――1993年5月 ホグワーツ地下 秘密の部屋入口
ハリーとカサンドラの2人はお互い警戒しながら地下を歩いていた。
「ハリー、全てに警戒するなんてことはできない。どこを見て、どこを見ないか。見るべき場所、見なくてもいい場所。その選別が大事なんだ」
「難しいよ。もし間違ったら?」
「後ろを取られたり、そのまま殺されたりだ」
ハリーはさっきのことを思い出す。あっさりとロックハートに後ろを取られてしまったことを。もしロックハートが強力な魔法使いなら、あるいは問答する気すらなければ、ハリーは無垢に戻っていただろう。
「カサンドラ、そういえば先に入ったのに、どうして戻って来たの?」
「ああ。ハリーがロンとロックハートを呼ぶ声が聞こえたからな。それに……」
カサンドラは立ち止まって、指を指した。
ゴツゴツとした土肌が目立つ壁が続く地下通路。その最奥にあったのは、ツルツルした壁だった。そしてその壁の真ん中には、大広間の扉すら一飲み出来そうな大きさの蛇の彫刻がある。大口を開けた蛇の彫刻の口内には、スリザリンのマークがある扉があった。
「あれがどうにも開けられなくてな。吹っ飛ばそうと思っていたところだったんだ」
まさか二段階の仕掛けとは思わなかった。とカサンドラは言う。
「僕がいなかったらどうする気だったの?」
「当然、吹っ飛ばす」
ハリーはドン引きした。普段知的なイメージがあるだけに、パワフル過ぎる解決方法が意外だったのだ。
「僕が開けるから、爆破はなしだよ」
「わかったわかった」
ハリーは扉の前に立った。そして、あえて蛇語を使うと強く意識して、言う。
『開け』
蛇語に反応して、扉が開いた。そして、ハリーが駆け出す。
「おい、ハリー!」
ハリーとカサンドラは秘密の部屋に足を踏み入れる。しかし、ハリーはその感慨に浸る間もない。四角い闘技場のような広間の周りを、堀の如く水が囲んでいる。壁には等間隔で蛇の石像が飾られている。そして一際目を引くのが正面の壁いっぱいの大きさを誇るサラザール・スリザリンの胸像だった。
だがハリーはその全てが全く目に入っていなかった。ハリーの目に映るのは、自分を慕ってくれていた女の子、ジニー・ウィーズリーが仰向けに倒れている姿だけだった。
「ジニー!! 目を開けて! ジニー、帰ろう、カサンドラが上に連れて帰ってくれるから! ジニー、目を開けて!」
「彼女は目を覚まさない……」
ふと、ハリーの背後に人影が現れた。少しだけ透けて見える、スリザリンのローブを来た青年だ。顔立ちはえらく整っていて、ロックハートと並べば女性を強く惹きつけるだろうことは想像に難くない。
「……リドル?」
そして、ハリーはその青年を見たことがあった。直接ではない。不思議な喋る日記。その日記が見せた記憶の中にいた人物だった。50年前のハグリッドを糾弾した人物。
「彼女はもう目を覚まさないんだ、永遠に」
ひゅん、とリドルの側頭部を矢が通り抜けた。ハリーはビク、と肩を跳ねさせる。
「カサンドラ!」
「そいつから離れろハリー。お前、誰だ」
リドルは優雅に弓矢を構えるカサンドラに向き直るとゆっくりと一礼した。
「会いたかった……。僕の名前はトム・マールヴォロ・リドル。できればリドルと、呼んで欲しい」
「それでトム。ジニーに何をした」
あえてトムと呼ぶと、少し機嫌が悪くなったのがわかる。だが、余裕の表情は変わらない。
「何をした、か……。それよりもハリー。彼女が何をしたのか知りたくないかい?」
ハリーはキョトンとする。
「何が……? どういうこと?」
「簡単に言うよ、ハリー……。ジニー・ウィーズリー、彼女こそが『継承者』なんだ」
その言葉を聞いた時にハリーがしたのは、カサンドラのジニーへの射線に身を置いて、親友の妹を守ることだった。その行動を、リドルはくすくすと嘲笑う。
「ふふふ……。いじらしいじゃないか。ねえ、カサンドラ」
「随分余裕だな。自分が殺されないと思っているような顔だ」
「当然だよ、カサンドラ。僕は殺されない。君にだけは」
「自信満々だな。私の意見は少し違う」
三連射。リドルの額、喉、心臓。ハリーはおろかリドルにさえいつ矢を放ったのか見えなかった。だがリドルは見えるか見えないかなんてどうでもよかった。
