――1994年9月 カサンドラの居室
まぁ座れ、とカサンドラは出来るだけにこやかに言った。ここに来るまでの移動で、妙な言動はなんとかなりを潜めた。代わりにいつも以上におどおどしたネビルが小さく縮こまって椅子に座った。
「刺激が強かったみたいだな。まぁ無理もないか。私の話にも飛び上がるくらいだ、実演なんてことになれば……」
「カサンドラ、『磔の呪文』を受けたって本当?」
ネビルが恐る恐る聞いてきた。カサンドラは事もなげに頷いた。
「ああ。そんなに気になるか?」
「――カサンドラを信じてるから話すんだけどさ……。僕の親は……どっちも今聖マンゴにいるんだ」
カサンドラは頷いて、話の続きを待つ。
「頭がおかしくなってね、ずーっとうわ言しか言わない。――赤ちゃんの僕を守るために……。狂うまで『磔の呪文』を受けたんだ」
ネビルは、ムーディでさえ言葉を濁す『磔の呪文』の被害者の末路を誰よりもよく知っていた。
現実を現実と認識できなくなり、譫言ばかりを呟いて、一生ベッドの上で過ごすことがその末路だ。もう10年になるのに、両親に回復の見込みはない。ネビルの名を時折呼ぶことはある。だがそれは10年前の赤子のネビルであって、今そばにいる一人息子のことではないのだ。
「――そうか。だからあんなにも動揺したのか」
「本当に……弱虫で笑っちゃうよね。みんな……両親を知ってる人はみんな二人は勇敢だったって言う。誰一人悪く言う人はいないんだ。でも僕は……僕が知ってる両親は、何もかも分からなくなって、赤ちゃんみたいに呻き声を上げる人でしかない。――そんなことを思う僕が何より嫌いなんだ」
それは、きっと誰にも話したことがない、ネビルが深く奥底に隠した気持ちだった。信頼できる大人の前で、そして精神が強く揺さぶられたことで……隠していた気持ちが、想像よりも簡単に口をついて出てきた。
――心が狂うまで拷問に耐え切って一人息子を守る。それは勇敢で、英雄といえるような偉業をなしたといえるだろう。それを疑う大人は誰一人いない。だが、その英雄の末路を見続けたネビルは、両親が『そう』だとはとても思えなかった。
「勇敢な両親だけど、その息子はこんな出来損ないでさ。僕が死んでた方がきっといいんじゃないかって時々思うんだ」
「ネビルの気持ちもわからなくはない。だが……そうだな、親は……お前が優秀かそうでないかで、守るか守らないかを決めたりはしない」
「守ってもらったのに、その親を心から誇りに思えないような奴なのに?」
カサンドラは迷うことなく頷いた。
「ああ。それでもだ。なあネビル。お前の状況はものすごく辛いだろうな。私が同じ状況でも、きっと辛いだろう」
「……そんなことないよ。カサンドラは強いじゃないか」
カサンドラは首を振った。
「いいや。強くなんてない。魔女狩りの時代を知っているか? 一番キリスト教が酷かった時代だ」
「……『魔法史』で少しだけ。魔法使いたちは魔女狩りをするマグルたちを『炎凍結呪文』でからかって遊んでたって」
カサンドラはその歴史には疑問を抱く。だが、その『歴史』自体を否定する気は今はなかった。
「魔法使いにとってはその通りかもしれないが、マグルにとって魔女狩りは悪夢そのものだった。ある日突然審問官がやってきて……『お前は魔女だ。白状しろ』と言ってくる。『はいそうです』というまで拷問されるんだ」
ネビルは顔を顰めた。慌てて、カサンドラは謝った。
「ああ、悪い……。当時の知り合いが……それで捕まってな。救出に1日かかってしまって……助け出した時にはもう、まともな言葉は喋れなかった」
