病室には大人たちしかいない。マッドアイ、トンクス、モリー、アーサー、カサンドラの五人だ。この中で最も事情を知らないカサンドラが、肩をすくめながら聞いた。
「それで……何があった? 夜中に叩き起こされてそれからずっと子供達の面倒を見ててな。事情がさっぱりわからん」
カサンドラが聞くと、モリーはため息をつく。
「詳しくは話せませんが、まぁ、護衛任務というところです」
「で、護衛中に蛇にやられた、と。偶然の可能性は?」
「お前、偶然やってきた蛇に坊主が繋がったと言うつもりか?」
マッドアイが鋭く指摘すると、カサンドラは首を振った。
「まぁ、ないだろうな。で、ヤツの蛇は見つかったのか?」
「まだよ。でもさー、マッドアイ。本当に『例のあの人』が蛇を送り込んだの? 正直、腕が『ある』か『ない』かくらい判断できないわけないと思うんだけど」
トンクスが冗談混じりに言うと、マッドアイは鼻を鳴らして否定した。
「蛇はあくまで偵察だとワシは考えておる。ヤツは今回の企てについてよほど慎重になっているらしい。馬鹿げた『復活祭』でワシとカサンドラの介入を許したことが堪えたと見える」
「だが、蛇を放って偵察して、ヤツは何を欲しがってるんだ?」
「配下を削られ、手足の足りないヤツが欲してやまないもの……情報だ」
「情報、ねぇ」
「前回ヤツはそれを疎かにした。そのせいだろう。極秘の『アレ』をそれこそ蛇みたいに付け狙っている。警戒を怠るわけにはいかんのだ。油断大敵!」
「まぁ標語はおいといて。私気になってるんだけど、本当にハリーってその時の様子を見たの? 夢で? あり得ないと思うんだけど」
「可能性はなきにしもあらずだ。去年もどうやら似たようなことがあったらしい」
カサンドラが補足をすると、モリーが不安そうに顔を俯かせた。
「私……最近ダンブルドアが何をお考えなのかわからないの。……あの人は、ハリーが『見る』ことを待ち構えていたようにすら思えるのよ。アーサー……あなたが、その、囮か実験に使われたんじゃないかって、不安なの」
「モリー。ダンブルドアがそういうことをなさるお人じゃないのはわかっているだろう?」
「でもあなた……」
「ダンブルドアはハリーのことも、私のことも、とても心配なさっていた。不安がることはない」
アーサーがきっぱり言うと、モリーは少しだけ落ち着いたようだった。騎士団の再結成からこっち、きっとそんな心配ばかりしていたのだろう。ことは戦争だ。捨て駒、囮などなど……命を散らさなければならない命令が下る可能性はいつだってついて回る。それなのに、ウィーズリー家には3人も騎士団がいるのだ。いつ自分の大事な家族に『死ね』と命令されるのか、気が気でないのも無理はない。
「アーサーへの心配は純粋なものだろうな」
ふん、と不機嫌そうにマッドアイが言う。
「だが、坊主への心配はどうかな。坊主は蛇の中から……もっと言えば蛇になって事を見たと言っておる。それが本当なら……本人は当然気付いておらぬが……『例のあの人』が坊主と『何か』を共有していることに他ならん。
視覚か? 聴覚か? あるいは心や魂などもっと深いところなのか? ……それすら現時点ではわからぬのだ。心配にもなろう」
——!!?