「……おや、どう違うのか思い知らせてくれんじゃなかったのかな」
「忌々しいなクソッタレめ。必ず殺してやるから覚悟しろ」
なぜなら、リドルはその三発を喰らっても、まるで無傷なのだ。ありとあらゆる物理、魔法攻撃が効かないのが今のリドルなのだ。魔法に疎く、敵対者を撃滅することしか出来ないカサンドラに、リドルをどうこうすることは絶対にできない。
「カサンドラ……。不思議じゃないかな。どうしてこんな小さな女の子が、継承者としてこの一年やって来たのか」
「どうせお前が操ったんだろう? クズの考えそうなことだ」
リドルは悪戯がバレた子供のような表情で笑った。おちゃらけてて、ほんの少しも真剣みが感じられない。
「流石のカサンドラでもわかるか、それくらいは」
「私を舐めていることを後悔させてやる。必ずだ」
「恐ろしいね……本当に。ああ、ハリー、君は魂とはなんだと思う?」
「――その人の、全て?」
リドルは満足げに頷いた。
「その通り。カサンドラ、君にも。ハリー、君にも。そして僕にも。当然ジニーにも、人は1人ひとつ魂を持ってる……。魂ってなんだろう? 僕はきっと、存在するのに必要な物だと、思ってる」
「……何が言いたい? 哲学か?」
いいや、とリドルは言った。
「魂の役割は何か。どれだけ魂があれば存在できるか……そう言ったことが哲学を含むのを否定したいわけじゃないんだ、カサンドラ。僕が言いたいのはもっと、とても簡単なことなんだ。12歳の子供にだって理解できることだよ。つまり、魂がなくなれば人は存在できず、死ぬ。
ジニーのことだよ、ハリー」
ハリーは目を見開く。
「そんな、嘘、嘘だ!」
「いいや、本当なんだ。やり方を教えてあげよう。君も見ただろう? 日記さ。あれに感情を込めて日記に何かを書けば、魂が僕に流れ込む……素敵だろう、カサンドラ。スマートだと思わないか?」
「悪魔みたいだな。反吐が出る」
リドルはからからと子供のように笑った。
「そうだね。『ねぇリドル、私、ポケットに入るお友達ができたみたい……』。猫が石になった日のやりとりさ。僕が文字だけで心底良かったと思った瞬間だったよ。こうして口があると……くすくす。思わず、笑みが浮かぶような言葉だね、ハリー」
「ジニーを元に戻してくれ、リドル!」
「残念だけどそれできない。人より魂が少ない僕は、人から貰わないとダメなんだ。こうして実体を持てるようになったのも、ついさっきなんだ。
『裏切り者、私を騙してたのね!』
……最後の書き込みさ。一番たくさん感情が流れ込んできた……。僕への恨み言が最後の言葉なんて、可笑しいね、カサンドラ」
ひゅん、と今度はリドルの目の部分に矢が通り抜ける。
「――。彼女は本当に素晴らしい逸材だった。純血で、穢れなく、無垢で……。人並みの欲望を持っている。
知ってるかな、ハリー。孤児院だと身につけるものはみんなのお下がりなんだ。上の子が着れなくなった服。もう卒院していなくなった人のおもちゃ。何人もの寝汗を吸ったベッド。みんなこう思ってたよ。自分のものが欲しいってね」
ハリーは顔を苦々しいものにする。
「それが、どうしたっていうの、リドル」
「ジニーも同じだ。可哀想なジニー。女の子なのに私服は全部男物。周りの友達はみんなピカピカの教科書を持ってるのに、自分だけくたびれた使い古しの、古文書みたいな教科書。彼女だけはロックハートの授業を心から楽しみにしてたんだ。なぜかわかるかい? みんなと同じ、ピカピカの教科書が使えるからさ。
調合に使う大鍋も、普段着る制服も、杖だって。みんな上の兄貴たちのお下がり。心底同情するよ。
だから僕だけは、彼女の唯一になってあげた。
何もかもが共有品にあふれていた中、僕だけは『ジニー・ウィーズリーだけの友達』だったのさ」
カサンドラは楽しげに話すリドルを尻目に、周囲を観察する。魔法に疎いが、せめて何か手掛かりでもあればと。しかし、周りにあるのは石と彫像。何もわかりはしない。
「彼女はなんでも僕に話してくれた……。ホグワーツの兄貴たちが想像以上に子供っぽいこと。先輩のハーマイオニーは賢くて素敵な憧れの人だということ。