カサンドラは当時を思い出して苦い顔をする。あの時代は本当に、ヨーロッパ全土がおかしくなっていたと言っていいだろう。それほどまでに、人をおもちゃみたいに壊して遊ぶ娯楽が流行ってしまった。
「私は……その人を眠らせた。永遠に。回復の見込みがないのもそうだ。もう二度とまともに生活は送れないのもそう。だが、何よりも、私がその人を『死んだ方がマシ』だと判断したからだ。ああそうさ、ネビルと同じ気持ちになったんだ。――見ていられなかった」
カサンドラの弱気な言葉に、ネビルは驚いた。ずっと強い、最強だと思っていた人の思わぬ弱さに、ネビルは目を見開くような気持ちを抱いた。
「好きな人だった。この人が老衰で死ぬまで一緒にいてもいい、そう思っていた相手だった。だが……」
カサンドラはその先を言う事はなかった。しばらく、沈黙が降りる。
「ネビル。両親のことをどう思うか、すぐに変える必要はない。ただ……ネビル。今の自分を受け入れてやってくれ。その気持ちは間違ってなんていない。私が言えるのはこれだけだ」
カサンドラは立ち上がると、本棚に向かって一冊の本を取り出した。それをネビルに手渡した。
「カサンドラ……これは?」
「お前を気に掛けるやつは、お前の友達だけじゃないってことだ。ムーディ先生がずいぶん気にかけていた。この本はきっと気に入るだろう、と機会があれば渡すよう言われてたんだ」
「……どうして直接渡さないの?」
ネビルは受け取った『地中海の水生魔法植物とその特性』という本の題名を見ながら聞いた。
「あいつは怖がりのお前のことを考えてる。安心して受け取っておけ」
「……ありがとう」
カサンドラは壁にかかっている時計を見た。
「今ならまだ大広間で夕食があるだろう。行ってくるか?」
「……うん。僕ご飯食べてくる」
ネビルは立ち上がると、部屋の扉に手をかける。
「……ありがとう、ちょっと気が楽になったかも」
「『誰かに話す』ってのはそれだけで楽になるもんだ。私は口が堅い。安心して話すといい」
「うん。また……話を聞いてもらいたいって思うかも」
「いつでも大丈夫だ」
ありがとう、カサンドラ。ネビルはそう言って部屋から出て行った。
「……死の呪文よりよっぽど残酷だな、磔の呪文は」
カサンドラは誰に言うでもなくそう言った。
――1994年9月 グリフィンドール談話室
談話室の机の上で、ハリーとロンは占い学の宿題をやっていた。向こう1ヶ月の自分の運勢を予言するという内容で、ハーマイオニーと同じく『ロクでもない』教科だと思っている二人にはどう日付を埋めたものかと頭を悩ませていた。この時ばかりは心の底から楽しそうに占いをするラベンダーが羨ましく思えた。
「……よし、諦めよう」
ロンが机に突っ伏して言った。
「諦めるって言っても……」
「なにもクソ真面目に占う必要はないだろ? つまり、わかるだろ?」
「でっち上げるってこと?」
ロンは得意げな顔で頷いた。
「来週の月曜日……僕は咳をする。次の火曜日はローブを引っ掛けて転んで……水曜日には猫に噛まれる。
とにかく悲惨な運命を書くんだ。そうすりゃあのインチキ教師、舌舐めずりして喜ぶぞ」
違いない。ハリーは頷くとロンと同じように不幸を書き連ねていく。
「――2週間後の月曜日は校内に吸魂鬼が現れて……火曜日にはアクロマンチュラが教室を一つ占拠する。水曜日には……うーん、不幸、不幸か。ああ、僕の腕が魔法で吹っ飛ばされる」
ロンは思わず手を止めてハリーを見た。
「……やりすぎじゃない?」
「そうかな? でも毎年だいたいこんな感じでしょ? 去年は始まってすぐくらいに吸魂鬼襲われるし、一昨年はロンの杖がぽっきり逝ってた。一年生のときは平和だったよね。ハロウィンまでの話だけど」
