――1992年12月 スリザリン談話室
冷たい印象を受ける談話室だった。グリフィンドールのシンボルカラーである赤とオレンジに塗れたグリフィンドール談話室と違って、スリザリンの談話室は無機質な、しかし上品な調度品が整然と誂えられている。暖炉の前に雑然と並んでいるグリフィンドールとは違い、ソファの一つ一つにも丁寧に配置がなされている。ハリーとロンが思い描く、『貴族のリビング』をそっくりそのまま再現したかのようである。ホンモノの貴族は飾らないとでも言うように、一目見て『豪華だ』と思うような調度品はない。だが、ハリーたちは知る由もないが。談話室を照らすシャンデリアには本物のクリスタルが無数に散りばめられているし、ソファも本革の最高級品である。監督生が使う執務机に至っては紫檀である。食器棚には名工が手掛けた、緻密な彫刻が彫られているし、食器も金の縁取りがなされたものに加えて、白磁の食器もある。男子寮と女子寮を行き来するための扉はシックな黒がとてもオシャレである。全体的に色調は暗めだが、だからこそ天井のシャンデリアや、暖炉の火の赤が強調されて、上品な高級さを醸し出している。
「2人とも座れよ」
机に雑然と置かれた魔法界のお菓子をとって、マルフォイはソファに腰掛ける。高級品で固められたスリザリンの談話室は、机の上のお菓子だけが大衆品だった。よく見てみると袋菓子の中には日本語が書かれたものもある。『meiji』……『
「ほら」
マルフォイは蛙チョコを2人に投げ渡す。気やすい友達にフレッドやジョージがやるような事をあのマルフォイがやるということに、2人は違和感を拭えない。マルフォイの顔も穏やかで、つっけんどんな顔しか見たことがない二人にとって新鮮なんてものじゃなかった。
「例年なら家でクリスマスパーティーの準備をしているところだってのに……。全てはあのウィーズリーのせいだ」
そこまで言うと、マルフォイはせせら笑う。
「にしても、あのウィーズリーもいい息子を持ったもんだな。法律違反の空飛ぶ車を追いかけてみれば、自分の息子ときた! 奴の顔が髪の毛とおんなじくらい赤くなってたと父上がおっしゃっていたよ。僕もホグワーツに入ってから父上からお褒めの言葉はいただいていないが……あの愚図のようにだけはなりたくないね」
ロンは膝に置いた手をぎり、と握った。
「な、なぁ、継承者って結局誰なんだ?」
気取られてはまずいとハリーは慌てて話題を変えた。
「あのな。知らない、って何度言えばお前は理解するんだ」
「――
「父上から聞いた話では、昔に開かれた時はマグル生まれが1人死んだだけだったらしいが……はん! そもそも、今のホグワーツに継承者なんて本当にいるのか?」
マルフォイは信じられない事を言った。あのスリザリンのマルフォイが、継承者の存在そのものを疑っているなんて信じられなかった。
「いないと思うの? こんなに騒ぎになってるのに」
「2人とも良く考えろ。このホグワーツに継承者がいるとしたら、真っ先に狙うべき相手がいる。マグル生まれなんかよりよっぽどな。誰かわかるか?」
「――カサンドラ」
マルフォイは満足げに頷く。
「ああ。あの、カサンドラ。ちょっと父上に目をかけてもらったからって調子に乗って。マグルがホグワーツにいるのにマグル生まれを優先する奴が本当に継承者なのか? 僕が継承者なら、真っ先に化け物をあの女にけしかけるね」
「カサンドラなら、どんな奴が相手でもやっつけちゃうんじゃないか」
カサンドラを庇うような発言にしまった、とハリーは思ったが、意外にもマルフォイは苦々しい顔をするだけだった。
「……かもな。父上に聞いたんだが、トロールは闇払いでも数人がかりでないと倒せないらしい。生命力が強すぎて死の呪文すら効かないんだ。しかも、酷い時には一日中闘うこともあるらしい。
――それをあの女は、クィレルが気絶して、先生が現場にたどり着く前に殺した。どんな化け物ならあの女を殺せるんだ? しかもこの前のクィディッチだと教員席の塔から飛び降りたんだぞ。知ってるか、マグルは空を飛ぶのに馬鹿でかい機械を用意しなきゃダメなんだぞ? それなのに身一つで飛び降りて無傷だなんて」
マルフォイはイライラした様子で蛙チョコを開け、逃げ出そうとしたチョコを鷲掴みにし、口に運んだ。
「――全く。どいつも、こいつも、その事実をすっかり忘れてポッターが継承者だと思ってる。それこそありえない。もしいるとしたら継承者はスリザリンの誰かだ。そうじゃないと、マグル生まれと純血とを、最後の最後で判別出来なくなる」
どういうことだ? とハリーは考えて、そして、自分がスリザリンでも上手くやっていけると言われたことを思い出した。半純血の、ハリーがだ。半純血がスリザリンにいるなら、もしかしてマグル生まれも、いるんじゃないか?
