――1992年10月 ホグワーツ大広間前廊下、ミセス・ノリス『殺猫事件』現場
「すまぬが、アーガス。ミセス・ノリスを調べてもよろしいかな。必要なことなのじゃよ」
「……わかりました、校長先生」
ダンブルドアは杖を取り出し、くまなく猫の遺体を調べる。カサンドラは周囲を観察する。
「……水溜まりか」
ハリーたちを見ると、服は乾いていて、髪の毛も濡れた様子はない。
「水場は……この近くにはないな。これは本当にただの水か?」
ピカピカに磨かれたホグワーツの廊下にできた水溜まりをのぞき込む。カサンドラの顔がくっきりと見える。手を近づけてみるが、襲い掛かってくるようなことはない。どうやらおそらく、この水はただの水らしい。ならば、周囲に水飲み場があるわけでもないここでなぜ水が? 辿ってみると、角を曲がってすぐのところにトイレがあった。水たまりと水滴は女子トイレに続いている。三階の女子トイレ。幽霊が出るとかなんとか、微笑ましいうわさがあるトイレだった。
「実行犯は女か?」
カサンドラは血文字が書かれた壁をじっと見る。文字の端はすでに乾き始めている。ちらりと脇目でミセス・ノリスの様子を確認すると、ダンブルドアが鼻先を猫の毛先に当たりそうなほど近付け何やらを見ている。カサンドラが見る限り血がついているようには見えない。
キョロキョロとカサンドラは周囲を見回すが、血塗れで捨てられている小動物もしくは人間は見受けられない。
「なにかの血を使った。だが周囲に血痕がない。別の場所で血を絞ったのか……?」
再び血文字に視線を向ける。流麗な文字だ。だが奇妙な点がある。
「血で書かれている。……この文字の感じからすると指で書いたな。文字の端が小さく二本であることから人差し指と中指で書いた。それにしては線の太さが細い。……子供?」
じろり、とカサンドラは三人を見る。
「僕らじゃないよ、カサンドラ!」
「手を見せてくれるか」
「うん」
三人は素直に両手をカサンドラの前に突き出した。
「ありがとう」
ハリー達が書いたんじゃない。カサンドラはお礼を言うと、壁から離れて周囲を観察する。廊下の角を曲がったすぐそば、人目につかないところに足場になりそうな木箱があった。持ってみると軽い。
「これを踏み台にしたか」
あらかた調査が終わったカサンドラは、ほう、と安堵の息を吐いたダンブルドアのそばによる。
「何かわかったか」
「おお、カサンドラ。そちらも何かわかったようじゃな。まずは朗報じゃ。アーガス。ミセス・ノリスは死んではおらん」
はっ、とノリスの遺体を抱きしめて泣いていたフィルチが顔を上げた。
「ほ、本当なんですか校長先生!」
「こんなことで嘘は吐かんよ。石になっただけじゃ」
「い、石に?」
驚くアーガスの前に、後から来たであろうロックハートが、堂々と宣言した。
「校長、私は知っています!それは『異形変身拷問』の魔術でしょう! その場にいればこの私が! 猫を守ってやれたのに! しかし、ご安心ください。著書にもある通り、私はこの魔法が使われた事件をすでに解決した実績があります! とある村で蔓延していたこの魔術を、魔除けを配ることによって解決に導いたのです」
「その『異形変身拷問』かどうかはともかく。大事なのはミセス・ノリスを回復させる手段があり、それは時間がかかるとは言え、ホグワーツだけで行うことができるということじゃよ、アーガス」
フィルチは祈るようにダンブルドアのローブに縋り付く。
「そ、それはどうやって? 私が手伝えることですか? なんでもやります、できることなら!」
「アーガス、そのような覚悟を決めるような事態ではないのじゃ。安心するといい。スプラウト先生が授業のためにマンドラゴラの苗を大量に仕入れておっての。時期が来れば石化を解く魔法薬を作れるじゃろう。手伝えることといえば、そうじゃなぁ、苗の植え替えくらいかの」
