――1992年11月 ホグワーツ医務室
ハリーは夜中に目を覚ました。壁にかかっている時計に目をやると、最後に眠ってから30分も経ってない。最悪だ。ハリーは心中でこぼす。医務室に連れてこられたハリーはベッドに連行されたあと、腕を板やら包帯やらでぐるぐる巻きにされて固定され、この世のものとは思えないような味をした魔法薬を飲まされた。ポンフリーによると、ただの骨折なら今夜にでも寮のベッドで眠れているはずだったのだ。それなのにあのへっぽこ魔法使いに骨を抜かれたことで、治療の難易度が無駄に上がってしまったのだ。その結果今日と明日は魔法薬が骨を生やす痛みに呻き続けなければならなくなった。痛みと疲労でぼんやりとした中、ハリーはロックハートへの恨みを募らせる。
カサンドラにボコボコにしてもらうか、それともダンブルドアに追い出してもらおうか。そんな無意味なことを考えながら時計の針を睨んでいると、ゆらり、とそばの空間が歪んだような感覚がした。この感覚には覚えがある。先生たちが瞬間移動の魔法を使うときとは違う、おそらくかなり高度な魔法。誰が移動してきたんだ? とハリーは周囲を探る。きょろきょろとしていると、ふと視界の下の方の端にしわくちゃな禿頭が映った。頭をベッドわきに向けると、そこにはボロボロの麻服を身にまとい、ぎょろぎょろとした目を涙目にしたエルフ耳の
「ドビー?」
ハリーはその屋敷しもべ妖精と面識があった。ホグワーツに来る前にダーズリー家におけるハリーの立場を最低から『どん底』に叩き落してくれた存在である。はっきり言って好感度は最悪である。ハリーは苦労して上体を起こすと、ドビーの顔をしっかりと見る。怯えたような顔がなんとも哀愁を漂わせる。
「ハリー・ポッター! なぜホグワーツにいらっしゃったのですか……ドビーめは警告いたしました! ホグワーツは危険だと」
「でも、行かないわけにもいかないよ。そうでしょ?」
「いいえ、ハリー・ポッター。あなたは列車へ通じる道が使えなかった時点であきらめるべきでした」
「そんなこと言われても。なんとかなったし、もし『あんな』方法使わなくったって、先生が迎えに来てくれるん……待って、なんでドビー、
ハリーが詰問すると、ドビーはあわあわと動揺したように全身を振るわせる。そして、近くにあった燭台を手にとると、何度も何度も自分の頭に打ち付けた。ごつん、ごつんと結構いい音がする。
「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」
ハリーはこのままいつまで続けるのか観察してやろうかなんてちらっと思ったが、すぐに思いなおす。
「ドビー、もうやめて。痛いでしょ?」
「ああ、ハリー! ハリー・ポッターはやはりお優しくあらせられる! 我らの希望、偉大なるハリー!」
ドビーは燭台をもとの場所に戻すと、感極まっておいおいと泣き始めた。その姿は去年の末、狂乱してヴォルデモートへの忠誠を叫ぶクィレルの姿にダブって見えた。
「それで、どうしてそんなことをしたの?」
「ああ、ハリー・ポッター……。ホグワーツに危険が迫っています。今も、なお。大いなる陰謀なのです」
「でも僕は帰らないよ。だって、ここが家だ」
「いいえ、絶対に帰っていただきます! 万が一にでも、ハリー・ポッターがここで殺されるわけにはいかないのです。……今回はもう少しでした。ドビーのブラッジャーがもう少しでうまくやれたのです」
「ドビー、君ブラッジャーを僕にけしかけたの?」
ハリーはいらいらしながら聞いた。もしかしてあれなのだろうか。これは脅迫なのだろうか。帰らないなら殺すぞ、という。
「はい、大けがをして家に帰ってしまうほうが遥かにましだと思ったのです。しかしドビーはその罰として自分の指にアイロンをかけなければなりませんでした」
「
ハリーが聞くと、ドビーは飛び上がって震え上がった。
「ドビーがハリー・ポッターを殺す!? なぜそんなことを思われたのか! ドビーめはハリー・ポッターを助けたいのです! 夜明けをもたらした英雄の手助けをしたいだけなのです」
「
「とんでもありません! ああ、ハリー・ポッターがドビーにお礼を言った!」
