【完結】ハリー・ポッターとワシ使いの傭兵   作:丹寺 錯視屋

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『逆転時計』の奇跡

――1994年6月 ホグワーツ医務室

 

 カサンドラはなんとも言えない顔をしてスネイプと魔法省大臣ファッジのやり取りを見ていた。

 

「全く……なんということだ……! ホグズミードからホグワーツに隠し通路があるなど……! スネイプ先生、あなたが居合わせたようで本当に良かった……」

「いやはや、全く……。恐れ入ります、閣下」

「しかし……あのブラックを捕まえるとは、さすがはホグワーツの教授だ……。この功績を讃えないことには魔法省の名が廃りますな。マーリン勲章、勲二等……いや、説得次第では勲一等すら視野に入る」

 

 スネイプが嬉しそうに顔を綻ばせるのを、カサンドラはじっと見つめる。

 

「まことにありがとうございます」

「しかし、随分とボロボロですな。ブラックに?」

「いえ、ポッターにやられましてな」

「なんと?」

 

 流石に口出ししようかとカサンドラが足を進めたのと同時、スネイプは続きを言った。

 

「いえ、彼に責任はありません……異様な言動から考えるに、錯乱の呪文でしょうな。あのブラックが無実な聖人君子だと思い込まされているようでした。マクゴナガルに説教されているロン・ウィーズリーにもヤツの影響がないか調べなければなりませんな」

 

 カサンドラはスネイプの執念に内心驚く。いくらブラックを擁護しても、『錯乱の呪文』の影響に置かれていると判断されるわけだ。

 

「ふうむ……おぞましい」

「ええ、実におぞましい犯罪者です。ヤツは学生の頃から悪辣でした。ブラックとポッターは友情の証と称してこの私を殺そうとしていたのです」

 

 ファッジはその告発を聞いて、眉を潜めた。

 

「それは恐ろしい真実ですな。しかし、スネイプ先生。もはや心配はご無用です。奴には間違いなく吸魂鬼の『キス』が施される……」

 

 ファッジがそう言うや否や、病室のベッドからハリーが飛び出してきた。ハーマイオニーも同じだった。

 

「ダメです!」

「そうです本当は違うんです大臣!」

「ああ、ハリー、それにグレンジャー」

 

 ハリーはファッジに詰め寄った。

 

「ダメです、大臣! シリウス・ブラックは無実です! ピーターが! ピーター・ペティグリューが父さんを裏切ったんだ! シリウスは何もしてない! 悪い人じゃないんです!」

 

 ハリーは必死に言い募る。カサンドラはゆるゆると首を振った。そんなふうに捲し立てて、大人たちがどう思うか。

 カサンドラの予想通り、ファッジは嫌悪に顔を歪ませた。

 

「なんと――おぞましい。こんな悪辣なことがあるか? ジェームスの子に……。自分の仇を取りに行った親友が真犯人だと思い込ませるとは。この手口、まさしく死喰い人のものだ」

「吾輩、悪戯小僧のポッターには色々と思うところはありますが……両親を裏切った男を庇うよう仕向けられるとは、あまりに哀れ」

 

 スネイプはいかにも同情したような表情を作って言った。 

 

「――もう少し奴に話を聞く必要があるようですな」

「ご一緒しましょう、閣下。カサンドラ、くれぐれも、頼んだぞ」

「はいはい。ったく。あんまり高度なこと要求するようなら金を取るぞ」

「いかようにでも請求するがいい」

 

 それからスネイプとファッジは医務室から出て行った。ハリーの言葉をほんの歯牙にもかけない様子に、ハリーは茫然とした。

 

「カサンドラ! どうして本当のことを言ってくれないの!?」

「そうよ! カサンドラが言えば、きっと大人たちだって信じてくれるわ!」

 

 ハーマイオニーもカサンドラに詰め寄った。カサンドラは医務室の壁に背中を預ける。二人は大人が同意すれば信じてくれると思っているようだが、事実は違った。

 

「それは無理だ。ブラックを無罪放免にするのは、証言だけじゃ不可能なんだ。私のでも、それこそダンブルドアの証言でも無理だろうな……。それくらい、ヤツの有罪を覆すのは難しい。言葉よりも、証拠がいる。それこそ、ブラックがマグルを殺しておらず、ピーターがやったと言う明確な証拠が」

「でも……! そうだ! ピーターを探して、証言させればいい! そうすればシリウスは無実だってわかってもらえる!」

 

