――1994年7月 ワールドカップ貴賓席
アーサー、カサンドラ、子供たちは順に魔法省大臣、ファッジと握手した。
「ええ、紹介いたします。彼はハリー・ポッター。ご存知でしょう? ええ、本物ですよ。この傷、ご存知でしょう? ハリー、彼はブルガリアの魔法省大臣だ」
ファッジがハリーを手のひらで紹介して、次に額の傷痕を指差した。
『ハリー・ポッター? まさかこんな子供だとは! 是非挨拶したいのだが……。なぜ通訳はいないんだ!?』
ブルガリアの魔法省大臣がわあわあと騒ぎ始める。だが、その場にいる誰も、通訳は出来なかった。
「うーむ、何言ってるかわからん。クラウチがいなければどうにもならんぞ。――指定席以外はブルガリアがせしめようとしているのか。抜け目ない奴らだ」
『な――よくもそんなことを!? そもそもなぜ我々に指定席のチケットが渡されていないのだ! クソっ、通じん!』
カサンドラは状況の悪さを悟って思わずこめかみを押さえた。ブルガリアの方はヒアリングはできてもしゃべることはできないようだ。それと知らずにファッジは好き勝手言っている。せっかくのワールドカップなのに、このままブルガリアとイギリスの仲が最悪になって終わるなど、とてもではないが見過ごせない。
『あー、ミスター。学のない身で悪いが、ほんの少しだけ通訳を引き受けようか?』
カサンドラが言うと、ブルガリアの魔法省大臣は大きく驚いたような顔をした。
『お、驚いたな。私はオブランスク。ブルガリアの魔法省大臣をしている』
『カサンドラだ。なんて言ったことにする?』
『本職の通訳が来るまで、お互い無言で過ごすのはどうかと聞いてくれ。ヒアリングだけできると知られるのは非常に、外交的にまずいことになる』
カサンドラは頷いて、ファッジに向き直る。
「ファッジ、彼は本職の通訳が来るまでお互い静かに過ごそうと言っているが?」
「こ、言葉がわかるのですか? なら是非とも――」
「――クラウチの仕事を取る気はない。資格もないのに大臣同士の通訳なんて、気がひけるよ」
今だって例外みたいなものなんだ。そう言いながら、カサンドラは回答を待つ。
「その通りに、とお伝えしてくれ」
『オブランスク、その通りにしようとのことだ』
『では、我々は失礼する』
オブランスクはそう言うと、ブルガリアの役人たちが固まって座っている席に向かっていった。
「実に助かりました、カサンドラ。おや、ルシウスじゃないか!」
ブルガリアの大臣が去るところを見計らって、マルフォイ一家が挨拶に来ていた。ハリーとロンは露骨に嫌そうな顔をする。対してハーマイオニーは複雑そうな顔だ。
ルシウスは背が高く細く、美人の女性を連れていた。カサンドラとハーマイオニーを目にすると、あからさまな嫌悪の表情を作った。
「これはこれは。是非ともご挨拶を申し上げなければと思いましてね。ファッジ……妻のナルシッサとは初めてでしたな? 息子のドラコとは去年会わせましたが……あの時は教育にかかりきりで、失礼をいたしました」
「お初にお目にかかります。ナルシッサ・マルフォイと申します」
一転して笑顔になると、ナルシッサは丁寧にお辞儀をした。
「こちらこそ、お初にお目にかかります。コーネリウス・ファッジです。ご子息のことは気にしていないよ。よくできた子じゃないか」
「これは過分な評価をどうも……」
ファッジもお辞儀を返すと、早速と言わんばかりに近くにいたルード・バグマンを呼びつけた。ルシウスは家族を連れて自分の席へと向かう。去り際にアーサーへ蔑むような目で見ることも忘れないあたり、二人の確執は凄まじいものがあるのだろう。
「ルード、手筈は?」
「全く問題ありません、大臣!」
うむ、とファッジは頷いた。ちらりと自分の腕時計に目を向ける。
「では、時間になった……。はじめてくれ」
はい! とルードはワクワクした様子で杖を取り出し、自分の喉に向けた。
「『ソノーラス――響け!』」
ルードは魔法のかかり具合を確かめるため、軽く咳払いをした。アリーナ中が騒ぐのをやめてルードが居る貴賓席の方を見たあたり、しっかりと拡声魔法はかかっているらしい。
「ようこそ、ようこそ! 第422回クィディッチワールドカップ決勝戦に、ようこそ! 今宵……世界で最も強いチームが決定します!」