ロンはたしかに、と今までの学校生活を振り返る。確かに、平和なのはハロウィンくらいまでで、それから何かしら一年通してトラブルが続いていた。
「――あー、うん。わざわざ不幸を捏造しなくても僕らって十分不幸なんじゃないかと思えてくるね」
「てことは、あれかな。例年通りの不幸が降りかかってくるでしょう、で済ませられないかな?」
ロンはしばらく考えた。
「ハリーならイケるかも。一度やってみろよ」
「そうする。怒られたら『不幸リスト』をでっち上げることにするね」
ハリーとロンがウキウキした様子で不幸な出来事リストを作っているうちに、だんだんと談話室からは人気がなくなっていく。就寝間際になっても談話室にいるのはロンとハリーの他にはフレッドとジョージの二人しかいなかった。双子は一枚の羊皮紙を前に、あーでもないこーでもないと議論しあっていた。
「だから、それはダメだって。ゾンコを下げるような宣伝は印象悪いぞ」
「あー、そうか、これってそう取れるのか……。クソっ、面倒だな。あくまでゾンコとは仲良くやっていきたいし、また別の考えるか……」
どうやら
「……ねえロン」
「ん? 最後の週は最も劇的な不幸がいいな。裏切られるとか、決闘するとか……」
「将来の夢とかある?」
ハリーが聞くと、ロンは訝しげな顔をしながら顔を上げてハリーを見た。それから、談話室の隅にいる双子を見る。
「あー……なるほどね。でもまだ早いだろ? 僕たちまだ4年生だぜ?」
「そうかな……。僕は……普通の職に就きたいな。闇祓いとか、そんなのは嫌かな」
「おっどろいた。ハリーはてっきり将来闇祓いになるのだとばっかり。なんたって誰よりも実績がある。きっと顔パスだぜ?」
ハリーはムーディを思い出した。
「傷だらけで……。足も吹っ飛んでさ。それで、おじいちゃんになったら疑心暗鬼になって……。そんなのやだよ。ムーディ先生を尊敬してないってわけじゃないよ。でも、僕がああなるのは嫌だって思っただけ」
ハリーは今までのピンチを、カサンドラの戦いを思い出す。クィレルとの戦闘、バジリスクとの戦闘、そして人狼と化したルーピンに恐れず突っ込むカサンドラを。
闇祓いとなり、人々を守ることを職に定めたら、もはやカサンドラの後ろにいることは許されない。カサンドラの横か、あるいは前に立って戦わねばならないのだ。そして、たとえカサンドラがそばにいなかったとしても、敵と戦わねばならなくなる。
――それを一生。
「……まあたしかに、あんなグルグル目玉は嫌だけど。じゃあ、ハリー、パパみたいに面白みのない役人にでもなるつもりかよ?」
「悪くはないと僕は思ってるよ。ロンは?」
「僕だって……できれば危険なのは嫌だけどさ。でも僕は秘密の部屋の時に思ったんだ。気絶したジニーを抱き上げた時にな。あんときはカサンドラがいたから上手く行ったけど、正直ヤバかったろ? ロックハートに人質にされたり、秘密の部屋にはバジリスクがいたり。カサンドラがいなきゃ、ジニーを助けるのなんて絶対無理だった。カサンドラを援護したハリーと違って、僕は何もできずに見てるだけ。
僕はそんなの嫌だね」
そっか、とハリーは頷いた。ただ、そうなると言わねばならないことが一つ、どうしてもあった。
「闇祓いって試験難しいらしいよ?」
「う……。これからは試験勉強も頑張るかなぁ……?」
かつてないほど真面目腐った話をしていると、談話室にハーマイオニーが入ってきた。片方の手に羊皮紙、もう片方の手ではそれなりの大きさの箱を抱えている。
「ついに、できたわ!」
「何がだよ? あ、そうだハーマイオニー、将来の夢とかある?」
「ええ!」
