――1995年 8月 魔法省
さて、誰を消せば状況はよくなるかな。
カサンドラは不機嫌な様子を隠しもせず魔法省の中を見回した。
今日は忌々しい裁判の日だった。朝早くからハリーの身支度を見てやって、車も出して、カサンドラにできることは全部やった。――そして、たっぷり20分は余裕を持って魔法省にたどり着いた。魔法省にある施設をちらっと見るくらいの余裕すらあった。だが、肝心の裁判場所が、そして裁判の時間が、急に変更されたと教えられたのだ。――予定されていた場所は遥か地下に変更され、予定されていた時間は遥か過去に設定されていた。
なんてことだ、と言ってアーサーとハリーが駆け出すのを見送ると、カサンドラは目を細め、周囲を見る。現在カサンドラはいかにも魔法使いに見えるようなローブを着ており、いかにも杖っぽく加工した木の枝も装備している。カサンドラはこの杖で魔法を使うことができないが、目玉を貫くことくらいはできる。誰がこんなくだらないこと考えたのかは知らないが、もしそれが判明した暁には15歳の子供相手に卑怯なことをしたツケはその身で必ず払わせるつもりだった。
さて、その哀れな犠牲者は誰か。そう視線をキョロキョロさせていると、そそくさと踵を返して視界から隠れようとしているとある人間を目ざとく見つけた。
カサンドラは素早く彼に近づくと、その襟首を掴む。
「まて、離せ傭兵、ここで人殺しをして気付かれないとでも思うのか!?」
「いいや? だがお喋りはできるだろう? 刺激的な散歩に行こう、ルシウス。なぁに、奥さんが悲しむようなことはしないさ」
ルシウスはカサンドラの獰猛な笑みを見て、諦めたように肩を落とした。
「……わかった。ここは人目に付く。こちらへこい」
「良い子だ」
カサンドラはルシウスの案内で魔法省を歩く。その様子は堂々としていて、他の職員もまさかマグルがすぐそばを歩いているなどと想いもしていないようだった。
もしルシウスが罠に嵌めてきたら。
その時、カサンドラは遠慮しないだろう。
――そして、カサンドラが遠慮なく殺しに来るだろうことを、ルシウスは嫌になる程思い知っていた。
ルシウスは休憩室のような、テーブルと椅子がいくつか置かれた小綺麗な部屋にカサンドラを案内した。使われた形跡はあるものの、今は誰もいない。
「……ここはかつて我々……わかるだろう? 『我々』専用としていた休憩室だ。だがもはや今では誰も使わん。『死喰い人』であることを表明するような真似をした人間から『死』に捕まって消されている。……なぜ誰彼構わず消すのだ? 消された人間には、有用な人間も数多くいた。彼らが消えたせいで魔法省全体で手が足りんのだぞ」
「知るか。『死』とかいう化け物……いや、御伽噺の存在だったか? そいつと私は関係ない。まぁ、標的が同じらしいから緩く協力関係にはあるがな。それに、手が足りないだと? 15の子供を苛める手はあるらしいが」
カサンドラは手近な椅子に座ると、足を組む。
「……まぁ、お前はそういう感想になるだろうな。それで、何の話をするつもりだ?」
「まぁ、楽しい話だ。お前にとっても悪い話でもないだろう」
「……だといいがな」
カサンドラとルシウスはそれからも話を続けた。
――
慌ただしく法廷に入ったハリーは思わず息を呑んだ。
――大きな法廷だ。何十人も裁判官がいて、検察側にも、弁護側にも、たくさんの人がいる。弁護側にはハリーの味方、つまりアーサー達が座っている。だが、被告人であるハリーとアーサーとは、テーブルを二つ挟んだ以上の距離があった。
――なぜダンブルドア先生がいないのだろう。
何もかも厳しく、威圧的だった。
だが、ハリーは緊張しつつも、落ち着いていた。ハーマイオニーが弁護側に座ってくれている。机の上には分厚い辞書みたいな本がいくつかと、何冊ものノート。
ハーマイオニーが味方。あのハーマイオニーが、言論の場で戦う。それはハリーにとって、カサンドラがそばにいるのと同じくらい頼もしく思える事だった。
だからこそ違和感に気付いた。
――大きすぎる。
どう考えてもおかしい。
まるでハリーが何十人も人を殺した『死喰い人』みたいな扱いではないか。この法廷は、未成年の『悪戯』を審理するにはあまりにも豪勢すぎる。ハリーだって裁判のことを何か知っているわけではないが、少なくともハリーのやったことは家庭裁判所で判事と対面で審理されるくらいがちょうどいい規模のはずだ。
