――1995年 7月 ダーズリー家
「で?」
バーノンは、ハリーを背に控えさせたカサンドラに向かって鋭く質問した。テーブルに置いた手の指先が、トントンと繰り返しテーブルを叩く。
「先程言った通りだ。どういう理由かわからんが、御子息は透明の化物に襲われた」
「そんな――作り話を――信じるとでも? ウチのかわいいダドリーは、そこの小僧にやられたんだ。その――『アレ』で」
「信じられないのも理解できる。だが、ハリーと共にいる身として証言させてもらうが、ハリーはそこまで成績が良くない。はっきり言うと、御子息をあんな目に遭わせることができるほど強くない」
「ほう……? 小僧、お前『
バーノンはニヤニヤと笑いながらハリーを見た。ハリーはそのニヤケ面にカチンときて、思わず言い返した。
「悪くない! カサンドラも、なんでそんなこと言うのさ、今関係ないでしょ?」
「……ああ、すまないな」
カサンドラはため息をつきたくなった。去年のハリーなら素直に頷いていただろうに、今は全く言うことを聞かず、察しも悪くなった。15歳。正直に言うと、最も面倒くさくなる時期である。ハリーだけじゃなくて、他の5年生も毎年めんどくさい。
くだらないプライドの証明に全力を賭け、ほんの少しの抑圧も許されざる大悪のように感じ、無限の自由と権利を求め、そのくせ義務は嫌がる。多くの人間が経験のある、思考回路のそういう変化を、人は思春期と呼ぶ。
去年のとんでもない催しに加えてヴォルデモートが復活し、ありありと自身の死に直面し、さらに彼女もできた。まぁ大人でも不安定になるだろう。いいことの極地と悪いことの極致が同時にやってきたようなものだ。子供の心がパンクしてもおかしくはない。なんとか消化しようとしているところに、大人たち……魔法省は全く協力的でない。
そんな状態に子供時代に置かれていたら、カサンドラでもキレるだろう。
「まぁ……ともかく。そういやダドリー」
「な、なに?」
「呪文は聞こえたか?」
「私の前で――『ま』のつく話はさせん!」
カサンドラはほんの僅かに眉を顰めた。
「あんたの主義主張は認めるが、この場でそう言うことを言われると話が進まない。それとも話し合いもなしに沙汰を決める気か?」
「……ダドリー、どうなんだ」
観念したようにグッと息を呑んで、バーノンは傍にいる自分の息子に聞いた。
ダドリーは今毛布やら何やらにくるまれており、それでも震える肩を、ペチュニアが撫でさすっている。
「ぼ、僕、なん、なんにも、何にも聞こえなかった……。で、でも! あ、アレは聞こえたよ。え、エクスペクトパトローナスって」
「エクスペクトパトローナスだな?」
カサンドラが再三確認すると、ダドリーは頷いた。
その時、フクロウが開いた窓からやってきて、ハリーに手紙を渡した。
「またフクロウが! もうたくさんだ! ハリー! そいつをよこせ!」
「バーノン、検閲までいくと独裁が過ぎるぞ」
「ぐ……! まぁいい! だが今のでわかっただろう! そのじ、呪文……エクスペクトなんたらで小僧が化け物を呼んだか、ダドリーをこうなるようにしたんだ!」
「残念だが、事実は違う。ハリーが唱え、ダドリーが聞いたのは守護霊の呪文……防御呪文だ。吸魂鬼を追い払う魔法だよ」
「きゅうこ……なんだって?」
もう一度繰り返してその名を教えようとしたカサンドラだったが、意外な人間が、名前を言った。
「バーノン、吸魂鬼よ。……魔法使いの監獄、アズカバンの看守よ」
カサンドラはペチュニアが吸魂鬼のことを知っているだけでなく、その役割まで覚えていた事にひどく驚いた。ハリーも同じように驚愕の表情をしている。
「ど、どうして知ってるの?」
ハリーの質問は何より、バーノンとダドリーが知りたかったことだろう。
「昔……妹があの男と話してるのを聞いただけよ。幸福を吸い取る化け物がいて……看守をしてるって」
「看守? 看守だと? そいつがなぜここに現れた?」
「さぁな。現状吸魂鬼は全て魔法省の管轄だが……よくわからん」
「よくわからんだと? ええ? 自信満々な風を装って何も知りませんだと?」
知らないものは知らない、とカサンドラが言ったところで、ハリーが苦々しい顔で言った。
「カサンドラ、ヴォルデモートだよ。あいつが僕に吸魂鬼を寄越したんだ」
「……嘘でしょう?」
さらに不可解なことがあった。なんと、ペチュニアがヴォルデモートの名前に反応したのだ。
「ペチュニアや。そのヴォルなんちゃらが……いや待て!
