——1995年10月
ホグワーツ高等尋問官。ホグワーツの生徒にも、そして教師にも耳慣れない言葉を生徒たちは噂に噂を重ねたような推測をした。
アンブリッジが生徒たちを痛めつける口実を作っただとか、そんな口さがないものである。
「……信じられないわ。『教育令』を作って魔法省がホグワーツへの影響力を強めるために、アンブリッジ先生の権力を強くするなんて! あのガマガエル……失礼。あの先生はまともな授業もできないっていうのに!」
そんな朝食の大広間で、ハーマイオニーはいつものメンバー相手にぷんすか怒っていた。
「結局……ハーマイオニー、高等尋問官ってなんなんだ?」
「それは僕も気になってたよ。あとそれからスターリンってどんな人か教えてくれると嬉しいな」
明らかにハーマイオニー頼りの二人を、彼女はキッと睨みつけた。
「少しは自分で調べたらどう?
……まぁいいわ。いい、高等尋問官はホグワーツの教師を査察して、先生に相応しいかどうか調べるの。アンブリッジ先生の気に入らない先生は追い出せるってわけ。校長先生並の権力を手にしたのよ。
——あと、スターリン? 第二次世界大戦中のソ連指導者よ。粛清に次ぐ粛清でどんどん処刑していったけど……それがどうしたの?」
粛清? それってなんだ? ハリーはそもそもの一般常識が欠けていた。第二次世界大戦ですらかなり危うい。11歳のころから魔法界でしかまともに暮らしていなかったことの弊害だった。
ハーマイオニーはハリーの明らかにわかっていなさそうな顔を見て少しだけ引いたような表情をした。こんなことも知らないの? という顔である。
「ソ連とドイツが戦争になったとき、スターリンは身内にスパイがいると考えたのよ」
「へー。なんかあれだな、魔法界に似てる。それで、シュクセーってのをやればスパイが見つかるんだろ? じゃあ魔法使いもやればいいじゃん」
ロンは楽しげに言った。ロンも世間を知らなすぎる。ハーマイオニーは呆れながら答える。
「疑わしい人を捕まえて拷問して、自白させて処刑するんだけど、それでもやる?」
「やらない」
ロンは真顔で返答した。まさかシュクセーがそれほど恐ろしいものだったとは思わなかったのだ。
「結局、KGB……いえ、当時はNKVDかしら。秘密警察とか、密告を奨励したりとか、体制批判を封じたり……暗黒時代よ。家族ですら信用できなくなったっていうくらいなんだから。ただでさえ戦争で人が死にまくってるのに、そんなことするから今でも傷跡が癒えないのよ」
「死にまくったって、どれくらい? 1万人とか?」
そんなわけないだろと思いつつも、ロンが言った。彼にとって一万人とはイギリス魔法使いのほぼ全員くらいの数である。
「諸説あるから簡単に言うけど……少なくても1000万人以上かしら」
「……え? 1000万人? それって……マグル全員じゃないのか?」
「マグルは今、57億人ほどよ?」
「57億人!?」
ロンは驚愕に目を見開いている。
ハーマイオニーは頬を引き攣らせてすらいた。
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。『それ』、冗談よね?」
「冗談って何が? 僕は本気で驚いたんだぞ? マグルが……57億人だって?」
「……一応聞くわね、今世界の中心はどの国だと思う?」
「そりゃイギリスとか、フランスとか……ああ、イタリアか? 詳しくは知らないけど、そんなもんじゃないか?」
「アメリカよ」
「クソ田舎じゃないか!」
ハーマイオニーはどんどん不安になっていった。正直な話ホグワーツ高等尋問官とかヴォルデモートとか不死鳥の騎士団とか自分の考えていた計画とか、そういうのが全部吹っ飛びかねない衝撃だった。
たしかに、嫌な予感はしていた。マグル学は楽しい。
魔法使いから見たマグルを学ぶ授業だと思って、先生が的外れなことを言う度に内心でツッコミを入れる授業だと思っていた。他のマグル生まれもだいたいそんな認識だった。
——だが、魔法使いの家に生まれた子供にとって、マグル学が全ての情報源だとしたら?
——もしかしたら相当ヤバいのではないだろうか?
