――1996年10月 ホグズミード
ハリーはジニー達いつものメンバーと共にホグズミードを歩いていた。『3本の箒』で、作戦会議をした帰りだった。といっても、無言呪文で無理なら杖なし呪文で不意打ちすれば……なんて到底不可能な襲撃プランを練ったりしていたので、ほとんどごく普通の休日だったが。そろそろ別の店にでも行こうかというときに、『ホッグズ・ヘッド』の裏路地でガシャンガシャンと争い合うような音が聞こえたのだ。
「ジニー、ハーマイオニー、2人ともここにいて」
ハリーは右手のアサシンスタッフ(アサシンブレードにちなんでハリーが名付けた)から杖を出しながら路地裏に近づく。その腕をジニーが止めた。
「ハリー! お人好しすぎるわ、もし大人同士の喧嘩ならどうするのよ!」
「でも、みるだけだから」
「――でも!」
ジニーが尚も言い募ろうとした時、聞いたことのある声が一行の耳に届いた。
「いい度胸だなマンダンガス! 覚悟はいいな?」
カサンドラの声だった。物凄く怒っているらしい。よく聞き耳を立てると、情けない男の声もする。啜り泣いて命乞いする声だった。どっちの声も聞き覚えがある。ハリーの中から迷いが消えた。
「行こう!」
ハリー達は駆け出した。今度は誰も止めなかった。
ハリー達が裏路地に入ってすぐ、男がゴミ溜めに向かって真横に吹き飛ばされながら頭から突っ込んだ。あの現実離れした軌道にハリーは見覚えがある。カサンドラの凄まじい前蹴りの被害者があんな風にぶっ飛ぶ。
「きゃっ!」
ジニーが思わず悲鳴をあげて、ハリーが彼女を庇うように前に出た。
吹き飛ばされた男は辺りのものを吹き飛ばしながらゴミまみれになる。その男のそばまで怒りで顔を赤くしたカサンドラがズンズンと歩いてくる。
「マンダンガス……! 知っているか、古代じゃ盗みは重罪だ。指か? 腕か? 好きなのを選ぶがいい……! 選ばないと言うのなら両方斬り落としてやる」
「ま、待ってくれ、待っておくれカサンドラ! つ、つい、つい出来心だったんだよぅ、アレっきり、一回だけなんだよぉ!」
「ほお? シリウスから家から物がなくなるとしょっちゅう相談を受けてたのは何か? あいつの勘違いだってのか?」
「そ、そうだ、そうだよ! カサンドラ、仲間を疑うっていうのかい、お願いだよ、勘弁しておくれ……」
「その腐った指を斬り落としたら勘弁してやろうじゃないか。さあ、自分でやるんだ」
カラン、と乾いた金属音が路地裏にやけに響いた。
ハリー達は顔を見合わせる。今のカサンドラは近寄り難い。恐ろしいったりゃありゃしない。どうやって止めたものかと思っていると、路地の反対側からルーピンとトンクスが走ってやってきて、カサンドラの腕を掴んで止めた。
「カサンドラ、やめてやってくれ、こいつでも役に立つんだ」
「私の記憶が確かならこいつの仕事に指は要らないはずだ」
「リーマスこれマジだよ……? カサンドラ、『指なし』が諜報なんてできっこないよ! 落ち着いて!」
「なら爪だ! それならいいだろう? ペンチをもってきてやるから自分で剥ぐんだぞ」
ハリーは意を決して歩き出した。このままだとマンダンガスの爪剥ぎショーが開催されかねない。カサンドラはいつものメンバーと共に現れたハリーを見てポカンとする。
「ハリーか? どうした、こんな路地に……。彼女や友達を連れ込むような場所じゃないぞ」
「暴れる音が聞こえたんだよ。カサンドラ、マンダンガスの爪を剥ぐって本気?」
「私が剥ぐんじゃない。こいつが反省の意を示すために、自分で剥ぐんだ」
カサンドラが大真面目な表情で言うと、ハーマイオニーが顔を真っ青にした。
「カサンドラ本気? それ、ジャパニーズマフィアの『ケジメ』のやり方よね?」
「『ヤクザ』の落とし前はもう少し過激だぞ。――まぁ、お前らがいるなら派手なことはできんか……。マンダンガス、命拾いしたな。ハリーのおかげでお前の指も爪も無事にすみそうだ。これに懲りたらもっと組織に忠実になれ」
カサンドラが言うと、マンダンガスは大袈裟に跪いてペコペコと額を地面に擦り付けた。
「あ、ありがてぇありがてぇ! も、もう二度としない、誓う! だからどうか勘弁……!」
「わかったから失せろ!」
「へい! カサンドラの姉御!」
マンダンガスは跳ねるように立ち上がると、ぴゅーっと擬音がしそうな勢いで駆け出して、去っていった。
