ハーマイオニーとジニーの二人を部屋に招き入れてから、しばらく沈黙が降りた。
「……その、聞いたわ。病院でのこと」
「ごめんなさい、ハリー。ママ達に盗み聞きしたことがバレちゃった……」
「いいよ。そっちの方が気が楽だよ」
それに、元よりバレてないとは思っていなかった。病院から帰ってきていきなりハリーの様子が変わったのだ。何かがあったと考えるのが普通だろう。
「それで……その、大人たちと色々話し合ったの」
「……僕をどこに追放するの?」
「そんなんじゃないわ!」
ジニーが悲鳴のように叫んでハリーに抱きついた。
「ジニー、ダメだよ! 僕に近づいたら!」
「ヴォルデモートの影響なんてない! だってハリー、あなたの目の前には、あなたと同じ状況になった人がいるのよ?」
「え? ……あ」
そういえば、ジニーは1年生の時にヴォルデモートに魂を喰らい尽くされ、体を乗っ取られるところだったのだ。
「ハリー、『例のあの人』が私の目で見て耳で聞いて、私の体を動かしていたとき、私の意識は完全になかったの。夢さえ見なかったわ」
「じゃあ……僕のはなんだって言うんだ?」
「……逆なんじゃないかって大人の人は言ってたわ」
「逆?」
ジニーの言葉に、ハリーはおうむ返しに聞き返した。
「つまり……『例のあの人』がハリーと繋がってるんじゃなくて、ハリーが『例のあの人』に繋がってるの。えっと、そうごかんけ……ええっと、ハーマイオニー先輩、なんでしたっけ……」
ジニーの理解力ではこの辺が限界らしかった。ありがとう、とハーマイオニーはジニーの頭を撫でて、それから説明を引き継いだ。
「大人たちの見解では、ハリーとヴォルデモートの間に繋がりがあるのは認めるものの、それが相互関係にあるとは思えないそうよ」
「……どういうこと? つまり、僕だけが一方的にアイツのことを見てるってこと?」
ハーマイオニーは頷いた。
「もし、ヴォルデモートがハリーのことを知れるなら、向こうが取ってる行動と説明がつかないの。未だに『情報』を探すことに躍起になってることがおかしいし、どの事務所にも襲撃がない。魔法省のガサ入れ……失礼、無理矢理な捜査もない。向こうがこちらのことを何も知らないことの証拠よ」
「でも、それが偽装だったら?」
「その可能性もあるわね。でも、ヴォルデモートがハリーと深く繋がってて全部のことを知ってるなら、カサンドラの事務所の人間を減らそうともしないのは変よ。それにここも。建物自体は『忠誠の術』で守られてても、人はそうじゃない。それでも騎士団のメンバーに誰一人襲撃がないってことは、向こうには情報が足りないことの証拠だと言えるわ」
「でも、それが全部僕との繋がりを……僕のことを全て知れることを秘匿するためのブラフなら?」
ハーマイオニーは頷く。結局、どれだけ議論しても、推理に推理を重ねても、その可能性はけして、0にはならなかった。
「ええ、もちろんその可能性はあるわ。だから、あなたには新学期どうしてもやって欲しいことがあるの」
「……やってほしいこと?」
ハーマイオニーは神妙に頷いた。色々と大人から聞かされて……正直、これを言うのは気が進まない。だが、ハリーに伝える役目を買って出たのだ。やらなければ。
「『閉心術』っていう技術を、習得してもらうわ」
「へいしんじゅつ?」
「心と記憶を盗み見られることから防ぐ術よ」
「やる!」
ハリーは即答した。
「ありがとう、ハリー。その、先生役がスネイプ先生だけど、それは些細なことよね」
「——は?」
ぜんっぜん些細じゃないんだけど。
それでも彼女のため、やるしかなかった。
——
カサンドラは聖マンゴの階段を登っていた。アーサーの見舞いが終わったあと、気になったことがあったのだ。だから日を改めた今日、カサンドラは一人で聖マンゴを訪れていた。
きし、と軽く階段を軋ませて、カサンドラは階段を登る。5階。呪文性損傷の病棟だ。
