——1995年 12月 ホグワーツ校長室
ハリーとロンはマクゴナガルに連れられて、校長室に入っていた。ダンブルドアは何やら書類を見ているようで、マクゴナガル、ハリー、ロンが近づくと書類から目を話してマクゴナガルの方を見た。
「おお、マクゴナガル先生。何用かの?」
「ダンブルドア先生。ポッターがその……悪夢を見ました。」
「悪夢……のう?」
「悪夢じゃありません!」
ハリーは叫んだ。
——叫べばそれでいいはずだった。それなのに、ハリーが叫んで主張しているというのに、ダンブルドアはハリーと目を合わせようとはしなかった。
ズキリと胸が痛む。
「ぼ、僕は……僕は見たんだ! 最初は普通の夢だったのに……いきなり僕は床を這いまわって……男の人が見えた! ロンのパパだった!」
ハリーは眉を顰める。こんなにも必死になっているというのに、ダンブルドアはじっと天井を見つめてハリーの顔すら見ようとしない。いくらダンブルドアとはいえ失礼なんじゃないかという気がしてくる。
「そうしたら……咬んだ。肋骨を何本か咬み砕いたと思います。血が溢れて……」
隣のロンが段々と顔を青ざめさせていく。ゴクリと喉を鳴らした。
「ふむ。先ほどから聞けば、ハリーはどうやら……蛇になっているかのように聞こえるが。間違いないかの?」
ハリーはうなずく。
「僕は夢の中で蛇になってた」
ダンブルドアは天井から視線を下ろして、真っ青になっているロン、絶句しているマクゴナガルとを順々に見た。ハリーの顔は見ようとしない。
「傷は肋骨……重症じゃな」
ダンブルドアは立ち上がると、壁一面に掛けてある沢山の肖像画のうちの一枚を指差した。
「エバラード!」
次にもう一枚。
「ディリス! わかっておるな」
ダンブルドアの鋭い指示を受けた肖像画2枚はいきなり動き出した。
「当然じゃよ。任せておくれ、ダンブルドア」
「おそらく即座にウィーズリーは見つかるじゃろう。どうせ今代も赤毛じゃろ?」
動き出した肖像画は絵画の端に向かって走り出すと、どこかへと去ってしまう。
「じき、アーサーのところへは救助が向かうじゃろう。エバラードとディリスは特に高名なお方じゃったからの。必ず知らせが行くじゃろう」
「で、でもウィーズリーさんがどこにいるかなんてわからないです」
ハリーは結局、アーサーがどこにいるのか、夢の中では判別がつかなかったのだ。だが、ダンブルドアにとってその情報はどうでもいいらしかった。
「まぁ、ハリーは知らんじゃろう。さて、2人が戻るまでしばらくかかる。マクゴナガル先生。2人に椅子を」
マクゴナガル先生が杖を振るうと、ハリーとロンの真後ろに椅子が現れた。木の簡素なスツールだ。ハリーとロンはマクゴナガルにお礼を言ってから腰掛ける。痛いほどの沈黙が降りる。長い数分だった。
沈黙を裂くように、絵画の一枚がダンブルドアを呼んだ。消えた肖像画が戻ってきていた。
「ダンブルドア」
「どうじゃった」
「問題なく気づきましたな。ディリスのヤツが運ばれるウィーズリーを見届けているはずです」
「無論、私はしっかりと見た! 運ばれるウィーズリーを……! ひどい出血だったぞ」
「——ごくろう」
ダンブルドアはマクゴナガルを見ると、ゆっくりと言った。
——酷い出血。
「マクゴナガル先生。ウィーズリーの子供たちを起こしてきてはくれんかの」
「……はい。アーサーは……やはり?」
「問答は後にするべきじゃろう」
「失礼しました」
マクゴナガルはぺこりと軽く一礼すると、校長室から出て行った。慌ただしい足音が聞こえる。
ダンブルドアは次に、机の上に置かれた真新しい携帯電話を手に取ると、番号を押して電話をかけた。
——魔法界の英雄がマグルの最先端技術を淀みなく使うと言う光景は、いささか奇妙に見える。
「……カサンドラかの?」
『ん……どうした、ダンブルドア』
「トラブルじゃよ。襲撃等はないじゃろうが、どうか子供たちに寄り添ってやってほしいんじゃ」
『わかった。すぐ向かう。どこにいけばいい』
「校長室に来てくれるかの」
『了解だ』
ダンブルドアは電話を切ると、次に後ろの棚から古ぼけたヤカンを取り出した。
「『ポータス——鍵となれ』」
ヤカンが一瞬青白く光り、そして元通りになった。
さて、と今度は一枚の肖像画に近くと、スリザリンを象徴する緑のマフラーを巻いた男性に声をかけた。
「フィニアス」
かなりの大声だったが、肖像画の男……フィニアスは身じろぎもしない。
「フィニアス! フィニアス! フィニアス! 起きよ!」
ダンブルドアがかつて無い大声でフィニアスを呼ぶと、いよいよもって狸寝入りもできなくなったのかパチクリと目を開けて、さも今叩き起こされましたと言わんばかりにうんと伸びをした。
「何かね」
「フィニアス。あなたの別の肖像画を……ブラック邸のものじゃ。そこに行って欲しいんじゃ」
「残念ながら拒否だ。——今夜は……疲れているのでな」
