ハリー・ポッター護送作戦
——1997年 7月 プリベット通り
ハリーは自分の部屋で最後の時を過ごしていた。後もうしばらくすれば成人になる。そうすれば亡き母の守りは消えて……ここに留まる理由は何一つなくなる。このクソッタレな家からも、嫌味ったらしいダーズリー家からも、永遠にオサラバというわけだ。清々しい。
荷造りはとっくに終わっている。出発の日はどうしよう。誕生日になった0時きっかりに家を出よう。それがいい。
「ハリー!!」
下の階からバーノンが呼ぶ声がする。ハリーは立ち上がるとヘドウィグの喉を撫でて、それから部屋を出る。
「どうしたの、おじさん」
「どうしたもこうしたもあるか! この女をなんとかしろ!」
「この女……?」
ハリーは階段を降りて、その女性を見た。スーツを着てマグルっぽくなった(彼女は元々マグルだが)カサンドラだった。
「カサンドラ? 何かあったの?」
「ああ。ヤツがお前に襲撃をかけてくる。早急に移動するぞ。——あなたたちもだ、ダーズリー」
「なんだと? ワシはここから動かんぞ! どこにもいかん!」
「なら好きにしろ。ああ、そうだ。お前ら、入る墓はもう決めてあるか?」
「……なんだと?」
「ないなら私が手配してやる。知らん仲でもないしな。——よし、行くぞハリー」
あっさりとダーズリーを切り捨てたカサンドラに、ハリーは戸惑う。
「ちょ、ちょっと、カサンドラ、連れていかないの?」
「説得の時間が惜しい。潜伏先でぎゃーぎゃー騒がれるのも面倒だし、大人しく死んでくれるんならそれでいいだろ?」
「待って、待って! ——え、えっと、どこに行くのさ?」
「それは教えられない。こいつらが拷問された時に喋られても困る。——ああ、そうだバーノン。魔法使いは夢のような魔法が使えてな。苦痛だけを与える魔法を使えるんだ。お手軽に、爪10枚剥がすよりも強い苦痛だ。まぁ誰も助けに来ないからせいぜい苦しんで死ね」
カサンドラは扉を開けて、外に停めてある大型の車に向かう。
「ま、待て!」
その背に、バーノンが声をかけた。
「なんだ? どうせ後ちょっとで死ぬ人間と話すことなどないんだが」
「そ、その、事情が変わったんだ! 私の家に誰かが押し入ってくるなど知っていれば悪態なぞつかん!」
「ならいいんだが。さあ、奥さんと息子を呼んでこい」
カサンドラが言うと、バーノンは奥に引っ込んで、妻と息子を呼びに行った。
「……なんとも過激な手段じゃのう」
車の影から、何人もの人間が出てくる。その中で最も高齢な男性、ダンブルドアが驚いたように言った。
「リーマス、本当にすっごいよね! あの人頑固そうなのに、あっという間に説得しちゃった」
「ニンフィ、念のために言っておくけどアレは説得じゃなくて、脅迫というんだよ」
みすぼらしい男、リーマスと、派手な髪の色の若い女、ニンファドーラが出てくる。二人の薬指には、揃いの指輪がはめてあった。
「全く! ワシは今からでも作戦の変更を提案する! 手分けして移動するのが最善だろうが」
「ムーディ。コソ泥の意見を大真面目に聞くなんてどうした? 冷静に考えろ。寡兵をさらに分けてどうする? それとも何か、ここにいる人間じゃ押し寄せるチンピラもどきに対抗できませんってか?」
「そうは言っておらん! リスク分散の話をしておる!」
「分散してるように見えるだけさ。ハリーを守る人間は一人でも多い方がいい」
「ムーディ。決まったことを蒸し返すのは感心せんのう」
ダンブルドアがマッドアイ・ムーディに言うと、彼は恥いるように顔を背けた。
「……すまん。だが空すら飛ばんというのが不安で仕方ないのだ」
「……どういうこと?」
「——連れてきたぞ!」
ハリーが質問するのと同時、家族を連れたバーノンが車の前にやってきた。
「よし、乗れ。いいか、中にいるグレンジャー夫妻はお前と同じ『まとも』な人間だ。わかるな? いざこざを起こすなら放り出すぞ」
「わかった! わかっておる!」
ガチャリ、と分厚いドアが開いて、バーノンは中に入った。
「おや、これはこれは。ご無沙汰しております……」
「あなたは……たしか、ポッターくんの保護者の……」
「ええ! 全く、このようなことに巻き込まれて、お互い大変ですなぁ」
