどうか判別できる方法があるんですけれど」
「そうなんですか?危なくなければやってみましょう。俺もできる限り協力します」
「……18禁行為、というかお触り」
「あっ!ああ……」
やっぱりドン引きされた!引き返さないと!
「あの、やっぱり引いちゃいますよね。やめておきましょ……」
「やります」
「やり、やります!?え、触っていいんですか!!」
「なんでそんなに食いつくんですか、恥ずかしい。だってしょうがないじゃないですか!確かめないと、いけないんですから」
もじもじと両手をこするゴーナイトさんに幼さを感じて萌える。
「モ、モモンガさんだけですよ。こんなの、許してあげるの」
「お、俺だけ……」
男なら、一度は好きな人に言われたい言葉じゃないか!胸が、今アンデッドなのに、ないはずの胸が高鳴る。
「それで、どこを触るんですか?」
「あう、えと……では、お尻を」
「うう、わかりました」
ゴーナイトさんは俺の目の前まで来ると、体を回転させ後ろを向いた。そして俺の眼前に尻を突き出したんだ。
「こ、これで、いいですか?」
「もう、充分に」
えっろ!なんだこれ、えっっっろいな!!!尻の突き出しなんて雑誌やら漫画やらで見慣れているが、本物はとんでもなくエロい。玉座の間で、やってはいけない事をしているという背徳感がさらに興奮させた。
俺はそっと、例えるなら完熟した柔らかい桃に触れるように両手でゴーナイトさんのお尻をズボンの上から触れる。形に沿うように撫でて、時々弾力を確かめるように揉んだ。
「ふっ、ふう……うう、うん」
悩ましいゴーナイトさんの声が聞こえる。
ふむ、垢バンはされないか。つまり運営会社はこの状況を感知できないでいるのか。いや、そんなはずはない。であれば、考えられるのは管理会社がいないということ。仮想空間が現実になった可能性が大いにある。
加えて、今香るこの匂いである。
おそらくゴーナイトが日常的に遊びでつけていた、香水の匂いだろう。爽やかな柑橘系の香りがモモンガの鼻をくすぐった。
「こんなの、データ容量的にありえないよな」
NPCたちの唇が動くことも、コマンドワード以外の言葉で動くことも、NPCと話せることも、匂いを嗅げることも、すべてありえない。
だから、仮想空間が現実になったと、はっきり言えた。
モモンガは力なく腕を下ろす。ゴーナイトも力なく、その場に膝をついた。
「あっ、大丈夫ですか?すみません!触り過ぎてしまいましたね」
「だい、大丈夫です。ちょっと、くすぐったいだけでしたから!私のことはいいので、早くレメゲトンの悪魔たちを動かしに行きましょう」
「わかりました。じゃあ、一緒に行きましょう」
〈つづく〉