今やグリフィンドールでウィーズリーの栄光を知らぬ者はいないと言ってもいいだろう。悪戯双子は華々しくホグワーツを『卒業』し、残った2人のウィーズリーはグリフィンドールを優勝カップ争い脱落の危機から守った。兄のロンが守り、妹のジニーが勝負を決める。しかもそのジニーはあの凄腕シーカー、ハリー・ポッターの彼女なのだ。デビュー戦であれほどの実力を見せたのだ、秘密の特訓などがあったに違いないと、ホグワーツ中が噂した。
ロンはすっかり上機嫌だった。もうクィディッチの試合前にコンディションがガタガタになることはないだろう。ロンはグリフィンドール生に試合のことを聞かれるたびに、熱に入った解説を言って聞かせるのだ。試合を見ていた誰もロンの言葉に異を唱えないあたり、それは凄まじい活躍をしたのだろう。
だが、ハリーとハーマイオニーの2人はその翌日、有頂天となったロンの気分に水を差さねばならなかった。夕食が終わって人気も少なくなった談話室で、ついに2人はロンにハグリッドのしでかしたことを打ち明けたのだ。
「——えっ、なに? へぇー。面白い冗談だね。ハグリッドに巨人の弟かー。でもあんまりそういう冗談、感心しないぜ」
クィディッチの試合の日にあったことを2人がロンに話すと、ロンはある意味常識的な反応をした。
「私だって! これが冗談ならどれほどよかったか……」
ハーマイオニーは最後の方は尻すぼみになっていた。ハリーも俯いていてロンの顔を見ようともしない。ただならぬ様子の2人をみて、ようやくロンは冗談であってほしかったことが冗談ではなかったことを悟る。
「嘘だろ? 巨人? 連れて帰ってきてた!? ハグリッドが傷だらけになるような相手と、お友達になれって?」
ロンは心底信じられないと言う顔をしていた。
「ええ。でも……その、約束しちゃったし」
「ハーマイオニー。真面目も度がすぎると身を滅ぼすぜ。この場合の『身を滅ぼす』ってのは概念的なことじゃなくて、物理的な意味だ。もしハーマイオニーがその巨人のおチビちゃんに近づいて英語を教えようとしても、無駄さ」
「それはまぁ……私も思ってるわ。そもそも人間の言語は人間の骨格があって初めて発話ができるのであって、頭蓋骨の形状が違えば発話は習得できない可能性があるのよ」
「——なんだって?」
「もう! とにかく、私たちの、というかハグリッドがやろうとしていることは全くの徒労で終わるかもしれないの」
ハーマイオニーが要約すると、ロンは何を当たり前のことを、と言うような顔をした。
「とにかく。そもそも条件は『ハグリッドがクビにならない限り』だろ? 今年は魔法生物飼育学をやらないみたいだし、アンブリッジのクソババアもクビになんてできっこない」
「……可能性はあるわ」
ハーマイオニーは絶望したような声で言った。
「はぁ? どんな理屈付けてクビにするんだよ?」
「悪戯の中で、魔法生物を使ったものがあるはずよ。それが……その、ハグリッドのせいじゃないかって疑ってるらしいの」
ハーマイオニーの言葉にロンは目を見開いて驚いた。それからはぁ、とため息をつく。
「なら、もうしばらくすればクビだな。今のホグワーツで『アンブリッジに疑われる』こと以上に確かな証拠なんて存在しないんだ」
「こんなの横暴よ……」
ハーマイオニーは暗い表情で言う。ロンは対照的に、諦めたように肩をすくめるだけで、そこまで深刻そうではなかった。
「ハーマイオニー、落ち込んだってしょうがないだろ? それによく考えてみろよ。ハグリッドがここから追い出されたら、僕たちが巨人の弟とお友達になってるかどうかなんて確認しようがないだろ? 当の本人は英語話せないみたいだし。
だからハーマイオニー、今君が、僕らが気にするべきは来たる試練、OWLだけだと思うんだけど?」
ロンの言葉に、ハーマイオニーもハリーもハッとなる。
そうだ。3人にはどうしてもしなければならないことが待っているのだ。
「そうよ……そうだったわ。今はとにかく、試験勉強しなきゃ! ハリー、ロン、やるわよ!」
ハーマイオニーは急に元気になって立ち上がったかと思うと、女子寮の方へとパタパタと駆け出していった。
「……励ましてくれてありがとう、ロン」
「なんのことだかわからないね」
