俺もモモンガさんもつつがなく仕事をこなせるはずだった。
事件は三日目の夜に起こった。
モモンガさんへ持っていく宝石を見繕っているときだ。アルベドが面会を求めてきた。とうとう書類仕事が来たか!
私は身構えて面会を許可した。
アルベドはいつもの微笑みをなくして、無表情でやってきた。その顔には若干の怒りも含んでいるようだ。私何かしてしまったか?己の失態を念頭において、彼女の言葉を待つ。
アルベドは跪き、言った。
「シャルティア・ブラッドフォールンが反旗を翻しました」
「……ええ」
呻き声が喉からひねり出される。
言葉を受け入れることを頭が拒否する。シャルティアが裏切ったなんて信じられない。というかあんなに忠誠心が高いNPCが裏切るのか?なぜ今?もしかして自分たちの無能さを嫌って裏切ったとか?
冷や汗が背中を伝う。もう少し詳しく聞かねばならない。
「それは……間違いないのか?」
「はい。マスターソースのNPCの名前欄で確認いたしました。シャルティアの名前が黒色に変色していましたので、間違いないかと思われます」
「…………シャルティアは、たしかセバスと行動を共にしていただろう?彼から話は聞いたか?」
「すでに終えております。セバスの話では、野党と遭遇。その後、シャルティアは野党を捕獲するためアジトに向かったののことです。その間に不審な点はなく、至高の御方々への忠誠を口にしていたようです」
「では、その後に反旗を翻す何かがあったんだな」
「はい。……それとシャルティアが連れていたシモベ二匹ー吸血鬼の花嫁ーが、滅びております」
「あれは弱いからな……。いや、滅びる何かがあったんだな。……エントマに〈伝言〉を使わせろ。モモンガさんにも知らせるんだ。それから私は玉座の間に行ってマスターソースを確認する。アルベドはモモンガさんの返事を持って、私の所に来い」
了解の意を示すアルベドを見送ってから、私は玉座の間の前の部屋、レメゲトンへ転移した。
重厚な扉を開けて、玉座まで歩き扉の方を向く。
「マスターソース・オープン」
半透明の窓が開いた。タグで区切られ、無数の文字がボードに書き込まれている。
これはナザリック地下大墳墓の管理システムだ。一日の維持コスト、現在のシモベの種類や数など、様々な拠点に関する内容が書き込まれており、この場からでも大雑把に管理できる造りとなっている。
転移してから、この玉座の間の心臓部でしか窓を開くことができなくなっている。なんとも面倒だと、モモンガさんが愚痴っていた。
ゴーナイトは慣れた手つきでNPCのタグを開き、シャルティア・ブラッドフォールンの欄を確認する。本当に彼女の名前だけが黒色になっていた。
その意味は第三者によって精神支配を受け、結果一時的に敵対行動を取ったNPCの名前の色の変化だ。
決して裏切りとは言えない。……アルベドからみればそうなのかもしれないが。
シャルティアはアンデッドだ。良くも悪くも精神作用は受け付けない。なのになぜ名前の色が変わっているのか。
シャルティアの意思で反旗を翻した。
タレントなど、この世界特有の能力で精神作用を受けた。
世界級を使われて、精神を支配されている。
考えられるのはこのくらいだろうか。
もし世界級ならば、私たちが迂闊だったで話が済む。次からは守護者たちに世界級を持たせて外に出せばいいのだから。
シャルティアの意思で反旗を翻した場合、対処法を見出すべく早急にモモンガさんと話し合うべきだ。
タレントなど、この世界特有の魔法やスキルで精神支配であれば、それの対処法も。
「どちらにせよ、とにかくモモンガさんと合流しないと」
あとこちらでできる事はなんだろうか。そうだ、シャルティアの所在だ。今どこにいるのかアルベドは知っているのか?