大好きな英雄、ハリー・ポッターがけして自分に振り向いてはくれないだろうということ。彼女は知ってるのさ。親友の妹はどれだけアピールしても親友の妹を超えることはないんだって。他にも、11歳の女の子の、強いありのままの感情を赤裸々に語ってくれたよ。その度に……まあ少々聞くのが辛い話題もあったが……。僕は彼女に魂を注ぎ、食らい、彼女の中で育ち、そして、一部を日記に返す。そうすることで、僕は僕のままでありながら彼女を操ることさえできた。服従の呪文なしでね」
「……そんな。君はゴーストだっていうの?」
いいや、とリドルは言った。
「記憶だよ。50年前のスリザリン生、その記憶。記憶はその人の全てだ。僕を僕たらしめるものが、日記には封じられている。くすくす、なんてスマートなんだろう。それに、今のホグワーツがどんな風になっているか知りたかったのもある。驚いたよ。カサンドラ。君――マグルなんだね」
「お前を殺すマグルだ」
リドルはゆっくりと挑発するように首を振った。
「いいや。君に僕は殺せない。これは知ってたかな、カサンドラ。ジニーは君のことが大嫌いだったみたいだよ?」
「……なに?」
リドルは笑う。動揺したような疑問符をカサンドラが浮かべたことが、心底嬉しいらしい。
「『パパと怖い話ばっかりする、怖い人』だそうだ」
「――聞かれてたのか」
カサンドラは舌打ちをする。隠れ穴でのアーサーとの会話を聞き耳立てられていたとは思わなかった。確かに優しい父親がいきなりマグルと戦争について話し始めたら怖くもなるだろう。
「トロールを殺し、尖塔から飛び降りても無傷で、腕力だけでブラッジャーを端から端まで吹っ飛ばす。他にもスリザリン生をボコボコにしたりと話題には事欠かないね。
――だから、彼女はなによりも君を恐れた。
彼女は僕に操られたことに早々に気付いた。そして絶望したんだ。
『私きっとカサンドラに殺される。だって彼女はマグルで……人が操られるなんてきっと知りもしないわ』……。可哀想にね」
「もし、お前を殺すのにジニーを殺す必要があるなら、その懸念は現実になる」
「カサンドラ、本気で言ってる!?」
ハリーの悲鳴に、カサンドラは苦い顔をするしかなかった。だがやるしかないのだ。悪意ある存在に乗っ取られて、それが回復不能ならば、ジニーの尊厳を守るためにも、殺すしかなくなる。
「ははは……。そういうところが、怖がられるのさ。ただ、それからは面倒だった。彼女はカサンドラにバレないことに心血を注ぐようになったのさ。兄貴から不思議な地図を盗んで常にそれを監視したり、自分だとバレないように襲撃のタイミングをずらすように言ってきたり……。時には難しい指示もあった。でもそれでもよかった。ハーマイオニーを襲う頃には、彼女は立派な継承者だった。僕の魂が影響したのかな? どう思う、カサンドラ。僕の魂のせいで悪事の隠蔽が上手くなったのか、それとも彼女が元々そういったことが得意なのか」
「彼女を侮辱するような物言いはよせ。彼女が犯した悪事は貴様の責任だ。たとえそうじゃなくても、そういうことになる」
カサンドラの言葉に、リドルは大袈裟に驚いたようなポーズをとって、ハリーに顔を向ける。
「恐ろしいね。ハリー。彼女は目的のためならなんでもするそうだ。実に、スリザリンみたいじゃないか」
「……き、君が、君がどうしてそんなことをするの? ねえ、リドル? 50年前に秘密の部屋を開けたのは、ハグリッドだって言ったじゃないか。それは間違いだったけど……でも、リドルだって知らなかったはずだ。なんで今、リドルはこんなことができるの? もしかして本当にジニーが継承者なの?」
ハリーの頭は混乱していた。それなりに信頼していた人物が淡々と、はぐらかすように、誘導するかのような物言いをするせいで、ハリーの中の真実がぐらぐらと揺らいできたのだ。
「ハグリッドが? 秘密の部屋を開けた? まさかハリー。君、それをほんの一瞬でも信じたのかい? まいったな………。そこまでバカだとは思わなかった。彼は本当に問題児だった……。一週間に一度は生き物関係で減点されていたよ。ベッドの下に人狼の赤ちゃんを匿ったり、禁じられた森でケンタウロスの子供と一緒に星読みをしたり、ヒッポグリフを、飼い慣らしてホグワーツ中を飛び回ったり。蜘蛛が秘密の部屋の化け物だと言ったら、みんなが信じた。