 カサンドラは否定的だった。

 

「ピーターがいても、どうかな……。魔法界には心や記憶を操作する方法がありふれている。奴の無実を証明するものは何もなく、その逆の事実はありふれている。具体的に言うとだな、アズカバンを脱走してるのが痛いな。ホグワーツの寮に侵入しようと門番の絵画を損傷させたのも不利に働くだろう。それになにより、寮に侵入したあいつが最初にやったのはナイフを握りしめてロンを襲うことだ」

「カサンドラは知ってるでしょ!? シリウスはロンを狙ったんじゃない、ピーターを狙ったんだ!」

「なら……シリウスは無実じゃない。殺意を持って学校に侵入し、それを実行しようと様々な策を弄した」

「未遂だ! 死刑になるほどの罪じゃない!」

 

 それはそうなんだがな、とカサンドラは形だけは同意する。だが、どうにも子供たちの目には、カサンドラがシリウスのことをよく思っていないように見える。

 

「どうしてそんなにシリウスを悪く思うの? シリウスは無実だったじゃないか。カサンドラだって聞いてたよね?」

「最初から最後まで聞いてたさ、ハリー。聞いた上で、スネイプの復讐を止めるほどの人間じゃないと思った。それだけだ」

「そんな……! カサンドラ、復讐は悪いことよ! 止められるなら止めるべきよ!」

 

 カサンドラはわずかに目を細めた。言いたいことはいくつかある。だが、カサンドラが復讐を肯定する理由は、少なくとも子供に言って聞かせて諭すような類のものではない。

 

「……そうだな。いけないことだ」

「ならスネイプを止めないと! 学生時代の復讐なんて間違ってるよ! 無実の人間が吸魂鬼にキスされて死ぬなんておかしい!」

「だが……そのいけないことを最初にしようとしたのはブラックだ」

 

 ハリーは黙った。

 

「結局は未遂に終わったが……。ヤツは念入りに狙っていた。それに、もし仮に無罪放免になったところで、奴の次の行動はペティグリューを探すことだ。死刑になるのが早いか遅いかの違いでしかない」

「違う! 違うんだ! シリウスは僕と暮らすんだ! シリウスは僕と一緒に、名付け親として後見人になってくれるって言った! 僕の面倒を見るのに忙しくて、復讐なんてやってる暇はないよ!」

 

 ああ、それでか。カサンドラは納得した。大して交流があるわけでもない脱獄犯をやけに庇うなと思っていたらつまりはそう言うことだったのだ。

 

「ハリー……」

 

 カサンドラは何も言うことができなかった。諭すのも、説教するのも、違うのだ。地獄のような家庭環境から逃れたい。自分を虐げないなら犯罪者だってかまうものか。そう子供が思うことに、いったいなんの罪があるというのだろう。

 言葉を選んでいるうち、医務室の扉が開いてダンブルドアが入ってきた。

 

「おお、ハリー。起きていてもよいのかな」

「先生! 聞いてください、僕、本当のことを知ってるんです! ピーターが! ピーター・ペティグリューが全部悪いんです!」

 

 それからハリーは矢継ぎ早に真実を報告していく。ダンブルドアはうむ、うむとうなずいた。

 

「ハリー、言いたいことはよく理解できたよ。ワシでも驚くような真実が山のようにあった」

「なら!」

「じゃが……もはや事はワシでも動かしようがないところまで来ておる。ワシがいくら言おうとも、ジジイの戯言だと切って捨てられる……ハリー、お主が知る真実は、それほどまでに意外で、荒唐無稽な事なのじゃよ」

「なら、先生は、先生は無実の人間が吸魂鬼に殺されるのがいいって、そうおっしゃるんですか」

 

 ダンブルドアはちらりとカサンドラを見た。そして、パチリとウインクした。

 

「そうは言っておらん」

 

 ダンブルドアはハリーを見た。そして、じっとハーマイオニーを見つめる。

 

「――必要なのは時間じゃ」

「――え?」

「ハーマイオニー、わかるじゃろ? 時間じゃよ。自由に動ける時間が必要じゃ。よいかの、誰がやったか気取られてはならんぞ」

 

 ハーマイオニーはふるふると首を振った。

 

「そんな、でも、ダメです。だって、それなら私は……いったい今まで何のために……苦しんできたの……?」

 