「もしかして……スリザリンにも、いるの?」
ハリーが聞くと、マルフォイはまずい、という顔をして周囲を見た。今談話室には誰もいない。それを確認したマルフォイはクラッブに顔を近づけ、ささやくように言った。
「クラッブ。いいか、僕はお前たちがどんなウスノロでも見捨てたりはしない。だから何度でも教えてやるが、僕以外相手に不文律関係で間抜けをやらかすなよ」
「不文律……?」
マルフォイは舌打ちした。
「本当にお前らは……。定期的に教えないと全部頭から抜けるんだな。
いいか、完全に純血と言える家は28しかない。スリザリンにその家以外の名字があれば、つまり半純血か、マグル生まれか、だ。……だがな、我々スリザリンは決して、仲間を、見捨てない。寮内で足を引っ張り合ってるレイブンクローのガリ勉共とは違うんだ。日和見主義のハッフルパフとも、悪ガキ揃いのグリフィドールとも。
だから我々は組み分けの日に自分の家が『両親とも魔法使いじゃない』と言ったスリザリン生の言葉を聞かなかったことにするし、一ヶ月後にもう一度生まれを確認する。そうすれば確実に自分は純血だと言うさ。スリザリンに組み分けされるくらいだからな。そして一度純血、もしくは半純血と
――それでいいんだ。わかったな、クラッブ、ゴイル。一応言っとくが、くれぐれも他の寮の奴に言うなよ。グリフィンドールの悪ガキどもに知られたら家系図見せろとか言い出しかねない」
2人は必死にコクコクと頷いた。純血、もしくは半純血しかいないと思ってたし、スリザリンもそうだと喧伝してる。それがずっと維持されてきたカラクリがこんなところにあったなんて。
「よし。――それにしても、あいつ、長生きしてるとあの
「そうなの? でも……カサンドラが話してるところは見たことない」
マルフォイはニヤリと笑う。
「話せるわけがない。多分あの女にゴーストは見えていない。血みどろ男爵が話しかけても無視していたからな」
「……」
「ゴーストを見るには魔力がなければならない。スクイブレベルでも見えるが……マグルにはどんなに目をこらしても見えない」
「でもピーブズとはよくやり合ってるのを見るぜ?」
ロンが言った。
「ピーブズはポルターガイストだ。誰の目にも見えないか、どんなやつでも見えるようになるか。その二択だ。全く、マグルがホグワーツで教員をやるなんて、祖先が聞いたらなんと思うか。父上でさえ憤っているのに」
「なぁ、前回の秘密の部屋を開けたのは、お父上なのか?」
「違う。――おそらくは。前回の件も、今回の件も……父上にはぐらかされた。知らないわけじゃなさそうだが、教えてはくれないだろう。継承者に関しては騒ぎ立てるなとさえおっしゃられた。ふん。家に帰ったら存分に問い詰めて差し上げるつもりだったのに。――二人ともどうしたんだよ? 早く食えよ。まだまだあるぞ。冬休み中に、これ全部食わないといけないんだからな」
ロンとハリーは慌てて蛙チョコを開ける。手早く捕獲して食べると、マルフォイが手元を覗き込んできた。ダンブルドアのカードを見て、マルフォイは機嫌を悪くした。
「ダンブルドアか。みんな勘違いしてるんだ。あいつはもう耄碌してる」
「――なんだって?」
フン、とマルフォイは鼻で笑う。
「去年、例のあの人の企みを打ち破ったのはポッターだが……よく考えろ? 11歳のガキにできることを、あのジジイはできなかったんだ。今年だってそうだ。あの、忌々しい、クソッタレの、ロックハート! あんなやつを教師として雇ってる。あいつが教師になるくらいなら、まだあの女の方がマシだ! 1年間走り込みさせられるとしてもだ!」
「ロックハートはそうだけど、ダンブルドアは耄碌してない」
「なんだと? 言葉はよく選べよクラッブ。耄碌していないだって? じゃあなんでホグワーツは滅茶苦茶になってるんだ? なあ、クラッブ。このホグワーツを無茶苦茶にしてるのは誰だ? マグルを雇い、ロックハートを雇い、今なおを英雄のくせに秘密の部屋の怪物一つ見つけられやしないあのジジイ以上に、ホグワーツを冒涜してるヤツがいるってのか?」
ハリーは頭を回転させる。どうすれば切り抜けられる。マルフォイが好みそうな回答を――。
「ハリー・ポッター」
自分の名前を出すと、マルフォイは機嫌良く肩を竦めた。
「なるほどな。いいこと言うじゃないか。お偉い、ポッターめ。もうあいつは自分がダンブルドアより偉くなったと勘違いしてる。たしかに、あいつがいるからダンブルドアの目が曇ったってんなら、その通りだ」
もっと話を聞きたかった。だがクラッブは立ち上がる。ゴイルも立ち上がった。
2人は踵を返すと、ものすごい勢いで外に向かって駆け出した。
「おい、お前ら!? どこに行く!」
「お菓子大広間に忘れてたこと思い出した!」
「お菓子ならここに山ほどあるだろ!?」
「あのお菓子が食べたいんだ!」
クラッブの額に傷跡が現れ始め、ゴイルの髪の毛が赤くなり始めた。薬の効果が切れてきたのだ。一刻も早く逃げないと、全てが終わりだ。
「2人とも! 合言葉は純血だぞ! その空っぽの頭に刻み込んどけ!」
マルフォイは意外と面倒見がよかった。
結局、それくらいしか情報は得られなかった。
――1992年12月 三階女子トイレ
「危なかった! もう二度とするか!」
「くたびれ儲けだよ全く! なんでマルフォイですら秘密の部屋について何も知らないんだ!?
