【完結】ハリー・ポッターとワシ使いの傭兵   作:丹寺 錯視屋

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『忍びの地図』

 スネイプはハリーから離れ、深く椅子に腰かけた。

 

「まぁ、座り給え」

 

 ハリーは訝しげにしながらも丸椅子に座る。

 

「実に……そう、実に傲慢なことだ」

 

 始まった。ハリーは身構える。

 

「魔法省大臣。ダンブルドア先生、ホグワーツの教員、カサンドラ。誰もかれもがハリー・ポッターの命を守ろうと、シリウス・ブラックの魔の手から護ろうとしてきた。しかし、当の本人は全く、ほんのカケラもそうした人々のことを気遣うつもりがないらしい……。有象無象はハリー・ポッターの心配をして、勝手に守るがいい。自分は好き勝手にやってどこへでも行くし、その結果どうなろうと知ったことではない、というわけだ。どうだ、ポッター。吾輩意地悪を言っていると思うかね? あのロングボトムにするように、理不尽を言っていると? 吾輩、ただ『禁じられた場所に行くな』と、そう言っているだけなのだが……」

 

 それにしても、とスネイプは遠い目をして薄ら笑みを浮かべた。いたぶるように、スネイプは言葉を重ねる。

 

「実に忌々しいとは思わないか。徒労だ。なんと君の父親に恐ろしいまでにそっくりだ……瓜二つだ」

 

 ハリーはぎり、と拳を握りしめた。その仕草をスネイプは見咎めた。

 

「何を怒る? 貴様は『父親に似てる』と言われるのが嬉しくてたまらないのであろう? だから後先考えず行動し、規則違反や法律違反もなんのその。父親のことを知るのも好きだったな、ポッター。奴も傲慢だった。クィディッチの才能があるからと威張りくさって、他の者よりもはるかに優れた存在だと確信しているようだった。友人や取り巻きを連れていつも騒いでいた」

「父さんは威張ってなんかない。僕もだ」

「そうかね?」

 

 スネイプはバカにするように笑う。

 

「貴様の父親も規則を歯牙にもかけなかった」

 

 スネイプの顔は悪意に満ちていた。父親を侮辱されているように感じて、ハリーの中で熱い気持ちがグツグツと煮えたぎってくる。なんでこいつにこんなことを言われないといけないんだ。

 

「規則など他の有象無象が守っていればそれでよい。自分は好きにやる。減点、罰則、お構いなしだ。なにせクィディッチで勝てば、仲間はバカみたいに称賛してくれる――そんな思い上がりを卒業するまでずっと」

「黙れ」

 

 ハリーは限界だった。ダーズリー家を家出した日と同じ激しい怒りがハリーを支配していた。ハリーは立ち上がり、スネイプを睨んだ。睨まれた当のスネイプは顔を驚愕に硬直させている。だんだんと陰気な目に危険な雰囲気を帯びていく。だがハリーは止まらない。

 

「吾輩に……なんと言ったかね、ポッター?」

黙れと、そう言ったんだ。父さんに命を救ってもらったくせに、なんで父さんをそこまで馬鹿にできる!」

 

 スネイプの顔が怒りで真っ赤に染まっていく。

 

「――それを誰に教わったのかね、ポッター。そんなバカげたことを」

「先生たちが話してた。フリットウィック先生がカサンドラに教えてたんだ!」

「そうか、そうかね。それで、貴様はその話を最後まで聞いたのかね。どういう状況で吾輩が命の危機に瀕し、それを救った、『救った』……? 救ったかを?」

 

 ハリーは黙った。明らかに言うべきでないことだったと、今更ながらに後悔する。絶対に胸に秘めておかなければならないことだったのに。どこから知ったのだとか、そういうことを聞かれたら余計にまずい立場になるのはわかっていたのに。

 

「その勘違いを訂正することなくこの部屋を出れるとは思わんことだ」

 

 スネイプの声は表情に比べるとずっと落ち着いていた。その代わりとでもいうように、スネイプの目はハリーの存在そのものを認めないとでも言うように冷たかった。

 

「ポッター……貴様と父親の違いを言ってやろう。貴様の言う『救う』と奴の『救う』は意味が違う」

 

 ハリーは訝し気にスネイプを見た。ハリーが疑問に思ったことが嬉しいのか、スネイプの顔は笑みさえ浮かんでいた。それからスネイプはザクザクと言葉でハリーの心を突き刺していく。真実という何よりも鋭い剣で。

 

