アンブリッジは焦っていた。彼女の使命はホグワーツの改革並びにダンブルドア派閥の弱体化。そして、魔法界全体の混乱を防ぐこと。この二つを同時に果たすため魔法省はダンブルドア並びにハリー・ポッターに対するネガティブキャンペーンを、新聞社を抱き込んで盛大に実施していたのだが、つい先日それが破綻した。
——アズカバンの大脱走。
さしもの『日刊予言者新聞』もあの極悪『死喰い人』のベラトリックス・レストレンジなどが大手を振って歩き回っていることを隠蔽することはできないのか、致命的な情報を公開してしまった。
看守を皆殺しにすることで脱獄を成すという常軌を逸した手段は、ダンブルドアが言うことをそのまま信じるなら誰にも不可能だった。
だが、現実はダンブルドアの言葉を否定している。それは、事態が最悪の状態に……つまり、あの英雄アルバス・ダンブルドアですら読みきれないほど敵が強大になったということを如実に表している。
人々はダンブルドアが何も反応しないことを、『もうあの人はダメだ』と、植え付けられた印象から判断するだろう。しかし、ダンブルドアが弱体化し、老いぼれと化したと騙されているだけならまだ幸せだ。
だが魔法省の上層部や、新聞社の人間はダンブルドアが老いてるわけでも弱っているわけでもないことを知っている。
その上で、読みきれないということは。
敵が。ヴォルデモートがダンブルドアよりも強くなったという可能性に行き当たってしまうのだ。
彼らは絶望した。どうしようもないほど絶望した。
ゲラート・グリンデルバルドを打ち倒し、今世紀最大最強の英雄ダンブルドアよりも強い存在がいるという純然たる事実に。
魔法省のものは今どうするべきかを必死に考えている最中である。魔法省大臣とて例外ではない。
その殺人的な多忙さの中、魔法省大臣は頭を鈍らせてしまったのだろう。いや、あるいは、もしかしたら万全の状態でもやってしまったのかもしれなかったが。
とにかく、魔法省大臣はホグワーツに遣った自身の部下から上がってきた新たな教育令を、ロクに読まずに認めてしまった。
——教育機関であることを根本から否定してしまうその教育令を。
『ホグワーツ高等尋問官令
教師は、自分が給与の支払いを受けて教えている科目に厳密に関係すること以外は、生徒に対し、いっさいの情報を与えることを、ここに禁ずるものとする。
以上は教育令第二十六号に則ったものである』
——1996年 2月 ホグワーツ
新たに制定された『教育』令は、生徒たちに散々バカにされるために生まれてきたと言っても過言ではない。フレッド、ジョージ達が蒔いて育てた恐るべき、そして愛すべき悪戯小僧共がこの教育令を逆手にとって大暴れし始めたのだ。
ズル休みスナックボックスをはじめ『爆発スナップ』やら『ネズミ花火』やら、通常なら使用した瞬間に罰則と減点が確定するような悪戯グッズも使い放題というわけだ。何せ、悪戯グッズを取り締まるために必要な権限が、教師にはないのだから。
「逃げろー! あははははははは!」
今日もカサンドラの隣を、アンブリッジの教室を爆破した悪ガキが通り抜けていった。
「罰則と減点はしないのか、マクゴナガル」
カサンドラは肩をすくめながら隣を歩く老婆に話しかける。カサンドラも厳に警備に関係すること以外で生徒に余計なことを吹き込まないようお偉い高等尋問官に申しつけられてしまった。現在ダンブルドアはヴォルデモートの対策のため魔法省に出入りすることが増えたため、ホグワーツの最高権力者がいないことが多い。世はまさに『アンブリッジ暗黒時代』を迎えようとしていた。
「罰則? 減点? 残念ながら彼らの悪戯が『変身術』に厳に関係があるかどうか証明されるまで関わることができないのですよ、カサンドラ」
こめかみに青筋を浮かべながらマクゴナガルは静かに言った。どうやらブチギレているらしい。この教育令が決まった時の職員室のやりとりは、歴戦のカサンドラをしてこそ恐ろしいと思わせるだけの凄みがあった。アレほど怒鳴りつけるマクゴナガルは見たことがない。そして、その熱心な説教に涼しい顔で受け流していたアンブリッジを見て、多くの教師は彼女を、アンブリッジを見限ったのだ。今ホグワーツで彼女を『アンブリッジ先生』と呼ぶ教師はいないだろう。『アンブリッジ高等尋問官殿』か、単に『高等尋問官』である。そう呼ばれる度にアンブリッジが誇らしそうな顔をするので、やはり彼女は自分が教師であるという自覚はほんの少しもなかったのだろう。
「それで、アンブリッジ高等尋問官殿は束の間の権力を楽しんでるのか?」