その時、悪戯グッズによる盗聴が不意に終了した。とんでもない事実を知った子供達が、盗聴どころでは無くなってしまったのだ。
だが、大人たちの会話は続く。
「そんなことありえませんわ。ハリーと……『例のあの人』とが何かを共有しているなどと」
「まぁ……ワシとて信じられん。だがハリーは蛇の心の中に入り込む夢を見て……それは現実に起こった事だった」
「だがムーディ。もしそれが本当なら、『共有』に至るまでに何かがあったはずだ。心と心を繋ぐような何かが。ハリーはヴォ……ヤツと実際に会ったのは去年が初だぞ。1年の時に会いはしたが、その時はデキモノだった。さらにその前は、ポッター家に乗り込んだ時だ。いつそんな大掛かりなことをする暇がある?」
「むう……たしかに、妙だ」
カサンドラの反論に、マッドアイが唸る。魔法をよく知らないカサンドラでも、心と心を繋ぐのがとんでもない事だと言うことはわかる。仮にそれが呪文一つでできたとして、それをやるタイミングがハリーとヴォルデモートの間には存在しない。
「……あ! そうだ、ハリーが赤ちゃんの時、心を繋いだとか?」
「それはどうだろう?」
カサンドラはトンクスの推理には疑問点があると考える。
「これから始末する赤子相手に心を繋いでどうする。そして、『死の呪文』が弾かれるとはやつも思っていなかっただろう」
「でもじゃあいつ繋いだって言うの? ……もしかして、偶然繋いじゃった、とかだったりして」
「それはわからん。だが……去年にそのチャンスがなかった以上偶発的に、誰もが予期せぬ方法で心が繋がった可能性はあるか。
だが、妙だな? そもそもハリーとヤツが繋がっていることをヤツは知ってるのか? 全部筒抜けだった割には状況はこちらに有利なままだ。ヤツがハリーとの繋がりを知っているかそうでないか。それによって、対応を考える必要があるだろうな」
カサンドラが言うと、みんなが揃って考え始める。重要なのは、ハリーとヴォルデモートが繋がっていることではなく、繋がっているせいでこちらの情報がダダ漏れの可能性があるということだ。
「ならば対策はそう多くない。坊主には『閉心術』の訓練が必要だろう」
「閉心術? なんだそれは」
「心と記憶を盗み見る『開心術』の対抗技術だな。心を閉し、鍵をして、恐るべき魔法から心と記憶を守る術だ。だが……」
ううむ、とマッドアイは苦虫を噛み潰したような顔をする。どう見ても気が進まない様子だった。
「——何をそんなに躊躇う? その訓練には苦痛が付き纏うのか?」
「いや……坊主のデメリットとしては過去の記憶が見られる以外のものはない。ないのだが……」
明らかに、閉心術の訓練をさせるのは賛成ではないというマッドアイに、カサンドラが詰め寄る。
「何をそんなに躊躇うんだ。あいつの心と記憶を守る方法で、しかも特に危険があるわけでもないんだろう?」
「それはそうだ。だがな……。現在、ダンブルドアは非常に忙しい。坊主の訓練につきっきりでいられるほどの時間はない」
「それで?」
「そうなるとだな……閉心術の指導をできる人間が……スネイプになる」
カサンドラも、それを聞いて同じように顔を顰めた。他の面々は不思議そうな顔をする。
「え……スネイプとハリーってそんなに仲悪いの?」
代表してトンクスが聞くと、カサンドラとマッドアイが揃って頷いた。
「スネイプは坊主に隔意があるのだ」
「無理もない。復讐を邪魔されたからな。なぁムーディ、それしか手がないのか? 『ヒドイ事』になるのは目に見えてるぞ」
「……まぁ……それでもやってもらわんことには、坊主にも、そして坊主の近くにいる子供にも何も教えられんぞ」
「全く。クソッタレの闇の魔法使いめ」
カサンドラが毒付くと、周囲の人間がこれからハリーとスネイプの間で起こるであろう激突を想像して、げんなりとため息をついた。
——
「——!!?」
ハリーは思わず飛び上がって驚いた。追体験じゃない……アニムスとかいうのと全然違う。僕が。僕が、ヴォルデモートと心を共有してる!?
ハリーは頭がどうにかなりそうだった。周囲を見る。同じように話を聞いていたロンやジニー、フレッドにジョージも盗み聞きをやめて、化け物を見るかのような目でハリーを見ていた。
「……カサンドラ、知ってたんだ。このこと」
フレッドが言った。
「アニムスとかいうマグルの不思議装置を話したのは、そっちに僕らの意識を誘導するためだ。ハリーは……『例のあの人』と、心が……繋がってる」
ミス・ディレクションという言葉をフレッドは知らなかった。だがこうして真実を知った今にして思えば、カサンドラに誘導されていたことは明らかだった。まんまと騙されたことを悔しいと思うと同時に……隠すのも無理はないと思ってしまった。それほどまでにこの真実はあまりに重すぎた。隣のジョージに目を向けると、同じように困惑と、それから恐怖が見て取れる。——親しい人間ですらハリーを恐れるようになるのだ。
「ぼ、僕は……」
何も言えなかった。ずっと、ずっと兆候はあった。ヴォルデモートが近くにいたり喜んだり悲しんだり怒ったりすると痛み始める傷跡のこともそうだし、去年から時々、夢にヴォルデモートのことが出てくるようになった。それも、未来でも過去でもなく、現在のことを夢に見るのだ。
極め付けは……ハリーには、繋がりができた可能性に、心当たりがあった。
——1年生の時、クィレルが死んだ後。まるで揺蕩う幽霊のようなヴォルデモートの魂が、ハリーを『通り抜けて』逃げて行った。
もしあの時に繋がりができたんだとしたら?
「……」
ハリーは青い顔をしたまま、俯いていることしかできない。
情報。ヴォルデモートは情報が欲しいと言っていた。……アーサーの件はただの確認作業なんじゃないのか?