「自分の父親が英雄的行為で吾輩を救ったと思っていたのかね? 自分が秘密の部屋の奥でジニー・ウィーズリーを救ったように? いいや、そこはぜひとも、訂正せざるを得ない……。――貴様の聖人君子たる父君は友人たちと一緒になって吾輩に悪戯を仕掛けたのだよ。わかるかね、悪戯だ。その楽しい悪戯は度を超えていて、吾輩の命を危険に晒すものだった。当時カサンドラがいれば、安全のためにと貴様の父親を始末すると確信できるほどの所業だった。だがその悪戯の実行寸前……貴様の父親は弱気になった。わかるかね。貴様の父親は『害することをやめた』だけなのだよ。意気揚々と悪戯を実行し吾輩を殺そうとする友人を止めた。それだけだ。それを奴に好意的な者に言わせれば『救った』ことになるようだが。ん? どうかね、貴様が知りたくて仕方なかった父親の逸話だ。もっと嬉しそうな顔をしてはどうかな?」

 

 ハリーは呆然としていた。いきなりの話に、ハリーは受け止めきれなかった。固まってなんの反応も返さなくなったハリーに、スネイプは鋭く指示を出す。

 

「ポッター。ポケットの物を出したまえ」

「え?」

 

 ハリーは父親のエピソードのことが頭から吹っ飛んだ。ヤバいという言葉が頭の中で何度もリフレインする。心臓が早鐘を打つ。手足から血の気が引いていく。

 

「聞こえなかったのかね。どうやら貴様はマルフォイ君に悪戯や泥遊びをしていないとおっしゃる。証明を手伝ってやろうと言っているのだ。ポケットの物を、出したまえ」

「そ、それは」

「校長先生の前のほうがお望みかね」

 

 ハリーは観念して、のろのろとポケットから物を取り出す。ハニーデュークスで買ったお菓子類。使った形跡のある悪戯グッズが少々。そして、虎の子の『忍びの地図』。スネイプは実に生き生きとした表情で悪戯グッズを一つ手に取った。

 

「ふむ……」

「ろ、ロンにもらったんです。この前ホグズミードから持ってきたんです」

「なるほど。まぁ……残念ながらそうおっしゃるのなら、証明はできんか。――これもかね」

 

 興味なさげに悪戯グッズを机に置くと、今度は忍びの地図を手に取った。何も知らない者からすればただの羊皮紙だ。

 

「羊皮紙の余りです」

「確かに……()()()()そう見える」

 

 ゴミかね、とスネイプは聞いて、ハリーは頷いた。

 

「そうか」

 

 スネイプは暖炉に歩き出した。ぞっとする想像をして、ハリーは思わず叫んだ。

 

「やめて!」

「――で、あろうな」

 

 スネイプは杖を振り、悪戯グッズを全て消してしまった。

 

「菓子類はどうでもよろしい。しまいたまえ」

「は、はい」

 

 ハリーは慌ててお菓子をポケットに詰め込んだ。まっさらになった机の上に、スネイプは羊皮紙を置いた。

 

「これもお友達の贈り物かね。悪戯専門店に並ぶような品ではなさそうだが」

 

 スネイプは杖でいろいろと調べ始める。

 

「手紙か……透明インクで書かれているとか? 悪戯用品のカタログ……。悪戯を仕掛ける相手のリスト……。あるいは吸魂鬼を遠ざける魔法がかかっているとか」

 

 スネイプは推測を言う度にハリーの顔をじっと観察する。

 

「もしかしてこれはホグワーツとホグズミードをつなぐ抜け道を示す案内書か?」

 

 ハリーはほんのわずかに動揺してしまった。じいっとわずかな動きさえ見逃さないと見張っているスネイプにしてみれば、答え合わせのようなものだった。

 

「なるほどな。案内書……いや、地図か」

 

 正体を現せ、とスネイプは杖を振って命じる。無反応。

 

「正体を現せ!」

 

 無反応。白紙のままだった。このままだと大丈夫かもしれない。ハリーは深呼吸した。

 

「忌々しい……。ホグワーツ教師、セブルス・スネイプ教授が汝に命ず。汝の秘匿を解くべし!」

 

 スネイプが鋭く命ずると、ひとりでに羊皮紙に文字が浮かび上がる。

 

ムーニーからスネイプ教授へ。他人に対する異常なおせっかいはお控えくださいますよう切にお願い致します

 

 スネイプは硬直した。ハリーは唖然と羊皮紙の隠された仕掛けを見続ける。また文字が現れる。

 

プロングズもミスター・ムーニーに同意し、申し上げる。スネイプ教授は禄でもない嫌な奴だ

 

 羊皮紙にバカにされるスネイプという絵面は、こんな深刻な状況でなければ吹き出してしまいそうになるほど可笑しかった。しかも、文字はまだまだ終わらない。

 

パッドフットはかくも愚かしきものが教授になったことに驚愕の意を示すものである

 

