——1996年 6月 ホグワーツ
何もかも元通りだった。結局のところ、誰も死なず、何も失われなかった。
カサンドラは校長室でダンブルドアと話をしていた。内容は……これからのことだ。
「——では、そのように」
「ああ。まぁ、上手くできるかどうかはわからんが……懸念はわかった。私が適任だろうな」
「うむ。では……ハリーのことじゃが」
「——戦わせるんだろ? あいつがヴォルデモートに殺意を抱いてることを利用して」
カサンドラが冷たく言うと、ダンブルドアは一瞬黙る。そしてゆっくりと、恐る恐る頷いた。
「そうじゃ。しかし、それは今ではないし……子供のうちでもない」
「ほう?」
「ワシは……ハリーが17歳になるまで待とうと思っておる。魔法界での成人年齢じゃよ。わかるかの?」
「わかった、わかったよ。成人してもそれでもなおあいつが戦うことを選ぶなら……その時は、その時だ」
カサンドラは子供が戦場に出ることを決して許しはしないだろう。しかし、成人していたとしたならば。そう考えたダンブルドアだったが、思いの外簡単に説得が終わったことに拍子抜けさえしていた。
「では、もう一つ頼むとしようかのう?」
「なんだ?」
「ハリーをどうか強くしてやってくれ」
「まぁ……そうなるだろうな。今のままじゃ戦いに出ても死ぬだけだ。だが一年かそこらでモノになるとも思わんぞ」
「そうかもしれぬ。じゃが、始めるのは早い方がよかろう?」
「——まぁな。だが、成人するまでは絶対にあいつは戦わせない。それが絶対条件だ」
「無論じゃ。ワシとて望むことではない」
ならいいが、とカサンドラが言う。
「——それで、そろそろ魔法省が本格的に動き始めたってことか?」
カサンドラはダンブルドアの机の上に置かれた新聞を見ながら言う。名誉回復の為か、ネガティヴキャンペーンの時以上のヨイショ記事が書かれている。ここまで露骨だと逆効果な気がしないでもない。
「うむ。正式にヴォルデモート……トムが蘇ったことを魔法省が認めた。故に、奴らももはや潜伏することなく大っぴらに行動してくるじゃろうな」
「……トム・マールヴォロ・リドル、ねぇ。まぁ、私がすることはひとつだ。ヤツを殺す」
「……そうじゃな」
ダンブルドアとカサンドラの話は、夜遅くまで続いた。
——
知っていたさ。
ああ、知っていた。いつかきっとこうなるって。
ルシウス——父親が捕まったと聞いてドラコ・マルフォイが一足早くホグワーツから家に帰ってみると、捕まったはずの父親が家にいて、その代償とでもいうように、お偉い闇の帝王が家に居着いていた。
「ルシウス……卑怯な逃亡者……抜け目ない我が下僕よ……。俺様を裏切れると思っていた愚かな男……」
「はっ、我が君……」
笑えてくる。
ドラコは、もはや父親がその声にほんのわずかな敬意も宿していないことに気付いていた。これならまだあの穢れた血相手に話している時の方が敬意がある。ドラコは胸中でつぶやいた。
まぁ、あの女は優秀だからな。
僕と違って。
ドラコは半ば諦めつつ、父とヴォルデモートの会話の推移を見守る。隣では母親がハラハラした様子でドラコの肩に手を置いていた。
……状況は最悪だった。ルシウスはカサンドラに睨まれて強制的にスパイにさせられ、そしてそれがヴォルデモートに、闇の帝王に露見した。一家共々今日までの命だろうな、とドラコはぼんやりと思う。死ぬのって痛くないんだろうか、なんてことも考えていた。『死の呪文』は一瞬だと言うし……。とにかく、ドラコは自分が生きて6年生になれるとは思っていなかった。
——だが、状況は彼の思っていたところとは全く違う流れを見せた。
「……お前は俺様が俺様でなくなっていると思っているだろう?