フィニアスがそう言った瞬間、周囲の肖像画達が一斉に目を開いて非難しはじめた。
「なんたる不服従! 盟約違反だ!」
「現職中はさんざん世話になっておきながら!」
「けしからん! 女史による『教育』が必要では?」
たくさんある肖像画の中に、お仕置き用の太い棒を手にした女性の肖像画がある。彼女はパシパシと手の中で棒を弄びながら、ダンブルドアに聞いた。
「私が説得しましょうか?」
「わかった、働こうではないか」
本格的に女性が絵画の縁に向かって歩き出した瞬間、フィニアスは降参したように肩をすくめながら立ち上がった。
「それで? この私に何をさせる気だ?」
「伝言じゃよ。シリウスに。『アーサーが重症。関係者が後でそちら向かう』と」
「『アーサーが重症、関係者が後でそちらに向かう』ね。……わざわざ先輩をこき使わなくても、そのマグル製品を使えば済むのではないか?」
「否定はせんよ。しかし……ワシらは高速な通信手段を持っていることを悟られたくはない。携帯は着信時に大きな音が鳴ってしまうのでな」
ダンブルドアが言うと、フィニアスが顔を顰めた。
「全く……不便なものだな。では行ってくる」
フィニアスが絵画からいなくなってしばらく。ジニー、フレッド、ジョージの三人がマクゴナガルに連れられて校長室に入ってきた。さらにもう少しして、武装を固めたカサンドラが部屋に入る。
「ハリー……ど、どうしたの? 何があったの?」
「ジニー……」
ハリーはジニーの手を握って安心させようとする。でも、ジニーの不安は募るばかりだった。
「アーサーは『騎士団』の任務中に負傷なさった。今からお主にはシリウスの実家に向かってもらう。聖マンゴへはそちらから向かった方が安全じゃろう……。よいな。時期を見誤るでないぞ」
ダンブルドアはしきりにカサンドラの方を気にしていた。
「任せろ。で、時期ってのはいつわかる?」
「知らせがくるじゃろう。モリーからの知らせが」
「了解」
そうして話をしていると、フィニアスが戻ってきた。
「ダンブルドア。仕事は終わった。私は眠らせてもらう」
「ごくろう。おやすみ、フィニアス」
さて、とダンブルドアは古いヤカンを指差して言った。
「お主らにはこのポート・キーを使ってシリウスの屋敷へ向かってもらう」
何食わぬ顔でしれっとそんなことを言っているが、ポート・キーの無断の作成は思いっきり違法である。気が動転している子供達は全く気づいていないが。
「では、皆の者、このヤカンに近づくのじゃ」
ダンブルドアの指示通り、みんなが古ぼけたヤカンに近づく。ハリーはダンブルドアのすぐそばに近づいた。
——その瞬間。
とてつもない殺意と憎悪がハリーの中で沸き起こった。まるで憎い仇を前にしたかのような激しい感情だった。
殺してやる。
この牙で喉笛を噛みちぎってやる。
傷跡が割れるように痛む。
——まるで蛇の心が流れ込んできているかのようだった。
「よし、では三つ数える。よいな? 3、2、1——」
ぐい、と引っ張られるような感覚がして、ハリーは、みんなは移動を始める。
——臍の裏がぐいっと引っ張られるのを感じた。
足下の床が消え、手がヤカンに貼りついている。急速に前進しながら、互いに体がぶつかった。色が渦巻き、風が唸る中を、前へ前へとヤカンがみんなを引っ張っていく……。やがて、膝ががくっと折れるほどの勢いで、ハリーの足が地面を強く打った。ヤカンが落ちてカタカタと鳴り、どこか近くで声がした。
……気がつけばもう、移動は完了していた。
「……ここ、厨房かしら」
ハーマイオニーにも、みんなにも見覚えがあった。ここはシリウスの実家、グリモールド・プレイス十二番地にある屋敷だった。
「とにかくお前ら、大人しくしてろ。すぐにシリウスが来るはずだ」
カサンドラが警戒しながら言った。
しばらくして、マグルのような格好をしたシリウスが厨房に入ってきた。
「とりあえず、ようこそみんな。ハリー、事情を聞かせてもらえるか?」
シリウスの言葉は、ここにいる全員の総意だった。
ハリーは一度ゴクリと喉を鳴らして、ジニーの手を強く握って、それから一つ一つ、自分が見たものを話して言った。
するするとうねり、くねりながら進む自分。どこかの扉の前でうとうとする男を見かけ、咬みついたこと。
その時、傷跡がひどく傷んだこと。
そして起き抜けてすぐはまるで自分が蛇になったかのように感じて、蛇語を話したこと。自分の視点が高いことを酷く戸惑ったことなど。
とにかく、ハリーが感じたことを全て余すことなくみんなに話した。
ハリーが、父親を襲った蛇そのものだった。その事実が浸透するほどにみんなが非難の目つきで見始める。理不尽だとはわかっている。それでも思わずにはいられないのだ。お前が自分の意思で襲ったんじゃないのか、と。
そんな中、難しそうな顔をして顎に手を当てていたカサンドラがポツリと言った。
「……流入現象みたいだな」
流入現象。
マグルの世界と魔法界が、ほんの少しだけ、交差する。