ちゃんと繋がっているかどうかを確認するための。
——それならもはや、ヴォルデモートは欲しいものを手に入れたことになる。ハリーの目が耳が、心が、記憶が、何もかもがヴォルデモートに流れているんだとしたら。
ハリーは呆然とジニーを見る。
「は、ハリー……。私、は。私は、信じてるわ」
「ジニー……僕に、近寄るな……」
ダメだ。もう何もかもが遅い。
大切な人なのに。もうすでに全てが知られてしまった。全部、全部だ。
騎士団のこと、隠れ家、何もかもハリーは知っている。知っているということは、それはヴォルデモートに流れているということだ。
「ぼ、僕は……僕は一体、どうしたらいいんだ……」
その問いに答えてくれる人は、誰もいなかった。
——その日、ハリーは自分がいつどうやってシリウスの実家に戻ってきたのかさっぱりわからなかった。何せ、戻ってきても誰も声をかけないのだ。——無理もないだろう。ヴォルデモートと心が繋がってるヤツとなんて、誰が話したがる。
「……」
ぐるぐると考えが巡る。いいアイデアが思いつかない。思いつくのは、自殺するとか、自分自身に忘却呪文をかけるとか、そんな極端で非現実的なものばかり。
ただ、ハリーのごくわずかに残った理性と頭で推理すると、少なくとも、ここにいてはいけないことだけは確かだった。シリウスの隠れ家の場所がバレてしまっただろうし、他にもたくさん。
ハリーは自分のトランクに近づいて、荷物をまとめた。いつも大きな移動をするとき一緒だったヘドウィグは……今はまだ、ホグワーツにいる。
——帰ろう。あのクソッタレで、魔法から最も遠い、プリベッド通りに。
「逃げるのかね」
ハリーが部屋の外に出ようとしたその時、どこからともなく声が聞こえた。声の主を探して周囲を見回すと、一枚の肖像画が目についた。フィニアスだった。ダンブルドアの命令に不服従だったからよく覚えていた。
「そんなんじゃない」
「考え違いだったか」
フィニアスは顎髭を撫でながら言う。
「にしても……君がグリフィンドール? にわかには信じられない……。君はきっと、我が寮スリザリンの方が肌にあっているのではないかな?
我が愛しきスリザリンは勇敢だ。ただ……愚かではない。簡単に言うと、選択の余地があれば、大抵は自分自身を救う方を選ぶ」
「それのどこが勇敢なんだか。——とにかく、僕は自分を救うつもりで出ていくんじゃない」
「なるほどなるほど……ハハッ。気高くも美しい自己犠牲というやつか」
フィニアスはハリーの方を見ず、顎髭を撫でたまま話を続ける。
「バカバカしい……」
「バカバカしい?」
「そうとも。自己犠牲など愚かの極み」
「なんだって? あなたは今、いろんな勇敢な人々を侮辱した」
「侮辱に聞こえたかね。気高く、美しい。だが……そうだな、気高く美しい選択肢だけを選ぶことは果たして『勇敢』なのか……」
「?」
ハリーには何が言いたいのかさっぱりわからなかった。
「つまりだよ。卑怯で姑息で汚いが、より多くの人が幸福になる選択肢を君は選べるのかね。安易に自分の身を投げ打ってはいないか? まぁ……君には難しかったか。さて、少年。ダンブルドアからの伝言だ。
『動くでない』」
「動いてないよ」
「屁理屈は上手いらしい」
「屁理屈なんかじゃない。事実を言ってるだけだよ。それで、続きは?」
「ない。それで全てだ」
ハリーは思わずトランクを下ろして、肖像画の前にツカツカと歩く。ありえない。そんなことはないはずだ。
「意地悪しないで。あるんでしょ?」
「ない。動くでない。それ以外ダンブルドアは一言も話さなかった」
そんなバカなことがあるか。ハリーはもう爆発しそうだった。
今こそダンブルドアと話をする必要があるのに。
「動くな、だって? それだけ、だって!?
毎回そうだ。しかも今年の頭、吸魂鬼に襲われた時みんなして僕に隠し事して! 僕が襲われて! 僕が追っ払ったのに! ダドリーも守った! それなのに大人達はみんな、僕をまるで1年生にするみたいに扱う! 僕はもう子供じゃない!」
ハリーは荒く息を吐いた。こんなところで絵を相手に怒鳴ったってなんにもならないのに。たちまち自己嫌悪に苛まれる。
「いいか。私は」
フィニアスは顎髭を撫でるのをやめて、ハリーに勝るとも劣らない大声で怒鳴り返してきた。
「これだから教師というものが身震いするほど『嫌』だったのだ! 若い奴らはいつだってそうだ。自分が絶対に正しい、間違ってるのは周りなんだと鼻持ちならん自信を持つ。
毎年毎年毎年毎年! 思い上がりの哀れなお調子者共め!
