——1995年12月 ホグワーツ
ハグリッドの帰還からしばらくが経った。
ハグリッドは今年度はそもそも教える予定がなかったらしく、森番として一年を過ごし、来年度から再び『魔法生物飼育学』の教師として就任予定らしい。
カサンドラは傷だらけのハグリッドを心配していたが、ハグリッドは一向に取り合わなかった。傷は治るどころか真新しい傷が増える一方。ハグリッドがヤバい生き物を飼ってるんだと噂で持ちきりである。
クィディッチを取り上げられて宿題しかやることのないハリーとは裏腹に、ホグワーツが段々とクリスマス一色になるにつれてロンとハーマイオニーの監督生としての仕事は益々忙しくなっていった。
クリスマスの飾り付けを2人で一緒にしたり、下級生の監視や監督やら、とにかく2人は一緒にいることが増えた。
2人で行動することが増えた分仲が良くなったのかと言えば……それは、ハリーには分からなかった。
ただ、おそらくきっと、意識していないわけではないだろう。ロンは初試合のときの『女神のキス』を未だに強く覚えているようだったし、ハーマイオニーも時折りその時のことを思い出して身悶えしてるらしい。
もしかしたら2人は付き合うかもしれない……なんてことを想像していたハリーだったが、逆にいえば友人の恋愛事情くらいしかやること、考えることがなかった。勉強は相変わらず退屈でつまらないし、毎年この時期に熱中していたクィディッチは取り上げられてしまった。あるいは、永久に。
——とにかく、ハリーの楽しみはだんだんと非合法活動であるDAのみとなっていく。クリスマス休暇までにどの程度のレベルまで持っていくかなんて計画を立てたり、どうすればみんなに上手く説明できるか、なんてことを考えている間は、クィディッチを取り上げられた痛みを忘れることができた。
そんな風に日々を過ごしていると、気がつけばもうクリスマス休暇前最後のDA会合だった。ハリーはジニーを連れて誰よりも先に会場、必要の部屋にやってきていた。
しばらくジニーと楽しくおしゃべりしていたら、きぃ、と静かにドアが開いてルーナがやってきた。
「……あれ、一番乗りじゃなかった」
「ようこそ、ルーナ」
ハリーが挨拶をすると、ルーナはコクリと小さく頷いた。
「こんばんは、ハリー。クリスマスはジニーと過ごすの?」
「ううん。ジニーは家に帰るよ。僕は……ここにいる」
「そうなンだ」
ハリーが言うと、ジニーが怪訝そうな顔をした。
「え、ハリー、なんでここに残るの?」
「なんでって……」
「アレ、お兄ちゃんから聞いてない? ママがクリスマスパーティにハリーも招待するようにって手紙が来てたはずなんだけど」
「聞いてない……」
「もう……それで、どうするの? 家に来る?」
ジニーが朗らかな笑顔で聞いた。何かを期待するような表情だった。ハリーの答えは決まっていた。
「もちろん! 是非お呼ばれしたいな!」
「嬉しい!」
ハリーとジニーはぎゅう、と抱きしめ合った。ルーナがその光景を見て、キョロキョロと周りを見回す。ハリーは人前であることを思い出し、慌てて離れた。
「ご、ごめんルーナ」
「ン、続けて。クピトがやってくるかも」
「クピト?」
ハリーが聞くが、ルーナは何かを探すようにあたりをうろうろし始めた。
「抱擁し合う恋人のそばに現れるンだ。……あんたたち、見かけてない?」
「別に」
「そう。ジニー、ハリーと付き合ってて、幸せ?」
ルーナはクピトを探すのをやめて、じっとジニーを見つめた。ハリーが僅かに緊張する。ジニーがなんて言うか、若干怖かった。
「もちろんよ。今私、人生で一番幸せ」
「そっか。——なら、いいや」
ルーナはそう言うと、部屋の隅っこに陣取り、座り込んだ。
「それから」
ふわふわとした雰囲気を漂わせて、ルーナはハリーの方に顔を向けて言った。
「私、信じてるよ、あんたのこと」
「……僕のことを?」
「ジニーを不幸にしたりしないって。それから……例のあの人の復活のことも」
「……その、ありがとう」
ハリーはすっかり舞い上がってしまう。誰にも信じて貰えてないと思っていた。ヴォルデモートの復活はDAの中でも意見が分かれる事柄であるだけに、1人でも信じてくれる人が増えるのは嬉しい。
「でも、あんたどうするの?」
「どうするって、なにが?」
「例のあの人は分断が好きで、得意。バラバラだと勝てないと思うンだけど」
「……なんとか、団結しないとって思ってるよ」
「——スリザリンは仲間はずれ?」
ハリーは言葉を失った。