後からやって来たアルベドは新たなる衝撃を持ってきた。
「モモンガ様は“今は忙しい”と……」
「この件より優先するべき仕事なんかないぞ……。エントマはちゃんと伝えたのか?」
「いえ、伝える前に断られました」
「…………こちらでできるだけ情報を集めて、後ほど報告するとしよう」
NPCは何をおいてもギルドメンバーを優先する。今回もそうだ。シャルティアが精神支配を受けた可能性という大事件よりも、モモンガさんの都合を優先させた。
ゴーナイトは一つ決心する。
どんなに忙しくても、NPCたちからの連絡はちゃんと話を聞くぞ。
「ところで、シャルティアの所在は摑めているか?」
「申し訳ありません。未確認です。まずはシャルティアがナザリックに攻めてくることを考え、シャルティア直轄の部下たちを拘束すると同時に、防御を固めるために第一階層にシモベを動かしておりました」
「そうか。ならば確認しておこうか。君のお姉さんのところに行こう」
ドレスルームや倉庫を整理していた時に出てきた、冷気を遮断できる真紅のコートをアルベドに貸して第五階層へ転移する。
氷河をイメージして造られた第五階層にある洋館、氷結牢獄に向かう。
氷結牢獄の一室にいるアルベドの姉ニグレド。狂乱する彼女を落ち着かせてーこれも設定だーシャルティアを見つけてもらう。
シャルティアは森の中のどこか開けた場所に立っていた。
フル装備をして。
「……このまま監視を続けてくれ。俺たちは戻るよ」
「はっ。かしこまりました」
「アルベド、警戒態勢はそのままで頼む。数時間毎に休みを入れるように。後はすべて、モモンガさんが帰ってから行う」
「承知いたしました」
モモンガさんが帰ってきたのは、それから朝になってからだった。
ナザリック地下大墳墓。モモンガさんの自室。
私はモモンガさんが帰ってきたらすぐに会えるよう、彼の自室に待たせてもらっていた。
帰ってきた彼は、部屋に二人きりになると支配者の皮を破り捨てた。
「一体どういうことですか!?シャルティアが裏切ったって!?」
「落ち着いてください。まだその点は確認できていないんです」
ああ。アルベドに報告させるんじゃなくて、私から今回の件を報告させて貰えばよかったな。
「では、何がわかっているんですか?」
「マスターソースで確認したところ、シャルティアの名前が黒色に変色していること。彼女は森の中にいること。セバスたちと行動しているときはおかしな部分がなかったこと、です。アルベドは裏切と言いますが、私は精神支配の可能性もあると考えています」
「確かに……ゴーナイトさんの言うとおりですね。それでは裏切と断定できません」
「モモンガさんさえ良ければ、シャルティアのところへ転移し、彼女の状態を確かめたいと思います。ただ、シャルティアは完全武装をしていたので、こちらもアルベドを連れて行きましょう」
「わかりました。念のため、アルベドにも鎧を着させます」
フル装備したアルベドと共にゴーナイトとモモンガは、森へと転移した。
わざとシャルティアから離れた場所に〈転移門〉を使う。シャルティアの奇襲を回避するためだ。
「この先ですね。アルベド、モモンガさんの前に立て。私は先頭を歩く」
「承知いたしました」
「気をつけてくださいね。ゴーナイトさん」
「大丈夫です。回避は得意ですから任せてください」
森の大きく開けた場所。牧歌的なそこに、まるで似つかわしくない真紅の甲冑が立っていた。
シャルティアだ。
彼女はニグレドに確認してもらった位置からまったく動いていなかった。吹き付けてくる血生臭さが鼻を掠めた。
「シャルティア」
モモンガさんが威厳のある声で呼びかける。決して小さな声ではない。相手側にも届いているはずだ。だが彼女は微かに動きもしない。
返事がない。
私はシャルティアをよく観察する。すると彼女の瞳が空虚であることに気づいた。そこに意識はない。宿っているように見えない。
アルベドは気づいていないのか、シャルティアに向かって怒り出した。
「シャルティア!言い訳の言葉なく、さらにはモモンガ様、ゴーナイト様に対しての無礼ーー」
「アルベド、煩わしい!静まれ、動くな!シャルティアに近寄ることは許さん!」
普段のモモンガさんからは考えられない乱暴な口調で制止する。今だけは、彼も自制がきかなかった。ゴーナイトもである。二人の側で「あり得ない」と何度も呟いていた。
だが感情の大幅な起伏も、アンデッド特有の精神安定化により、すぐに冷静さを取り戻す。
モモンガは噛み砕くように語り出す。
精神支配を受けていることは確定だと。
「いかなる理由があってかわからないが、陽光聖典の人間から情報を得る際に、これに近い光景を目にした。これはやはり精神支配による結果だ」
「何もしていない、動いていないという事は命令を受けていない……という事ですよね」
「おそらく相打ちによる結果でしょう。推測の範囲を出ませんが」
「ならば、今は近寄らない方がいいですね。……カルマ値がマイナスに偏っている場合、近寄ると攻撃される事が大半なんだ。だからここから動いてはいけないよ」