「……カサンドラ、過激だねー」
なんとかカサンドラの腕から手を離したトンクスがしみじみ言った。
「私は近年の司法には概ね満足しているが、窃盗の罰が軽くなったのだけは我慢ならん。――そういや、2人一緒だったのか?」
カサンドラが聞くと、2人は途端に――あるいはわかりやすく、動揺した。
「え、ああ、うん、まぁ、その、ええっと、そう! 作戦会議だよ、カサンドラ」
「そうだな、カサンドラ。作戦会議だ」
「ほう? そういえばこの辺にはカップル向けの連れ込み宿があった気がするのだが」
カサンドラがさらにツッコむと、2人の動揺は最高潮に達する。見ていられないとばかりに首を振ったハーマイオニーがカサンドラの隣まで歩いて言った。
「カサンドラ、下世話なこと聞いちゃ失礼よ」
「それはそうなんだがな。私はトンクスの友人だ。身を案じている気持ちもある。ルーピンは、女と軽い気持ちで付き合って、責任が取れる男なのか? ――収入的に」
「うぐっ」
カサンドラが言うとルーピンはうめいて、トンクスは顔を暗く俯かせる。その様子の変化をカサンドラは敏感に感じ取った。トンクスがぼそぼそと何かを言う。
「……ん……でも……」
「訳ありのようだな。よしお前ら」
カサンドラはハリーに2ガリオン金貨を手渡しながら言った。
「これで思いっきりみんなで飲み食いするといい。その代わり今すぐここから消えて、ここで見聞きしたことは忘れる。いいな?」
「え、でも……」
「ハリー! 2ガリオンだぞ? もう一回『3本の箒』に早く行こうぜ!」
躊躇うハリーの腕をロンが掴んでぐいぐいと引っ張る。
「ロン! ハリーに乱暴なことしちゃダメ!」
「ジニー、これくらい普通だって! それより2ガリオン分だぞ!?」
「2ガリオン2ガリオンって、みっともなく連呼しないでよ! 行こう、ハーマイオニー先輩!」
「ええ。その、カサンドラ。ルーピン先生に『ケジメ』とか……」
ハーマイオニーは心配そうに言った。
「それはルーピンがどれほどの真剣かにもよる。遊び半分なら……次会ったとき、ルーピンのパーツは『少なくなってる』かもしれんな」
「……お手柔らかにね」
「もちろんだ。ルーピンが誠実ならそれで済む話だ」
学生達が路地から去って、カサンドラは改めて2人を見る。暗く俯くトンクスに、顔を青を通り越して真っ白にするルーピン。2人の様子を見て、カサンドラはルーピンを改めて見る。
「ルーピン。ケジメはハサミか包丁か、どっちがいい? 考えておけ」
言いながら、3人は近くのバー、ホッグズ・ベッドに入っていった。
――
ホグズミードで最も寂れた酒場の片隅。カサンドラは腕を組んで隣り合って座る男女を見た。
「トンクス、何をそんなに暗い顔をする? 先程までのは冗談だ。無理矢理と言うわけではないんだろう?」
「それだけはありえない! 私が言い寄ったんだ」
カサンドラは不思議そうだった。
「なら何を憂う? 見る限り、軽い気持ちで受け入れられたかもしれんが……お前から言い寄ったなら、そういうこともあるだろうな」
「リーマスはそんな男じゃない! 私は結婚も考えてる。でも……。リーマスは、もっと素敵な男がいるなんて言うんだ」
「ほう?」
カサンドラが厳しめの視線を向けると、ルーピンはあたふたし始める。彼女の凶悪さは対ドラゴン戦でよく知っていた。あと、ルーピンが教師だった頃に見た前蹴りの威力もよく知っていた。
「カサンドラ、私の事情は知っていると思う。……だからこそ、幸せになんてできっこない」
「たかが病気だ。――トンクス、お前はそう思ってるんじゃないのか?」
「そうだよ! 私何度もそう言ってるのに!」
「――それは、子供がもし『遺伝』したとしても同じことが言えるのか?」
「言える! 当然でしょ!? だから、私を受け入れて……!」
「――すまない、トンクス。君と男女の付き合いをさせてもらっているのは……嬉しいが。君を一生幸せになんてできない」
トンクスはショックを受けたような顔をする。
「ふむ、なるほど」
カサンドラが感心したような声を上げる。
「見上げた覚悟だな。つまりお前はトンクスに最上の未来を用意してやりたいわけだ。素晴らしい仕事、素晴らしい夫、素晴らしい子供」
「……ああ」
「で……そいつはいつ用意できる?」
「――え?」
ルーピンがポカンとした顔をした。