「……え?」
「みんな一緒に立ち向かおう! ……その『みんな』に、スリザリンは入ってないの?」
「ルーナ、スリザリンは『死喰い人』を親に持つ人が多いんだよ?」
「全員?」
「それは……違うけど」
ハリーは口籠る。
「ルーナ、変なこと言わないでよ。スリザリンが協力なんてするわけないじゃない」
「そうかな? 例のあの人に一番苦しめられてるの、スリザリンだと思うンだけど」
「ルーニー! 変なこと言わないでって言ってるでしょ」
ジニーが強く言うと、ルーナは肩を竦めた。
「ごめンね、ジニー」
「……私も強く言いすぎた。ルーニーなんて言ってごめん」
「それはいいよ。私、響きが好きだから。『ルーニー』ルーナ・ラブグッド、って。音のリズムが特にね」
やっぱりルーナって変な子だな、とハリーは思った。
それから次に必要の部屋にやってきたのは、すっかり意気消沈したアンジェリーナだった。
あの日、ハリーが最後に箒に乗った日から、アンジェリーナはほとんど抜け殻だった。
「……ハリー、後釜が決まったわ」
「え、誰?」
「あなたの隣にいる子」
アンジェリーナが言うと、ハリーは思わず隣のジニーを見た。
「その……ごめんなさい。でも私ハリーに箒とクィディッチも教えて欲しいの」
頬を赤らめてそんな可愛らしいことを言うジニーを、ハリーは抱きしめてキスしてその先までしたい欲望に駆られた。
——そういえば必要の部屋って、どんな内装でもできるんだっけ。
一瞬でピンク色に頭が染まったハリーを叱るように、アンジェリーナが咳払いした。アンブリッジのモノマネだ。
「ェヘン、ェヘン。とにかく。マクゴナガル先生にはもう諦めて今のメンバー強化に集中しろって言われたよ。ビーター2人も見つかったけど……はぁ」
アンジェリーナは項垂れるようにため息をつくと、ぶつぶつと何事かを呟き始めた。
「……あのガマガエルもどき……どうしてくれよう……」
かなり荒れた様子にハリーが震えていると、ゾロゾロと人が集まってくる。時計を見ると、もう少しで集合時間だった。
——今日も非合法の自習が始まる。
結果はかなり上々だと言えるだろう。多くの生徒が妨害の呪文をはじめとしたさまざまな防御呪文を習得し、モノにしていっている。そして、最も成長目覚しいのは、意外にもネビルだった。
最初の会合で唯一武装解除呪文の習得に成功したのはまぐれではないらしく、今までの落ちこぼれっぷりはなんだったのかと言いたくなるほどメキメキと実力をつけている。ハリーにはそれが嬉しかった。
「……さて。今日が終わればもう3週間は練習できないね。各自色々思うことがあるだろうけど、休暇前に一つ、言っておきたいことがあるんだ」
会合の終了寸前、ハリーは練習を早めに切りやめてみんなを集めた。全員、ハーマイオニーですらハリーが何を言い出すのだろうかと不思議そうな顔をしている。
「今だからこそ、僕は話したいんだ。僕らにとって、学生にとって戦うって何か」
ハリーはそう切り出した。
「ここ最近ずっとそればっかり考えてた。そして、一つ、答えを出したんだ。
生き残ることだって。そのために僕らは手段を尽くさないといけない」
当然だろう、と言う顔を数人がする。多くの生徒はハリーの消極的な姿勢に不満げだ。いかにも英雄的なことを言ってくれるのかと期待していたらしい。
「僕は……『生き残った』男の子って呼ばれてる。カサンドラが言ってたよ。『生き残る』ってそれだけ凄いことなんだって。
でも……生き残ることと、敵を倒すことは同じじゃない。
例えば僕がもし目の前に『死喰い人』が現れたら、きっとやることは……逃げることだと思う」
「弱気すぎるよ。俺たち一体今まで何のために練習してきたの?」
メンバーの1人が言った。
「もちろん生き残るためだ。武器を取り上げたり、妨害したり防いだり……。みんな、自分が殺されないようにするための魔法だよ」
「でも」
「でも? もしかしてみんな、杖を取り上げたらそれで勝ちだって思ってた?」
ハリーが聞くと、何人かが『え、そうなんじゃないの』みたいな顔をした。その表情を見て、つくづくこの話をして良かったと思った。
「例えば……杖を取り上げたとしても、近づかれて殴りかかられたり、蹴られたり。多分下級生の子はそれだけでおしまいだと思う。『敵を倒す』って言う方法で生き残ろうと思うなら、失神の呪文じゃ弱いんだよ」
「でも気絶したらもう動けないぞ」
「気絶させることができればね。気絶したふりをしてたら? すぐに目が覚めちゃったら?