 ダンブルドアはハーマイオニーと同じように苦しそうな表情をした。今年一年、彼女がどれほどの思いで選択を続けてきたのか、わかるからこその表情だった。しかし、ダンブルドアは柔和な笑みを浮かべると、ハーマイオニーに語り掛ける。

 

「ハーマイオニー。人の命には変えられん。そうは思わんかのう?」

「――でも、過去は……」

「過去は、()()()()()んじゃ。変えることなどできぬ。賢いお主ならわかるじゃろう?すでに、増えた時間は終わっておる。結果もすでに、わかっておる」

 

 ダンブルドアの謎かけのような言葉に、ハーマイオニーはハッとなった。

 

「――そんな、嘘でしょ? そういうことだったの?」

「そういうことじゃ。よいか、教員はお主の事情を知っておる。故にくれぐれも、見られてはならぬ。全てが露見してしまう。しかし、上手くやれば……一つとは言わず、救える命があるじゃろう。ブラックは今、八階のフリットウィック先生の事務所に閉じ込められておる。西塔の右から十三番目の窓じゃ。回数は……三回と言ったところかの」

 

 ダンブルドアは重ね重ね、忠告した。

 

「では、行こうかの、カサンドラ。医務室の外で……そう、ハリーたちが無茶をしないよう、見張っておかねばの?」

「……そうだな」

 

 カサンドラはダンブルドアに続いて、医務室から出ようとする。最後に、ハリー達に言う。

 

「復讐を止めるのは結構だが……。スネイプからの恨みを買うぞ、ハーマイオニー」

 

 カサンドラが言うと、ハーマイオニーは静かに頷く。

 

「救える命があるのなら、私は、迷わないわ」

「――そうか」

 

 強い子だ。カサンドラは思う。

 

「切羽詰まったら私には事情を言うといい。お前の知ってるカサンドラがどう行動するか……。見誤るなよ」

 

 カサンドラは医務室の外に出た。

 

「つまり、バックビークの時のアレはそういうことだったのか」

「そういうことじゃよ」

「なるほどな……。本当に、危険な事をする。でもよかったのか? ブラックは……ハリーたちがリスクを犯して助けるほど価値がある奴とは思えんが」

 

 カサンドラが言うと、ダンブルドアは驚きに目を見開いた。

 

「なんと……。カサンドラはそう思うかの?」

「当然だ。今年一年奴には肝を冷やされてばかりだったからな」

「ワシはそうは思わんよ。このホグワーツでは、救える命は救われて然るべきなのじゃ。バックビークも、ブラックも」

「もしハーマイオニーが助けなかったら、バックビークをどうしてた? まさかそのままってわけじゃないだろう?」

 

 カサンドラが聞くと、ダンブルドアは朗らかに笑った。

 

「そうじゃのう、ちょい、ちょいじゃ」

「……なるほどな。ま、ブラックの件には思うところがあるが……雇い主の意向っていうことなら、とりあえずはそれでいい。お、帰ってきたみたいだな」

 

 カサンドラは廊下の奥を見る。バタバタと走ってくるハーマイオニーとハリーを見て、カサンドラは柔和な笑みを浮かべた。

――1994年6月 ホグワーツ医務室

 

 ハリーはダンブルドアとハーマイオニーのやりとりがさっぱりわからなかった。時間? 何が言いたいんだろうか。

 ちんぷんかんぶんなハリーとは裏腹に、ハーマイオニーは全てを察しているようだった。ハーマイオニーはハリーに向きなおると、首に下げたネックレスをハリーに見せた。

 

「ハリー、今からいうことをよく聞いて」

「う、うん」

「今から私たちは過去に行くわ。きっかり三時間、過去に戻るの」

「――え?」

 

 過去に、戻れるの? ハリーの疑問をよそに、ハーマイオニーは切迫した表情でハリーに説明を続ける。

 

「今から三時間、私たちは誰にも見られてはいけないわ。誰にも見られずにバックビークとブラックを助けなきゃいけない……難しいけどやるしかないわ。覚悟はいい?」

 

 ハリーの返答は決まっていた。

 

「もちろん」

 

 ハーマイオニーは手元の砂時計がついたネックレスのつまみをくるくるくる、と三回回転させた。景色が流れて、ふらりとハリーはふらついた。

 

――3時間前の医務室に戻ってきた。

 

「急ぎましょう、まずはハグリッドの小屋よ」

 

 ハーマイオニーはハリーの腕を掴んで駆け出した。

 