「はい。心得ました。ですが、これではナザリックに連れ戻すことが不可能です。ここに時間をかけるのは、シャルティアを精神支配した何者かが死んでいるのであればいいのですが、もし生きていた場合、長居は危険かと」
「全くだな。だから手っ取り早く無効化してしまおう」
モモンガさんが取り出したマジックアイテムは流れ星の指輪。超希少アイテムで、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの中でも三人しか持っていないアイテムだ。超位魔法〈星に願いを〉を経験値消費なしに三度まで使うことができる。
「私の指輪を使いましょうか?」
「いえ。これを使います」
願いの種類は豊富だ。攻略掲示板によると二百種類はあるらしい。
〈星に願いを〉はその中から願いがランダムで表示された。十%消費なら一つ、五十%消費なら五つといった具合だ。
流れ星の指輪は二百の願いの中でも、良い効果のものが十個、ランダムで表示された。
破格の当たりの課金アイテムだ。一つだって無駄にはできない。
「さあ、指輪よ。俺は願う!」
サイコロを振るときに気合を入れるようなものだ。良い目が出ますように、と強く願う。
その時、モモンガは不快感に襲われた。
「なんだこれは……」
頭の中の情報が書き変えられるような感覚。ーそして同時に巨大な何かと繋がるような幸福感。人間だった頃と同じような感覚がいくつもモモンガを襲う。
その波が去った後。〈星に願いを〉がユグドラシルとはまるで違うものに変わってしまったことを知る。
この世界において〈星に願いを〉は、望んだ願いを実現する魔法へと変わっていたのだ。消費される経験量にもよるが、ンフィーレアのタレントだって奪える。さらに最大五レベルダウンー五百%もの経験値を消費して、より強大な願いを叶えるものへと変質していた。
モモンガはこれならシャルティアにかけられた効果を打ち消せると、勝利を確信した。
「シャルティアにかけられたすべての効果を打ち消せ!」
声が響き、一拍後、モモンガの瞳は激しく光った。ゴーナイトが状況をいち早く理解し、モモンガに指示を出す。
「て、撤収しましょう!アルベド来い!」
「はい!」
ゴーナイトはアルベドを抱えて、モモンガの腕の中に入る。モモンガは二人をしっかりと抱きしめると転移した。
転移した先は緩やか丘だ。安心できる我が家に帰ってきた。だが油断はできない。二体のアンデッドは迎撃態勢に入った。
「アルベド!追尾してくる者に警戒せよ!」
「はっ!」
「モモンガさんの側に立て!」
「かしこまりました!」
武器を構え、アルベドは命令通りにモモンガの側に立つ。ゴーナイトも武器を構え、モモンガは両手を自由にした。
モモンガはゴーナイトの背中を見て何か言いたそうにしたが、飲み込んだ。
そのまま時間が過ぎ、モモンガたちはようやく緊張の糸を解く。それを見てからアルベドも平常の姿勢へと戻った。
「糞が!!」
落ち着いてくると、モモンガを襲ったのは激しい怒りだった。アンデッドになってからは、久しい感情だ。次々に押さえ込まれても、次々に新しい憤怒の波がやってくる。
「糞!糞!糞!」
モモンガは何度も地面を蹴り上げた。その度に大量のの土が舞い上がる。
「モモンガさん……」
かけられた声に若干の怯えを感じ取り、モモンガは急速に冷静さを取り戻した。できもしない深呼吸をして、内側の怒りの炎を消すように動いた。
「すみません。我を忘れてしまいました。……アルベドも見苦しい姿を見せたな。忘れてくれ」
「忘れろと命じられるのであればすべて忘れます。ーですが、一体何があったのでしょうか?何がモモンガ様を不快に思わせたのでしょう?」
「アルベドのせいではない。指輪の力を使っても、シャルティアの効果を打ち消せないからだ」
「世界級……による効果ですね」
「その通りです」
黙ったままのアルベドを見て、説明が足りないことを知り、ゴーナイトは言葉を続ける。
「シャルティアは間違いなく、世界級アイテムによって精神支配を受けている」
「そんな、まさか……」
「迂闊だった。プレイヤーに警戒するなら、世界級アイテムにおいても警戒するべきだった。……俺は無能です」
「やめてください。そんな風に自分を責めないでください。私だって考えが及ばなかったんです。責められるなら一緒ですよ」
モモンガの肩を抱くゴーナイトに疑問を抱きつつ、「ナザリックの者は誰も責めたりしない」と言おうとした時、モモンガに〈伝言〉が入った。
「ーーナーベラルか。今は忙し……いや、話を聞こう。うむ。………わかった。ゴーナイトさん、アルベド。今冒険者組合から、昨夜とは別件で呼び出しがかかった。吸血鬼に関わることだ。行くべきだろうか?」
ゴーナイトとアルベドは少し考えて意見を述べた。
「……行くべきだと愚考いたします。タイミングから考えて、吸血鬼の件はシャルティアである可能性は高いと思われます。話だけでも聞いておくべきかと」
「私も行くべきだと思います。こちらは監視しておけば対処できます。ですが、冒険者組合の方は情報がありません。アルベドと同じく、情報を得るべきです」
「……わかりました。では行ってきます。ナーベラル、聞こえたな。指輪をユリに預けたらすぐに行く。使者にも伝えろ」
〈つづく〉