「そのようですね。高等尋問官殿はホグワーツにおける全ての権力を手にしたと言っていいでしょう。しかし、今のホグワーツは学校とはとても呼べません。なんたる冒涜」
「しっかし、学校で教師にモノを教えるなとは、随分と思い切ったな。高等尋問官殿はここが何をするための場所か知らないらしい」
「全くです。——カサンドラ、現場検証はいかがでした?」
生徒達とすれ違う中、マクゴナガルは声を潜めてカサンドラに聞いた。カサンドラは眉間に皺を寄せる。かなり単語を省いているが、二人にはそれで通じた。アズカバンの現場検証にカサンドラも立ち会ったのだ。
「斬られた傷……それも凄腕の。逆に全く傷のないのもあった」
かなり情報を絞って伝えたが、マクゴナガルにはそれで十分だったらしい。マグルのカサンドラがアズカバンの現場検証に呼ばれた理由。それは、犯人がマグルの可能性があるからだった。あり得ないことだが、それを否定する証拠も出ていない。今のアズカバンの傷跡を見ればだれだって魔法使いとマグルが一緒になってアズカバンを襲ったとしか思えないだろう。
「なんと。では……マグルを雇ったと?」
「それはないだろうな。下手人を考えれば、マグルを雇うなんて考えもしないはずだ。誰かがそれだけ強くなった。そう考えるのが自然だが……不可解なことが多い。ヤツらがマグルの道場に通うとも思えん」
「校長先生はなんと?」
「首を傾げてるよ。ただハリーは神秘部ってところが気になるらしい。その点にも注目してる」
「——カサンドラ。私は今の状況が我慢なりません」
だろうな、とカサンドラは同意する。学校とは何も各科目の知識を得るためだけの場所ではない。特に全寮制の学校なんて、その後の人生すら左右する価値観を育む場所でもあるのだ。
「それもありますが……。我々はポッターに関わるなと常々言いつけてきました。子供だからです」
「……」
「しかし……校長先生は、そのポッターを、今回の、その、『出来事』の中心に据えようとなさっている。15歳の、予言者でもなんでもない少年が見た夢を元に調査を進めるなんて狂気の沙汰です」
「——私は……意見を変えるつもりはない。子供に切った張ったを進んで関わらせるつもりはない。クィレルの時も、バジリスクの時のことだって私にとったら苦い思い出だ。だが……どうなんだ? 私の考えは間違っているのか? 魔法界ではこれが常識なのか?」
ハリーはどんどんその立ち位置が物事の中心へと移動しつつあった。特に、ダンブルドアがそうしようと躍起になっているきらいすらあるのだ。
カサンドラの信条からすればそれはあり得ないしやってはならない事である。しかし……しかし、だが、それが『今』正しいかなんて、誰にもわかりはしないのだ。もしかしたらハリーをこの件の中心にすることが解決のための唯一の道でないと誰が言える。
だからこそ、カサンドラは苦しんでいる。悩んでいるのだ。
「……今このことを考えてもしょうがない、か」
「ええ。実に業腹ですが」
「それでマクゴナガル。トレローニーとハグリッドのことはどうする気だ」
カサンドラはさらに重苦しくなるような話題を切り出した。
ハグリッドはその森番をトレローニーは教師を、それぞれアンブリッジによって追われようとしていた。ハグリッドは未だ、なんとか『自分は今年、教師じゃない』でギリギリ踏みとどまっているが、トレローニーはもう誰の目から見ても無理だった。毎回毎回クリップボードを片手に持ったアンブリッジが授業に現れ、高度な質問を繰り返すのだ。アンブリッジこそ占い学の教授なのではないかと思ってしまうような専門的な知識から繰り出される意地悪な質問と、感覚派、実践派のトレローニーとは致命的に相性が悪かった。今や彼女はノイローゼ気味らしい。
「……私にはもう何もわからないんです」
マクゴナガルは悲しげに眉尻を下げた。彼女は優秀な教師だ。
だがどこまで行っても教師でしかない。当然魔法の腕は一流だし、今この瞬間に『死喰い人』の雑魚共がダース単位で襲撃に来てもカサンドラと協力せずとも撃退するだろう。
——しかし、彼女は法の専門家ではないし政治家でもない。
彼女はただ、誠実に教師を務めてきただけなのだ。
「マクゴナガルも参ってるみたいだな」
「……ええ。悪戯をしてこの状況を笑い飛ばせるような強い子なら、それでいいんです。しかし、この息苦しさを、支配される恐怖を、大人に相談できずに苦しんでいる子がいると思うと……」
「……ふむ。その点は、私が少し手伝うとするか」
「よろしいのですか?」
カサンドラはうなずく。