「どういうこと――? ハーマイオニー、僕何がなんだか」

 

 小屋に続く玄関口まできたところで、ハーマイオニーが柱の影に隠れた。

 

「ハーマイオニー?」

「しっ。黙って」

 

 ハーマイオニーは静かに玄関ホールの方を指さした。するとそこにはなんと今にも透明マントを被ろうとしているハリー達三人の姿があった。

 

「え? 僕らがいる?」

「誰にもバレてはいけない理由がわかったでしょ、ハリー。私たちがもう1人の私達を見ていない以上、見つかったら時間がおかしなことになるわ。――誰もいなくなったわ。行きましょう」

 

 ハーマイオニーはきょろきょろと当たりを見回して、小屋までの道を走り出す。

 

「でも、そんな、そんなことが?」

「逆転時計……。過去に戻れる、物凄く貴重な魔法具よ」

 

「過去に……戻れる?」

「ええ、そうよ」

 

 道のど真ん中ではなく、草むらの影を移動しながらハーマイオニーは説明を続ける。

 ハグリッドの小屋にたどり着いたころ、ハーマイオニーはひとまずは安心して、一息ついた。

 

「しばらくは大丈夫そうね……。とにかく、これを使うときに絶対に守らないといけないことがあってね。5時間以内の移動に留めること、次に過去では誰にも見られてはいけないこと。この二つよ。でも……」

 

 ハーマイオニーは思案顔になった。

 

「でも?」

「 校長先生はおっしゃったわ。過去を変えることなどできない。過去はもうすでに過ぎているって」

「――それが? 当たり前じゃないか」

「でも、私たちは現に過去に来てる。なのに変えられない……。矛盾よ。あるいは、禅問答。ハリー、SFは読むかしら」

 

 肩を竦める以外に何ができるだろうか。マグルの本なんてここ数年触ったこともなかった。その様子に、ハーマイオニーはため息をつく。

 

「時間移動するタイプのSFでは、過去改変に対してどう設定するかで結構議論されてるの。色んな類型はあるけど……私が今、最も正しいんじゃないかと思ってる説が、『過去改変も正しい歴史である』って説」

「ごめんハーマイオニー、もう頭がこんがらがってきた」

 

 ハーマイオニーはちらりと小屋を見る。まだハグリッドは出てきてないし、遠目にルシウス達が見える。時間はまだある。

 

「過去は……つまり、時間移動をする前から、時間移動して私たちがこれからすることの結果は出てるの」

「……?」

「例えば、もし私がこれからハグリッドのところに行ってカサンドラとハグリッドに全部の事情をぶちまけたとするわ」

「しないよね?」

「しないわよ。そうした場合、透明マントで隠れてる私たちは当然その場面を見てるし、今ここにいる私達も、その光景を当然見てる」

 

 ハリーにはよくわからない。話があまりにも概念的過ぎて、全然頭に入ってこないのだ。

 

「そうした場合、私たちが知ってる過去が変わったんじゃなくて、そんな過去は、最初っから存在しないの」

「……でも、今僕らが飛び出せば、未来はおかしくなるよ?」

「『()()()()()()』から、おかしくならないわ。過去に来といてなんだけど、『もし』は考えるだけ無駄なのよ、多分」

「――ということは……バックビークは元々死んでなんかいなかったってこと?」

 

 ハーマイオニーは頷いた。

 

「バックビークの救出に私たちが成功すれば、そういうことなんでしょうね。私達だって死体を確認したわけじゃないでしょ?」

「……そうだね」

 

 ハリー達が知っているのは斧を振り下ろす音と、ドラコが喜ぶ声だけだ。

 ハーマイオニーが一通り説明が終わると、ハグリッドの怒声が聞こえてきた。

 

「そろそろよ。もう理事達は確認が終わってる……。私達が走り出して、処刑される前にバックビークを救出するの」

「無理だよ。カサンドラが……」

 

 ハリーは言った。小屋とバックビークのそばからカサンドラが離れない。

 

「――私がおびき寄せるわ。でも、死んじゃうかも……」

「そんなこと、ありえるの?」

 

 ハーマイオニーは恐ろしかった。今からとんでもない方法でカサンドラを誘き出そうとしている。死ぬかもしれない。過去のハーマイオニーは、今ここにハーマイオニーがいる以上絶対の安全が保障されていると言ってもいい。だが今ここで過去に来ているハーマイオニーは死んでもおかしくはないのだ。

 