「被告人! 遅刻だ」
低い男性の声がする。ハリーは深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
ハリーはそれだけ言った。言い訳はしなかった。これはハーマイオニーから教わったことだが、マグルの世界でも、裁判では裁判官にどう思われるか……つまり、心証が割と重視される。だからこそ、言い訳せずに素直に謝ったのだ。
「……うむ。その椅子に座りなさい」
「はい」
ハリーは被告人が座る椅子を見た。
……肘掛けに鎖がジャラジャラと巻きついている、奇妙な椅子だ。どうせひとりでに動いて縛り付けられるんだろうな、と思いながら椅子に座るが、特に何も起こらなかった。
改めて、裁判官の様子を見る。
50人は下らない数の魔法使いがハリーを見ている。全員が赤紫のローブを着ており、左胸の胸元には大きな『W』の飾り文字があった。過去最高に捻くれた気分のハリーは、事が済んだら判決の如何に関わらず、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの制服にWの飾り文字をつけるよう双子に進言するつもりだった。こんな格好だけお偉い裁判官の方々と悪戯専門店の制服が同じデザインだなんて、最高の悪戯だ。
ハリーは自分を厳しい目で睨みつけてくるファッジを涼しい顔で見つめ返した。
――嫌な人ではなかったはずなのに。
まぁ……もっとも、ハリーはファッジとほとんど接点がなかった。こうして敵対されてみると、想像以上に怖くなかった。
ハリーはぼんやりと、審理をやり過ごす。
もはや見知らぬ誰かを見るような目で自分を見るパーシーがファッジの隣に立っていて、ファッジが読み上げる罪状を書き留めていた。
……『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』と『国際機密保持法』の違反事件の被告になったと朗々と読み上げられた時も、そこまで動揺はしなかった。確かにムカつく。できることなら今すぐ椅子から立ち上がってそのぶくぶくと膨れ上がった土手っ腹に拳を叩き込みたい。一発と言わず、何発でも。
だが、ハリーがそうしないのは、ハリーを信じて、ハリーのために戦ってくれる味方がいるからだ。ハーマイオニーがいる。アーサーもいる。そして、ダンブルドア先生も後で来てくれるだろう。
ダンブルドア先生が増援だなんて、こんな心強い事が一体どれだけあるだろうか。
だから、ハリーがやるべきことというのは、去年と同じで、邪魔をせず、自分に協力してくれる人を手助けすることだ。
この場合それは、ハーマイオニーみたいな優等生に見えるよう演技をすることである。
ファッジがついにここにいるメンバーの名前を読み上げていく。裁判官の名前。検察側の人間、弁護側の人間。そして、証人。
「……被告側弁護人、ハーマイオニー・ジーン・グレンジャー、アーサー・ウィーズリー。
……アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア……は、未出廷」
「すまぬ、少々遅れたようじゃな」
静かな声が、法廷に響いた。ハリーはあんまりにも首を急に振り向かせてしまい、ほんの僅かに首を痛めてしまった。だが、全く気にならない。
ダンブルドアは堂々と、ゆっくりと歩いてハリーの隣に立つ。そっと、ダンブルドアがハリーの手を軽く握った。勇気付けられるようだった。皺くちゃの手が離れ、ダンブルドアは弁護人の席、ハーマイオニーの隣に座った。
「あ……その、あなたはあなたは……えっと、受け取ったということですかな? その、知らせを?」
「いいや、受け取ってはおらん」
ハリーは愕然とした。ファッジが弁護人に法廷へと来れないよう妨害工作をしたと、そう言ったように聞こえたからだ。
「ならばその、なぜ……」
「なぜ? ほっほっほ、不思議なことを言いなさる。道に迷った時どうするのがいいか知っておるかの? 人に聞くのじゃよ」
「――そ、そうですか。まぁ、結構」
では、とファッジは机の上に広げられた羊皮紙をガサゴソと漁り、一枚の羊皮紙を掴んだ。