あの装置……確かに、アニムスはその危険がある……。だが俺様は偉大なるヴォルデモート卿だ。過去の人間に喰われたりはしない……。その証拠を一つ教えてやろう。
かつてアレクシオスはコスモスの門徒……つまり、今で言う我らが愛しき『死喰い人』たちのような者達だ……。その中に裏切り者が出てきた。アレクシオスはどうしたと思う? 奇しくも俺様と似たようなことをした。記憶を見て、裏切り者を見つけ出したのだ。今と全く同じ状況だ……」
実際、その時にアレクシオスはカサンドラを見つけ出した。お互いに不意の遭遇だった。
その時アレクシオスは全く違う人間を裏切り者として処刑したわけだが、ヴォルデモートはここでそのことを言ったりはしなかった。
「アレクシオスはその者を殺した。剣……いいや? 殴り殺したのだ」
跪いたルシウスがごくりと喉を鳴らした。復活直後ならいざ知らず、今のヴォルデモートは実際に人を殴り殺せるだけの力がある。特に鍛えたわけでもないのに、身体能力が跳ね上がっているのだ。不可思議だった。不可解だった。だが現実は、カサンドラがもう一人増えたようなものだった。そしてこっちの方は酷く乱暴ときている。
「しかし俺様はそうしない……。なぜなら俺様とアレクシオスは完全に別人だからだ。
俺様は寛大だ。そうだろう、ルシウス。許してやろうじゃないか。お前の今までの失態を、怠惰を。そして、恐るべき裏切りを」
「ありがとうございます、我が君」
ドラコは結局のところ、ヴォルデモートの脅威など知らない。ヴォルデモートがどれほどすごい人間かなんて少しも知らなかった。まさかカサンドラとダンブルドア、二人同時に戦って生き残るほど強いとは思っていなかったが。
「もちろん、もちろんだとも。許す、許してやるぞ、ルシウス。——ただし、条件がある」
そう言って、ヴォルデモートはドラコを見た。蛇のような赤い瞳が彼を射抜いた。
「我が君、どうか……」
「ふと……俺様はあの時とても気になったことがある。カサンドラは今も昔も子供を大事にしていた……。
そこで俺様は気になった……とても気になった。ルシウス、お前だって気になるはずだ。そうだろう? 生徒の親だろうと容易く殺すあの女は……はてさて、生徒自身が敵ならばどうするのか、とても気になるだろう? 殺すのか、はたまた理由をつけて許すのか……。
しかし、なんということだろうか、俺様にはホグワーツの生徒に手駒などいなかった。どうにもできないはずだった」
ここで、ヴォルデモートは一旦言葉を区切り、ドラコに近づく。そして、筋張った、骨と皮しかないような細長い指でドラコの頬を撫でた。ドラコは肌が泡つくような感覚を覚えた。肩に置かれた母のぬくもりだけが、唯一心の拠り所だった。
ヴォルデモートはさらに笑みを深くして大きく笑う。ドラコから離れて大仰にドラコを指さした。
「おお……。ルシウス! おお……なんということだ。今気付いたのだが、ルシウス……。俺様は名案を思い付いたぞ! カサンドラがどうするのか調べるのにうってつけの人材がここにいる!
愛しいわがしもべ、ルシウス・マルフォイよ。ちょうどここに、ホグワーツの生徒がいるじゃないか! ルシウス。我が忠実なるしもべよ。
——献上してくれるな?」
ドラコは目を閉じた。父の胸中は知らない。だが、自分の家に居座ろうとするちっぽけなご主人様相手に息子を売る姿を、見たくなかった。
「勿論ですとも、我が君」
カサンドラなら、僕相手でも殺すんだろうか。もしかしたらそっちの方が遥かに楽だったりするんだろうか。
ドラコは、それだけが気がかりだった。
——もう、世界は動き始めていた。何もかも、誰もかもを巻き込んで。
——1996年 6月 ホグワーツ
学年が終わる日になって、ハリーはようやく元気を取り戻した。ハグリッドも復職したしいいことづくめのはずなのに、しかし、家に帰る日が近づいてくるにつれ元気をなくしていくロンとジニー達に、ハリーは二人がしてくれたのと同じように励ました。
「ハグリッドは結局、あの弟をどうするんだろ?」
ホグワーツ特急のコンパートメント内で、ハリーが言った。結局、顔を見ただけでお世話をすることはなかったが彼の顛末は普通に気になった。
「今でもハグリッドが匿ってるらしいわよ。だいぶ落ち着いたみたいだけどね」
ハーマイオニーが憂鬱そうな顔をしながら答えた。ハグリッドの好き勝手は今に始まったことではない故、ハーマイオニーの表情を暗くしているのは別のことだ。
今日の朝、ハーマイオニーに『吠えメール』が届いたのだ。あのハーマイオニー・グレンジャーに吠えメールが来るなんて何事かとグリフィンドール中が注目したが、なんてことはない、2年生の時のロンと同じ、親からのお叱りの言葉であった。ハーマイオニーの親らしい大変理屈っぽいお叱りの言葉が大音声で談話室に響いたのは、おそらくしばらく語り草になるだろう。
「——家に帰るの……」
「本当に嫌だなぁ……」
「はぁ……」
ロン、ハリー、ハーマイオニー、ジニー、全員が揃ってため息をついた。ハリーは親に怒られることこそないが、普通に帰りたくなかった。