「――カサンドラは、私と会っても私を殺したと言わなかったわ……。だから、多分、大丈夫……。大丈夫よ、多分、いえ、そう、絶対に」

「無理しないほうが……」

「無理するの。いい、私がカサンドラをおびき寄せるから、ハリーはバックビークを逃して」

「でも」

「時間がないの!」

 

 ハリーは木陰を移動してバックビークがすぐに逃せる位置まできた。それを確認して、ハーマイオニーは杖を引き抜く。

 

 大丈夫だろうか。

 理論は大丈夫のはず。

 

 やっぱりやめとこうか。

 そんなことがぐるぐると頭の中をめぐる。

 決断の時が迫っている。

 ハーマイオニーは弓で射られた時のために、木の幹に体を隠して、杖をカサンドラに向ける。そして呪文を唱える。

 

「……アバダ――」

 

 杖を振り上げて最初の文言を言ったあたりで、ハーマイオニーは慌てて木の幹に身を隠した。カサンドラが鋭い目でこちらを見ていたのだ。ハーマイオニーの心臓が早鐘を打つ。本当に反応してくるとは。カサンドラはカンが鋭い。殺すつもりでアバダケダブラの呪文を撃とうとすれば、絶対に反応する。そう思ってのことだった。本気でカサンドラのことを殺す気はなかったが、それでも反応してきた。

 

「……?」

 

 だが、妙だった。カサンドラならきっとこちらにやってくると思っていたのに、一切反応がない。近づいてくる足音さえ聞こえないなんて、どういうことだろう。もしかしておびき寄せるのに失敗したのだろうか?

そう思ってハーマイオニーは身を隠していた木の幹から顔をほんの少しだけ出した。

 

「……!?」

 

 そして、自分の目の前にメイスの頭が視界いっぱいに広がった。

 

「ハーマイオニー!? お前なぜここに……!?」

 

 カサンドラは聞くが、ハーマイオニーはそれどころではなかった。腰を抜かして、へたりこんでしまった。下着が若干濡れている。死んだと思った。確実に殺されたと思った。

 

「わ、わた、私、生きてる?」

「ギリギリでな。何があった」

「ごめんなさい、何も、言えないの」

「何故だ?」

 

 ――ハーマイオニーは、ゴクリと喉を鳴らした。誰にも見られてはいけないという禁を破ってしまった……。もう何もかもがおしまいだ。

 だが、ハーマイオニーはそこでふと思いつく。そうだ、自分はカサンドラと会っていない。つまり、今この時間に存在するハーマイオニーとして振る舞えるんじゃないだろうか?

 

「バックビークを、助けたくて」

「それで殺気で私をおびき寄せたのか?」

 

 ちらりととカサンドラがバックビークのいたところを見る。すると、もうそこはもぬけの空だった。

 

「――全く。よくやるよ。だがな、ハーマイオニー。本当にあと一瞬気付くのが遅れたら、お前の脳みそはメイスのシミになってたんだぞ。二度とするな」

「ごめんなさい、切羽詰まってて……。二度としない、絶対に……」

 

 生きた心地がしなかった。走馬灯こそ見ることはなかったが、それに近い感覚は味わった。

 

「さぁ、行くぞ。減点と罰則だ」

 

 だがハーマイオニーの絶望はまだ終わらなかった。

 

「ま、まって、そういうわけにはいかないの」

「何?」

 

 ハーマイオニーはどうしたものかと頭を捻らせる。だが時間は刻一刻と過ぎていく。破れかぶれだった。ここでカサンドラに引っ立てられて他の大人達に見つかれば全てがご破算だ。

 逆転時計のことを話してしまうか? 自分を見たことを黙っていてもらえばもしかしたら……? ハーマイオニーはだんだんどうするのが正しいのかわからなくなっていく。そもそも無理な話だったのだ。カサンドラの監視を掻い潜って誰にも気付かれずに事を成し遂げるなど。ここを乗り切っても次はブラック救出がある。

 ハーマイオニーの心はあっという間に処理限界を迎えてしまった。ポソリと、思わずと言ったふうにこぼしてしまう。

 

「カサンドラは、逆転時計のこと、どこまで知ってる?」

「――逆転時計? それがどうし……。お前まさか、未来のハーマイオニーか」

 

 気付かれた。もうおしまいだ。ハーマイオニーは絶望する。どうなるのだろう。このまま時間の狭間にとじこめられてしまうのか。カサンドラに殺されるのか。時間の狭間は苦しいのだろうか、痛いだろうか、寂しいのだろうか。嫌な想像がどんどん湧いてくる。