 スネイプは今にも羊皮紙を燃やしかねないほど凶悪な顔をしていた。最悪なことにまだ文字は終わらない。

 

ワームテールがマローダーズを代表しスネイプ教授にお別れを告げるとともに、薄汚いどろどろ頭を洗い、清潔を保つようご忠告申し上げる

 

 それ以降、文字は現れなかった。冷静になると、もうこれでおしまいだということがはっきりと分かった。スネイプにはこの鬱陶しい羊皮紙を暖炉の焚き付けに使わない理由がないのだ。

 

「なるほどな」

 

 意外にも、スネイプは羊皮紙をつかまなかった。代わりに暖炉のそばまで寄ると、暖炉の上に置いてある瓶の中からキラキラした粉を一握り掴むと、炎の中に放り投げた。

 

「ルーピン! 話がある!」

 

 炎に向かって叫ぶスネイプを不思議に思っていると、炎のそばに何やら人型が急回転しながら現れ、回転が収まる。そこにはルーピンがいた。

 

「スネイプ先生。お呼びのようですが。おや、ハリー」

「本職の意見をお聞きしたくてお呼び申し上げた」

 

 スネイプは机の上の羊皮紙をびしりと指さした。

 

「ポッターがこの羊皮紙を持っていた。教師権限の秘匿暴露を使わねばならぬほどの強い隠蔽魔法がかかっていた……。これは闇の魔術に関わる品であると考える次第だが」

「闇の魔術の品?」

 

 ルーピンはスネイプの脇を通り抜け羊皮紙のある机に向かう。彼は一瞬ハリーの方を見てウインクした。

 

「ふーむ……」

 

 ルーピンは杖を取り出して何やら調べる風をする。

 

「危険はなさそうですね。どうやらなにやら文字を現す悪戯グッズではないですか? 教師に見つかって、暴露呪文をかけられることで発動するタイプの。いかにも捻くれた悪戯小僧が考えそうなことですな」

「ではポッターがどこでこれを手に入れたとお考えか?まさか……悪戯専門店とは言いますまい?」

 

 ルーピンはまさしく、と言った風に頷いた。

 

「その通り、ゾンコの悪戯専門店でしょうね」

「吾輩、真実は当の捻くれた悪戯小僧から直接仕入れたのではと考えているのですよ、つまり、そういうことだルーピン先生」

 

 ふうむ、とルーピンは羊皮紙を見た。

 

「ムーニー、プロングズ、パッドフット、ワームテール。ハリー、この名に聞き覚えは?」

 

 ふるふるとハリーは首を振った。

 

「だ、そうですが。ならもういいでしょう? スネイプ先生はどうやらまだお疑いの様子。私が責任を持ってこの『闇の魔術の品』は処理しておきましょう」

 

 ルーピンは羊皮紙をさらりと手に取って、瞬く間にローブの中にしまった。

 

「では、私はハリーに用件があるのですがよろしいですか?」

「……。——無論」

 

 スネイプの顔は口惜しげに歪んでいた。ハリーはルーピンに連れられて、外に出た。

 

「さあ、寮に戻ろう」

「はい先生。その、羊皮紙のことなんですが……」

「私は何も聞くつもりはないよ」

 

 寮への道すがら、ルーピンは言った。

 

「私はこれが地図だと知っている……。なぜかって? ハリー、本当に秘密のことなんていったいどれだけあると思う?

 それよりもだ。私はこれが君の手の中にずっとあったことを……つまり、先生に提出しなかったことを大いに驚いている」

 

 ルーピンの声には僅かな失望が含まれていた。

 

「その……ごめんなさい」

「大いに反省するといい。ロングボトムのミスで敵を寮に侵入させたばかりじゃないか……。これを作った人たちの思惑に誘われるまま外に出て、それでブラックに捕まったらどうするんだ? 残念だけどこれは返してあげられないよ」

 

 先生にみつかった時点で、そうなることは半ば覚悟していた。だがハリーには一つ気になったことがあった。

 

「先生は……ご存知なんですか、これを作った人たち……マローダーズを」

「会ったことがある。私が地図を知っていたのもその関係だ」

 

 ただ、ルーピンはそれ以上いうことはなかった。

 

「ハリー、庇うのはもうこれっきりだ。次は庇ってあげられない。

——正直言うとね、僕は君を凄い奴だと思ってた。吸魂鬼と戦う術を真剣に学ぼうとする姿に感心させられた」

 

 ルーピンはゆるゆると首を振った。

 

「それなのにこんなことをするなんて。吸魂鬼は脅威に思えても、マグルを大勢殺した殺人鬼は大したことないと思ったのかい? それならば……僕は君に変な自信をつけさせたってことになる。次こんなことがあるようなら、吸魂鬼対策の訓練についても考えなきゃいけなくなる。ハリー、お願いだから僕にそんなことをさせないでおくれ」