おーい、ハーマイオニー! 出てこいよ! 反省会だ!」
ロンがトイレのドアをガンガンとノックする。
「やめて! こないで……」
弱々しいハーマイオニーの声に、2人は何事かと顔を見合わせる。ふより、と嘆きのマートルが扉を透過して2人の前に現れた。普段はメソメソと泣いているその顔は、楽しそうな笑みで満ちていた。
「鍵はかかってないわ。見てみなさい、
ハリーは笑いながら去っていくマートルを尻目に、トイレの扉に手をかける。
「開けるね、ハーマイオニー」
「……」
覚悟ができたのか、どうなのか。ハーマイオニーは拒絶しなかった。ハリーはゆっくりと扉を開ける。
「おったまげー」
ロンが半笑いになって言った。ハーマイオニーは振り返り、ポソリと言う。
「本で読んだわ……。ポリジュース薬は、人間以外の変身に使っちゃダメなの。ミリセントのローブに付いてた毛は、猫の毛だったの」
ハーマイオニーは愛らしい顔を随分と『
「――こんなことになるなら、遠慮せずミリセントの髪の毛引っ掴んでやればよかったわ……」
「――しっぽまで付いてる!」
ロンの楽しそうな笑い声が響く中、ハリーはなんとも言えない表情をするしかなかった。
――1992年12月 ホグワーツ医務室
カサンドラはロンに手渡された見舞いの品を手で弄びながら、医務室の中を歩いていた。
「――全く! いいですか、なぜ危険な薬が危険なのか、その体で十分理解できたでしょう! これに懲りたら二度と、分不相応な薬を隠れて作ろうとは思わないことですね! 次は、先生方に報告しますからね!」
ポンフリーが肩を怒らせて歩いている脇を通って、ニャーマイオニーのベッドに辿り着く。
「全く。バカなことをしたな」
「カサンドラ……。ごめんなさい。見逃してくれてたのに、こんなことになって。カサンドラの立場は悪くなったりしないかしら」
「次があれば悪くなるかもな。ただまぁ、ポンフリーも言ってた通り、次があれば、だ。日頃の行いがいいおかげだな」
どっちがいい? とカサンドラは左手に花束、右手にロンから渡されたマタタビのポプリを見せる。花束で、と言うニャーマイオニーの目線は、釘付けになったようにマタタビを見ていた。
「驚きだな。性質も猫に近くなるのか?」
「みたい。さっき毛玉も吐いたのよ……」
ニャーマイオニーは顔を覆ってうなだれた。
「まぁ、これからは猫の気分が良くわかるだろ」
「隣のミセス・ノリスが物凄く美人に見えるの。これ元に戻るのかしら……」
「それはスネイプに聞け」
「聞けたら、聞くわ……」
ニャーマイオニーは消極的だ。なにせ校則違反の塊の魔法薬の材料はその99%をスネイプの領土からくすねたものなのだ。その盗みの量と手法は古代ギリシャ時代のカサンドラに迫るものがあった。まあハーマイオニーがいつもみたいに質問には行けないのもわかる。『それ以前に貴様どうやって、その薬をお作りになられたのですかな』と聞かれでもしたら回れ右するしかなくなる。
「まぁ、いい薬だと思って養生しろ。それから、ニャーマイオニー」
「その名前で呼ばないで……」
「変身薬、だったか? スリザリン生に成り代わって何を探ろうとしてたんだ?」
「――継承者が誰かよ」
ふうん、とカサンドラは頷く。
「……秘密の部屋はいいのか」
「秘密の部屋? そんなのに構ってる暇はないでしょ?