 

「――ったく。見られるなが鉄則だろうが。何時間先だ」

「……ひっく、ぐす……」

 

 ついには思わず泣き出してしまった。

 

「泣くな。しっかりしろ。今ここでくじけたら終わりなんだぞ」

 

 カサンドラは指でハーマイオニーの涙をぬぐいながら聞く。

 

「ぐす、ひっく、三時間……」

「3時間……3時間か。いいか、黙っておいてやるから、次に私に何をしてほしい。未来を告げずに、それだけを言え」

 

 ――ハーマイオニーは色々と考えた。そして、ゆっくりと口に出す。

 

「――今から……暴れ柳のところに行って……。急がなくていいわ……。ルーピン先生が来るから……。あとは、わかると思う」

「暴れ柳でルーピンを待てばいいんだな。他には?」

「ひぐ、ない……ぐす」

 

 ああ、もう、とカサンドラは言う。

 

「何かあったのかのう、カサンドラ?」

 

 カサンドラがハーマイオニーから離れた。

 

「いや……。バックビークを逃したやつがいるかもしれないと思ったんだがな」

「ほう、ほう。じゃが、誰もおらんかったと、そう言うわけじゃな」

 

 ダンブルドアの声は嬉しそうに弾んでいた。カサンドラは木の幹のそばで肩を竦める。ダンブルドアからハーマイオニーを隠すように。

 

「ああ。――なぁじいさん!」

 

カサンドラは魔法生物処理委員会の老人に向かって歩き始める。

 

「――こんなことがあるとはのう」

「処刑はどうするんだ? 今からイギリス全土を探しに行くか?」

 

 ふむ、と老人は顎に手を当てて考えた。

 

「まぁ……。管理人の弁護からもわかるとおり、ヒッポグリフはそこまで危険度は高くない……。消せるなら消したほうがいいのは間違いないが、わざわざ人手を使って探し出し、処分するほどでもない」

「つまり無罪放免ってわけだ」

 

 これに怒ったのが処刑人だ。さっきまで斧を研ぎ、バックビークの首をおく晒し台まで用意していたのに、それが全部無駄になったのだ。処刑人は怒りのあまり、斧を地面に振り下ろした。

 

「――ということは父上、バックビークは……殺されないで済むの?」

「の、ようだな」

 

 ルシウスは息子の反応を探るように答えた。ドラコは嬉しそうにはしゃいだ。

 

「やった! ……やった!」

 

 それは、どういう意味の歓喜なのだろう。ドラコはそれからしばらく、無邪気にやった、やったと喜んでいた。

 

「――まぁ、これに懲りたらもう少し自分の立場を理解しろ。権力を持つものは、その言動の端々にまで気を配らねばならん。不用意なことを口にすれば、信奉者が余計な気を利かせてとんでもないことをしでかすこともある。今でこそお前はわがままとして私に言っているが、そう遠くない未来に、父親の私に頼むのではなく部下の人間に命じるのだ。今回は動物相手ゆえここで終わるが、人相手に同じことをしてみろ。そうやって無邪気に喜んでいる場合ではないのだぞ」

「う……。でも、でも父上……。僕は……。間違ってた……」

 

 ドラコはションボリとした様子でいう。

 

「――全く、信じられん愚図だ。これほどの大人を振り回して……。

 だが、まあ。それがわかっただけでもよしとするか」

「じゃあ、もうこれで終わりでいいな?」

 

 カサンドラは周囲を見回して言った。

 

「うむ、そうじゃのう。……何かあったのかの?」

「まぁ、未来からの指令ってやつだ」

 

 カサンドラはそう言うと暴れ柳の方へと歩き出した。

 

 一方その頃。洗浄魔法を念入りにかけて服を清めたハーマイオニーは、バックビークと一緒にいるハリーと合流した。

 

「大丈夫、ハーマイオニー?」

「死ぬかと思った……。ねえハリー私生きてる? 透けてたりしない?」

「んー、僕の目には、いつものハーマイオニーが見えるよ」

「ならいいんだけど」

 

 ハーマイオニーは森のそばによりながら、暴れ柳の方を見る。

 