「その素晴らしい夫と素晴らしい子供はいつ用意できる。女の旬は短い……クソっ、今の時代こういう言い回しは良くないのか? とにかく、随分と気の長い話だと思ってな」
「……それは……いつかは」
「ではトンクス。お前に取って素晴らしい旦那とは誰で、それはいつどこにいそうだ? 素晴らしい子供とは誰との間に授かった子供だ?」
カサンドラがトンクスに聞くと、彼女は顔を輝かせて言う。
「リーマスだよ。今、私の隣にいる!」
「答えははっきりした。ルーピン、お前は具体例を示せないが、トンクスは示せる。反論の材料があるなら聞こうじゃないか」
「私は……わかるだろう? 今では『騎士団』で食わせてもらっているが、この件が片付いたらまた職探しからだ。『例のあの人』についた人狼がどれほど脅威をまき散らすかで、就職のしやすさが変わってくるだろう」
「……グレイバックのクソ野郎をとっとと何とかしないと」
トンクスが絶望的な声で言った。そう、ルーピンを取り巻く環境の何が最悪かといえば、本人の評価が本人と全く関係のないところで左右されるという点だ。今はまだ表面化していないが、人狼が『死喰い人』と合流し猛威を振るうようになったら、いよいよもって善良な人狼たちは風評被害を免れない。
「グレイバック……何度か騎士団のメンバーが口にしている名前だな。どんな奴だ?」
「人狼であることを最大限悪用する最悪なサディストだよ。『子供が好き』で、本当にどうしようもない奴なんだよ」
「子供が好き、ねえ」
カサンドラは厳しい顔をする。その言葉には多くの意味が内包されている。犯罪組織の有名人が言う『子供好き』は……きっとそういう意味なのだろう。
「一応……建前みたいな理由もあるみたい。子供のうちに人狼にすれば、自分たちを頼らざるを得ないからって、つまり、将来の戦士を集めてるんだって」
「どちらにせよ、下衆な理由だ」
「そいつが大手を振って大暴れしたらリーマスの立場がどんどん悪くなるよ……」
「だから、トンクス……。私と一緒になるべきではないんだ」
「それとこれとは、別!」
トンクスは頑なだった。ルーピンも頑なである。両方が両方を想いあうが故に、こうしてすれ違っている。
「……結局のところ、トンクス。お前は本当にルーピンと一緒になっていいのか?」
「どういうこと? いいに決まってるよ」
「具体的にどうなるか考えたか?」
「え? ううんと……」
「例えば明日の食事を買う金もない、とか」
「私が養う! 何せ私、現職の『闇祓い』だからね!」
「――なら問題ないんじゃないか、ルーピン」
「ええっ!?」
ルーピンは雷に打たれたような顔をした。『説得してくれるんじゃなかったのか』みたいな表情である。
「確かに、ルーピンが主夫となってトンクスを支えれば、それはそれでうまくいくんじゃないのか?」
「ううむ……それは、そうかもしれないが……」
「なんだ、男のプライドか? それで愛する者とすれ違っていたら意味ないぞ」
「……確かにそうかも」
三人はそれからもしばらくこんこんと話し合った。
ホッグズ・ヘッドを出た三人は、そろそろ別れようかという話になっていた。その時、血相を変えたハリーがカサンドラのところに走ってきた。
「カサンドラ! ケイティが大変なんだ! 来て!」
「わかった、案内しろ!」
ハリーの案内でカサンドラ、ルーピン、トンクスの三人が走り出す。
「何があった?」
「わからない。呪いがかけられたみたいだったけど、周囲に魔法を使った人は居なかったし……」
「わかった!」
ケイティがどこにいるかを探すのは難しくなかった。ホグズミードの小さな小道に人だかりができているのだ。カサンドラは力づくでその集団をかき分けると、倒れて苦しそうに悶えている女子生徒、ケイティ・ベルを発見した。
「ちっ。ルーピン、トンクス、ここは任せた。私はダンブルドアを呼ぶ」
「ダンブルドアを? どうして?」
「ここから一番近い医療設備はホグワーツの医務室だ」
カサンドラは再び人だかりから離れると、人気のないところにさっと移動する。懐から携帯電話を取り出すと、ダンブルドアの番号にかけた。
「ダンブルドアか?」
『どうかしたのかの?』
「ホグズミードで生徒が何者かに呪いをかけられた。早急に対処が要る。あんたに医務室まで送ってほしい」
『了解じゃ。すぐに『姿現し』するでな、今どこにいるのか教えておくれ』
「ああ、ここは――」