にこやかに世間話を始めたバーノンを、信じられないような目で見るハリー。ペチュニア、ダドリーが車に乗り込む。
「ハリー、お前、隣に乗れよ」
ダドリーが言った。
「僕、やることあるから」
「何をやるんだ? 逃げるだけだろ?」
「違うよ。助手席で、カサンドラのお手伝い」
「——お前も子供だろ?」
「まぁね。でもまぁ、僕にはもう、力があるから」
「大いなる力には大いなる責任が伴うってやつか? 現実はアメリカン・コミックじゃないんだぞ? 大人しく隠れとけよ」
ハリーを気遣うようなダドリーの言い方に、ハリーはなんだかおかしくなった。
「僕がやりたいからそうしてるだけさ。経験積まないといけないし」
「——お前去年からどうしたんだよ?」
「やることがあるんだ。幸せのために」
「……そっか」
ダドリーはそれっきり、何も言おうとはしない。
「ハリー、お前はダドリーと一緒に車に乗ってくれ。助手席には私が座る」
「え? カサンドラが運転するんじゃ無いの?」
「ああ。さあ、早く乗れ」
「うん。……なんか、締まらないね、ダドリー」
「お前が誰かとやり合うなんかよりよっぽどいいさ」
ダドリーが信じられないことを言って、ハリーが目を見開いた。
「……え?」
「俺だっていつまでも子供じゃない。パパが変に頑固なだけってことくらい気付く」
「……ダドリー」
「俺の中の真実は、去年、目に見えない化け物から守ってくれた。それだけだ」
ダドリーは車に乗り込みながら、照れ臭そうに言った。
「ほら、乗れよ」
「う、うん」
なんだか、ダドリーの隣も悪くなさそうだ。ハリーが頷いて車に乗り込むと、カサンドラの周りに騎士団員がぞろぞろと集まってくる。
「では……改めて、最後の確認じゃ。カサンドラは車でブラック邸まで向かう。その間に『死喰い人』の襲撃が予想されるが、全て撃退する。車の運転はマグルで、荒事にも慣れていない、メネラオス殿がするのでな。近づけさせるのも避けるのじゃ」
「任せろ。後部ミラーに映しすらしない」
「なんとも心強いの。では皆のもの! 襲撃に備えよ!」
大人の魔法使いたちが箒に跨り、空に消えていった。
——
運転席にはハーマイオニーの父親、メネラオスが座っていた。
「最新のナビを付けてる。迷うことは無いと思う」
「いやぁ、実に不思議ですね。ナビですらわからなかったのに、ええっと、ダンブルドア先生から羊皮紙を見せられた途端に目的地がわかるようになった!」
「『忠誠の術』だ。いつでもいいぞ」
「ええ、任せてください。私としても、娘に記憶を消されるわけにはいかないのでね」
メネラオスが言うと、後部座席にいる一人の少女、ハーマイオニーが顔を赤くして俯かせた。
「その、ええ、ごめんなさい、パパ、ママ」
「まったく。他人の記憶をどうこうしようなんて、烏滸がましいにも程がある。ホグワーツでは悪戯ばかりを教えるようですね」
「まぁ……否定はしないが」
メネラオスは愚痴りながら車を発進させる。しばらく走っていると、助手席に置いてある無線に連絡が入った。
『カサンドラ、来たぞ』
「数は?」
『いっぱい、じゃのう』
「了解した」
カサンドラは通信を終わると、車のドアに備え付けられているカバンから、凄まじく大きな重火器を手に取った。
「カサンドラ!? 何する気!?」
ハリーが悲鳴をあげる。
「古代からのシンプルな理屈を教育してやるだけだ。『殺しに来るなら、殺してやる』ってな」
「こ、ここにはバーノンおじさんも、ハーマイオニーのパパとママもいるんだよ!?」
「余計にだ。それに、バーノン。朗報だ」
「な、なんだ!?」
「私は『ま』のつくアレを一切使わない。お前が大好きな『まとも』な対応だろう?」
バーノンが苦虫を噛み潰したような顔で黙りこくった。
——
ハリー確保に襲撃に来た『死喰い人』は……この戦争が始まってからずっとのことだが、苦戦を強いられていた。
元々ハリーが何人にも分身して、別れて逃げると聞いていたのに、いざ来てみればハリーは車に乗って悠々と移動している。そして、『死喰い人』にとって強固な鉄板で守られたハリーや、車の中にいる人間を攻撃する手段はほとんどなかった。
それだけでも鬱陶しいのに、護衛として騎士団の精鋭が『死喰い人』討伐、逮捕に飛び回っている。状況は不利。