まぁ、上手く行きすぎたなと思わなくもない。当時のホグワーツは……あるいは今もか。みんなバカばかりだった。この僕が5年かけて見つけた部屋を、ハグリッドが見つける? 無理だ。脳味噌と実力が足りない。この秘密の部屋には強力な呪いが掛かっている。この部屋についての興味を『逸らす』。継承者じゃないのに秘密の部屋を探すには、逸らされないようにしながら探すというとんでもなく無茶なことをしなければならないんだ。それをハグリッドが? 冗談にしても酷い。それでもダンブルドア以外のほぼ全員が信じた」
だから、とリドルは言う。
「僕は決めた。スリザリンの生きていた頃よりもはるかに程度が下がった魔法界を正すと。それができると僕は50年前に確信した」
ふん、とカサンドラは鼻を鳴らす。
「ダンブルドアだけが気付いていた? そんなわけあるか。今でも教員はただの1人も、ホグワーツから危険が去ったと思ってはいないぞ。お前が侮りすぎてるだけじゃないのか?」
「……侮る? 違うね。これはそんなものじゃない。僕だけが魔法界に光明をもたらすことができる。スリザリンの崇高な使命を……穢れた血をホグワーツから追い出し、純粋な魔法族だけの魔法界を作り出す。この僕が」
「そんなこと……。でも今回は誰も死んでない。小さな猫一匹ですら!」
ハリーの負け惜しみのような言葉に、リドルは笑う。
「そうだね。結局僕は……興味が移っていた。それは否定しない。今このホグワーツでスリザリンの使命を果たすことよりも知るべきことがあったから、僕はそれを優先させた。そして、思惑通りにことは進んでる」
「なにが進んでるっていうんだ。もうすぐ石になった人たちは元に戻る。バジリスクだって、カサンドラがあっという間に片付けるぞ!」
「この場を見てごらんよ、ハリー」
リドルは両手を広げた。
「カサンドラ。ハリー。2人がここにいる。これこそが、僕の望んだ光景なんだ」
「……なんだと?」
カサンドラは怪訝な顔をする。自分が目的だって?
「……僕は優れた魔法使いだ。僕に敵う魔法使いはダンブルドアだけのはずだ。
なのに僕は、未来の僕は2人に負けた。赤子のハリーと、マグルのカサンドラに」
「赤子の、僕?」
「――もう一度聞くぞ、トム。お前は、誰だ!」
察したカサンドラが鋭く誰何する。リドルはにやりと、楽しそうに笑った。
「僕が誰か、そう聞いたかい?
聞かずとももう知ってるはずだ。僕の名前は遥か未来、永劫畏れ敬われる名前だ。僕がそう決めた!」
トムは手を前に翳した。するとまるで見えない羽ペンが動いているかのように、光り輝く文字を描く。血文字と同じ、流麗な筆跡。
Tom Marvolo Riddle
そこまで書くと、リドルは嬉しそうに、ワクワクした様子で手を振るう。一文字一文字がゆっくりと移動して、全く別の意味を持つ文字列へと変わる。
I am Lord Vol de mort
私はヴォルデモート卿だと。そう記した。
「お前が、ヴォルデモート」
カサンドラとハリーは驚いたような顔をした。
「そうとも。トム・マールヴォロ・リドル。そんなありふれた、マグルのようなくだらない名を捨てて、僕は飛翔する! 死を振り撒き、羽ばたき、魔法界を支配する。それが僕だ。ヴォルデモート卿なんだ」
カサンドラは弓をしまい、ハルバードを背中から引き抜く。
「自慢話は終わりか」
「そうとも。終わりさ。――少し話を戻そう。魂の話さ。僕がこうして半透明の実体を得るのに必要な魂は大体4分の3といったところかな。僕は元々魂を半分、持っていた。増えた分はジニーから貰った分だよ。じゃあ、カサンドラ。魂が4分の3しか残っていない11歳の女の子の体を操るのに必要な魂はどれくらいだと思う? 僕はどれくらいジニーの魂を喰えば、ジニーを操れるのかな」
挑発するようにニヤニヤと笑うリドルの言葉に、カサンドラはハッとなった。
「ハリー、ジニーから離れろ!」
「なんと、4分の1で済むんだ」
パチリと目を開けたジニーが、ハリーに杖を向けた。
「『フリペンド――吹き飛べ!』」
ジニーの魔法が、ハリーに炸裂した。