 

 ルーピンはそう言うと、ハリーの返事も聞かずにスタスタと去って行ってしまった。ハリーは項垂れながら談話室に戻る。

 

 すると、談話室に奇妙な光景が出来ていた。絶対的な決別をしたはずのロンとハーマイオニーの距離が物凄く近かった。だが、それを喜ぶことはできなかった。ハーマイオニーは机に突っ伏して啜り泣いており、その背中をロンが撫でて慰めていた。何かよくないことが起こったのは間違いない。

 

「——ロン、どうしたの?」

 

 もしかして二人の間でなにか決定的な何かが起こってしまったのではないか……そんなハリーの想像とは裏腹に、ハーマイオニーを見るロンの目は同情的だ。

 

「ああ、ハリー。大丈夫だった?」

「いや……。『アレ』は取り上げられちゃった。ハーマイオニーはどうしたの?」

 

 ひっく、ぐす、と机に突っ伏して泣き続けるハーマイオニーから話は聞けないと、ハリーはロンに近寄る。するとロンは一枚の手紙をハリーに渡した。

 一瞬、ハリーはそれが文字だと認識できなかった。それ程までに擦れ、涙で滲み、震えた文字で書かれた手紙を読んで、ハリーは絶句した。

 

『ハーマイオニーへ

 敗訴した。

 お前さんが俺たちにしてくれたことは忘れねぇ。一生恩に着る。

 重ね重ね、ありがとう』

 

「……バックビークが……負けた?」

「なんとかなると思ってた」

 

 ハーマイオニーは目を擦りながら言った。

 

「理論は完璧だった……。ハグリッドもきっと上手く弁護したわ。5つの判例と3つの前例。毎日毎日頑張ったのに……。結局、結論は決まってたの……」

 

 ハーマイオニーの声は絶望すら滲ませていた。大人への不信感、恐るべき悪意を前にしたときのどうしようもない無力感。泣くしかできない自分。全てが悔しくて、悲しかった。

 

「そんなのって……。そんなのってないよ。そうだ、どうせマルフォイのお父さんが脅したんだ。ハーマイオニーは悪くないよ」

「あの人は法廷に来ることすらなかったらしいわ」

 

ハーマイオニーは泣きながら続ける。

 

「本当に、あの人たちは、危険な魔法生物を一匹でも減らすことに人生を懸けてるの。——そんなの、勝てっこないわ」

「で、でも、裁判官なら正しいことを選ぶはずだ」

「委員会の集合写真を見たことあるわ。全員ヨボヨボの老人ばっかりなの。そのくせ目は鋭くて。自分が死ぬ前に少しでも魔法界を安全にしようと使命に燃えてるのよ」

「バックビークは危険じゃないよ!」

 

 ハリーは言うが、ハーマイオニーは力なく首を振るだけだった。

 

「無理よ。もう限界……。これ以上なんてできやしないわ……」

「ハーマイオニー、らしくないぜ」

 

 ロンは発破をかけるように言った。

 

「ここで諦めるのがハーマイオニーじゃないはずだ。それに、これからは僕も手伝う。一人で抱え込むなよ」

「ああ、ロン!」

 

 ハーマイオニーは感極まってロンの首に抱きついてわっと泣き出した。照れたようにロンはあたふたし始めるが引き離すこともできず、彼は諦めたような表情になってハーマイオニーの頭をゆっくりとあやすように撫でる。

 

「ごめんなさい」

 

 ロンの耳元で囁くようにハーマイオニーが言う。

 

「私、ずっと謝りたかった……。スキャバーズのこと、本当にごめんなさい。私、『どうにか』できたのに、しなかったわ。それが本当に申し訳なくて……」

 

 ああ、うん、別にいいよと言うロンの声はまるで意思がこもっていなかった。年寄りの、老衰間近のネズミよりも、涙ながらに抱きついてくるハーマイオニーの方がよほどロンの気を引いた。

 

「……そ、それにだ。あいつはもう年寄りだった。その、癪だけどさ、自然の摂理ってヤツだよ、ウン」

 

 ロンはいつかフレッドとジョージに言われた理屈をそのまま口にした。

 

「いつか来る別れが来ただけ。——今度、もしかしたら新しいフクロウ買ってもらえるかもしれないじゃないか」

 

 ロンは取り繕うように言うが、ハーマイオニーは何度も謝る。

 

「と、とにかく、控訴のことを考えようぜ、ハーマイオニー」

「ええ、本当にごめんなさい、ロン」

 

 ハーマイオニーはようやくロンから離れて、机に向かった。あからさまにホッとしたような表情をロンはしたが、その顔は半ばにやけていた。


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