怒号のような歓声が響く。そこかしこで国旗がはためき、選手たちのためにと国歌や応援歌がそこかしこで歌われる。本当に、どこまでもサッカーワールドカップのようだった。
アリーナ正面にある黒板の宣伝が消え、対戦カードと点数が表示された。
ブルガリアとアイルランドの二カ国の名前がデカデカと表示される。
「では、早速ご紹介いたしましょう……ブルガリアチームのマスコット!」
ルードが叫ぶと、観客席がさらにワッと湧いた。爆発的な歓声に迎えられて、百人ほどの女性が銀色の髪をたなびかせてピッチを歩く。
「あっ――ヴィーラ!?」
アーサーが眼鏡を外し、ローブで拭き取り、またかけた。
「なん……ヴィーラ?」
ハリーが思わず聞き返す。
どんな魔法生物なのだろうか? 見たところちょっと違うだけの人にも見えた。だが、ヴィーラがどんな魔法生物なのか、ハリーはすぐに気にならなくなる。
音楽と共に踊りはじめたヴィーラを見て、ハリーは夢中になった。
たなびく銀髪、月光のように輝く肌、艶かしい体つき……。
ヴィーラの姿を見るだけで幸福が湧き上がる。この世界で恐ろしいことは、この曲と踊りが終わること……。そんな気さえしてくる。
曲が激しくなり、ヴィーラのダンスが最高潮に達すると、ハリーはどうしようもない衝動に見舞われた。
――目立たないと。見てもらいたい。
貴賓席からカサンドラのようにピッチに飛び降りたら目立つだろうか?いや――誰かの真似をして、それでヴィーラの気を惹けるだろうか? もっと、なにか、特別なことをしないと……。
「おいハリー、ロン、落ち着け」
カサンドラの声に、ハッとなった。気付けば、曲はとっくの昔に終わり、ヴィーラの最高のダンスも終わっていた。ハリーとロンの二人は今にも飛び降りんと貴賓席の縁に足をかけたところだった。カサンドラが服の裾を掴んで留めてくれていなければ、できもしないのにイーグルダイブをキメてピッチのシミになっていたかもしれなかった。
「二人とも……どうしちゃったの?」
ハーマイオニーが困惑した様子で言った。
「どうって……。僕は目立たなきゃいけないんだよ。ヴィーラに見てもらわないと」
「ハリー、目立って、見てもらうのは僕だ。アイルランドよりもブルガリアを応援すれば見てもらえるかな」
ロンは胸ポケットに刺したアイルランドチームのシンボル、三つ葉のクローバーを外すと、ゴミのように投げ捨てようとする。慌ててカサンドラが手をつかんで止める。
「落ち着け。ロン、お前はアイルランドを応援するんだろう?」
「は――? なんで?」
サキュバスの親戚か何かだと気づいたハーマイオニーは顔をしかめた。ピッチに整列して別れを惜しむ怒号を前ににこやかに手を振るヴィーラを、おぞましい物でも見るかのような目で見る。
「なんだって魔法界は人の心をなんとも思ってないようなことばっかりなの!?」
それはカサンドラも思う。服従の呪文に、忘却呪文。錯乱呪文にその他諸々、魔法界は人の心を冒涜し、支配できる魔法が多い。まぁ、ヴィーラは魔法生物なので、そういう性質であるというだけで、悪辣ではないだろうが、ハーマイオニーにとってみれば変わらないのだろう。
「ははは、二人とも、そろそろアイルランドのショーだよ」
「アイルランド……?」
ハリーとロンはしばらく戻ってこれそうになかった。ハーマイオニーは舌打ちしてヴィーラを睨んだ。
「では皆さま! 次はアイルランドのマスコット……レプラコーンの登場です!」
光り輝く緑と赤の玉が、アリーナの上空をくるくる回る。玉の軌跡には虹がかかり、それはアイルランドのシャムロック……三つ葉のクローバーを描く。彗星のようなその玉によく目を凝らすと、レプラコーンが集まって魔法を使っていることが見えた。三つ葉のクローバーを描き終わったレプラコーンは再び客席の上空を飛び回る。今度は、金貨を次から次へと降らせていく。
「うわーっ! 金貨だ!」
貴賓席には特に沢山のガリオン金貨が降ってくる。ロンは一枚金貨を拾うと、嬉しそうに懐に収めた。
「すごいな。金貨を生み出せるのか……」
「カサンドラ、これも、幻覚よ。数時間もすれば消えちゃう金貨よ」
ハーマイオニーが呆れたように言うが、カサンドラは楽しげにコインを弄ぶ。