「やります、ぜひやりますとも!」
リスクなく猫を助けられることに感激したフィルチは、今度は嬉し泣きをし始めた。
「石化解除の魔法薬なら、何個作ったか覚えていないほどです。ミスターフィルチ、私にどうか任せてください!」
「ロックハート先生。このホグワーツで魔法薬の教授をしているのは、私のようですが」
スネイプがロックハートに厳しい視線を向けると、彼は肩を竦めた。
「それは失礼」
ダンブルドアは縋るフィルチの背を慰めるように撫でながら、カサンドラに視線を向けた。
「それで、調査の結果を聞かせてはくれんかのう?」
「ああ。まず、私はミセス・ノリスを石にしたやつと、血文字を書いたやつが同一人物かは判断ができなかった」
「ふむ。なぜかな」
「確実に言えるのは血文字を書いたのは子供だ。ハリー達くらいの年の子供だ」
その場にいる教員の目が、ハリー達に向く。慌てて、ハリー達は口々に身の潔白を主張する。
「ハリー達じゃない。――まあ、洗浄呪文だったか? あれを使えるなら話は別だが」
「ハーマイオニーなら使えるでしょう」
マクゴナガルが言った。彼ら三人の表情が絶望に包まれる。まさか優秀であることが仇になるとは。
「続けるぞ。血文字はどこかで絞られた血に指を浸して書かれた。文字の線が細い。それに近くに足場になりそうな箱が無造作に置かれていた。水たまりは近くの女子トイレに続いているから、おそらくは女子生徒。周囲の状況から判断できるのはそこまでだ」
ダンブルドアはうむ、うむ、と何度か頷いた。
「ならば、実行犯と血文字は別人じゃろうな」
「なぜです!」
ばっとフィルチは頭を上げると立ち上がり、ハリーにつかつかと駆け寄る。カサンドラが慌てて間に入る。
「カサンドラ! 騙されるな、奴はどうしようもないやつなんだ! ヤツがやった! 私の猫を石にしたんだ!」
「落ち着いてくれ、フィルチ。この場はダンブルドアが取り仕切ってる。沙汰を待つべきだ」
「――だがな! クソ、忌々しい、ポッターめ! 罰則をくれてやるからな、二度と、悪戯のいの字すら頭をよぎらんように、私の中で最も苛烈で、残酷な罰則を!」
肩で息をしながら怒鳴り続けるフィルチの肩を、ダンブルドアがそっと掴んだ。
「アーガス。ハリーが出来ることではないよ。性格ではなく、実力としてという意味じゃ。ワシでも解けない石化――それはつまり、闇の魔術によるものじゃ」
「な――でも! あいつには理由がある!」
「理由? そんなの、僕にはない!」
ハリーはダンブルドアに駆け寄って無実を訴える。
「黙れ! 貴様、私をゆするつもりだろう、これも、警告のつもりだろう! 私が今後、お前に余計なことをすればお前をこうすると! 全てをバラすと! そういう意味なんだろう!」
「僕は、何も! 僕はあなたの秘密なんて知らない!」
「嘘をつくな! お前は知ってる! 知ってて、知らないふりをしてるんだ! 校長、ヤツには動機があるんだ。ヤツは――」
フィルチは息を飲んで、まるでその言葉を口に出すのがとても恐ろしいことのように、絞り出すように言った。
「私が『スクイブ』だと、知ってるんだ」
「知らない……僕、フィルチがスクイブなんて知らない! それに、僕はスクイブが何かなんて少しも知らないんだ!」
「黙れ! 貴様、私がクイックスペルを購入したことを知っていたではないか! 楽しげに、まるでおもちゃを見つけた時のガキみたいな顔で私のクイックスペルを、見てたじゃあないか……」
「あれは、その」
「しかし」
ハリーが口籠った時、カサンドラの近くで陰気な声が響いた。黒ローブの陰気な男、スネイプだ。
「たしかに、彼らが怪しいのは事実……。それは揺るがしようがない。しかし、彼らがただここに居合わせてしまったという可能性は……あるでしょうな」
ロンとハリーはお互い顔を見合わせた。あのスネイプが、ハリーに味方するようなことを言うなんて!