ハーマイオニーは嫌な予感をひしひしと感じていた。
「……と、とにかく。それは……あなたたちの世間知らずはもういいわ。今度みっちりやりましょう。それよりも、今はホグワーツへの介入を、どう防ぐかよ」
そう言いつつも。
マグル学にメスを入れてくれないかな、なんて淡い期待を寄せてしまうハーマイオニーだった。
——
魔法薬学の授業が来て、眠い目を擦りながら書いたレポートが『D』と無情に書かれているのを見て、ハリーはがっくりと肩を落とした。
「今返却したレポートは、吾輩の基準ではなく、もしOWL試験で出題されたならばどう採点されるかと言う着眼点に基づいて採点してある」
一人一人手渡しで宿題を返しながら、マントを翻して教室を練り歩くスネイプ。だが教室に尋問官の姿はない。
「念のために諸君らに申し上げるが。『D』と採点されたものは来年以降の受講ができないものと考えるがいい。それだけではなく……吾輩直々に、恐るべき罰則を与えることになるだろう……。それが嫌ならするべきことは一つだ。
励みたまえ」
スネイプは相変わらず嫌なやつだ。
ハリーは苦い思いをしながら、落第と書かれたレポートをぐしゃりとカバンの奥に突っ込んだ。
それからハリーは幾つかの授業を受けたが、意外にもごく普通のホグワーツだった。先生たちも特にピリピリした様子はないし、来るならきてみろ、という雰囲気だ。ホグワーツに勤めて長い先生が多いだけに、自信はあるらしい。
「意外と……普通ね」
ハーマイオニーは不思議そうに首を傾げていた。
「何が普通なの?」
「もっと強権を振るうかと思ってたわ。でもそうね、『ホグワーツのレベルを上げる』のが建前だから、指導要綱よりレベルの高い授業をしてる先生は切れないのかも」
「アンブリッジならそんな建前なんとでもしそうだけど」
ハーマイオニーはため息をついた。
「そんな女なら、ホグワーツに来る前に排斥されて、教師にすらなれなかったでしょうね。……かなり手強いわよ、アンブリッジ先生は」
「……そうかなぁ?」
ハリーにはよくわからなかった。確かにアンブリッジは嫌な女だ。だが、手強いと言う言葉とは無縁のような気がする。
「もう。……次は占い学でしょ? 楽しんでね」
「楽しめたらね」
ハリーはハーマイオニーと別れ、占い学の教室に向かった。
——これは荒れるかも。
ハリーは占い学が始まった当初からそんな予感がしていた。いや、『予言』しよう。何かが起こる。
何せトレローニーのすぐそばに、いやらしい笑みを浮かべたガマガエルことアンブリッジがクリップボード片手に立っているのだ。どうやらハリーは査察の現場に直面しているらしい。
教室には緊張感が漂っていた。アンブリッジとトレローニーはいかにも、相性が悪いように見えた。
「ェヘン、ェヘン」
授業が始まる前、アンブリッジがいつものように咳払いをした。
「トレローニー先生。査察の日時をお知らせした書類は受け取っていただけましたわね?」
「——ええ」
ご機嫌斜めの様子で、トレローニーは頷いた。この不機嫌っぷりはハーマイオニーがブチギレて出て行った時と同じだった。
「結構。では始めてくださいね」
「……わかりました。ではみなさん、本日は予兆的な夢のお勉強をしましょう。2人1組になって、教科書を参考にお互いの夢を解釈し合ってくださいね」
しばらく、ガヤガヤと騒がしくなった。占い学主席を狙っているかのように熱心に取り組んでいるのはパーバディとラベンダーで、どうでもいいからとにかく課題を終わらせようと適当にでっち上げているのがハリーとロン。他にもこの授業に対する取り組みの姿勢は千差万別で、それをトレローニーはなんとも思っていないようだった。
しばらくすると、早速アンブリッジが手元のボードに何かを書き込み始める。
カリカリと羽ペンが動く度に、トレローニーの機嫌が悪くなり、苛立ちが募っていくのが見て取れた。
「さて」
トレローニーがじっと生徒たちを見守っていると、アンブリッジが声をかけた。
「質問よろしいですか、トレローニー先生」
「……ええ、結構ですよ。手短にお願いします」
「はい。勤続何年ですか?」
トレローニーは査察されると言うこと自体が侮辱されていると感じているのか、アンブリッジの顔を親の仇でも見るかのような顔で見ていた。対するアンブリッジは飄々としていて、まるで今この瞬間が楽しくて仕方ないと言うふうにニコニコと笑顔だった。
いろいろ抵抗しようと頭の中で理論を組み立てていたトレローニーだったが、何年働いているのかと言う質問は、跳ね除けるほど無礼な質問でも不自然な質問でもなかった。
「16年です」
「まぁ。それは相当な期間ですね。
私の調べが正しければ……。トレローニー先生は、かの有名な『予言者』、カサンドラ・トレローニーの曾々孫ですね?」
「はい、それがどうかしましたか?」
「トレローニー家で二例目の『第二の目』をお持ちだと公言なさっているとか?」
「——はい、それが?」
癪に触るような言い方をされて、トレローニーがさらにそっけなく答えた。
「では、何か予言をしていただいてもよろしいですか?」
ピクリ、とトレローニーの眉が今度こそ釣り上がった。
「予言は命じられてするものではありません!」
「わたくしはお願いしておりますのよ、トレローニー先生。それとも、かつての『予言者』は全て自分の思う通りに思うまま予言していたと?