キングスクロス駅について、ハリー達に待っていたのは厳しい顔をした保護者達だった。
「あー、えっと、ごきげんよう、パパ、ママ?」
「機嫌ね、機嫌か……。残念ながら良くない。ハーマイオニー、君はもう少し賢いと思っていたんだけどね」
「うう……」
ハーマイオニーは項垂れながら両親に連れられていった。
「えっと、その、あー……」
「……お説教は後です。ここでは迷惑になりますからね」
モリーがお外だと迷惑になるようなほどお説教する気なのだと気付いて、ロンもジニーも深く絶望する。
それから、モリーはハリーの方をちらりと見た。
「ハリー、あなたはもう少しうちの娘のことを大事にしてくれると思ってたわ」
「——ごめんなさい、おばさん」
「もちろんうちの娘も悪いからこれ以上は言わないわ。——夏休み、元気に過ごせるようちょっとした催しをするつもりなの。さぁ、あのマグル達のところにお行きなさい」
最後の方はにこやかな表情になったかと思うと、モリーは憮然とした表情で佇むバーノンを指さした。
「……本当にごめんなさい、おばさん」
「いいのよ、もう」
ハリーは改めて謝罪すると、鬱々とした気持ちでバーノンに近づく。
「えらく落ち込んどるな、小僧? 今度は何をやらかした?」
せせら笑うような声でバーノンが言った。
「何。勇敢に行動しただけだとも、ミスター」
そのバーノンのすぐ後ろ、息が掛かるくらいの位置で誰かがそう言った。
「なんだきさ……きさ、貴様は!!!??」
バッと振り返って、バーノンは驚きに目を見開いた。完璧に整ったスーツに、ピカピカに磨かれた革靴。それにシミ一つ見当たらない白手袋をして、ハットまで被った絵に描いたような英国紳士がいた。
「し、しし、シリウス・ブラック!?」
「いかにも。私はシリウス・ブラック。ハリーの名付け親で……かつては、殺人鬼と呼ばれたこともある」
「シリウスおじさん! もう外に出てもいいの!?」
ハリーは喜色満面になってシリウスに駆け寄った。シリウスはハリーを抱き止めると、クシャクシャと頭を撫でた。
「もちろんさ。ダンブルドアがしれっとファッジに言い聞かせたらしい。ダンブルドアの指名手配のついでに、私の罪も冤罪だと認めさせたようだな」
「そんなこと……ダンブルドア先生は一言も言わなかったのに!」
ハリーは嬉しそうにしているが、シリウスは複雑だった。確かにダンブルドアが冤罪を晴らし、指名手配されなくなった。だがそれは無実が証明されたわけではない。半ばダンブルドアの言いなりになったファッジに付け入ったダンブルドアがなし崩し的に認めさせたのだ。そのことを知ったシリウスは、なんというか……ダンブルドアに対する印象が変わりそうになった。
だがまぁ、不満はない。こうして堂々とシリウスはハリーの名付け親として出迎えることができるのだから。少し気合を入れすぎているが、本人はそう思っていない。むしろ質のいいステッキを用意できなかったことを残念に思っているくらいだった。
「さて、ミスター。諸事情がありハリーをお宅に預けはする。だがな、わかってるな?」
「な、なにが、何がだ」
「もし、ハリーに無体な真似をするのならあなたはもっと魔法使いが嫌いになるような目に遭ってもらうということだ。あなたには私がジェームズの唯一無二の親友だといえば、何をするのかおおよそ推測できると思うのだが」
シリウスがそう言うと、バーノンは目に見えて顔を青ざめさせた。
「あ、あの男の……『親友』だと?」
「もちろん、腕のいい魔法使いでもある。ハリー、校長先生から『事情』は聞いたか?」
ハリーはそれが、守りの魔法の維持に関することだとすぐにわかった。
「うん」
「なら、少しだけ我慢だ。まぁ、いつでも私の家に遊びに来なさい。クリーチャー……は、使い物にならんから、私がお茶とお菓子を用意して待っているからね」
「シリウスおじさん、料理できるの?」
「もちろんだとも」
カサンドラに仕込まれたのだが、それをここでわざわざ言うことはなかった。
「……うん。ありがとう、シリウスおじさん」
「困ったことがあったらいつでも携帯電話に電話をかけてくるといい」
「携帯電話……? お、お前たちはその、『ま』のつくアレではないのか?」
バーノンが狼狽しているのを見て、シリウスは楽しそうにニヤリと笑った。
「電気はいい。使う人がマグルか魔法使いかを気にしたりしない。お前にできることは当然我々にもできる。では、失礼。くれぐれも、ハリーをよろしく」
シリウスはそう言って、優雅に踵を返して去って行った。そのあとバーノンがハリーに対して怯えたような目をしたことを見て、今年の夏は少しはマシになりそうだと、そう思った。
——スパルタの傭兵が訓練メニューを組んでいるなどと言うことを、夢にも思わず。
不死鳥の騎士団編、完結!
あとはこの小説も残すところあと2年分となりました。6年目は騎士団編にも増してオリジナル展開が増えていく予定です。
それでもいいという方は、どうぞ、これからもこの小説にお付き合いください。
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