カサンドラは廊下を歩き、病室に貼られている名札を一つ一つ見ていく。別に……必ず会わねばならないわけではなかった。ただ、気になっただけで、そこまで思い入れがあるわけでもない。
結局、端から端まで病室を見て回ったがどうやら目的の人物はいない。廊下の奥、鍵のかかった扉の奥にでもいるのだろうか。
「やぁ、素敵なお嬢さん」
そのとき、ある病室の中から一人の美丈夫が意味もなく笑顔でカサンドラに声をかけた。
「なんだ、お前そんなところにいたのか。——元気そうだな、ギルデロイ」
「おや……どうにも。どこかでお会いしたことが?」
「いいや。ただお前の顔と名前を知ってただけだ」
「そうですか!」
ギルデロイ・ロックハート。ハリーが2年生の時の『闇の魔術に対する防衛術』の教授で……闇の魔法使い。天才的な忘却術を悪用し、数多の英雄たちの功績を掠め取っていた。そして、最後には自分の魔法で全ての記憶を消去し、ここ、聖マンゴにいる。
「私がハンサムだからでしょうね。サインはいかがですか? 何故だか私にサインをねだる人が結構いましてね」
「いや、サインはいいよ。それで、あれから何か思い出したか? ホグワーツのことを」
「ほぐわーつ? 知らないですね。新しいペンの名前ですか?」
カサンドラは僅かに目を細める。確かに……魔法省がギルデロイをアズカバンにぶち込まなかったはずだ。この様子では自分の罪を知るどころか、『罪』とは何かから教えなければならないだろう。
だが……あのとき、たまたまロンの杖がイかれていたから反射しただけであって、もしまともな杖であったなら、ロンとハリーがこうなっていたのだ。それを思うとほんの僅かにも同情できない。
「まぁ、ギルデロイ、悪い子ね。またうろつき回って」
その時、母親が浮かべるような慈愛の表情をした女性癒師がやってきた。彼女はカサンドラを見ると、手を叩いて喜んだ。
「まぁ、ギルデロイにお客様? なんて素晴らしいんでしょう! この子には誰もお見舞いにこないんですよ、可哀想に」
「まぁ……そうだな」
「こんなにかわいこちゃんなのに……どうしてなのかしら?」
癒者は不思議そうにロックハートの腕を取る。
「サインをしていたんだよ。ダメだと言えないんだ! 写真は足りるかなぁ」
「面白いことを言うのね。全く……。この人、2、3年前までは有名だったのよ。有名人だった時の言動を繰り返すのは、記憶が蘇りかけているからかもしれないわね」
「そうか」
「さぁ、どうぞいらっしゃい」
癒者はロックハートの腕を取ったまま、カサンドラを鍵付きの扉の奥へと案内した。
扉を潜ると、そこにはまた廊下が続いており、等間隔に病室へと続く扉が並んでいる。患者の名札を見ると、なんと6人以上の名前が一つの部屋にある。どうやら大部屋らしい。癒者は病室のうちの一つに入ると、やたらと花やら手紙やらがうず高く積まれているベッドにロックハートを連れてくる。
「さぁ、ギルデロイはここにいてね。
ここは……隔離病棟なの。長期の入院で……その、回復の見込みが……いえ、その、少しでも症状が良くなるよう、私たちは全力を尽くすわ。でも」
癒者……癒す者としては、『治らない』と断言するのはひどく心苦しいものなのだろう。
「いや……いいさ。ギルデロイは……きっと、このままがいいんだ」
カサンドラはそう言った。記憶を奪い、手柄も奪い、生徒すらその手にかけようとした闇の魔法使いである事実など……知らない方がいい。
「そう……なのかもしれないわね。さぁ、私はお仕事に戻ります」
「ああ」
癒者はロックハートを病室に戻すと、パタパタと駆け出していった。彼女は他にも病室の患者に色々と声をかけていく。だが、大抵の者は彼女の声かけにまともな返事すら返せない。
長期入院の病棟というだけあって、重篤な症状の患者が多い。特に、この病室は精神を病んだ者が入室しているようだ。