カサンドラはふむ、ふむ、と何度も頷く。
「そうか。邪魔したな。ポンフリーはいつくらいに戻ると?」
「――冬休みいっぱい」
絶望したようにハーマイオニーは言った。
「そんなにかかるのか?」
「変身自体は一週間くらいで戻るらしいけど……身も心も人間に戻るには、それくらい必要らしいの。私、人間のまま顔を手で洗ってるところを見られたらもうお嫁に行けないわ」
ふむ、とカサンドラはなんと言うか迷う。
「まあ、カーテンをかけるのを忘れずにな」
ええ、もちろんよ。ニャーマイオニーは力なく答えた。
「両親には言うのか?」
「――一応。返信用の『吠えメール』はいると思う?」
カサンドラはクスリと笑う。
「ご両親はそう言うタイプじゃないだろう? 羊皮紙いっぱいにお説教を書き込むタイプだ」
「――ええ、目に浮かぶわ」
大事にしろよ、とカサンドラは医務室から出る。
「……呪いか」
カサンドラは呟く。ニャーマイオニーはすでに秘密の部屋から興味を逸らされている。凄まじい効果だ。彼らが呪いに抗ったそのとき、はじめて継承者が誰かが判明するのだろうか。
――1993年1月 ホグワーツ談話室
結局のところ、頭脳担当のニャーマイオニー――今は人間に戻ったのでハーマイオニー――彼女がいないことには調査の手法も何が必要かもさっぱり分からず、ひとまず休み明けまで調査は滞ることになる。その間ハリー達ができたのは、定期的に事件のあった現場に行き、手がかりが何かないか探すことくらいだった。
現場百遍、と言う言葉を知ってるわけではないが、ハリーの調査はほんの少しだけ実を結ぶ。ある日マートルのトイレが水浸しになっていることに気付いて中に入ると、古びた日記があったのだ。ハリーはそれを回収して、談話室でロンに見せた。
「ハリー、マズいよ。二度としちゃダメだ」
「どうして? ただの日記じゃないか」
てっきりワクワクした様子で喜んでもらえると思っていたハリーは、厳しいロンの言葉に疑問を返す。
「魔法界では『ヤバイ』魔法具は沢山ある。中でも特にヤバイ魔法具ってのが、『本』なんだ」
「どうして?」
「例えばハリー。剣にどれだけの意思を込められると思う? 中にはただの槍なのに人の記憶をまるまる保存するなんてスゴイのもあるけど……基本的に、魔法具は魔法をかける元になる性質以上のことができるようになったりはしないんだ。なんでも切れる剣は作れても、友達になってくれる剣は作れない。でもハリー、本は何をする道具かよく考えてみろよ」
ハリーは思い悩む。
「……何かを、残す」
「そう! 悪意でも記憶でも記録でも風景でも物語でも、『残す』ってことと『見せる』ってことが本以上に得意な魔法具は存在しない。ここまで言えばわかるだろう? 本はヤバイんだよ」
でも、とハリーは半ば無意識的に本へと手を伸ばす。その手をロンが叩いて止めた。
「よせって言ってるだろ! パパが言ってた。触れるだけで『死ぬまで読み続ける』ハメになる本とか、中に人格が丸ごと入ってて手に取った瞬間乗っ取られるとか、そんなんばっかなんだぞ!」
ロンの思ったより強い剣幕に、ハリーは一旦素直に言うことを聞くことにした。
「わかった。もう読まない」
ハリーがそう言うと、ロンは目に見えて安心した。
「よかった。今度マグゴナガルに言って調べてもらおう。マグゴナガルがこの本をどう扱うかを見れば、僕の言ってることがどれほど正しかったか痛感するだろうぜ。それまで談話室に置いておこう。触るなって羊皮紙置いとけば誰も触らないだろうし」
その場は、それで話が終わった。
その日の夜、ハリーは部屋を抜け出して談話室に向かっていた。置きっぱなしのあの本が、ハリーには嫌に気になった。ロンから言われたことも忘れて、『危険物、触るな』の羊皮紙をどかして、日記を手に取る。
「T.M.リドル」
トム・マールヴォロ・リドル。日記の裏表紙にはそんな名前が刻まれていた。パラパラとハリーは日記をめくる。何も書かれていない。妙だ。日記の紙は、表紙に比べると変に新しい。ハリーは導かれるように、談話室にあるインク壺と羽ペンを取ると、文字を一文字書いた。
「……!」
書いた文字が、まるで紙に染み込むように消えた。
『君は誰かな』
そして、そんな文字が浮かび上がった。
リドルの記憶の世界は一言一句にわたるまで原作と同じなのでまるまるカットします。