カッコよくキメたロンだったが、ハーマイオニーが両手に山のような本と羊皮紙を持って現れた時には、げんなりとした表情をするのであった。
——
5年生の間で奇怪な行動をする者が増えてきて、OWL試験が近づいているのをひしひしと感じるようになってきたころ。
『変身術』の授業で試験に関する詳しい説明があった。
「よろしいですか、皆さん。試験は2週間にわたって実施され、午前は座学、午後は実技という風にわかれています。天文学の実技だけは『夜』に行うので、開始時刻を間違えないよう気をつけるように」
黒板には試験の注意点や禁止事項がつらつらと書かれている。生徒たちがそれを一心に書き込んでいる光景を見ながら、マクゴナガルは説明を続ける。
「毎年のことなので厳に警告しておきますが、試験の解答用紙には十重二十重に張り巡らされた『カンニング防止魔法』がかけられています。学生が打てる手でその魔法を突破できる可能性はゼロであると断言しておきます。——ここまで言っても、少なくとも毎年1人は必ず、自分だけは突破できると果てなき夢を見て、散っていきます。
それがグリフィンドールの生徒でないことを、私は切に祈っています」
ある程度書写しが終わった頃、マクゴナガルのありがたい警告もひと段落した。
「我が校の新しい校長先生、ホグワーツ高等尋問官殿が、カンニングには厳罰を、と繰り返しおっしゃっております。——よいですね。けして、してはなりませんよ」
マクゴナガルは教室を見回して、生徒一人一人の目を見て言った。
「では……試験まで、努力を怠らないように」
マクゴナガルはそう言って話を締めくくった。
ひたっすら勉強漬けの日々を送るのはなかなかに根気がいることだった。あと忍耐も想像以上に必要だった。ハリーはこの1週間ジニーとキスひとつしていない。寂しくてどうにかなりそうだった。だがどうにかなり『そう』で済んでいるハリーはまだマシなほうで、すでにどうにか『なっている』人もそれなりに見受けられた。
明らかに詐欺商品の『頭の回転が良くなる飲み薬』をダース単位で買ってその場で全部飲んで医務室送りにされた生徒や、就寝時、枕の下に教科書を入れて『睡眠学習だ!』と焦点の合わない目で叫んだ生徒や、何もかもを諦めて勉強もせずに荷物をまとめ始める生徒など、枚挙にいとまがなかった。
その中で、ハリーとロンはハーマイオニーにせっつかれながらもおかしくなることもなく勉強をやり切った。
おかしくなる生徒の数がピークに達した頃、ついに、時期が来る。ついに始まる。
——OWL試験の始まりだった。
ハリーの希望進路を考えると、『闇の魔術に対する防衛術』以外の科目は『不可』でない程度に取れていればそれでいいのは間違いなかった。もちろん成績は良ければ良いほど『先輩方』の覚えがよくなって、就職に有利なのは間違いない為、手を抜くような真似はしないが。だが、ハリーの意気込みは、そして全身全霊は『闇の魔術に対する防衛術』の試験一点に注ぎ込む気概だった。
それこそ、ハーマイオニーすら超えるつもりで試験に挑んだ。
筆記試験はかなり手応えがあった。どんな問題も淀みなく答えることができたし、あやふやな回答も極端に少ない。それだけではない。実技に至っては楽しいと思うことすらできた。
ボガードの退治も完璧にこなし、逆呪いも防御呪文もその他様々な呪文も一切のミスなくできた。なにせ、このホグワーツで経験してきた数々のピンチを思えば試験の緊張感なんてそこまで強いものではない。しかもハリーは数々の呪文を戦闘時でも使えるレベルで仕上げたのだ。完璧であって当然。ハリーはそれくらいの気持ちだった。
「ほう……これはこれは、噂以上……か」
魔法省からやってきている試験官が感心したように頷いた。
「ふむ、ふむ。ワシは今年、『闇の魔術に対する防衛術』の実技に置いて特別点を設けておってな。自分が『これぞ』と思う魔法を披露してくれれば、その出来如何によっては加点がある。まぁ……おまけのようなものだからの、失敗しても減点はなし。さぁ、やってみるといい」
「はい、先生」
ハリーは頷いて、サッと魔法を使う。予備動作を少なく。戦闘時にわざわざ意気込んだりする時間はない。出来るだけ短い時間で確実に発動させる。
「『エクスペクトパトローナム——守護霊よ来たれ!』」