ハリーは頭が痛くなった。どうすればこの奇妙な生き物から『もうハリーには関わりません』という言葉を引き出すことができるのか。それともひょっとして、屋敷しもべ妖精とはしたいこととしでかすことが一致しない、そんな種族なのだろうか。
「ねえ、ドビー。僕はそんなに偉い人じゃないよ。去年だって見てるだけしかできなかったし、赤ちゃんの時だってそうだよ」
とにかく、謙遜でもなんでもして、ドビーから身を守らないと、ダーズリー家に死体になって帰ることになりかねない。
「とんでもありません!」
ドビーはヒステリックに叫んだ。キーキー声が耳につく。
「あの時代、暗黒の時代我々屋敷しもべ妖精の扱いはひどいものでした。魔法界の奴隷だからです! 魔法の練習台にされたり、戯れに蹴られたり、殺された者もおります。そうした闇の時代を終わらせた英雄、ハリー・ポッター!」
このまま叙事詩でも謡いだしそうな様子のドビーは、さらに言い募る。
「そのハリー・ポッターが危険なホグワーツにいる! それはとても、とてもよくないことです。大いなる闇の陰謀、『秘密の部屋』が再び開かれてしまった! ……なのでドビーはこれからも、ハリー・ポッターがホグワーツから出て家に帰りたくなるように
「秘密の部屋が、開く? やっぱり、
ドビーは顔色を変えて、今度は土下座するように床に蹲り、硬い床に額をぶつけ始める。
「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!!」
がつん、がつん、という音に少しだけ水っぽい音が混じり始める。どうやら額から若干出血し始めたようだ。
「ドビー、答えて!」
「聞かないでくださいまし、ハリー・ポッター! どうか、この卑しい魔法界のクズに何もお聞きにならないでください!」
ああ、ああ! とドビーは叫びながらさらに額を打ち付ける。ハリーはそれでも頑なだった。
「そうはいかないよ。友達が危険かもしれないんだ。継承者はマグル生まれを狙ってる。ハーマイオニーが危険なんだ」
「なんという!」
ばっと、ドビーは顔を上げてハリーに詰め寄った。
「なんと高潔なお心でしょうか! その心が魔法使いに夜明けをもたらしたのです! しかし、しかし、ハリー・ポッターは家に帰らなくてはなりません。危険なのです!」
「ドビー。僕は今イライラしてる。絞め殺されたくなかったら、全部喋って」
「ハリー・ポッター。私が殺すと脅されることが初めてだとお考えですか? 昨日なんて5回は脅されました! ご主人様に『邪魔をしていないか』と疑われたからです」
「……もしかしてドビー、君、継承者に仕えてるの!?」
ドビーは飛び上がってハリーから離れた。
「いけません、ハリー・ポッター! ドビーは何も知らない、知らないのです! いいですか、必ず、ドビーはハリー・ポッターを家に帰してみせます! 英雄は守らなければならないのです!」
そのとき、はっとドビーは医務室の入り口のほうに顔を向けた。
「いいですか、必ずです!」
パチン、とドビーが指を鳴らすと、まるで霞か何かのように彼の姿は消えてしまった。
「……ああ、もう」
ハリーは悪態をついて、ベッドに体を預けた。
……秘密の部屋があるのは間違いない。それがかつて一度開けられたことがあるのも。そして、ドビーが今回の継承者に仕えてることも分かった。
だけど、それで分かったのは秘密の部屋が実在することがはっきりしただけだ。場所も、入り方も、何がいるのかも、まるでわからない。屋敷しもべ妖精に狙われてるなんて誰に相談しても無駄なんじゃないか。だってドビーはどこにでも現れるし、どこからでも消えることができる。そんな存在からどうやって、身を守ればいいんだろうか。
……とにかく、明日からどうやって調査しようか。そんなことを考えていると医務室の扉が開いた音がした。
「……なんたることです」
「こうなることだけは、避けたかったのじゃが……」
ダンブルドアとマクゴナガルの声が聞こえる。
「まさか、クリービーが石にされるなんて……」
「落ち着くのじゃ、ミネルバ。石化は解ける。そうじゃろう?」
「しかし。これで秘密の部屋も、その部屋に潜む怪物も否定できなくなりました」
「それは……そうじゃが」