「では、罪状から……被告人は八月二日九時二十三分、マグルの居住地区にて、マグルの面前で、守護霊の呪文を行った。これは、一八七五年制定の『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』C項、並びに『国際魔法戦士連盟機密保持法』第十三条の違反に当たる」
ファッジはさらに続けた。
「被告人は、ハリー・ジェームズ・ポッター、住所はサレー州、リトル・ウィンジング、プリベット通り四番地に相違ないか?」
ファッジは羊皮紙越しにハリーを睨みつけた。
「はい」
「被告人は三年前、違法に魔法を使った件で、魔法省から公式の警告を受け取った。相違ないか?」
「はい」
「そして被告人は八月二日の夜、守護霊を出現させたか?」
「はい」
「17歳未満は学校の外で魔法を使ってはならないと知っていたか?」
「はい」
「マグルだらけの地区だと知っていたか?」
「はい」
「魔法使用の際、そばにマグルがいたことを認識していたか?」
「はい」
強い忍耐を強いられる質問だった。何度反論しようと思ったか。だが違う。反論するのは弁護人の仕事であり、今のハリーは素直に、素直にしていればそれでいいんだ。それさえしていれば満点なんだ。
ハリーはそう自分に言い聞かせて、なんとか自分を制御しようとした。
「では」
ファッジではなく、近くにいた丸いモノクルをかけた魔女が発言した。
「完全な守護霊を作ったのか?」
「はい……え?」
思わず、ハリーは聞き返していた。完全? 完全じゃないのがあるっていうのか?
「え? ってどういう意味か。有体守護霊じゃないってこと?」
「いいえ。あの時出したのは牡鹿です。いつも通り。完全守護霊って、もしかしてまだ上があるんですか?」
ハリーの質問に、その魔女……マダム・ボーンズは驚いたような顔をした。
「霞や靄みたいな物は出したことがあるか?」
「はい、練習中に失敗して」
ハリーがそういうと、大人たちの中で数人が、感心したように頷いた。どういうことだろうかと、ハリーは心底不思議だった。
――ハリーは知らない。
守護霊呪文はその失敗段階である靄や霞の状態……『無形守護霊』でもある程度は効果があるため、完全守護霊まで習得しない魔法使いもいるということを。
「なるほど、なるほど……。その年で。ふうむ……。大したものだ」
「大したものかどうかはこの際どうでもよろしい」
ファッジがイライラした様子で言った。まるでハリーが褒められたり感心されるのを見るのが不愉快で苦痛極まると言った風のファッジに、流石のハリーも首を傾げる。なんでマルフォイみたいに嫌われてるんだろうか。
「いや……その大した魔法をマグルの前で使ったこと。それは遥かに性質が悪いものだと言える!」
ハリーはハーマイオニーを見た。ハーマイオニーは頷いて、手を挙げた。学校で、いつも彼女がやるように。
「しかるに……なんだね、弁護人」
「はい」
ハーマイオニーはすっくと立ち上がった。
「弁護側は、被告人がプリベッド通りに吸魂鬼が出没し、そばにいたマグルを守るために守護霊の呪文を使用したと主張します」
「……待ちたまえお嬢さん。……吸魂鬼が? マグルのところに? 何がどうして?」
ファッジはニヤニヤとし始めた。まるで、獲物が罠に掛かったのを嘲笑うかのようだった。
「それがどれだけありえないか、ここにいる方々にはよくお分かりだろう……。お嬢さんも、お友達の言うことだからとホイホイ信用してはダメだ。彼は嘘吐きなんだ。吸魂鬼が来たと言えば魔法を使っても大事にならない。そう思った彼の悪戯なんだ」
「……なぜありえないんですか?」
ハーマイオニーの質問に、ファッジは今度こそ呆れたようにため息をついた。
「それをここで聞くことはないだろう? 隣の校長先生にでも聞けばいい」
「私はウィゼンガモットが吸魂鬼を管理しきれていないのではないかと考えています。過去に事例もあります。被告人が守護霊の呪文を覚えるに至ったのも、ホグワーツの警備に来た吸魂鬼に襲われたからです」
「……それは……あの時は例外だ。たくさんの子供たちがいた。暴走するのも仕方ない状況だった」
「仕方ないで魂をつまみ食いされることを許したおぼえはないですが?