「今の状況は?」

「ロンがシリウスに引き摺り込まれたところ。本当に……ハーマイオニー、ずっとこんなことを? 僕、何度飛び出そうかと思っちゃった」

「我慢してくれてありがとう……。世界の法則に逆らうのって、本当に怖いことなんだから」

 

 ハーマイオニーの見ている先では、暴れ柳のそばで腕を組んで待っていたカサンドラに、ルーピンが合流した。

 

「おや、カサンドラ、どうしたのですか?」

「いや、何かがいたような気がしてな。そっちは?」

「私も同じようなものです。念のため、確認に向かいますか?」

「そうさせてもらう。……だがどこに?」

「それは……。まぁ、秘密の通路というやつですよ。ブラックがいないかどうか、確認しましょう」

「ああ」

 

 それからさらにしばらく時間が経った。すっかりと夜になり、はっきりと満月が空に浮かんでいる。もう数分もすれば叫びの屋敷に行っていた面々がここに戻ってくるだろう。

 

「――ねぇ、ハーマイオニー、多分、バックビークに乗せてシリウスを逃せってことなんだろうけど……。それとは別に、どうしても確かめたいことがあるんだ」

「どうしたの?」

「僕……父さんを見たんだ」

「……え?」

 

 ハーマイオニーは不思議そうな顔をした。

 

「幻だと思う? 吸魂鬼が山ほど襲ってきたときに……カサンドラに揺さぶられて。ぼんやりと湖のほとりを見てたら、向こう岸に人影がいて……素晴らしい守護霊の呪文で僕らを守ってくれた。牡鹿だったんだ。きっと父さんだ」

 

 ハーマイオニーは顔をしかめる。

 

「こういうこと言うの、物凄く申し訳ないんだけど……。ハリー、あなたのお父さんは亡くなったのよ。10年も前に」

「わかってるよ! でも気になるんだ。あの場で僕らを助けられる人間は誰1人いなかった。――なのに助かってる。僕を助けてくれた人を確認したい。父さんじゃないならそれでもいい。僕、確かめたいんだ……」

 

 でも……。ハーマイオニーは思案顔になる。ハーマイオニーはその時気を失っていたから状況はよくわからない。だが、ハリーの言うことが確かなら吸魂鬼に襲われたハリー達を誰かが救出したことになる。

 

 ――ダンブルドア? いや、彼の守護霊は不死鳥だ。

 ――ルシウス? それなら、ドラコも一緒なはず。それにいくら遠くても髪の毛の色は間違わない。

 

 ハーマイオニーはそれが可能な人間を、片っ端から検証していく。

 条件は二つ。ハリー達の危機を知ることができて。

 あの場に駆けつけることができる人間。

 

 ――そんな都合のいい人間、いるわけがない。

 

 そこまで考えて、ハーマイオニーはふと疑問に思う。

 

「どうしてお父さんだと思ったの?」

「それは……。雰囲気とか、シルエットとか……なんとなく僕に似てる気がしたんだ」

 

 ハーマイオニーは確信した。

 

「わかったわ。行きましょう」

「いいの?」

「いいのよ。なんでかは聞かないでほしいの。答えられるかどうかもわからないの」

 

 わかった、とハリーは言って、件の場所へと向かった。

 

 湖のほとりについた2人は、しばらく待機した。そうすると、やがて反対側の岸にたどり着いたシリウスと、彼を追いかけてきたハリーとハーマイオニーを見つけた。

 

「もう少しね」

 

 ハーマイオニーは吸魂鬼がやってくるのを感じて、悪寒にブルリと肩を震わせて言った。わずかに視線を空に移す。

 真っ黒なローブに覆われた悍ましき生き物が空を覆い尽くす勢いで集合していた。吸魂鬼は代わる代わるハリーやブラックから魂をつまみ食いし、過去のハーマイオニーにも多大な影響を与えていく。

 

「……父さん……どこ……? 早く来ないと僕が死んじゃう……」

 

 ハリーはキョロキョロと周囲を見回す。カサンドラがやってきて一匹の吸魂鬼が彼女に近づいた。だが、ほとんど何もせずその吸魂鬼はカサンドラから離れ……それきり、ほかの吸魂鬼はカサンドラを居ないものかのように扱った。

 

 ハーマイオニーにはその光景が不思議でならなかった。無防備なマグルなんて、吸魂鬼にとって格好のカモだろう。だが、それは後でも聞ける。もう時間がない。ハリーはまだ気付いていない。

 