カサンドラは現在地にある店や看板などをダンブルドアに伝える。すると、すぐ隣でバシン、と割と大きい音がして、ダンブルドアが現れた。
「さすがは最強の魔法使い」
「その名で呼ばれてうれしいと思ったのはこれが初めてかもしれん」
会話少なく、二人は颯爽とケイティが倒れている現場まで向かう。ダンブルドアが来るや否や、人混みがザっと割れて、ダンブルドアに道を開けた。
「呪いの品の影響じゃな。マダム・ポンフリーに見せればすぐよくなるじゃろう。カサンドラ、済まぬが、聞き込みをしてはもらえんかのう?」
「任された。……まあ、正確性は保証しないが」
「ワシはお主を信じとるよ」
再びバシン、と音がして、ダンブルドアとケイティが消えた。カサンドラは周囲を見回す。ケイティが倒れていた地面のすぐそばに、ぐしょぬれになっている茶色の紙包みが落ちている。
「これは――」
破れた包みは中身が少しだけ見えている。緑色にほんのり光る何かだった。
「『緑色の光』……ねぇ。これは重要そうだな」
カサンドラはさらに紙包みを注意深く見る。キレイな装飾がなされたオパールのネックレスがわずかに見える。
「アクセサリー……呪いの品か? 誰か、これを知っている者はいるか?」
カサンドラが周囲の人間を見回しながら聞くと、一人の女子生徒がおずおずと手を挙げた。
「カサンドラ先生……。私、それ、知ってます」
「リーアンか。話してくれ」
「私とケイティは『3本の箒』でおしゃべりしてたんだけど……トイレに行って、帰ってきたら様子が変で、その紙包みを持っていたんです」
「なるほど。様子が変だったと。何か言っていたか?」
『服従の呪文』あたりだろうな。そう推測しながらカサンドラが聞くと、女子生徒……リーアンは頷いた。
「はい、先生。ホグワーツの誰か……誰かまでは言わなかったけど、それを驚かす物だって言ってたわ」
「ずいぶん過激な悪戯グッズみたいだな」
「ええ、そうです、だから私『そんなのおかしい、あなたへんよ』って言ったんです、それで私紙包みをひったくろうとして……そうしたら、包みが破れて、中身がほんの少し……ああっ、きっと、ケイティはそれに触っちゃったのよ!」
カサンドラは首を振る。
「気にするな。お前の行いは勇気あるものだった。校長先生が対応している。ケイティはきっとよくなるさ。さあ、今日はもう学校に帰るといい」
「はい、先生。――お見舞いって、行けるようになりますか?」
「きっとな。だが今は何とも言えん」
「……ありがとうございます」
リーアンはぺこりと頭を下げて、学校へと戻っていった。カサンドラは頷くと、トンクスの方を向いた。
「プロのご意見を伺おうじゃないか」
「カサンドラ、これぜーったい触っちゃだめだからね。宙吊りにされて磔にされたみたいな恰好でおかしくなって死んじゃうから」
「なんだと? ケイティは無事なのか?」
トンクスは顔をしかめたまま、ゆっくりと首を振った。
「どこまで接触したかわからないから何とも言えないかな。これを首にかけたら絶対に助からない。でも指先とかがちょこっと触るくらいなら……まぁ、ダンブルドア先生ならなんとかできると思う」
トンクスの断言に、カサンドラは安堵のため息をついた。
「……全く。呪いの品だと? しかも、品自体はケイティが持ってたらしいな。どうにも不可解だ」
「これはウチで預かっとくね。これだけ『ヤバい』品がホグワーツの生徒を襲ったとなれば……『闇祓い』の職務範囲内だから」
「わかった」
トンクスは懐から何やら分厚い布を取り出すと、慎重に紙包みを拾い上げ、厳重に包んで、それからひもでぐるぐる巻きにした。
「じゃあカサンドラ、仕事ができたから私はこれで」
「ああ。調査結果は私か……あるいは、ダンブルドアに頼む」
「了解。……まあ、上から許可出たら、っていう大前提があるけどね」
「もちろんだ」
トンクスはネックレスを持って、ホグズミードから去っていった。
「……呪い、か。わからんな」
誰かを殺したかったのだろうか。しかしなぜケイティを介したのだろうか? ホグワーツの『誰か』……。それが誰なのかはともかく、関わる人間が増えれば計画の確実性が減るというのに、どうしてわざわざ迂遠な手を使ったのだろうか?
――あるいは。
もしかしたら、そんな基本的な原則すら知らないようなずぶの素人が企てた計画だったりするのだろうか。
カサンドラは、ホグワーツに忍び寄る悪意を感じ取っていた。