――まぁそれこそ審理とは関係ありません。しかし、吸魂鬼に暴走の危険があることは、判事自らおっしゃっていただいた通りです。暴走する生き物である以上、存在しないとは言えないでしょう」
ファッジは首を振った。
「それはただの推測に過ぎない。その場には被告人しかいなかった。そうだろう?」
「つまり、じゃ」
ダンブルドアが立ち上がる。
「そうではなかったのだと証明すれば……被告人は無罪じゃな?」
程なくしてスクイブのフィッグが証人として連れてこられ……そして、ハリーの無罪放免が決まった。
ハリーは飛び上がって喜ぼうとした。だが、判決が決まって次の瞬間にはもうダンブルドアはいなくなっていた。声さえかけず消えるなんて。
言いようのない寂しさが、ハリーを襲う。
――
「送ろうか」
ダンブルドアが魔法省から出ようとしたとき、背後から声をかけられた。
「……カサンドラかの。結構じゃよ」
「そりゃいい。ついでだ。仲間を紹介しようと思ってな」
仲間? ダンブルドアが不審に思ってカサンドラのいる方を見ると、なんと、所在なさげにルシウス・マルフォイが立っているではないか。
「……カサンドラ、済まぬが……そう、余計なことをせんでほしいと思うのは、過分かのう?」
「そりゃ悪かった。ただまぁ、こいつは私個人の手駒だ。ヤツを丸裸にするための一手ってヤツだ。とにかく情報がいるからな」
「……なるほどのう」
ダンブルドアは明るい表情をしなかった。
――死人があまりにも多い。
ダンブルドアからハリーを気遣う余裕すら奪っていたのは、他でもないカサンドラだった。状況は有利だ。ダンブルドアが想像していた100倍は有利に事を進める事ができている。何もかも『死喰い人』達の動きが鈍く、情報察知能力も低く、ただの一度も襲撃はない。ダンブルドアですら本当にヴォルデモートが復活したのか疑いかける事があるほどである。
とにかく今、ヴォルデモートの手勢に勢いがない。
助かっている。助かっているのだが、今の状況になるために失われた大量の人命を思うと、暗くなるのも無理はない。
「ワシは……ホグワーツに戻る。また人を使いに遣るので、新任との顔合わせまで、死ぬでないぞ」
「そっちこそ」
バシン、とダンブルドアは逃げるようにしてテレポートしていった。
「……カサンドラ、ほんとうに、くれぐれも頼むぞ」
「わかってるよ、安心しろ」
「ならいい。だが……来年度の新任教師は何ヶ月保つか……」
カサンドラは首を傾げた。
「そんなにヤバいのか?」
「魔法省からのスパイだよ。工作員みたいなものだ。
……歴史上、そういう手合いはいつも暗殺者に消されてきた」
「否定はしない。だが、ホグワーツに暗殺者はいない。いるのは警備員だ」
「……アンブリッジには強く警告しておくとしよう」
「好きにしろ。じゃあな。また連絡を寄越せ」
「わかっている」
カサンドラとルシウスはその会話を最後に別れた。ルシウスは魔法省の自分の部署に。カサンドラは無罪になったハリーの迎えに。
――カサンドラは、にわか仕込みとはいえ『闇の魔術に対する防衛術』の臨時教師になったことがある。その時、魔法省の教育要綱を見なくていいと繰り返し言われた理由を、今年思い知ることになる。
『闇の魔術に対する防衛術』の授業に求められているレベルがどれほどのものか、ホグワーツは知ることになる。
未成年の『悪戯』に最高裁判所レベルの人員(50人)呼んで魔法省大臣自ら判事するとかマ?