お見舞いの日からもうしばらく経って、いよいよ新学期が始まろうとする日。ハリーはそれまでをビクビクしながら、つまり出来るだけ人と話さないよう気をつけて過ごした。と言ってもハーマイオニーやロン、ジニー達とはそれなりに話したが。親友たちと彼女はハリーにブラック邸での出来事を面白おかしく話してくれる。
クリーチャーがしばらく行方不明になっていて、今日ようやく見つかったこととか、マンダンガスがまたモリーに叱られたとか、カサンドラが一足先にホグワーツに戻ったとか。
特にハーマイオニーはクリーチャーについて詳しく語った。何せクリーチャーはハーマイオニー視点で言うところの『可哀想な屋敷しもべ妖精』であり、なんと恐ろしいことに当のクリーチャーも自身をそう思っているのだ。
「私、クリーチャーに『ようふく』を与えるべきなんじゃないかって何度も言ったの。でも秘密を知りすぎてるからって理由で解放できないんだって」
はぁ、とハーマイオニーはため息混じりに言った。ハーマイオニーからしてみれば、シリウスとクリーチャーの主従関係はほとんど破綻している。シリウスはクリーチャーを全く信用していないし、尊重する気もない。
対するクリーチャーもシリウスのことをまともな主人だと思っていないし、できればかつてのブラック家のような主人に仕えたいと思っている。だからブラック家の形見の品を見つけては、自分の住処に持ち込んでかつての主人を想っているのだ。
クリーチャーは早いところ解放してあげたいというのがハーマイオニーの気持ちだった。なにせ主人であるシリウスは言動がかなり荒っぽい。しかも、シリウスもシリウスでクリーチャーに思うところがあるのか、クリーチャーが関わると不機嫌になるのだ。
「……まぁ、私、クリーチャーの解放を諦めたつもりはないけど……今のところ、お互いにその気持ちがないんじゃどうしょうもないわ」
はぁ、とハーマイオニーはまたため息を吐く。
「まぁ、ハーマイオニーのSPEW活動はさておいて」
「さておかないで」
「落ち着いて、ハーマイオニー先輩。ハリー、ちょっと下の部屋に降りてもらえないかしら?」
「え? 何で?」
ハリーが聞くと、ジニーはかなり気が進まないようなかおをした。ジニーとしてはスネイプに思うところはないのだが、彼氏を嫌って憎んでいる先生ということで、なんとなく距離を取っているのだ。
「その……スネイプ先生が待ってるの」
「スネイプが? なんで?」
「ハリー、スネイプ『先生』よ」
「それで、どうして?」
ハーマイオニーのいつものお小言を無視して、ハリーは聞いた。
「閉心術について、事前に話があるから面談するらしいんだけど……その、シリウスもいるから多分大丈夫よ」
ハリーはその言葉を聞いて、渋々スネイプが待つ部屋に向かうことにした。
「わかった。じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい、ハリー。スネイプは厨房にいるわ」
「わかった。ありがとう、ジニー」
ハリーは立ち上がると部屋を出て、階段を降りる。さらに下に降りて、地下に入る。薄暗い廊下を少し歩いて厨房に入ると、ハリーはそのまま回れ右して帰りたくなった。
スネイプとシリウスが長テーブルを挟んで向かい合うようにして座っている。まるで今から殺し合いでもするんじゃないかというほど憎々しい目で睨み合っている。
会話は一言もない。戦闘時のような重苦しい沈黙が流れている。
ハリーが厨房に入ったことに気づいたスネイプが、脂っこい髪を振ってハリーの方を見た。
「座りたまえ、ポッター」
「一つ忠告しておこう。ここでハリーに命令することは厳に謹んでもらおう。この屋敷の主人は私だ」
すかさず、シリウスが大声でスネイプに言った。言われたスネイプは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに馬鹿にしたような笑みを浮かべ、シリウスをじとりとした目で睨んだ。
「まるで学生の屁理屈ですな。全くもって恐れ入る。それでポッターに味方したつもりでいらっしゃる」
「私は屋敷の主人としての意向を伝えただけなのだが? 随分とまぁ、邪推する先生だ」
「邪推? 吾輩は『座りたまえ』と言っただけなのにまるで許されざる命令をしたかのように反応したのは貴殿だと愚考する次第ですな」
「ではこう考えてくれ、この屋敷ではその程度の命令すら許さん」
「結構。初めて手にした『権力』を思う存分振るうとよろしい」
嘘だろとハリーは逃げ出したくなった。『椅子に座れ』でここまで険悪になるなんて思いもしなかった。もしかしてスネイプの用件が終わるまでこんな言い争いをずっと聞くことになるのか?
