モモンガとゴーナイトはそれぞれ椅子に座りながら、正面に据えられた鏡と向き合っていた。これは魔法の鏡だ。その証拠に、正面に座るモモンガとゴーナイトを映しておらず、草原が映っていた。草原の草はそよそよと風に揺れている。それを穏やかに見つめる者はいない。二人とも必死に腕を動かしている。腕を動かすたびに、画面が切り替わったり拡大したり縮小している。
使っているアイテムは遠隔視の鏡。
二人は今、賭けをしている。
勝った方の言うことを何でも聞く、というありきたりな賭けだ。
ゴーナイトは窮屈な生活に刺激を求めて言い出した。勝ち負けは気にしていない。むしろモモンガが勝ったとき何を言い出すのか知りたいくらいだ。
ちなみに今日はフル装備なので、エッチなお願いなら一度着替えて来ないといけないなー、と考えていた。
モモンガはこの遊びが配下の印象にどう変化を及ぼすのか内心ひやひやしている。そしてゴーナイトが勝ってどんな命令を下すのか、無いはずの心臓が速まっていた。
まさかとは思うが、もしユグドラシ時代と同じような罰ゲームを言い渡されたら、支配者としての面目は崩れ落ちる。絶対に負けられない!
二人は勝利条件である「知的生物」を見つけるため、とにかく画面を動かしまくっていた。
実はゴーナイト、手を抜いている。
なぜなら、モモンガが必死すぎたからだ。ちょっとしたお遊びなのに、何をそこまで必死になるのか。只ならぬ気配を感じた。
そこまで私に命令したいのか。はたまた負けるわけにはいかないのか。どちらにせよ、軽く手を抜いて……同じところをぐるぐると見たり、ただ視点を変えたりする事で時間を稼いだ。
ゴーナイトが手を抜いている。それを知るのは立った一人。二人の間に立つセバスだけだ。
ゴーナイトがちらちらとモモンガを窺っていること、それからわざと時間をかけて鏡の先を映しているところも、ばっちり見られている。
ゴーナイトはこちらを凝視するセバスに対して、黙っておくようにハンドサインを出した。指を一本立てて唇に当てたのだ。セバスは深く頷いた。
やがてお遊びは終わる。
「おっ!」
モモンガさんが何か見つけたのだ。
ゴーナイトは立ち上がり、モモンガが操作する鏡を覗き込んだ。そこには麦畑が広がる村があった。
「おめでとうございます。モモンガさんの勝ちですね」
「ありがとうございます。いやあ、勝ててよかった」
その声色は、勝利した自慢よりも安堵の方が優っている。やっぱり負けて良かった。
セバスからも拍手が起こり、モモンガさんは賞賛される。
「おめでとうございます、モモンガ様。このセバス、流石としか申し上げようがありません!」
「ありがとう、セバス。それにしても長く付き合わせて悪かったな」
セバスは語る。至高の存在の側に控え、命令に従うこと。それこそが存在意義だと。
「ふふふ、そうか。では、もう少し側で働いてもらおうかな」
「かしこまりました。全身全霊でお仕えさせていただきます」
モモンガは再び鏡に向き直る。村をよく見て回り人間を探す。やがて人を見つけたがー。
「……チッ!」
それは不愉快な光景だった。騎士風の鎧を着た人間が村人らしき粗末な服を着た人間に、剣を抜いて振るっていた。
剣が振るわれるたびに村人たちが一人ずつ倒れていく。そして血が広がっていく。
すぐに別の光景へ変えようと思った。死にゆくこの村に価値はない。これでは情報も得られないだろう。
そこで気づく。自身がそれほど、この光景にショックを受けていない事に。
まるで昆虫同士の対戦映像を見せられている気分だった。なんだこの気持ちは?まさかアンデッドをやめたせいで、人間を同種と思えていないのか?ゴーナイトさんはどう思っているんだ?