——こんな不安をなくす方法はたった一つ。
殺すことだよ」
しん、とメンバーたちが静まり返った。
「僕は……何度もカサンドラが勝つところを見てきた。……勝って、殺すところを。カサンドラが戦いをやめる時っていうのは、敵をみんな……殺した時だ。逃げずに戦うっていうのは、そういうことなんだよ」
想像を絶する話に、メンバーは全員、何も言うことができなかった。
「……だから、みんなにはこれだけは約束してほしい。
もし、戦うべき時がやってきても、戦わずに逃げてほしい。どんなにみっともなくても、どれだけぶざまでも、生き残れたら、それが、それこそが僕らの勝ちなんだから」
ハリーはそう言って、演説を締めくくった。
——
ハリーはその日、ベッドで満足しながら眠りについていた。言うべきことは言った。あとはみんなと休み明けに再会するだけだ。
——それに、今年のクリスマスは『隠れ穴』……彼女の実家に遊びに行ける。隠れ穴自体は何度も遊びに行っているが、今度はなんと、『彼女の実家』なのだ。アーサーやモリーと顔を合わせるの緊張するだろうし、ジニーと一つ屋根の下で過ごすとなると、きっとずっとドキドキするだろう。でも、絶対に人生最高のクリスマスになることは確定している。
次第にハリーは夢を見始めた。馬鹿みたいな夢だ。そんなことないのに。
ジニーが目の前にいる。
——何故か服を着ていない。今日は裸でいたい気分なの、なんて照れ臭そうに言っている。
彼女がそう言うならとハリーも同じように服なんかとっとと脱ぎ捨てたくなった。
いそいそと服を脱いでいく……。ジニーに手を止められる。手伝ってあげるなんて言われて、舞い上がって。最高な気分だ。
気がつけばハリーは必要の部屋にいた。いつものDA会合の部屋ではなかった。大人2人が並んで、両手を広げて寝転んでもまだ余裕があるような巨大なベッドが部屋の中心にある。どピンクのシーツに、ハート型の枕。
そんないかがわしいベッドの中心に、素っ裸のジニーが寝転んでいる。
ゴクリ、とハリーは喉を鳴らした。
——急転直下、ハリーの夢はいきなり現実感を増した。
ディテールの甘かった背景は妙にくっきりして、まるでそのまま目で見ているかのよう。あやふやで漫然とした意識もすっきりはっきりとして、周囲の観察すらできるほどだった。
だが、ハリー自身だけがおかしかった。ハリーの体は妙に細長く、なおかつクネクネと『まるで蛇のように』曲がりくねりながら前に進んでいた。
どこか……石造りの廊下だった。
何故石なんて思うんだろうか。そうだ『冷たい』。目に写る景色は色すらわからないのに、温度だけはかなり高い精度で判別できる。
まるで温度を検知する器官があるかのような感覚だった。
……男がいる。誰だ?
知ってる。
この男は知ってる。
——咬み殺したい。
……いや、だめだ。もっと大事な仕事がある。
夢の中のハリーは男のそばから離れようとしたが……男が目覚めた。杖を取り出した。もはや、ハリーに我慢する理由はなくなった。
ハリーは体を飛び上がらせ、男の脇腹に噛み付く。肋骨を噛み砕いてやった。血の暖かい感覚がする。どんどんハリーの意識は蛇に近づく。
振り払われて、ハリーは……
額が痛い。
そうだ! あの男を知ってる。彼は。あの人は!
アーサー・ウィーズリー!
ハリーはロンに揺さぶられて目を開けた。冷や汗で全身が濡れていた。ベッドからハリーが転げ落ちると、部屋の隅で嘔吐した。
「おいハリー!? 病気か!?」
ロンが心配そうにハリーの背中をさすっている。ロンには伝えなければならない。
「……大変だ」
「え?」
「ロン、大変だ、アーサーが」
「ハリー! 蛇みたいな音出すなよ!」
……え?
ハリーは呆然とする。しばらくして、ようやく自分がさっき蛇語を喋っていたことに気がついた。
「シュルル……。ご、ごめん、ロン」
なんとか人語を思い出すと、ハリーはハッとなってロンの肩を掴んだ。
「そうだ大変だ……! ロン、君のパパを! 君のパパを襲ってしまった!」
「……え?」
ロンが呆然となって聞き返す。
「とにかく先生……マクゴナガル先生に会おう! 一刻も争う!」
「ど、どう言うことだよ!? は、ハリーがパパを!?」
「いいから早く!」
ハリーはロンの腕を掴んで走り出した。
——夢のはず。夢のはずなんだ。
悪戯ならいい。勘違いならいい。
あの夢の光景がただの夢になるというなら、何百点の減点だって、どれだけ長い期間の罰則だって喜んで受け入れる。
だから、無事でいて。