そもそもですね、わたくしが調べた限り……カサンドラ・トレローニーも時の権力者に請われて予言していたそうですが?」
トレローニーは顔を引き攣らせた。何も言い返せないことを見ると、アンブリッジはまたボードに何かを描き始めた。
「私は……いえ、待って、お待ちになって、見えます、見えますわ」
トレローニー先生が、神秘的な雰囲気で、霧に揺蕩うような声を上げた。ただ、怒りで震えているのか、普段ほど神秘的ではなかった。
「——何が見えましたの?」
「見えますわ……恐ろしい物が……! 何か、恐ろしい危機が! アンブリッジ先生、あなたに恐ろしい危機が迫っています!」
びしりと指をさされても、アンブリッジはピクリとも顔を歪めなかった。むしろ、楽しそうな笑みをさらに深くした。
「ええ、ええ、わかりました。では……まぁ、そう言うことでしたら結構です」
カリカリと、アンブリッジはボードに書き連ねる。チラリとアンブリッジは教室を見た。ざっと見渡すと、トレローニーの方に顔を向ける。
「占い学は実に曖昧な学問ですわね」
「ええ、ええ。学ぶのに資格が必要な、困難な学問です」
「では……本日は夢占いですわね」
「はい」
「夢を見てこなかった生徒に対してどのような教育をなさるつもりですか?」
トレローニーが一瞬固まった。
「……そんなことあるとお思いですか?」
「はい。先程から話を聞いているに、やけに具体的な夢が多いです。授業で解釈しやすいような夢を……『今』見たのかもしれませんね」
ハリーはどきりとした。ここからアンブリッジが攻撃してくるのかと身構えたハリーだったが、彼女は殊更に学生がでっち上げをすることを問題視していないようだった。
「そのような状態では正しく学ぶことはできないと……浅学ながら思うのですが、トレローニー先生はいかがお考えですか?」
「それは……そんなことはありません。人は見た夢を、問題なく思い出せるはずですわ」
にぃ、とアンブリッジは笑みを深くした。相手の致命的な瑕疵を見つけた。そんな表情だった。
「そうですか。トレローニー先生はそうお考えなのですね」
「事実ですわ!」
「……結構です。お時間取らせて申し訳ありませんでした」
アンブリッジはそう言って教室を出て行った。
「……私が授業を受け持って16年、夢を見なかったと言った生徒はほんのひと握りなのですから」
言い訳をするように、トレローニーはそう言って授業に戻った。
「さぁ、みなさん。改めて。みなさん、お互い見てきた夢を解釈していきましょうね」
トレローニーは毅然とした様子でそう言ったが、声は恐怖からか、怒りからか、震えていた。
——ハリーはトレローニーの査察がそこまで上手くいかなかったのではないかと推測した。もし、落第点だったらどうするのだろうか。もしかしてホグワーツの教師を辞めさせるとか?
そんなにも強い権限を校長以外が持つと言うことに、ハリーは愕然として、それから恐怖で身震いした。
アメリカがクソ田舎なのはだいたいアサクリ3の時期くらいです
今年一年、本当にありがとうございました。
なお、年始の更新ですが1月4日とさせて戴きます。
良いお年を。