「私は警備員で……教師じゃない。余計なことを吹き込むなとは言われたが、友達の相談に乗ってはならないとは言われなかったな」
「——私は時々あなたが羨ましい。生徒たちと面と向かって友人だと公言することができるあなたが」
マクゴナガルは教師であるが故に生徒たちと友達になることはできない。公平に、公正に。どの生徒にも変わらず接するということは、どの生徒ととも深く仲良くなれないということでもある。
教師の辛いところである。
「とにかく……カサンドラ。我々は……慎重にならなければならないのです。お願いですから、暴走しないでくださいね」
「その暴走ってのが高等尋問官殿の永遠の沈黙という意味なら……まぁ、しないでおいてやってもいい」
「それだけ聞ければ今は満足です」
マクゴナガルは大きなため息をついた。激動の時代に老いた体でついていけるか、それだけが心配だった。
——1996年 2月 ホグワーツ
アズカバンの大脱走を知った後のハリーの生活は、その心情とは裏腹に平穏そのものだった。先生達が生徒と話している光景をめっきり見なくなり、ハーマイオニーがピリピリし始めていること以外でハリーの周りで変わったことはあまりなかった。
「……革命……クーデター……」
そんな言葉をぶつぶつと呟くハーマイオニーが目撃されたとかなんとか。ハリーは信じていなかったが、このまま言論統制が続けば可能性はあるかもしれないと考えている。
クィディッチを取り上げられ、放課後の大部分を閉心術の訓練と山のようにうず高く積もる宿題に費やすようになると、ハリーの楽しみはDA活動だけになっていく。
みんなの成長がしっかりと確認できて、できなかったヤツができるようになった瞬間、とても誇らしい気持ちになる。教師ってのは毎年毎年こんな気持ちになっているのだろうか。
それに、DAをやって発見した一番驚くべきことは、DA活動の中で、ネビルはもはや落ちこぼれでもなんでもなく、それどころか優秀な生徒に分類されているということだった。何せ『盾の呪文』をネビルより先に習得したのはハーマイオニーしかいなかったのだ。もはやDA参加者でネビルを落ちこぼれだと思う人間はいない。
メキメキと実力をつけていくネビルの横で、ハリーの閉心術は全くと言って進歩がなかった。とにかく侵入されることを防げない。その上、開心術を受けるたびに額の傷跡がズキズキと痛むのだ。練習どころではないくらい痛むことがあったが、スネイプの手前痩せ我慢した。
ロンが溢すクィディッチの練習の愚痴を聞いたり、ジニーにアドバイスしたり。
焦る気持ちとは裏腹に、ハリーの生活は平穏だった。
2月の最初のホグズミード行きの日の前日、談話室の暖炉の前でジニーと話していると、ハーマイオニーがそばのソファに座った。
「ハリー、少しいいかしら。その——忙しいところ悪いけど」
「え? ああ、うん、いいよ。どうしたの?」
「明日なんだけど、ちょっと時間取れないかしら」
ハーマイオニーが聞くと、隣のジニーがムッとした顔をする。
「ハーマイオニー先輩? 明日がバレンタインデーだってわかってて言ってる?」
「あー、その、そうね。ええ、ジニー、誓って私はあなた達の邪魔がしたいわけじゃないの」
「じゃあどういうわけなの?」
ハリーが聞くと、ハーマイオニーは言うか言わまいか、しばらく悩んだ。しかし、女心に疎かった去年や一昨年と違って今のハリーはかなり『わかる』ようになっている。理由も告げずにただ来て欲しいと言っても必ず断るだろう。
はぁ、とハーマイオニーはため息と共に決断した。
「あのね、今日返事が来て……明日なら時間が取れるって言われたの」
「誰に?」
「その、編集の人」
「……どういうこと?」
「ハリー、あなたの考えを魔法界に発信するべきよ。事はもう、魔法省が隠蔽できるレベルを超えてるはずなのに……動きは鈍いまま。ホグワーツのことはどうでもいいけど、魔法界の大人達まで知らないままというのは絶対に看過できないわ。だから……その、インタビュー、受けてみない?」
ハリーは顔をしかめた。インタビューにいい思い出が全くない。泣き虫少年としてでっち上げられたことは記憶に新しい。
「嫌だよ」
「お願い、捏造とかする人じゃないの」
「なんでそんなことがわかるって言うの? もしその人が違ったとしても、日刊予言者新聞に掲載するなら一緒だよ。編集者がいるんだから、そこで止められるに決まってる」
「違うの。新聞じゃなくて……その、『クィブラー』なの」
「は?」
ハリーは自分の耳が信じられなかった。あの賢くてバシッと素晴らしいアイデアを出すあのハーマイオニーが、今なんて言った?