「クソッタレ! ダンブルドアがここにいるなんて……!」
「ここにおらず、どこにいるべきだと思うんじゃ?」
ダンブルドアの魔法で箒から叩き落とされた『死喰い人』は、地面に激突する寸前、ダンブルドアの魔法によって一命を取り留めた。後々、闇祓いが逮捕に来るだろう。
「クソッ! だが護衛をやればあとはもうマグルしか乗ってない車だけだ!」
「それは甘い考えじゃ」
「なんだと——」
パァン、と、その『死喰い人』の上半身が弾けた。頭から胸元までを消失させ、血の雨を降らせながら落下していく。衝撃で吹き飛んだ臓物を空に撒きながら、下半身だけが箒に乗ったまま落ちていく。
「な、何がっ!? え? ジュディス——」
もう一つ、パァンと音がして血の花が咲いた。
ダンブルドアの隣に、ムーディがやってくる。
「何が起こっとる?」
「カサンドラの狙撃じゃよ。数日前に『検知不可能拡大呪文』をかけたカバンを持ってアメリカに渡ってのう。しこたま……そう、しこたま買い込んだようじゃのう」
「……あいつの授業でやったという、『銃』というやつか?」
「ワシはびっくりじゃ。アサルトライフルや拳銃でも恐ろしく悍ましく思ったものじゃが……それより上があったとはのう」
ダンブルドアは冷や汗をかきながら、それでも油断なく空を警戒していた。
「かさ、かさ、カサンドラ!!? い、一体それ何!?」
「ハーマイオニー! 『マグル学』の課外授業だ! いいか、こいつはアンチマテリアルライフル……アメリカ製のM82、狙撃に使われる銃だ!」
「『対』! 『物』! カサンドラが狙ってるの本当に物かしら!?」
「もちろんだ! 当たって弾けたんだからモノだろう?」
「私知ってるわ! 本で読んだもの! それ、人に向けて撃っちゃダメなんでしょ!?」
「ハーグ陸戦条約のこと言ってるのか? 奴らは軍人でもなければ陸にいるわけでも無いぞ!」
「ああ、もう!! パパ! なんとか言ってよ!」
「奴らはこの車を狙っているんですよね?」
「ああ。わらわらやってくるぞ」
メネラオスは若干顔を青くしながら聞く。カサンドラの答えに、メネラオスはある種の覚悟を決めた。
——『死喰い人』のことは聞かされている。本物の悪の魔法使い。もし、もし、万が一。万が一あいつらが生き延びたら。次に狙われて、尊厳を辱められて殺されるのは、妻と娘かもしれない。そして、それを防ぐ手立てを、メネラオスは何一つ持っていない。もし襲われたら震えて隠れたり逃げたりすることしかできない。ひょっとしたら、魔法でそれすらできなくされるかもしれない。
それを考えると、メネラオスの回答はたった一つだ。
「——そうですか。ハーマイオニー、あれは軍人でもなければ陸にいるわけでも無いよ」
「冗談でしょ!?」
「事実だろう? とにかくカサンドラさん。守りは任せましたよ」
「任せろ。お前は運転に集中しろ」
「ええ」
カサンドラは助手席から身を乗り出すと、再び50口径の銃弾を『死喰い人』にブチ当てた。血の花が咲き、雨となって地上に降り注ぐ。
しかし、発砲音は皆無。
「素晴らしいな。音を消す魔法がこれほど便利だとは思わなかった。見てみろ、すれ違う通行人、撮影か何かだと思ってるぞ」
実際に血の花を咲かせているのは、車から遥か300メートルは遠く離れている。まさか音もしない重火器によって空を飛ぶ人が撃ち落とされているなんて、マグルには想像もつかないだろう。
「それはいいですね。ならず者と警察、いっぺんに追われるなんてまっぴらですから」
——
「——ひぃ、ひいいっ!! 『インペディメンタ——妨害せよ!』『プロテゴ——盾よ!』あ——」
「だ、ダンブルドア先生! な、なんで、なんでこんなことを! わ、我々を皆殺しにするつもりですか!?」
絶望だった。
計画だと既に車に近づいているはずなのに、未だに車は遥か遠く。米粒より小さく見える。騎士団の強大な魔法使いたちを相手にすると思っていたのに、現実は違う。どこからともなく見えない攻撃が絶え間なくやってきて、『死喰い人』が血の霧と共にバラバラになって地面に降っていくのだ。悪夢としか思えない。次は誰だ。誰が『ああ』なる。隣の『死喰い人』が恐怖に発狂し、背を向けて逃げ出した。——次の瞬間、彼は二度と恐怖を感じずに済むようになった。
