ハリーの次の授業は『闇の魔術に対する防衛術』で、同じように本を読むだけの授業だった。ハリーはとにかく耐えるぞという気概を持って授業に臨んでいた。
……ところが、ハーマイオニーはそうではなかったらしい。ハーマイオニーは前の授業と変わらず、本を閉じて手を上げていた。
アンブリッジも流石に不愉快そうに顔を顰めて、それから取り繕うようにして笑顔を浮かべた。
「今日は何かしら、ミス・グレンジャー」
「はい、アンブリッジ先生。第二章は読んでしまいました」
「まぁ、なんて素晴らしいのでしょう。では三章を読み進めて行ってくださいね。三章が終わればその次の章をお願いします」
「全部読みました」
ハーマイオニーがさらっと言うと、アンブリッジは、一瞬ポカンとした表情になった。
「……読んだだけでは定着するものではありませんよ? 少し早いですがミス・グレンジャーには確認テストを……」
「内容も全て覚えました」
ハーマイオニーの言葉に、アンブリッジの目が光ったような気がした。
「それでは教科書第十五章の表題並びにその要約をしてください」
「はい、アンブリッジ先生。十五章は『逆呪いについて』。教科書では一般的な逆呪いについて全般的に述べられていますが、著者は逆呪いという言葉は正確ではないと主張しています」
「破壊呪文が破壊できないとされているものはなにかしら?」
「生命体の破壊は不可能とされている一方で、カエルなどの小動物には効果があるなど例外があります。著者は研究が必要だと論じていました」
「では十章で最も著者が強調したのはどのような事柄ですか?」
「呪文の使用に関しては事前の知識習得が必須であると言う点です」
ハーマイオニーが答えると、アンブリッジはにっこりと笑ってぱちぱちと拍手をした。
「素晴らしいですわ。わかりました。あなたはとても優秀なんですね。それでは、次回からは確認テストをして、問題がなければ新しい教科書をあなたのために持ってきましょう。今度はその本を読んでくださいね」
「はい、アンブリッジ先生。……することがないので、少し授業について意見を言ってもよろしいですか?」
「ええ、結構ですよ、ミス・グレンジャー。言うだけなら、人は自由ですもの」
アンブリッジは思ってもいないことを言うが、その言葉自体は正しかった。
「この教科書の著者は、呪いへの嫌悪感が滲み出ています。『闇の魔術に対する防衛術』の授業としては、ある程度の呪いの習得が必要だと思います」
「まぁ。そんなに魔法が使いたいのですか? でも……そうですね、みなさん!」
ふと、アンブリッジは教室に向かって声をかけた。大多数の生徒がアンブリッジとハーマイオニーの激突を興味深そうに見ていたので、わざわざ呼ばれて顔を上げる生徒はいなかった。
「みなさんは、ミス・グレンジャーとわたくしとのお話を聞いていましたか?」
ポツリポツリと「はい、アンブリッジ先生」と声が返ってきた。
「では……先程ミス・グレンジャーが答えた答えを知っていた人はいますか?」
ハーマイオニーは思わず後ろを向いて教室全体を見回した。
——簡単な内容だった。ハーマイオニーは1年生の時にはもう知っていたようなことばかりだった。
だが、ハーマイオニーの予想とは裏腹に、誰も手が上がらない。
「……うそ? ねぇハリー、あなた、レダクトが生物に効かないことくらい知ってたわよね?」
「知らなかった……」
ハリーは申し訳なさそうに答えた。その問いに、ハーマイオニーは絶望する。
「はい、お時間取らせてごめんなさいね。本を読むのに戻ってくださいね。
——ミス・グレンジャー。これでわかったでしょう? お友達はあなたほど物を知ってるわけじゃないの。呪いはよく知らないままに使っていい物じゃないのは、ミス・グレンジャーだって知っているでしょう?」
「……はい、アンブリッジ先生」
ハーマイオニーは悔しそうに歯噛みした。アンブリッジはそんなハーマイオニーの顔を見てご満悦だった。
「では、ミス・グレンジャー、ほかに何か質問はありますか?」
「……はい、アンブリッジ先生。こんな授業が、指導要綱に沿った指導なんですか?」
ハーマイオニーの言葉に、アンブリッジは自信満々に頷いた。