「聞き間違えかな? 僕今『クィブラー』って聞こえたんだけど」
「……ルーナに頼んで、ルーナのパパと連絡取ったの。クィブラーじゃないともう私に伝手がなくて……ごめんなさい。でも、ハリー、私どんな形でもハリーの考えを、あのとき見たものを、発表するべきだと思うの」
「それは……そうだけど。でも……クィブラーだよ?」
「だからこそ、魔法省の介入はないと言い切れるわ。だからハリー、お願い」
「……インタビューってどれくらいなの?」
「ハリー! バレンタインデーなのに!」
ジニーはハリーの腕を掴んで抗議した。ハリーはすかさずジニーを抱き寄せて、その額にキスをした。途端にジニーは顔を赤くして黙る。
「ごめんね。でも、長い時間なら断るよ。きっとすぐさ。代わりに素敵なプレゼントをするからさ」
「……もう。ハーマイオニー先輩の前なのよ?」
「説得に必要なら、見て見ぬフリしてくれるよ、ジニー。大好きだよ」
ハリーはジニーの頬にキスをして、それからハーマイオニーに向き直った。ハーマイオニーが目をまんまるくして、驚愕の表情で固まっていた。
「……ハーマイオニー?」
「あ、あなた……ハリー……よね?」
「そうだけど」
「——ひ、人って変わるものね。と、とにかく。そうね。ジニーに悪いしルーナのお父さんも忙しいみたいし、そう時間は取らせないわ。そう、1時間くらいかしら?」
「それなら、まぁ。ジニーと一緒でもいい?」
「え? ……ええ、大丈夫よ」
すごく気配りできるようになっていたハリーに困惑しながらもハーマイオニーは頷いた。去年までなら当然のようにジニーをどこかに待たせると言う考えになっただろうに。
女の子の扱いがうまくなっているハリーに戸惑いつつも、ハーマイオニーは伝えるべきことをいくつか伝えた。
インタビューの場所、時間。何を話すべきか。
「——こんなものかしら。質問はあるかしら?」
「いや、ないかな。——ありがとう、ハーマイオニー」
「ええ、私こそ。せっかくのデートの邪魔してごめん」
ハーマイオニーは頭を下げるとソファから立って、女子寮へと戻った。
「……変わるものね」
ハーマイオニーはしみじみと言った。もうハリーに女心についてお説教することはないのだろうと思うと、何か寂しいものがある。
私もそろそろ彼氏の一人でも……なんてことをチラリと考えるが、自分には相手がいないことに気付く。ビクトール・クラムとはまだペンフレンドの関係を続けているが、やはりクィディッチのプロプレイヤーと付き合うのはなしだろう。
そう考えたとき、ハーマイオニーの脳裏に浮かぶのは、ひとりの男。
——ロン。ロン、かぁ……。
悪くない、とは思う。監督生になった彼は、意外にも監督生として真面目にやっている。あのデリカシーのなささえなんとかすれば……いやでも……。
悶々とハーマイオニーは悩む。
——11歳の頃。自分は絶対にこんなくだらない事で悩んだりしないと思っていた事で、彼女は今、盛大に悩んでいた。
原作だとここでリータ・スキーターに記事を書くよう命令するんですけど、この作品だとお亡くなりになってるので、ルーナパパ直々にインタビューとなりました。