横にいるゴーナイトを見る。
彼はじっと鏡に映る映像を凝視していた。そこから感情は窺えない。
「ゴーナイトさん。この光景、どう思われますか?」
「うん?騎士風の男たちの事ですか?弱いですね。体が全然遅い。村人たち相手にわざとしていても、技術が足りていないのが丸わかりです。総評ザコです」
「そうではなくて。この光景に嫌悪感はありませんか」
「あります。昔を思い出して胸糞悪いですね。でもそれだけです。モモンガさんは?」
「俺も、その程度です」
やっぱり、ゴーナイトもこの殺戮に対してあまり動揺していなかった。しかも自身の変化に気づいていない可能性がある。
モモンガはどうするか考えた。
ゴーナイトの見解ではこの騎士風の男たちはザコらしい。ならば恐れる必要はないだろう。しかし、彼らが所属する国はどうだろうか。もしかしたら俺たちよりも強者がいるかもしれない。未知の世界に軽々しく飛び出す事はできない。
手が滑り映像が切り替わる。
揉み合う村人と騎士。そこに二人組の騎士が駆けつけて、村人を引き離す。村人は両手を摑まされたまま立たされた。揉み合っていた騎士が起き上がり、村人に剣を突き立てる。一度、二度、三度、何度も怒りをぶつけるかの如く繰り返される。
最後に蹴り飛ばされて、村人は血の海に伏した。
モモンガはその村人と、目が合った気がした。
もう虚ろな目で、唇が動かされる。
ー娘達をお願いします。
「どう致しますか?」
タイミングを見計らっていたかのように、セバスが声をかけてきた。
モモンガはセバスを見て、その後ろにたっちさんを見た。
「誰かが困っていたら助けるのは当たり前……」
そしてゴーナイトが呟いた。
驚いてモモンガとセバスはゴーナイトの方を振り向く。
「たっちさんの言葉だ。彼に、私は救われている。ならば、彼に恩返しするべきでしょうか」
もはや決断した後のようだった。
モモンガは頷いた。
「一緒に行きましょう」
「いいんですか?私のワガママなんかに……」
「考えることは同じですよ。俺だってあの人に救われている。セバス!」
「はっ!」
モモンガはセバスに命令を下す。
ナザリックの警備レベルを最大まで上げること。アルベドに完全武装で来させること。隠密能力に長けるシモベを送り込むこと。
鏡の中で少女たちが騎士たちに襲われている。
即座にアイテムボックスからスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出した。ゴーナイトも自らの愛刀を取り出して装備している。
〈転移門〉
視界が変わる。転移阻害などの妨害を受けずして、少女たちの側に出る事ができた。モモンガは一つ安堵する。モモンガに続いてゴーナイトも〈転移門〉から出て来た。ゴーナイトはすぐにモモンガの前に立つ。
騎士たちは茫然としていた。剣を振るうことも忘れて、そのまま立ち尽くしている。
モモンガもゴーナイトも、冷静に相手と対峙していた。暴力とは無縁の生活を送ってきたにも関わらず、この世界が現実であるにも関わらず、恐怖心は一切ない。
その冷静さが、冷徹な判断を下す。
「まず俺から」
「りょ(了解)」
何も持っていない方の手を伸ばして広げる。即座に魔法を発動させた。
〈心臓掌握〉
モモンガの手の中で柔らかい物が潰れる感覚がしたのと同時に、無言で騎士が倒れた。
モモンガとゴーナイトは内心喜んだ。モモンガの得意とする死霊系魔法が効いたのだ。ゴーナイトがザコと評価したとはいえ、魔法に耐性がある可能性もあった。
次はレベルを調べる必要がある。
モモンガは死霊系魔法に特化する代わりに、単純な攻撃魔法のダメージ量は落ちていた。
金属の鎧は防具の中でも雷撃系の魔法に弱い。ゆえに、まず雷撃系の魔法に対して耐性を組み込む。
では、そんなモモンガが騎士に雷撃系の魔法を撃ったらどうなるか。
二人は前進して、少女たちを素通りした。すると姉らしき人間から困惑の声が漏れた。
モモンガこそ困惑した。助けに来たというのに、なぜ戸惑う。全くもってわからない。疑問を飲み込み、少女たちを隠すように前に立った。
「次は弱い魔法を撃ちますね」
「りょ」
「〈龍雷〉」
防御不可能、回避不可能。
龍のごとくのたうつ白い雷撃は、二人の騎士を貫いた。一瞬だけ白く輝き、騎士たちは大地に伏した。肉体が焦げて異様な匂いが辺りにたちこめる。
追撃の準備に入っていた二人はガクリと肩を落とした。
「弱い。脆いぞ」
「まったくですね」
第五位階の〈龍雷〉はレベル百のモモンガたちにとっては弱過ぎる魔法だった。普段使う魔法が第八位階だと言えば、その強弱がわかってもらえるだろうか。
失った緊張感は取り戻しにくい。代わりに警戒心を働かせる。さっきの騎士は攻撃特化型だった可能性もあると。だから魔法が通じたのかもしれないぞ。
「今度は特殊技術(スキル)を試してみようかと思うんですけど」
「やってみてください。俺たちのパーティだったら、要はモモンガさんですから、能力はどんどん試してみてください」
「では、早速」
ーー中位アンデッド作成、死の騎士(デス・ナイト)ーー