ハリーの杖の先から銀色の牡鹿が現れ、ハリーの周りを素早く一周する。キョロキョロと忙しなく周囲を警戒する様はまるで本物の野生動物のよう。
「ほう、ほう! 素晴らしい。なるほどなるほど……。もうよろしい、ポッター!」
ハリーはサッと魔法を解除すると、一礼してから部屋を出た。
——一番気合を入れていた試験が終わった。
『闇の魔術に対する防衛術』の試験が終わると、ハリーの精神はどうしても気が緩まざるを得なかった。張り詰めていた糸が緩み、それまではある程度身に入っていた試験もどこか集中できなくなる。
天文学の実技試験の今なんかが顕著だと言えるだろう。夜の11時。雲ひとつない綺麗な夜空に星々が浮かんでおり、生徒たちは惑星や恒星などを必死になって書き込んでいる中、ハリーは若干眠くなっている目を擦りながら観測を続けるがどうにも集中できない。それどころか、ふと遥か下、玄関からふとランタンの灯りが5つほど森の方へと移動することの方が遥かに気になってしまった。
あっちは確か……ハグリッドの小屋がある方だ。
それに、ランタンを持つ影を率いているのはおそらく。
アンブリッジだ。
——1996年 6月 ハグリッドの小屋
カサンドラは乱暴に小屋の扉を叩き、家主を呼び出した。
「なんだこんな時間に……。カサンドラ? お前さんどうした?」
ハグリッドが驚くのも無理はない。彼女は普段の傭兵然とした格好ではなく、まるで隠者のように襤褸のローブを纏い、フードを目深にかぶっているのだ。背中にある弓がなければカサンドラだと気づきもしなかっただろう。
「挨拶は抜きだ。ヤツが動いた。森に逃げろ」
「なんだと? 何があった?」
カサンドラは首を振って、森に逃げろとさらに告げた。明らかに余裕がない。
「アンブリッジはお前を追い出すことにしたようだ。裁判もなしに追い出されるぞ。とにかく、ほとぼりが冷めるまで森で過ごせ。食料は持っていってやるから」
「いや……そ、それはできん」
「なぜだ? 森に逃れればお前を追うことなど誰にもできない」
「……その、今の俺は森に入れん。入った途端にケンタウロスの連中に射抜かれる」
カサンドラはハッとなった。後任の『占い学』教授がケンタウロスなのが不思議だったが、どうやらハグリッドが勧誘したらしい。そのせいでケンタウロスとの仲が険悪になったのだ。
——そうカサンドラは推測した。
「クソっ。とにかく、ケンタウロスの支配域に入らなきゃいい。そうだろう?」
「あ、ああ、だがお前さんどうしてそんなに急いで——」
「——ェヘン、ェヘン。困りますわね、カサンドラ」
カサンドラは背後から呼びかけられて、一瞬動きを止めた。観念したようにため息を吐くと、ゆっくりと振り返る。
「世間話にきたんだ」
「それは結構。どうにも逃亡計画が立てられていたようですが……聞き違いですわよね、カサンドラ」
「……そうだな。それで? 我らが偉大なる校長先生閣下。ここになんの御用で来たんだ?」
カサンドラが聞くと、アンブリッジは後ろに連れた魔法使いに目配せをする。
「もちろん、わたくしの学校にふさわしくない人材を解雇するためですわ」
「へぇ」
「つまりそこの半巨人……あなたですわ、ルビウス・ハグリッド」
「わかった、わかった……。クビなんだろ? ああ、せいせいする」
ハグリッドが小屋からのっしのっしと出る。全員が杖を構えてハグリッドに杖先を向けた。
「どういうつもりだお前さんら? 俺ぁこうして神妙にしとる」
「いいえ。凶暴な半巨人に万が一にでも暴れられたら困りますわ。残念ですが気絶してもらいます」
「待て。ハグリッドは罪を犯したわけでもない。それなのに気絶だと? 明確な人権侵害だ」
カサンドラが異議を唱えると、アンブリッジは馬鹿にするようにして笑う。
「罪を犯したわけでもない? カサンドラ、ご存知ないようですので言っておきますけれど、わたくし何も根拠もなく苛烈な対応をとるわけではありませんよ」
「——なんだと?」
アンブリッジはハグリッドを見る。心底見下した目だった。
「50年前に彼はアクロマンチュラを飼育していた罪で退学になり、杖を折られました。授業中の事故でヒッポグリフに生徒が怪我をさせられ……去年度は、違法な魔法生物の創造までやってのけた。逆に問いましょうカサンドラ。彼が教職に相応しいと思いますか?」