「わかってるよハーマイオニー! 幸せな気分味わってるんだから水差すなよな!」
ロンもどうやら知識はあるようで、その上で楽しんでいたらしい。だから金貨一枚だけで満足できたのだ。
「あら、ごめんあそばせ。……ヴィーラも、レプラコーンもどっちも酷い悪戯よ」
ハーマイオニーは苦い顔をする。こんなのがマスコットになるくらい魔法界に蔓延っているのでは、『魔法生物処理委員会』に正当性があることになってしまう。ハーマイオニーとしてはその事実は認めたくなかった。だがこの様子では、フィジカル面にも優れた魔法生物もいるに違いなかった。具体的には、ドラゴンとかバジリスクとか。
「はぁ……」
結局。ハーマイオニーは思い馳せる。
パパとママに怒られ、カサンドラにも叱られ。その上あれだけ悪の組織だと思っていた『魔法生物処理委員会』に正当性が僅かなりともあるとなれば、ハーマイオニーは逆転時計を使ってまでした大脱走劇が正しかったのかどうか、揺らぎはじめていた。
「どうした、ハーマイオニー」
ワールドカップで、今は楽しいマスゲームの最中だというのに憂鬱そうな顔をするハーマイオニーを、カサンドラが心配そうに見ていた。ロンとハリーに目をやると、レプラコーンの空中ショーに夢中だった。ヴィーラに惑わされていたことなどすっかり忘れているようだった。
「なんでもないわ。つい一月前の自分が正しかったのかどうか、わからなくなっただけ。最近、こんなことばかり考えるのよ」
「なるほどな。話なら聞くが、どうする? 静かなところの方がいいだろう?」
ハーマイオニーは何かを考えてるようだった。それから、ゆるりと頷いた。
「お願い、カサンドラ」
ハーマイオニーは立ち上がり、貴賓席から降りていく。
「おい、ハーマイオニー? どこ行くんだ?」
「少し話すことがある。すぐ戻る」
カサンドラはそう言うとハーマイオニーに続いて貴賓席から降りる。
熱狂に支配されたアリーナとは違い、貴賓席を降りると観客の歓声は随分と遠く、物静かだった。
「それで……随分堪えているようじゃないか」
「パパに言われたの。子供が極限状態で下した判断がどれほど正しいんだって」
そして、ハーマイオニー自身も父の言う通りだと思ったのだ。
「ダンブルドア先生に手紙を書いたわ……。そうしたらダンブルドア先生は、私たちは正しいことをした、ブラックは無実だったとおっしゃった。でも、私は……二択をたまたま当てただけのように感じて仕方ないの」
「随分と難しいことを考えるんだな。ワールドカップだって言うのに」
ハーマイオニーは首を振った。
「私、そこまでクィディッチが好きじゃないし……ああ、去年はいいことしたな、で終わっていいことだとはどうしても思えなくて」
本当にまじめだな。カサンドラは今も無邪気にワールドカップを楽しんでいる男子二人を思い出して、苦笑する。
「ロンとハリーとその気持ちを共有するべきなんじゃないか?」
「私も最初はそう思ったけど……。私が一人で考えたいの。ねえ、結局あの時はダンブルドア先生のお墨付きなんてなかった。どうするのが正しかったの?」
カサンドラは悩む。貴賓席へと続く階段へと腰かける。
「酷なことを言うがな、ハーマイオニー。お前は正しかった。ブラックが無実だった、ピーターが真犯人だった、この二つは当時のハーマイオニーでは絶対に知ることはできない情報だ。私でさえ、そしてダンブルドアでも、真実を確かめることができたのは全てが終わったあとだ」
「なら、どうして私が正しいなんて断言できるの?」
カサンドラはきっぱりと言った。
「『二択を当てた』からだ」
「――え?」
そうだな、とカサンドラは言葉を選ぶ。誤解のないように伝えることのなんと難しいことか。十全に理解してもらおうと思えば、授業の時間では全然足りないし、こうしてワールドカップの合間に話すのでは全く、少しも足りない。
「重要な決断を迫られるとき、全ての情報がわかっていることなんてほとんどない。正しいかどうか悩んで、迷って、その先にたどり着いてようやく、『こうすればよかった』がわかる。だから、あの時、ブラックかピーターかで、正解を引き当てたお前たちは正しいんだ。もちろん、もしピーターが正しいと判断したら、その場合は『間違っていた』ことになる」