コリンが? 石にされた? どさり、とつい立てを挟んだ向こうでベッドに何かが置かれる音がした。それがコリンだって言うのだろうか。
「校長先生。もしかしたらクリービーが怪物の写真を撮っているかもしれません」
「そうじゃな。見てみよう」
ぼん、と小さな爆発音がして、それからさらさらと砂がこぼれるような音がした。
「溶けて砂になっておる……」
「つまり、これはどういうことですか?」
「つまり、恐ろしい事が起こっておるという事じゃ……」
ダンブルドアも、マクゴナガルでもわからない事態が起こっている。ハリーは強く危機感を募らせる。早くポリジュース薬を完成させて、マルフォイから真実を聞かないと。
ハリーは使命感に燃えていた。
――1992年12月 ホグワーツ校長室
カサンドラはイライラした様子でダンブルドアから話を聞いていた。というのも、口だけ魔法使いにハリーが入院させられたその日の夜、カサンドラが寝た後にコリンが出歩き、石にされてしまったのだ。こっそりとハリーの見舞いに行き、あわよくば写真とサインをねだろうとしていたに違いない。
生徒に犠牲が出た。にも関わらず、授業は未だ続いている。カサンドラにはそれが信じられなかった。事情を聞いても、いまだに納得はできていない。
「それで、用件は? 生徒を家に帰すというのなら最高なんだがな」
「カサンドラ。それはできぬと言ったじゃろう」
カサンドラは何かを言おうとして、嘆息するに留めた。
ホグワーツはよほどのことがないと授業を取りやめないし、生徒を家に返さない。
理由はいくつかある。
「……やるせないな」
「うむ。ワシとて心苦しい」
まず、ホグワーツがイギリス唯一の魔法学校であることが一つ。つまりホグワーツでどれほどの成績を収めたかが魔法界で働くにおいてかなりのウエイトを占めており、もしまだ年明けも終わっていないような時期に授業全てが取りやめなんてことになると、路頭に迷う生徒が山ほど出る可能性があるのだ。特に、重要な試験を控えている5年生と7年生にとってしてみれば、一回の授業ですら重要だろう。
次に、ダンブルドア信仰が一つ。皮肉にも、どんな危機的状況に陥ってもダンブルドアがなんとかするだろう、という信仰が足を引っ張っているのだ。家に帰してもダンブルドアが弱腰になっただの、判断ミスだの言われてより致命的な状況になるのは目に見えている。
最後に、秘密の部屋は存在しないと主張していたことが理由として挙げられる。教師達は当然のことカサンドラすら秘密の部屋に関しては全く知らない、存在しないと生徒に言い続けてきた。――そしてそれは今も変わらない。石化程度では、創始者が放った怪物がうろついていると主張するには弱いのだ。前回はマグル生まれが一人亡くなっているのに、今回はなぜ石化止まりなのか? その疑問に明確な答えが出せない限り、年に数回は悪戯で石化させられる生徒が出てくるようなホグワーツが真に危険だと、判断できないのだ。もしかしたらこれが壮大な悪戯である、その可能性が否定できない。
「正直に話してほしいんだが、本当に秘密の部屋はないのか?」
「正直に、のう。あるかないかと言えばあるかもしれぬ、としか言えぬ。ワシとて見つけたわけではない」
「そいつは妙な話だ。あんたは校長だろう?」
「ホグワーツは何もかもを生徒と教師に見せたりはせんよ。カサンドラはおそらく気づいておらんじゃろうが、この城には無数に魔法と呪いがかかっておる」
「そうなのか?」
「うむ。千年もの間どんな天才も見つけられなかった部屋……。ワシは、探求することそのものに資格がいるのではないかと考えておる」
「つまり、秘密の部屋は継承者にしか探せないし開けられない、と」
うむ、とダンブルドアは言った。カサンドラは腕を組んで悩み始めた。
「ホグワーツには不思議な部屋が山ほどある。ゆうに20の特殊な部屋を見つけた研究者が、秘密の部屋については『おそらく存在する可能性が示唆されている』で締めくくるのじゃ。――妙じゃろう?」
カサンドラは頷く。
「たしかに、な。こんなにも生徒達がいるっていうのに、秘密の部屋を探そうってやつは1人もいない」
いや、とカサンドラは首を振った。
「どうしたのじゃ?」
「いや、1組だけ今も秘密の部屋を探してるやつがいる」