「いや、まぁ……。だから退職自体に異議を唱えてるわけじゃない。暴れてるわけでもないのに気絶させるのは理不尽だと言ってる」
カサンドラは諦めた様子でそう言った。カサンドラは誰にも言っていないが、余罪をひとつ知っている。ドラゴン騒ぎはカサンドラの記憶にもまだ新しい。友人が然るべきところから然るべき対応をされた場合そう強く抵抗できないしするべきでないことはカサンドラ自身がよく知っていた。
だがそれとこれとは話が別である。
「いいえ、ちがいます。凶暴な半巨人は、気絶させて連れて行きます。やってください!」
カサンドラは杖を振り上げた魔法使いの1人に肉薄すると、腕を掴んで捻り上げた。
「ぐっ」
「やめろと言ってる! ハグリッドもやめろ!」
ハッと視線をハグリッドに戻すと、彼は雄叫びを上げながら猛然と魔法使いに突っ込んでいっているところだった。丸太のような腕を振り回して、激しく抵抗している。一発二発と気絶魔法が当たるが、大して効いている様子もない。
「なっ! 抵抗しましたわね! みなさん、彼を捕まえるのです!」
「やれるもんならやってみろクソババァ!」
「ハグリッド! 大人しく……やめろ! やめろと言ってる——だろうが!」
カサンドラが魔法を使う1人に近づくと、思いっきり前蹴りを食らわせる。ハグリッドの威圧感に気圧され、彼しか見ていなかった魔法使いは横合いから蹴り飛ばされて真横に吹き飛び、木の幹に当たって動かなくなった。
「あ……」
やってしまった、というような表情をカサンドラが浮かべる。
「なっ……や、やりましたわねカサンドラ! あなたもクビです! あなたも出て行きなさい! わたくしに従わない従業員など、不要なのです!」
「あー……。そうか。まぁクビ、クビか」
カサンドラはポリポリと頬を掻いて、それからハグリッドを見た。ハグリッドは未だに魔法使いたちと格闘している。
「了解だ、アンブリッジ。私はこの時より警備員を解雇。速やかに出て行く。それでいいな?」
「ええ! 手早く荷物をまとめて——」
カサンドラは駆け出して、ハグリッドに魔法を放っている魔法使いを軒並み気絶させた。殴ったり、蹴ったり。大した労力ではなかった。
「さて、ハグリッド、仲良く揃ってクビになったわけだが、どうする?」
「な、なんてこと……ぜ、全滅?」
「どうするもこうするも! 俺はここから出ていったりせんぞ!」
「そういうわけにもいかないだろう。まぁ、潮時というヤツだ。行こう、ハグリッド」
「だが」
カサンドラは肩をすくめた。最近息苦しかった。アンブリッジの解雇通告はいっそのこと、カサンドラにとっても都合が良かったかもしれない。
「そうか。私は行くが……達者でな」
カサンドラはスタスタと校門の方に向かって歩き始める。
「——くそッ!」
ハグリッドも同じように森へと向かって駆け出した。闇に紛れてあっという間に見えなくなる。
「な、なんたることです! カサンドラ一体何が!」
すれ違うようにして、騒ぎを聞きつけたマクゴナガルがやってくる。
「ああ、マクゴナガル。たった今、ちょっとやらかしてな。クビになった」
「クビ!? アンブリッジ高等尋問官、カサンドラをクビとはどういうことです!?」
マクゴナガルはアンブリッジに詰め寄る。しかし、アンブリッジは飄々としていた。
「当然、私が連れてきた魔法省の役人に危害を加えたからですわ。異論があるなら、あなたも解雇致しましょうか?」
「……! しかし」
「もういいよ、マクゴナガル」
マクゴナガルがなおも言い募ろうとしたその時、当のカサンドラが抗議するのを制止した。
「なぜです!」
「正直、アンブリッジの下だとやりにくかった。退学だクビだだの、息苦しかったしな。ホント、残念だよ。契約の7年が終わるまでには、あんたをベッドに誘いたかったんだがな」
「カサンドラ、今は冗談を言っている時ではありません!」
カサンドラはあくまで平静だった。
「そんなに深刻なことか? 私はあくまで一時的な雇われで、ロンドンにいつでもいる。ま、困ったことがあったら、カサンドラ探偵事務所を思い出してくれ」
カサンドラはそう言うと踵を返し、スタスタとホグワーツから去って行く。
——そういや歩いてホグワーツから出るのは初めてだな。
カサンドラが警備員として最後に思ったのは、意外にもそんな、くだらないことだった。