「ハリー、行って」

「行く? ハーマイオニー、もう少しなんだ、もう少しで父さんが……あるいはほかの誰かが助けてくれる。もしかしたら父さんの兄弟かも……」

「ハリー、あなたなのよ」

「何が?」

 

 ハーマイオニーは今にも 弱って死にそうなハリーとブラックを指さした。

 

「あなたを助けるのは、あなたなの」

「でも、そんなことしたら時間は……」

「私を信じて。大事なのは、シリウスを助けようとする意思。違う?」

 

 ハリーは頷いて、杖を引き抜いた。一歩一歩踏み締めて歩き、ゆっくりと杖を空に向ける。

 

 ――想像する思い出は最近で最も幸せだった記憶。

 クィディッチで優勝したこと。たくさん妨害があった。無数の反則にあふれていた。その中でハリーはマルフォイの脇を雷となって駆け抜けて、スニッチを掴んだ。優勝した。自分がチームを勝利に導いた最強のシーカーだと証明した。その瞬間の幸福と言ったら――

 

 ハリーは確信した。できると。

 

「エクス……」

 

 何度も、何度も練習した。上手くいかなかった。だが、それももう終わりなのだ。今こそ、自分はやり遂げる。

 ハリーは万感の思いを込めて、魔法を発動した。

 

「『エクスペクトパトローナム――守護霊よ来れ』!」

 

 杖の先から、半透明の牡鹿が生み出され、大暴れして吸魂鬼を全て追い払った。ハリーはカサンドラがこちらに気付く前に身を翻し、木陰に隠れる。

 

「ハリー、凄いわ! できるって信じてた……! あなた――それ、すっごく高度な魔法なのよ!」

 

 ハリーはにっこりと笑った。

 

「やり遂げたよ、ハーマイオニー。さぁ、次はシリウスだ」

 

 ハーマイオニーはうなずく。次の行動に移らないと。

 

 それからしばらく時間を待って、ハリーとハーマイオニーはバックビークの背に乗って空を駆けていた。ハーマイオニーは高いところが怖いのか、ぎゅうう、とハリーの腰にしがみついている。

 

「シリウスの捕まってる場所……あそこか」

 

 ハリーはシリウスが捕まっている部屋の窓のそばまで移動する。大きな羽音に気付いたシリウスが、中から窓を開けて、驚愕に目を見開いた。

 

「――なんてことだ。ど、どうやって?」

「細かい事情を話してる時間はないんだ、シリウス。バックビークに乗って逃げて。さもないと死刑になっちゃう! 今なら逃げられる!」

 

 ハリーの言葉に、シリウスは即座に反応した。窓べりに足をかけると、バックビークの方に飛び上がり、ハーマイオニーの後ろに跨った。

 

「よし――行け!」

 

 ハリーは叫んで、バックビークを駆る。医務室から一番近いところで地面に降下し、ハリーとハーマイオニーはバックビークから降りた。

 

「シリウス。あなたは自由の身だよ」

「――私が君に与えるべきものだった」

「――いいんだ。行って。早く!」

 

 シリウスは目に涙を浮かべて頷いた。

 

「君はまさしくジェームズの息子だ……。勇敢なところがそっくりだよ。また……また会おう」

 

 シリウスはバックビークを操り、大空へと飛び上がってしまった。もう、シリウスが死刑に怯える必要はない。

 

「ハリー、行きましょう。医務室に。もう時間がないわ」

「わかった、走ろう!」

 

 ハリーとハーマイオニーは医務室に向かって駆け出した。医務室前の廊下に着くと、カサンドラとダンブルドアが出てくるところだった。カサンドラはにっこりと笑って聞いてきた。

 

「首尾はどうだ?」

「カサンドラ! 全部うまくいった!」

 

 ハリーが嬉しそうに報告する。

 

「バックビークも……シリウスも……みんな自由の身よ! 私はやったんだわ!」

 

 きゃいきゃいと大はしゃぎする2人に、カサンドラは思わず微笑ましげに見てしまう。

 

「ダンブルドア、ここからが面倒だぞ」

「なぁに、ワシとカサンドラにかかれば『ちょい』じゃよ。なぁ?」

 

 カサンドラは肩を竦める。バタバタと足音がいくつも聞こえた。

 

「さぁ、入れ。いいか、私たちに合わせろ」

 

 コクリと頷いて、2人は医務室にはいった。

 




一番長くなりました。時間関係は切っちゃうとややこしくなると思ったので、切らずに一話で終わらせました。

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