知ってるぞ……。その名前は聞いたことがある……ヴォルデモート。ヴォルデモーは確か……」
バーノンがハリーを見た。
「僕の両親を殺した」
「そうだ。小僧の親を殺して……その時に死んだはずだ。そうだな?」
「そうだよ。でも復活したんだ」
「復活だと?」
「……嘘よね」
ペチュニアははっきりと、怯えた様子で言った。ただならぬ様子の妻に、バーノンは流石に心配になった様子で、カサンドラもハリーにも何も言わずに妻の方に向き直った。
「大丈夫か、ペチュニアや」
「バーノン……。ヴォルデモートは私たち普通の人たちを殺すのが好きな犯罪者なの。どうしましょう……戻ってきたなんて……」
「安心しろ」
カサンドラは力強く言った。
「ヤツの好きにはさせん」
「だがな、お前がどうしてそんなことを言える! そうだ! こいつを追い出せばそれで全て丸く収まる! そうだろう?」
「追い出したところでヴォルデモートが手を緩めるかどうか……。だが、ひとまず安心しろ。おそらくだが、今回の件はあの犯罪者は関わっていない。今ハリーは魔法省に敵対視されていてな。吸魂鬼がここに来たとなると、ハリーのスキャンダルを狙った魔法省の差金だろうな」
「……す、スキャンダル? こ、この小僧のスキャンダルだと? 馬鹿にしてるのか? 誰が、こんな小僧の、スキャンダルを見て、喜ぶと言うのだ!」
バーノンは鼻で笑ったような声を上げた。それも無理はないだろう。ただの15歳のガキ相手に大の大人……それも魔法省なんてご大層な組織が醜聞欲しさに化け物をけしかけたと、それを信じろと言っているのだ。まともな人間なら一考にすら値しない。
「まぁ気持ちはわかるが。ヴォルデモートの復活を目にしたのは、私とハリーだけだ。ハリーの発言力を落とせばヴォルデモート復活を信じる人間はいなくなると、そういう理屈だ」
「待て、待て。ヴォルデモーは復活したんだろう? その、信じがたいことだが」
「ああ」
「ならばなぜその、関係者は小僧の悪評をばら撒く? そんなことをするよりするべきことがあるだろうが」
「いいか、バーノン」
カサンドラは力強く言った。確かに、カサンドラの知る魔法使いは偉大な人物もいる。だが、シリウスやピーターなど、明らかに尊敬すべきでない魔法使いもいる。そして、ファッジ率いる魔法界は信用に値するとはとてもではないが言えなかった。
「魔法使いはお前が嫌うのも無理はないほど倫理と論理に欠けた連中が多い。子供も、大人も、皆見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞き、信じたいものだけを信じる。だから、世紀の大犯罪者が戻ってきたってことを信じるより、それを知らせる子供が嘘つきなだけだと信じたいのさ」
バーノンは目を見開いた。それから、ハリーをマジマジと見る。
「――全く。お話にならない! だから私は『ま』のつく例のアレが死ぬほど嫌いなのだ!」
バーノンは大袈裟に肩を竦め、カサンドラを責めるような顔つきになった。
「ヴォルデモーも、なんとか省の問題も全て小僧を追い出せば解決する話だろうが! ええ? 『そっち』の省庁も、ヴォルデモーとかいう犯罪者も、みんな小僧を狙ってるんだろうが!」
「……まぁそうだな」
ハリーがなぜダーズリー家にいなければならないことを知っているカサンドラとしては、できるだけここに置くよう誘導したかったが、まぁことここに至ってはどうしようもないだろう。
「わかった。とりあえずウチで面倒を見る。少なくとも今年はここにヴォルデモートの配下がやってくることはないだろう」
「……ウチの妹もそう言ってたわ。『私の家は特殊な魔法で守られてるから安全よ』って。結果がどうなったかお分かり?」
ペチュニアはまだ怯えているようだった。カサンドラは頷く。
「不安がる気持ちはわかるが、クソッタレ犯罪者は今はまだ組織再編に手一杯だ。魔法省にちょっかいかけたり、一般人を殺して回るような余裕はない」
「なんでそんなこと言えるのかしらね?」
「そりゃあ」
カサンドラはさらりと、まるでなんてことない情報を伝えるかのように、それを言った。
「ヴォルデモートの配下はあらかた消された。『死』とかいう化け物がヴォルデモートの配下を殺して回ってる。外をうろつき回ってる、下っ端に生き残りはほとんどいない」
「……生き残りがほとんどいないだと? そっちの省庁は手下がわずかしかいないそんな犯罪者相手に手をこまねいているのか?」
「の、ようだな。まぁ……とにかく、ハリーは一旦預かる」
「好きにするがいい! 全く……! 忌々しい連中めが!」
カサンドラはハリーに顔を向ける。
「まぁ、去年と似たような流れだな。トランクを用意してくるといい。サプライズも用意してある」