「だろうな。ただ、話は聞かせてもらったほうがいいな」
カサンドラは三人に向き直る。
「三人はハロウィンの時何処にいたんだ?」
「絶命日パーティに参加してたの。その、ほとんど首なしニックに誘われたの」
「ほとんど首なしニック? そんな妙ちきりんな名前のゴーストがホグワーツにいて……お前らをパーティに誘ったのか?」
「ええ。それで、ここに来たらその、猫が」
「なるほどな。人影を見たり、音を聞いたりは?」
「その、僕」
「『
「ならば」
スネイプは陰気な顔を嗜虐の表情に歪ませて言った。
「なぜ、すぐ大広間にいらっしゃらなかったのですかな」
「その、僕らずっとゴーストのパーティに参加してました」
ロンの言い訳を、スネイプは鼻で笑う。
「腐った食べ物しか出てこないパーティでかね? 私なら、ごめん被るが」
「その、お腹がいっぱいで」
ハリーがそう言ったのと同時、三人のお腹が空腹を知らせるようにゴロゴロと鳴った。
「……随分と食べ盛りのようで。校長先生。たしかに彼らに不運があったことは認めましょう。しかし、真実を隠していることもまた、事実。この件が終わるまで念のため、ポッターには、そう、クィディッチ選手から外し、いつでも調査に応じられるようにせねば」
「セブルス!」
マクゴナガルが悲鳴を上げた。
「ミセス・ノリスが箒の柄で頭を殴られたのならまだしも、今回の件にクィディッチは無関係です! ほんの、少しも!」
「調査を万全にするためだと申し上げました。つまり、クィディッチが事件に関わっているかはどうでもよろしい」
「
スネイプはじいっと、ハリーの目を見つめた。
「決まっています。早急に事態を収めないことには、危険だからです」
「しかし」
「セブルス」
ダンブルドアが静かに告げる。
「疑わしきは罰せず、じゃよ」
「……左様ですか」
「うむ。左様じゃ。さて、三人も協力してもらったようですまんの。ただ、ここで見聞きしたことは……あまり言いふらさんほうが、良いじゃろうな」
はい先生、と三人は声を揃えていった。
――1992年11月 ホグワーツ
ハロウィンが終わったその日から、ホグワーツは秘密の部屋のことで持ちきりとなった。これに辟易したのがハリー達三人で、迷惑を被っているのがカサンドラだ。
「カサンドラ。少し聞きたいことがあるんだがいいかな」
「セドリック、ダメだ。いいか、何度も言うが。私はこの城については一つも知らないし、職員会議で城の伝説について会議していることもない。秘密の部屋はあくまで、伝説だ」
「そうなのか。仕事中にごめん」
全くだ、とカサンドラはため息をつきつつハッフルパフのセドリック・ディゴリーと別れる。カサンドラはさっきのやり取りと同じことを会う生徒会う生徒全員としなければならなかった。面倒くさいことこの上ない。流石にスリザリンの生徒が聞いてくることはなかったが、今のカサンドラにとってそれこそが救いだった。猫石化事件からしばらくたったが、ダンブルドアはカサンドラに秘密の部屋を見つけろとも継承者を探せとも言わなかった。ただ普段通りに勤めてくれと、そう言ったのだ。
だが、生徒たちは興味のあることに全力だ。ホグワーツの秘密と危険という要素が、生徒たちへの興味をこれでもかと引き付けていたのだ。そして、気安く話しかけられる職員、つまりカサンドラは生徒たちの質問を一手に引き受ける事態になったのだ。
「これ今日仕事になるのか……」
結果から言えば、ノーだった。
一方のハリー達も苦労した。カサンドラと同じように当日のことを聞かれるのならまだいい方で、酷いのになるとどういうわけかハリーがスリザリンの継承者だと言う人まで出てきたのだ。
ハリーの授業合間の休憩時間はもはや休憩ではなく、質問に答える時間と化していた。それも、バカの一つ覚えみたいに同じ質問をされて、同じように質問に答えるだけの、最悪な時間だ。だからハリーは本を枕にしても怒り出したりしないビンズの授業が少しだけ好きになった。相変わらず魔法界の歴史に興味はないが。
「――で、あるからして、この法令は成立しました。さて、今日はこれまで」
黒板に書き込むのをやめ、ビンズは生徒たちに向き直った。すると、いつもはあくびを噛み殺して出ていく生徒たちが見えるはずなのに、今は立ち上がり、天を突かんばかりに手を挙げるハーマイオニーが見えた。
「……おや、なんでしょうか」
「ビンズ先生。ホグワーツの歴史について教えてください。つまり、秘密の部屋について」
ハーマイオニーの質問に、ビンズはため息をついた。つまり、『またか』というため息だ。
「いいでしょう。
「では、歴代校長が見つけることができなかったというのは……」
「ハーマイオニー。歴代校長はみんな優秀な魔法使いです。ですが、どんな魔法使いにだって、存在しないものを探し出すことはできないのですよ」
ハーマイオニーはしぶしぶ、分かりましたと言って座った。ビンズは何百回聞かれても同じことを返すだろう。ホグワーツ教師の公式見解というのは、つまりそういう事だった。
――1992年11月 グリフィンドール談話室