そんなハリーの懸念は恐ろしいことに的中することになる。だがそれも当然だ。去年なんかは殴り合いまでしてるし、元はと言えば学生時代に端を発するのだ。根は深い。
ハリーはキョロキョロとカサンドラかダンブルドアの姿を探しながらシリウスの隣の椅子に座る。スネイプと対面に座ると、その威圧感がすごかった。そして、無情にも頼れる大人は部屋の中にはいなかった。
「そもそも、吾輩とポッターは一対一で会う予定だった。それが……」
スネイプの顔が嘲りの表情になる。ハリーの落第レベルのレポートを返す時の表情だった。
「まさか、ブラックが来るとは」
「私はハリーの名付け親だ」
シリウスがさらに大声で言った。対するスネイプは不機嫌そうな顔をすると、やれやれとでも言うように首を振った。
「そうおっしゃるなら。好きなだけここにいてくれたまえ。気持ちは理解できる……ポッターに親らしいことをしてやりたいというわけですな」
「なんだと」
スネイプは馬鹿にするように鼻を鳴らす。心底くだらないものを見るかのような目でシリウスを見る。
「実に哀れ。学生時代に散々馬鹿をやって……『まとも』な知識は何一つない。そんな貴殿はポッターに『屋敷』であるとか、そう言った即物的なものでしか親らしくなれないというわけですな。滑稽ですな。吾輩の記憶が確かなら……貴殿はブラック家を嫌悪をしていたはずなのですが」
それは、現在のシリウスの最も弱いところだった。ガタンと椅子を倒しながら立ち上がると、スネイプに掴みかからんばかりに身を乗り出した。
「スネイプ。私にも許せるものと許せないものがあるぞ」
「ほう? 是非教えていただきたいものですな。かの勇敢なるグリフィンドールの名に恥じぬ、さぞや立派なものなのでしょうな」
「あ、あの! その、スネイプ先生は僕にどんな用事があるんですか?」
ここで殺し合いでも始めるんじゃないかと怖くなったハリーが思わず口に出していた。シリウスとスネイプの顔がハリーを見る。正直言ってどっちもめちゃくちゃ怖かった。
ゴクリ、とハリーが唾を飲み込むか飲み込まないかの時間が経った後、スネイプが肩をすくめた。
「——校長先生はポッター。君に『閉心術』の習得をお望みだ。この術を習得すれば……君や、我々が抱いている懸念の大部分が……解決する」
「はい、先生」
「不本意だが、吾輩が教える。手取り足取り教えるつもりはないので覚悟しておくように」
スネイプはキッパリと言った。騎士団の仕事だろうがなんだろうが、教えるというからには自分のやり方を貫くらしい。だが、ハリーにとっては特に驚くようなことでもない。
「教えるにあたっていくつか伝達事項があるのだが、そもそもポッター。『閉心術』が何か知っているかね」
「はい」
「ならばよろしい。毎週月曜日、夕方6時に吾輩の部屋にくるように。もし誰かに目的を尋ねられた場合『魔法薬学』の補習だといえば疑う人間はいない」
では失礼、とスネイプはマントを翻しながら立ち上がり、厨房を出ようとする。
「ちょっと待て」
「何か? 吾輩暇ではないのだが」
「では簡単に言おう。立場を利用してハリーを虐めていると聞いたら、私が黙ってはいない」
「虐めるだと?」
スネイプが嘲るように言った。マントに隠した腕の中で、杖の柄を握る。
「それはブラック。君の得意分野だろう」
「黙れ」
「そして、無用な心配だ。ポッターは父親にとてもよく似ている……。だからこそ、傲慢で、ちょっとの批判や忠告など、受け付けようとしない」
「黙れと言ったぞスニベルス!」
シリウスが駆け出して、杖を引き抜いた。スネイプの鼻先に杖を突きつけると、荒く息を吐く。
「ダンブルドアはお前が改心したと思っている。私の意見は違う!」
「それを進言したかね? 取り合ってももらえなかったように見える」
「お前は騙すのが上手い奴だからな。今のご主人はルシウス・マルフォイか? 自分のペットが授業を取り持ってヤツも鼻が高いだろうさ!」
「好きに吠えるがいい。そういえばそのルシウス・マルフォイが、間抜けにも駅へと来ていた貴様を見かけたと言っていたぞ。貴様の手口には吾輩も脱帽したよ」
「なんだと?」
「事が露見する可能性があるから引きこもる……そうした大義名分を得てこの屋敷に引きこもるなど、吾輩にはとてもではないが真似できん。戦後はしたり顔で『騎士団メンバー』だったと言って苦労話でも喧伝するおつもりなのかな?」
シリウスが杖を振り上げる。
「待って! ダメ!」
ハリーが止めると、シリウスの動きが止まる。どうやら落ち着いてくれたらしい。
「私が臆病と? そう言いたいのか貴様」
「事実だ」
「貴様! 覚悟しろ!」
一触即発。もう無理だ。ハリーが諦めたその瞬間、厨房のドアが勢いよく開いて、アーサーが入ってきた。
「全快だ! もう治ったぞ!」
楽しげだった顔が一気に訝しげになって、機嫌もまた降下する。
「……何があった?」
それはハリーが一番教えてほしい事だった。全部見ていたっていうのに、スネイプからもシリウスからも殺気にも似た気迫を感じる。
でももう安心だ。何せアーサーが来てくれた。
病み上がり早々申し訳ないなと思いつつも、アーサーが二人の間に立ってどうにかしてくれようとしている事が、どうしようも無く嬉しかった。