カサンドラは痛ましげな表情をして、来た道を戻ろうとする。会いたい人には会えた。ここにはもう用はない。そう思ったその時、病室の端に見知った顔を見かけた。
「……ネビル?」
カサンドラが思わず名前を呼ぶと、向こうがハッとカサンドラの方を見た。軽く手を振ってくる。
「カサンドラ!」
「ネビルか。……ご両親のお見舞いか?」
カサンドラはネビルに近付きながら聞いた。おそらく彼の友人達は知らないだろうが、カサンドラはネビルがこの病棟にいる理由に心当たりがあった。前に聞かされた彼の事情……両親の状態を。
ネビルの両親は、ヴォルデモートの手下、『死喰い人』に正気を失うまで拷問されたのだ。
カサンドラは魔女狩り時代を思い出す。
そして、その時代の犠牲者になった、知人の女性を。
「うん。……あ、そうだ。ばあちゃん、この人がカサンドラ」
「おや、まぁ……これはまた、お若い……」
「ただの若作りだ」
照れ臭そうにカサンドラがそう言うと、ネビルの祖母はくつくつと笑った。どうやらかなり細かいところまでネビルは話しているらしい。別に隠しているわけでもないので特に何も言うつもりはない。アニムスの研究に参加して金を貰っていたことからもわかるように、長い年月を生きてきたという事実はカサンドラにとってそこまで必死で隠す秘密ではないのだ。
「どうやらそのようだねぇ。わたしはあなたが羨ましい……。私がくたばってしまったら、ネビルの面倒は誰が見るというんだい? それに、アリスもだ……」
カサンドラは首を振った。
「いや……お孫さんは勇敢だ。どんなに恐ろしくとも友のために立ち上がれる勇気がある」
「……そう言ってもらえると、ひとまずは安心ってところかねぇ。ただ、私だってあとどれくらい生きられるか……——おや、アリス」
部屋の奥から、一人の女性が赤子のように這いながらやってきた。痩せこけ、窶れ、目だけが大きく目立っている。
髪もボサボサで、色は老人のように真っ白だ。
彼女は手に何やら握っているようで、握り拳をネビルの方に掲げた。
「またかえ……。ネビル、受け取っておやり」
「——うん」
ネビルはかがみ込んで母親から何かを……ガムの包み紙のようだ。それをネビルに渡した。
「まぁ、素晴らしい」
ネビルの祖母は楽しそうな声を取り繕って、ネビルの母の肩に手を乗せた。
「ママ、ありがとう」
ネビルは出来るだけ嬉しそうな声を作って、母に礼を言った。
満足したのか、ネビルの母は満面の笑顔でベッドに戻っていく。
「……ネビルと同じように勇敢な人だと聞いている」
「ああ、そうさね。わたしはあの子達が誇らしい……。心を壊すまで拷問に耐えるなんて、そうそう出来ることではありません。ネビルへの強い愛情が、そうさせたのでしょう」
「ああ」
カサンドラはネビルの母へ、尊敬にも近い感情を抱いた。きっと自分にはできないだろう。
「……カサンドラも……パパとママが凄いと思うの?」
「ああ。子と自分を天秤にかけて子供を優先することは簡単じゃない。一瞬の死ならともかく……子のために拷問に耐えるなんて……。素晴らしい人だよ、ネビルの両親は」
「——そっか」
ネビルは自分の手のひらにあるガムの包み紙を見ながらそう言った。
「さて、私たちはこれで失礼させていただくとしようかね。さぁ、ネビル、その紙は屑籠に捨ててしまいなさい」
「……うん、おばあちゃん」
ネビルはそう頷いた。だが、ネビルは母親から貰った包み紙を大事そうにポケットにしまった。
「——私にはきっと、できないだろう」
ネビル達が去った病室で、カサンドラはそうぽつりとこぼした。
——自分を棄ててでも何かを、誰かを守る。そんな選択肢をカサンドラは遠い古代に置いてきてしまった。
ヘルメスの杖を継承者に継承するために、今のカサンドラは自己犠牲を選べないのだ。