ハリーは魔法史の宿題をやる傍らで、頭では全然違うことを考えていた。事件からこっち全然一人の時間が取れないせいでストレスがすごいことになっていたのだが、ロンとジニーの二人と一緒に同じテーブルでおしゃべりしながら宿題をやると、傷ついた精神が回復する様な気持ちになった。ジニーはハリーに憧れているが、コリンのように実害があるわけではない。ストレートな好意に、ハリーもついついジニーには甘くなってしまう。
「ねえロン、その、フィルチが言ってたスクイブってなんなの?」
「ああ、そういえば、そうだった……あはは。笑えるね。いや、笑っちゃダメなんだよ、ジニー。スクイブってのは魔法使いの家に生まれたのに……つまり、純血魔法使いなのに魔法が使えない、魔力がない人のことを言うんだよ。まあ、物凄く馬鹿にされる。なるほど、だよ。フィルチは生徒がうらやましくてしかたなかったんだ。ついでに石にしてもらえばよかったのに」
「お兄ちゃん!」
ジニーが悲鳴のような声を上げる。
「ごめんごめん。でも全く。宿題の多さはやんなるよ。ジニー、心配しなくてもホグワーツでこんなこと、そう滅多にあるもんじゃないよ」
「そ、そうなの?」
「ああ。――でも、去年はトロールが襲撃してきてハーマイオニーが死にかけたかな」
「ひっ」
「安心しろよ。ちゃんとそのトロールはカサンドラが一瞬で始末したから。トイレが一面ペンキぶちまけたみたいに血みどろになったけど」
「そんな話しないで! お兄ちゃん嫌い!」
ジニーは耳をふさいでしまった。ロンはにやけた笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「ロン、いじわるしたら可哀そうだよ。……あれ、ハーマイオニー何してるんだろ」
「しらないよ。あいつ魔法史の宿題に羊皮紙140センチも書いたんだぞ? 100センチでよかったのに。しかもあの本、さっきの授業の前に読んでた本とは別の本じゃないか。どんだけ読むの早いんだ?」
ロンが驚愕していると、ハーマイオニーが本を閉じてつかつかと歩いてきた。
「『ホグワーツの歴史』が軒並み貸し出されてたから、別の方面からアプローチしなきゃいけなくなったわ。本当に大変。でも先生たちみんなが秘密の部屋を『伝説』だと思っているのは収穫だったわ」
「何が? 存在を否定してるんだぞ? つまんないの」
いいえ、とハーマイオニーは首を振った。
「『どんな高所から飛び降りても無傷で地に降り立ち、投擲した槍のすぐそばに瞬きする間にたどり着く。常に付き従うワシと視界を共有し、どんな秘匿をも容易く見破る目を持つ』」
「……なんだよそれ?」
「ヘロドトスが書いた『鷲の傭兵』の描写の一つよ。古代ギリシャの伝説の傭兵について語った一節ね」
「それがどうしたんだよ。その傭兵と一緒で、秘密の部屋も存在しないって言いたいのか?」
「逆よ」
ハーマイオニーは断言した。
「伝説は必ず、元になった存在があるはずよ。現に鷲の傭兵はモデルとなった人がいた。……カサンドラよ」
「え。ああー、そういえばあの人、ものすごく長生きしてるんだったっけ……。じゃあカサンドラに聞いてみろよ。さっきのこと全部できますか、って」
「聞いたわ。間違ったことは一つも書いてないそうよ」
ロンは目を見開く。それが本当ならカサンドラはホグワーツの尖塔から飛び降りてもけろっとしているし、瞬間移動できるし、透視もできることになる。
「おったまげー。でもカサンドラならロックハートみたいにホラ吹いてるとは思わないよ」
「ロックハート
「
「もういいわ! とにかく、秘密の部屋そのものはなくとも、そう呼ばれるに値する何か、もしくは部屋があるのはおそらく間違いないわ。ホグワーツ城に関する研究をまとめた本を20冊、ホグワーツの見取り図を年代別に比較した本を10冊、教室以外の特別な機能がある部屋について書かれた本を5冊読んだけど、少なくとも50年前、秘密の部屋が開かれて、その部屋に封じられた何かがマグル生まれを一人、殺害してるわ」
「ハーマイオニー、正気? みんなが『ホグワーツの歴史』で済ましている中、35冊も本を読んだの?」
ロンが別種族を見るような目でハーマイオニーを見た。
「当然よ。でも不思議なの。どんな高名な研究家も、秘密の部屋の存在には触れていても、そこへ探究心が向いてないの。妙じゃない? ホグワーツの水はけの良さのいいところをミリ単位で比較する様な研究者が、『秘密の部屋は存在するかもしれないが、現在まで確認はされていない』の一文で済ますのよ?」
「しらないよ。スリザリンがなんか変な呪いでもかけたんだろ」
冗談交じりにロンは言うが、ハーマイオニーは簡単には受け取らなかった。今のハーマイオニーは研究家モードらしい。最近はロックハートに入れ込んでいたハーマイオニーしか見ていなかったハリーにとって、ようやく普段の彼女が戻ってきたような気分になった。
「じゃあさ、呪いがあるのか確かめてみよう」
ハリーは提案する。
「どうやって?」
「簡単だよ。僕らで秘密の部屋を見つける。途中でやる気がなくなったら、スリザリンが変な呪いをかけたんだ」
ロンは宿題の羊皮紙を脇に置いて、楽しそうに笑った。
「よし、乗った。じゃあ、事件の現場に行こう。きっと何か見つかるかも」
三人の気分は、名探偵になったかのようだった。
ウィッチャー3とかでもそうですが、探偵気分を味わえるのは本当にワクワクしますね。