「……カサンドラが何もかもをしゃべってくれたら、それ以上のことはないよ」
ハリーの言葉にも、カサンドラは肩を竦めるだけだった。
「私が秘密を漏らすと思ったら大間違いだ」
「――だろうね。じゃあ、用意してくるね」
「ああ」
それから、ハリーは手にしたいくつもの手紙を掴んで部屋に向かっていった。
「……バーノン」
「なんだ! 小僧のことについてはもういいだろう! お前と話す口などもたん!」
「色々と迷惑をかける。だが……もう長くは待たせない。数年……いや、できれば再来年までにヤツを始末してハリーの安全を確保する。そうすりゃ、晴れてハリーはここを出て、お前も厄介ごとがなくなる」
カサンドラは当然のように言うが、バーノンは気掛かりなことが一つあった。
「始末する? 捕まえるのではないのか? 犯罪者なのだろう?」
「そりゃそうなんだが。ヤツなら何かの拍子に出てくるかもしれない。そういう鬱陶しいのは消すに限る。だろう?」
「……き、貴様も十分アイツらの仲間だ! 人を殺すなど何を考えとる!」
カサンドラは優し気な微笑みを向けた。そう、彼らは善き人なのだ。ハリーを毛嫌いしながらも殺害には思いが至らないような。
「まぁ……戦乱の世が懐かしいと思っているのは間違いないよ、バーノン」
それからすぐに、ハリーが階段を駆け降りてきて、自分が退学になること、裁判を受けること、などなどを叫んだ。
――騒動に終わりは見えない。
――
「……状況は俺様の味方だ」
どこかで、闇の帝王が跪く配下に向かって語り掛ける。
「はっ、我が君」
「しかしこれはどういうことだ?」
ヴォルデモートは周囲を見て行った。彼の愛する下僕がいる。『死喰い人』達はカタカタと震えて、まるで彼らが襲っていたマグル生まれのように無様な醜態をご主人様に晒しているというのにそんなことを気にもしていない。ご主人様のお怒りよりも、木の葉が窓を叩くほんのわずかな音や、ちらつく燭台がもたらすわずかな影におびえているようだった。
「これ、とは」
「しらばっくれるのもいい加減にせよ! なぜ、偉大な俺様の配下が、愛する家族がまるで虫のように怯えているのだ!」
こうなるはずではなかった。今頃、どの家を襲うか、どのマグル生まれを辱め、冒涜し、死をもたらすか、存分に暴れるための計画を練って、楽しい楽しい日々になるはずだったのだ。
「……『死』が、我々を襲っています」
「『死』だと」
ヴォルデモートは再三聞いた名前を繰り返す。復活したならば、必ず、必ずあの傭兵が立ちはだかると思っていた。だが、当の傭兵の動きは鈍い。マグルの町に引きこもって出てこないらしい。代わりに闇の陣営を襲っているのは、ワールドカップ、そして復活の儀式の場にいた、ローブを被った顔の見えない『死』。『死』とカサンドラが別人であることはヴォルデモート自身があの場で
「何を……馬鹿なことを言っている! ルシウス……俺様は言った。状況は俺様の味方だ、と! 俺様が、そしてルシウス、お前が手を下すまでもなく魔法界は俺様の存在を忘却の彼方に追いやろうとしている。何よりも動きやすい今、なぜ誰も何も動かない!」
「動いたものから消されています」
ヴォルデモートは歯噛みした。
「ホグワーツから切り崩せと言っただろう! マグル生まれの親を拷問し、凌辱し、脅し付ければ簡単にスパイが手に入ると!」
「半ば成功した例もあります。しかし、実際にスパイに入らせる前に、実行者は消されました。どう考えてもマグル生まれの親に連絡網があるとしか考えられません」
「魔法を使えぬマグルが、どうやって素早く遠方に――『死』に連絡を取るというのだ! バカバカしい! 俺様がそんな戯言に誤魔化されると思うな! ルシウス、貴様もしや俺様がマグルのことを何も知らないと思っているのか? 俺様は――非常に屈辱的なことだが――幼少期はマグルとして暮らしていたのだぞ! マグルは! 隣町に連絡を取るのにも手紙を使わねばならんのだぞ! フクロウ便ほど早くも正確でもない郵便をだ! ……確実に……そうだ……ある、あるぞ、ルシウス」
ヴォルデモートはぎろりと、怯える『死喰い人』達を睨んだ。
「『裏切者』だ。裏切者が事前の襲撃をマグル生まれの親に知らせているのだ。それ以外ありえない……」
ルシウスは伏せた顔をわずかに顰める。これから何が起こるのか、大体わかったからだ。
「そうだ、そうだとも。この中に――」
視界の端で、ルシウスの主が杖を引き抜くのが見えた。
「――唾棄すべき裏切者がいるのだ」
ほどなくして、その場にいた『死喰い人』はルシウスを残して全滅の憂き目にあった。『死』から隠れて、『死の飛翔』に捕まったのだ。
――ヴォルデモートの言う通り、マグルは遠方への連絡に苦労した。その通り。
――50年前は。