モモンガのスキルの一つ。様々なアンデッドモンスターを生み出す能力だ。その中でもデス・ナイトはレベル的にも能力的にも低いモンスターで、はっきり言えば役立たずの分類に入る。しかし、重宝するスキルを持っていた。
一つ目は、敵モンスターの攻撃を完全に引きつけるもの。二つ目は、一度だけ、どんな攻撃を受けてもHP1で耐えきるという能力だ。
モモンガは今回も盾の役目を期待して召喚する。
召喚方法はユグドラシルと違った。
ゴーナイトは引いた。
黒い霧が空中から生まれたかと思うと、そいつが死んだ騎士を包み込んだ。騎士は生きた人間ではあり得ない動きで立ち上がると、口からゴボリと黒い液体が溢れて体中を覆った。騎士の形が歪みながら変形していく。
液体が流れるように去っていく。そして、後に残るのは死霊の騎士。
気持ち悪い、という言葉はどうにかして飲み込んだ。
デス・ナイトそのものはユグドラシルと変わらない。アンデッドに相応しい生者を憎み、殺しそうな見た目をしている。
ゴーナイトはほっとした。見慣れた奴が出てきて安心した。これで違う変なモンスター出てきたらどうしようかと思った。
モモンガさんがデス・ナイトに命令し、村に向かわせた。騎士を殺すためだ。
「いいんですか?盾役を行かせても」
「あっ、やっちゃった……」
「ふふ、まあもうすぐ来るでしょうから、大丈夫ですよ。ほら」
閉じかける〈転移門〉から一体の悪魔が出てくる。完全武装したアルベドだ。
「準備に時間がかかり、申し訳ありませんでした」
「いや、ちょうどよかったよ。ねえ?」
「ああ、そうだとも」
「ありがとうございます。それで、そちらの下等生物の処分はどうなさいますか?」
「何を言っているんだアルベド?セバスからなんと聞いたんだ?」
アルベドは答えなかった。
俺たちはため息をついた。これちゃんと話し聞いて来なかったな。モモンガさんがアルベドに説明している間に、ゴーナイトは少女たちの方に向き直った。
近づかず、目線を合わせるように膝を折る。後ろから驚かれる気配がするが、無視だ。
「こんにちは。私はゴーナイトと申します。あなた方を助けに来た者です。近くで話してもいいですか?」
できるだけ警戒心を抱かせないように、優しい声色で話す。
二人は困ったようにお互いを見た。おずおずと姉の方が尋ねてくる。
「わ、私たちを襲わないんですか?」
「襲いません。さっきもお話したとおり、私たちはこの村を、あなた方を助けに来たんですよ」
ゴーナイトはもう一度、近くに寄ってもいいか尋ねた。今度は、少々時間がたってから了解を得られた。
ゴーナイトは三歩近づいた。両者の距離は縮まったが、二メートルほど間があった。
「あなたは、お姉さんかな?怪我をしていますね。よければマジックアイテムで回復させてあげます。いいですか?」
「で、でも、うちにはお金がなくて……」
「今日は出血大サービスですから、気にしなくていいですよ」
「?はあ……」
ゴーナイトはアイテムボックスから赤い下級治癒薬を取り出した。そして身を乗り出して、腕を伸ばしアイテムを姉妹の方へ渡そうとする。だが決して近づかない。
「どうぞ。これが私が持っているポーションです。飲んでください」
「は、はい」
姉は苦しそうに身を乗り出しながら、ポーションを受け取った。まじまじとポーションを見つめてから、意を決して、赤い液体を飲み干した。
「嘘……」
彼女の背中にあった大きな傷が見る見るうちに塞がれた。信じられないのか、背中を叩いたり体を捻ったりしている。
「うん、大丈夫そうですね。よし、じゃあ村の方に行きましょうか」
ゴーナイトは立ち上がり、膝についた土埃を払いながら言う。モモンガはその前にと、姉妹たちに守りの魔法をいくつかかけた。
「生命を通さない守りと、射撃攻撃を弱める魔法をかけてやった。そこにいれば大抵は安全だ。それと、これをやろう」
モモンガは二つの見すぼらしい角笛を姉に投げ渡した。
「それは小鬼将軍の角笛と言われるアイテムで、吹けば小鬼ーーー小さなモンスターの軍勢がお前に従うべく姿を見せるはずだ。そいつらを使って身を守るがいい」
小鬼将軍の角笛といえば、ユグドラシルじゃ有名なゴミアイテムだ。出てくるモンスターは軍勢と呼ぶには少なく、弱い。さっきの騎士すら勝てない少女たちのお守りぐらいになら、最適だろう。
「ではな」
「た、助けてくださってありがとうございます!」
「あ、ありがとうございます!」
「気にするな」
「あの、図々しいとは思いますが、頼れる方があなた方しかいないんです!どうか、両親を助けてください!」
「了解しました。生きていれば助けましょう」
「ありがとうございます!ありがとうございます!本当にありがとうございます!そ、それで、あの、お名前はなんと仰るんですか?」
「我が名はーーーー」
「ちょっと待ってください」
「む?」
「こちらに」
モモンガはゴーナイトに呼ばれるまま姉妹たちから離れる。そこでこそこそと喋り始めた。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとお願いがありまして。モモンガさん、名前変えていただけませんか?」
「は?」
〈つづく〉