「異なことを聞く。お主らは戦争をしておるのじゃろう? まさかワシが、いつ何時でも誰に対しても『校長先生』のままでいると思っているわけではあるまい?」
「そんな、そんな! でも、こんな……! 我々は一体何をされているんですか!」
「それはきっと……いつか誰か、お主以外の誰かが、調べてくれるとよいのう」
「どうして俺は、どうしてこんなこと——」
血の花がまた一輪。彼はついに杖を振ることすらしなかった。
「ダンブルドア先生! ほ、本当にカサンドラってあそこから撃ってるの? 銃ってそんなに遠くに届くものなの?」
ある程度片付いたと感じたニンファドーラ・ルーピンがダンブルドアのそばに飛んできた。
「600メートルは軽いそうじゃよ」
「ろっ!? ……普通飛んでる相手は撃ちにくいと思うんだけどなぁ」
「そこは、彼女の腕のなせる技ということじゃろうなぁ。——皆のもの、警戒を密に。勝っている時こそ、気を緩めてはならん」
「了解!」
騎士団の活躍、そしてカサンドラの狙撃もあって、一行は誰一人欠けることなく、ブラック邸にたどり着くことに成功した。
——1997年 7月 マルフォイ邸
「失敗したか」
——ハリーへの襲撃から数日後。
当主が座る席に、当然のように座っているヴォルデモートが隣のスネイプに聞いた。
「——そのようですな」
「マグルの兵器……。『銃』か」
ヴォルデモートは片手で剣を弄びながら言う。
「我が愛しいセブルス……。騎士団は強大に思える。お前の情報は正確なのだろうが……しかし、真実では無い」
「どのような意味でございましょうか」
「騎士団の頭脳、そして戦力の大部分はダンブルドアとカサンドラが担っている……。この剣や、弓と『銃』も同じだ。そこらの子供や……あるいは、他の騎士団の連中にカサンドラの武器を持たせたところでカサンドラと同じ結果が出せるはずもない。
だが、だからこそ注意せねばならん……。お人好しで人を信じるダンブルドアと違い、カサンドラはどちらかというと俺様や、愛しき家族……『死喰い人』に近い。セブルス……知っているか? 古代、ギリシャだ……。アレクシオスは戦場でついにカサンドラを捕まえることに成功した。これで勝った。コスモスの門徒はもう安心だ。そうクレオンは思ったようだが、事実は違う。その時点でもはやコスモスの門徒の主たる幹部はアレクシオスとクレオンしか残っていなかった」
「……ご主人様。確かコスモスの門徒の幹部は50人近くいて、ギリシャ中に散らばっていたと記憶しておりますが」
スネイプは冷や汗をかきながら聞いた。冗談だろうと。嘘であるはずだと。
「そうだ。だが、皆殺しにされた。ヤツは狡猾だ。わずかな証拠から幹部の居場所を特定し、確実に消す。セブルス。お前は決して、カサンドラにだけは疑われるな。確信を持たれたその瞬間が、お前の最期だと思え」
「——お心遣い、感謝いたします」
スネイプは大仰に跪き、深く頭を下げた。
「——俺様は忠実なる者を愛する。愚かで、恥知らずのルシウスはもはや俺様の手が届かないところに逃げてしまった。しかし、いつかかならずダンブルドアの手を取ったことを後悔させる。俺様がイギリスを支配し、大陸に手を伸ばすその時……その時が、あの一家の最後だ」
「……その時は、吾輩もお供いたしましょう」
「ふん。どこまでもついてくるがいい、愛しいセブルスよ」
ヴォルデモートは骨張った指でスネイプの頭を撫でる。
「……奴らがどこにいるか、それを知ったところで、『忠誠の術』で守られている以上手出しはできん。しかし、奴らは大事なことを忘れている……。今この瞬間、奴らの居場所には足手纏いのマグルが5人もいて、そいつらの警備に人を割かざるを得ない……」
「仰る通りです。そして、ポッターの保護者はあまりにも愚かです」
——あんな人間たちとずっと過ごしていたのかと、スネイプがハリーに同情しかけるほどには、酷い連中であった。
「しかし、ダンブルドアもカサンドラも、今の居場所から離れて何かをすることはできない。
つまり、だ。
——今の魔法省は……ガラ空きというわけだな」
ヴォルデモートは勝利を確信して、ニヤリと笑った。