ダンブルドアが計画をいちいち詳細に明かさないのは、たぶん歴とした理由があるのだと、考えてみたかね? その小さな脳味噌で考えたか? ええ? それともなにか、ダンブルドアはお前にとって信用ならん相手なのか! 自分の素晴らしい考えがなければ上手くいかないような稀代の無能だとでも? 恐るべき自惚れだ!
不当な扱いだと感じる暇があったら、どうして、ダンブルドアは君が憎くてこんなことをやってるんじゃないと気付かない?
……いや、いや、君もほかの若い連中と同様、自分だけが感じたり考えたりしていると信じ込んでいるのだろう。自分だけが危険を認識できるし、自分だけが賢くて闇の帝王の企てを理解できるのだとな」
フィニアスはハリーが何かを言い返そうとする前に、座っていた椅子から立ち上がった。
「では失礼するよ。お子様相手に議論する気はないのでな」
フィニアスは絵画の縁に向かって歩き、そしてすぐに絵の中から消え失せた。
「好きに……好きにすればいい! 勝手にどっかへ行ってしまえ!」
ハリーは空の肖像画に向かって怒鳴り続けた。
「校長先生に伝えて! 『迅速端的な命令どうもありがとう』ってね!」
ハリーはトランクを引っ掴んで、自分のベッドの下に叩き込むようにしてしまうと、体をベッドの上に投げ出した。
「……クソッ! 僕は一体何をしてるんだ……」
みんなのために出て行くなんて言いながら、絵画と喧嘩して。結局、ダンブルドアに命令されたという大義名分ができた途端にこんなふうに大人しくベッドに戻っている。結局、自分が可愛いってことなのだろうか。
——疲労のせいで限界だった。ロクに休めてなかった……。
眠い。
だが、ハリーは目を閉じるのが怖かった。また夢で繋がってしまったら? 今度はどんな恐ろしい光景なんだろうか。
ここに侵入する夢? ジニーを咬み殺す夢?
……次第に、ハリーは寝入ってしまっていた。
——夢を見ている。
無駄にリアリティのある夢だった。
ハリーは真っ黒な扉に向かう人気のない廊下を歩いていた。コツコツと足音がする。
ごつごつした石壁を通り、いくつもの松明を通り過ぎ、石段を降りて行く。長い階段だった。ここはどこだろう……。
やがてハリーは黒い扉にたどり着いた。大きく、重厚感のある扉だ。
しかし、開けることができない。両手はあるのに、開けることができない。
ハリーはじっと扉を見つめてたたずんでいた。無性に入りたい。求めてやまないものが……ほしくてたまらない何かが扉の向こうにあるはずなのだ。
そうすれば夢のようなご褒美が……傷痕の痛みが止まってくれさえしたら……そうしたら、もっとはっきり考えることができるのに……。
「ハリー」
パチリ、とロンの声で目が覚めた。ロンの姿は見えない。
「ママが夕ご飯作ってくれてるよ。でも……その、まだ疲れててベッドにいたいなら、残しておくから心配するなってさ」
どうやらロンは部屋の中に入るつもりもないらしい。……無理もない。一体誰が今のハリーと話をしたがる。
——やっぱり、出ていけばよかった。
ハリーは何もする気がなかった。しかし、寝入ったあとなので全く眠れない。
階段の下からクリスマスの準備をする楽しそうな声が聞こえる。その中に入ろうとはとてもではないが思えなかった。
……それからどれだけの時が経っただろうか。ぎ、ぎ、と階段を軋ませながら、誰かが上がってくる。ロンか、ジニーか、あるいはシリウスか。
「ハリー、入っていい?」
「……え、ハーマイオニー?」
ハリーはびっくりして思わず体を起こしてしまった。
「たしか……スキーに行くって言ってなかった?」
「考えてみたら……まぁ、気分じゃなかったわ。私もだいぶ魔法使いに毒されたのかしら? 足に板括り付けるよりここで過ごした方が楽しいんじゃないかって思ったの」
それが本当なのか嘘なのか、ハリーには判断がつかなかった。
だが、ハーマイオニーがいてくれる。グリフィンドール1の才女がいる。それだけでハリーは心強い気持ちになった。
「ジニーもいるわ。入るわね。話があるの」
「う、うん」
ガチャリ、と音を立てて扉が開く。
ハーマイオニーと、ジニーが部屋に入ってくる。
——愛しい彼女の顔を、じっと見る。
……可愛らしい。絶対に、守りきらないと。
薄汚いヴォルデモートなんかに、傷つけさせやしない。
たとえ、何をしてでも、守りきる。