「ええ、そうですよ、ミス・グレンジャー。『闇の魔術に対する防衛術』で最も重視されるべきは、知識です。……いくらわたくしでも、この授業が完璧だなんてことは考えていませんよ。ですが、みなさんが今まで受けてきた誰よりも素晴らしい物だと言う自信はあります。……他の先生方はあなた方を自由にさせすぎましたし、指導要綱を軽視しすぎました。遅れを取り戻そうと思うと、どうしてもつまらないものになってしまいます。
ですが、ミス・グレンジャー。勉強とは常に楽しく面白いものですか?」
アンブリッジが確信を持って問いかけた。
「……いいえ、アンブリッジ先生」
ハーマイオニーは静かに首を振った。もはや、この授業を改善することは不可能……なにより、ハーマイオニー自身一理あると思ってしまったのだ。
「アンブリッジ先生。……その、することがないなら、帰ってもいいですか?」
逃げるようにしてそう提案したハーマイオニーに、アンブリッジは鷹揚に頷いた。
「もちろんですよ、ミス・グレンジャー。ああ……勘違いしないでくださいね。罰という意味ではありませんよ。その証拠にほら、グリフィンドールに1点追加です」
「……ありがとうございます、アンブリッジ先生」
ハーマイオニーは小さく頭を下げると、荷物をまとめて出て行ってしまった。
——ハリーはハーマイオニーが言葉で負けるところを、初めて見たような気がした。
——
昼食の時にハーマイオニーは落ち込んでいた様子だったが、ハリーとロンが話しかけると意外なほど普通に受け答えをしていた。
「大丈夫か、ハーマイオニー」
「ええ、大丈夫よ。計画の必要性を再認識しただけだから。それよりも、ハリー、よく堪えてくれたわね、ありがとう」
「ハーマイオニーこそ抑えられなかったの?」
ハリーがチクリというと、ハーマイオニーはしまった、という顔をした。
「……そうね、私も子供っぽかったかも。ええ、次からは大人しく授業を受けるわ。ええ、誓って」
本当だろうか? ハリーはいまいち、ハーマイオニーの言葉を信じきれなかった。なにせ、ハーマイオニーが言う計画がなんなのか、一端すらハリー達に話さないのだ。もしかして本当にハーマイオニー不良化計画を押し進めているのではないか……そんな予想が現実味を帯びてきている気がする。
もしそうなったら、真剣に向き合ってあげないと。
勘違いしたままのハリーだったが、仲間想いなことには代わりはなかった。
——
次の変身術の授業では、ハリーだけでなく他の生徒達も殊更に緊張したようすだった。
何せマクゴナガルだけでなく、教室の隅の方にクリップボードを片手にしたアンブリッジがいるのだ。
「さて。ミスター・フィネガン。この宿題の返却を手伝ってください。ミス・ブラウンはネズミの箱を取りに来てください。一人一匹ずつ配ってください。噛みませんよ」
マクゴナガルは全く、ほんの少しもアンブリッジを気にした様子がなかった。まるでいないかのように、ごく普通に授業をしている。
「ェヘン、ェヘン」
その様子が気に入らなかったのか、ダンブルドアの話を遮ったのと同じようにして咳払いをした。
シェーマスから宿題を受け取る。「A」評価。悪くない。
「では……ディーン・トーマス! ネズミにもう一度同じ真似をしてご覧なさい、罰則ですよ。
……では、カタツムリ……単純な構造の生き物は消失させられるようになりました。まだ殻の一部が残っている生徒もいますが、要領自体は掴めたでしょう。本日からは——」
「ェヘン、ェヘン」
二度目の催促に、マクゴナガルがゆっくりとアンブリッジの方を向いた。
「何か御用ですか?」
「はい、マクゴナガル先生。わたくしのメモを受け取っているかどうか確認したくて……」
「受け取っていますよ。そうでなければなぜここにいるのかお聞きしていたことでしょう」
そう答えたきり、マクゴナガルは生徒達に向き直った。
「言いかけましたが、本日からはネズミを『消失』させていきます。座学でも教えた通り、消失呪文は——」
「——ェヘン、ェヘン」
マクゴナガルはイラついたような冷たい怒りを声に滲ませて言った。
「何か? 私の記憶が確かなら査察とは質問責めにして授業の邪魔をすることではなかったはずですが」
アンブリッジは横っ面を張られたような表情をして、それから猛然とクリップボードに何かを書き始めた。そんな様子も、マクゴナガルは歯牙にもかけない。
「消失呪文は、対象の生物が高度であればあるほど難易度が上がります。カタツムリは無脊椎動物。ネズミは哺乳類です」