「まさか」
「ああ。ハリー達だ。秘密の部屋ってあるの? とはよく聞かれたが――『入り口っぽいところは知らない?』と聞かれたのはハリーが最初で最後だ」
思い返せば変である。ここの生徒達が、先生が『知らない』と言ってるだけで諦めるだろうか? それはないだろう。なにせ小さな一年生のハリーたちでさえケルベロスが守っているお宝が何かを突き止めずにはいられなかったのだ。好奇心と悪戯心が満載されたホグワーツ生がそれっぽいところに杖を向けて魔法をかけまくる事態が起こっていない時点で、何かがあるというのは間違いない。
「なんと、ではハリーが資格を?」
「わからん。――とにかく、秘密の部屋に関しては進展なしか。それで、改めて聞くが、用件はなんだ?」
もうこれ以上新しい情報はないと考えたカサンドラは話題を元に戻す。
「おお、そうじゃったな。簡単じゃよ」
ダンブルドアは指をひゅん、とわずかに振った。するとダンブルドアの背後に丸まった大きい羊皮紙が現れた。パッとそれは広がると、掲示板に貼られた時のように内容をカサンドラに見せた。
「んー、決闘クラブ? そういや去年ハリーが決闘するだなんだとドラコに騙されてたな」
思い返すと微笑ましい。
「ほっほっほ。決闘騒ぎは毎年の恒例行事のようなものじゃよ」
「それで、これはなんなんだ?」
「少なくとも生徒に危険があるのは間違いない。少しでも生徒達に守る力をつけてほしい故、我々教師が彼らに決闘の作法を教えようかと思っての」
ふーん、とカサンドラは羊皮紙を上から下まで見る。そして、一気に苦い顔になる。
「ダンブルドア、講師欄にギルデロイの名があるのは何かの冗談か?」
「実力はともかく、彼は生徒のために決闘クラブを主催することに決めた。そこは評価してやれんかのう」
カサンドラは頷かなかった。たしかにロックハートは悪い奴ではない。だが教師としての才能は皆無で、実力は全く名声に釣り合っていないのだ。
「まぁ、生徒思いなのは認めるよ。ただ、なぁ……」
無能な働き者は殺すしかないと言われるほど、熱意『だけ』の存在は扱いにくいのだ。実際に腕を砕かれたハリーの症状が悪化したことを見てしまった以上、カサンドラがロックハートの魔法を認めることはないだろう。
「カサンドラは不測の事態が起こった時のため、そして実践的な決闘のアドバイザーとして参加してほしいのじゃ」
「アドバイザー?」
「そうじゃ。この魔法界で最も戦闘の経験があるのは間違いなくお主じゃ。ワシよりも、ヴォルデモートよりもな」
「それは認めるが、正直『決闘』なんてお上品な戦い方をしたことなんてほとんどないぞ?」
「そうは思えんがの? 確か……そう、コロセウムのチャンピオンになったこともあると『鷲の傭兵』にはあったと思うんじゃが」
ああ、あれか、とカサンドラは頷く。
「挑戦者に武器を持った人間が襲い掛かる殺し合いなだけだぞ、アレ」
「……そうじゃったのか」
どうやらダンブルドアはお互いに一礼して行儀よく決闘して勝敗を決める、なんて光景を想像していたようだ。
「そんなもんだ、昔の競技なんて。オリンピックくらいか。今の価値観でも通用しそうなのって」
「お、おお、そうか。それで、アドバイザーの件、引き受けてもらえるかの?」
カサンドラは笑顔で頷いた。
「わかった。つまり、取っ組み合いを始めたら引き離せばいいんだな。で、質問されたら答えると」
「その通りじゃ。頼むぞ、カサンドラ。なにせ助手がセブルスなのでな」
カサンドラは黙りこくった。それは何かの冗談なのだろうか。ロックハートとスネイプが仲が悪いのはもはや常識だ。生徒たちなんてスネイプの前でロックハートの話をしたら減点されるとびくびくするくらいである。
「なあダンブルドア。多分最初にお手本かデモンストレーションをすると思うんだが……。その後、ギルデロイはちゃんと生きてるんだよな? その、両手両足がついた状態で」
「ワシは……セブルスを信じておるよ」
ダンブルドアは断言しなかった。つまり、彼自身物凄く不安に思っていることに間違いない。
ホントかよ、とカサンドラはため息をついた。始まる前にから決闘クラブには暗雲が立ち込めていた。
ハリー、超塩対応。やむなしですね。