「……ああすればよかったんじゃないか、こうすればもっといい結果になったんじゃないか、そんな気持ちがずっとぐるぐる回るの」
「そうか。その感覚は私も覚えがある。楽しい話じゃないが、聞くか?」
ハーマイオニーは頷いた。カサンドラは階段の隣をぽん、と叩いた。ハーマイオニーはおずおずとカサンドラの隣に腰掛けた。邪魔じゃないだろうか、なんてことをぼんやりと思う。
「私の故郷、ケファロニアでとある疫病が流行りそうになった。村一つが病気で全滅したんだ。――ところが、生き残りがいた。小さな男の子と女の子。その両親。私がその村に着くと、その一家を武装した集団が取り囲んでる。事情を聞けば、そいつらの親玉は神官で、その生き残りを殺して村を焼き清めると言い出した」
ごくり、とハーマイオニーは喉を鳴らした。
「彼らの主張はこうだ。こいつらを生かして別の場所にやれば、村一つ滅ぼした病気が島全体に蔓延する。だからここで、一家を皆殺しにする。
一家の主張はこうだ。私たちは疫病にかかっていない。健康な人間なんだから、殺されるのはおかしい。せめて子供たちだけでも見逃してくれ」
ハーマイオニーは真剣にその状況を頭の中で再現し、自分で判断してみようとする。
「……他の治療法はないの?」
「当時できる治療法は全部試した。無駄だった」
祈祷、生贄、儀式……今からすれば意味不明の行動だが、当時はそれが主流だった。そうではないと否定したのは、カサンドラの友人でもあったヒポクラテスだった。
「家族が病気に感染しているのか、していないのか。病気が本当に蔓延するのか。蔓延したら島が滅ぶのか。それは誰にもわからない。さあ、どうする。そんな状況だった。そして私は一家を取り囲む連中を皆殺しにできるだけの実力があった。……私は背を向けた。一家の悲鳴と命乞いの声を聴きながら、ただまっすぐ、村の外を目指して歩いた」
ハーマイオニーは戦慄する。医療技術の足りない当時、そうするしかないのは彼女でもわかる。今の感覚から判断すれば、カサンドラの行動は『正しい』といえるだろう。
「それから数日は、その一家の顔が夢に出てきた。今なら、何度でも同じことをすると言えるが……当時は、何もわからなかった。自分が正しいのか、ずっと悩んでいた。ハーマイオニー、正しくあろうとするのは素晴らしい。正しいことをしていたいのもわかる。だが、『正しく善き行い』なんてのは、結果が出てからじゃないとわからないんだ。そして、結果的にハーマイオニーは正しかった。……もう過ぎた自分を責めるのはよせ」
カサンドラは言いたいことを言い終わると、ハーマイオニーの返答をじっと待った。
「……私、『答え』があるのだとずっと思ってたわ。ありとあらゆる事象にはこうと決まった答えがあって……。善悪も、正誤も、きっちりかっきり決まってるものなんだって、ずっと思ってた。そして、勉強して、賢くなれば、『正しい』答えを選ぶことができるって。
――違うのね」
「ああ、そうだ。自分の選択が正しいとわかって選べるヤツなんていない。どんなに正しく見えたって実は間違ってた。そんなことだってざらにある」
「……私、どうするべきなのかしら」
ハーマイオニーは未だに悩んでいるようだった。カサンドラは苦笑する。
「そうだな、今すぐにやるべきことが何かといえば……そうだな、クィディッチワールドカップを見てハリーたちと友情を深めることだと私は思うぞ」
「……そうかもね」
ハーマイオニーもぎこちなく笑った。少しは重荷が軽くなっただろうか。
「私、もう上がるわ。ありがとうカサンドラ。本当に……助かったわ。私、また潰れそうになってたかも」
「気にするな。友達だろう?」
ハーマイオニーはにっこりと笑った。
「ええ! さあ、カサンドラ、ワールドカップを見ましょう、きっとハリーとロンが大盛り上がりで実況してるわ!」
「ああ」
カサンドラはそうやってハーマイオニーを引っ張って貴賓席を駆け上っていく。
一旦は気にすることをやめたようだが……あの分ではまた悩むかもな。カサンドラは内心でそう思って、同じように貴賓席への階段を上がった。
ケファロニアの『血の熱病』は序盤ですぐに受けられることもあって、オデッセイの選択肢方式を象徴するクエストだと思っています。