パッとハーマイオニーの手が上がった。
「ミス・グレンジャー」
「はい、先生。どうして哺乳類からなのですか? 進化系統から考えると、爬虫類や両生類を経由してもいいと思うのですが」
「その疑問はもっともです。段階を踏むと言う観点ではまったくもってその通り。しかし、あなた達が今年度に習得せねばならない呪文は消失呪文だけではありませんよ、グレンジャー。質問は以上ですか?」
「はい、先生」
いつものやりとりである。ハーマイオニーが質問し、マクゴナガルが答える。その様子すらアンブリッジはボードに書き込んでいた。
「では、呪文の要領自体は一緒です。より集中して、より正確に。では、始めてください」
それから、マクゴナガルが片付けを命じるまで、教室はごく普通の変身術の授業が繰り広げられた。授業の終わり際、アンブリッジがマクゴナガルに近づいた。
「マクゴナガル先生、勤続何年ですか?」
「今度の12月でちょうど39年です」
トレローニー相手には山のようにしていた質問も、マクゴナガル相手には一つもすることはなかった。
「結構です。では、結果は10日後にお渡しします」
「楽しみです」
——
その次にアンブリッジが出没したのは、魔法生物飼育学だった。ボウトラックルの捕獲、飼育の授業で、アンブリッジはプランクに山のように質問を投げかけていた。
「あなたは本来の先生ではない、そうですね?」
「おやぁ? そいつぁあれかい、あたしが相応しくないって、そう言いたいのかい?」
「い、いえそんな。ただ、本来の先生は今どこで何してるのかと……。その、校長先生に聞いても答えてくれなかったもので。先生ならご存知かと」
アンブリッジがそう聞くと、プランクは何がおかしいのか、ひゃっひゃっひゃっ、と笑い声を上げた。
「あー、可笑しい。アンブリッジ先生、魔法省はあれかい、休暇をいつまでどれくらいとってなんのために取るのかまで知らないと我慢ならないのかい? そいつぁ『週間魔女』の仕事さね。それに、今年はあたしが正式な魔法生物飼育学の教授だよ。本来のもクソもありゃしない。ハグリッドを査察したきゃ来年にするこった。その時にあんたが無事ならいいんだけどねぇ!」
ひゃひゃひゃ、とプランクはその格好のイメージ通りの笑い方をした。
「……さぁて、新入り。仕事の邪魔しないでおくれ。それともなにかい? 邪魔してくる査察官の対応も評価項目なのかい?」
「……失礼しますわ!」
アンブリッジはぷりぷりと怒ったような口調で、プランクから離れた。しばらくは黙ってボードに書き連ねていたが、しばらくすると何かを思いついたように、暇そうにしている生徒の一人に近づく。
「ねぇ、このクラスで怪我人があったと聞いたんですが、ご存知ですか?」
「それは僕だ」
マルフォイが淡々と答えることも、ハリーには腹立たしかった。
「まぁ、まぁ。それで、どんな生物なのですか?」
「それを答える義務が僕にあるとは思えない。親切で答えるが、ヒッポグリフだ」
「まぁ! そんな、恐ろしかったでしょう?」
ハリーはもう我慢ならなかった。何かを言ってやろうと一歩、ハリーは前に進んだ。
「感想まで答える気はない。……僕は授業に戻る」
だが、出鼻を挫くようにマルフォイは先に答えてしまった。ハリーからしたら信じられないようなセリフだった。
「……感想まで答える気がない?」
いつものマルフォイなら、喜び勇んでハグリッドを貶すよう悪様に報告していたはずだ。それなのに、どうして?
「……ハリー、授業に集中しましょう」
そばにいたハーマイオニーがそっと声をかけてきた。
「……また、今度教えるわ。とても……そう、とても複雑な事情なの」
ハーマイオニーはスリザリンの事情を知っているのだろうか。
ハリーはまるで貝のように口を噤み、お葬式のような雰囲気を漂わせているスリザリンの一団を見た。その集団の中でマルフォイは、色々な生徒にそっと声をかけていた。
まるでいたわり、慈しむようなその様子に、ハリーは困惑を隠せなかった。
一体スリザリンに何があったというのだろうか。まさか……。
まさか、あの集団全員、カサンドラに親を殺されたのだろうか。
ハリーは嫌な予感がしていた。ハーマイオニーが話してくれるであろう事情が決して、笑える物でも楽しい物でもないことを、悟ったからだった。
改めて、今年もよろしくお願いします。