ハーマイオニーは達成感と興奮で顔をわずかに赤くしながら答える。
「私には夢があるわ! 私の子供と屋敷しもべ妖精の子供が同じ遊具で遊んでいる光景を見ることよ!」
ロンとハリーは揃って首を傾げた。一番将来について考えてそうな彼女から頓珍漢な答えが返ってきたのだから無理はない。ロンはもちろん、11歳の頃にマグルから離れたハリーが遠い大陸の牧師のことなど知っているわけがなかった。
「えっと、そうじゃなくて、なりたい職業について聞いてるんだぜ?」
「職業? 魔法省大臣を狙ってるわ。今のところ成績は申し分ないし、このままいけば入省時からかなりのキャリアが見込めるはずよ。マグル生まれの地位が低いのはわかるけど……ええ、やってやるわ。くだらない差別なんて私の代で全て撲滅してやるわ!」
ぐ、とハーマイオニーらしくない力強い様子で語る彼女に、ロンがおずおずと聞いた。
「ハーマイオニー……ちゃんと寝てる?」
「失礼な! ちゃんと一昨日寝たわ!」
「毎日寝ろよ!? 何考えてるんだ!?」
ロンが思わず叫ぶと、ハーマイオニーはハッとした表情になった。
「あ……ごめんなさい。その、集中したら徹夜するのが癖になっちゃってるみたい」
「ハーマイオニーもしかして去年ずっとそんな調子だったの? そりゃ、いっぱいいっぱいになるよ! その羊皮紙のこととか明日聞くから今は寝ろ!」
ロンがいうと、ハーマイオニーはしばらく何かを言おうと口をパクパクさせた。それから、ゆっくりと頷いた。
「……ごめんなさい。変に熱くなってたわ……」
ハーマイオニーは羊皮紙と木箱を机の上に置いて、すごすごと女子寮へ向かっていった。
「ハリー、あいつ卒業するまでに本当にカローシするんじゃないか?」
ハリーは曖昧に頷いた。
その翌日。1日の授業を終えて夕食まで食べ終わったころ、ハーマイオニーがハリーとロン、そしてカサンドラも呼んで羊皮紙と木箱の前に集めた。
「なぁ、なんでカサンドラまで呼んだんだ?」
「それは、この活動は大人がいればより説得力が増すからよ!」
そう言うと、ハーマイオニーは木箱の中をみんなに見せた。
中には色とりどりのバッジが50個は入っており、そのバッジには漏れなく『S・P・E・W』の文字が刻印されていた。
「
ロンが箱を持って双子のいる男子寮に駆け出そうとした。その襟首をハーマイオニーが掴む。
「待って!」
「ぐぇっ」
「これは、断じて、悪戯グッズじゃ、ないの!」
ハーマイオニーが手を離すと、ロンはじゃあなんだよ、と言う顔をした。
「これはエス・ピー・イー・ダブリュー! しもべ妖精福祉振興協会よ」
福祉も振興もハリーにはよくわからなかった。だが隣のカサンドラはハーマイオニーが何をする気なのか理解した。
「ハーマイオニー、やるならそれでもいいが、イバラの道を歩むことになるぞ。それこそ、本当にイバラの冠を付けるハメになるかもしれない」
ぐ、とハーマイオニーが息を詰まらせた。理解されるかどうかはわからなかったから、理解してもらうための理論はちゃんと組み立ててきた。だがまさか理解された上で忠告されるとは思っていなかった。
「大丈夫よ。私はしもべ妖精の権利向上に努めたいだけなの」
「歴史上、その『だけ』をしようとして何人死んだと思ってる。魔法界には
ハーマイオニーは一瞬、泣きそうな顔になる。だが、ハーマイオニーはキッとカサンドラに立ち向かうように真っ直ぐに見つめる。
「私はやると言ったらやるわ。――もうたくさんよ。マグル生まれへの差別も、純血主義も、現代になっても蔓延る奴隷制も!
魔法使いはみんな揃ってマグルを馬鹿にするわ。じゃあ魔法使いはどうなの? 文化も、思想も、制度も、法律も、何もかも、『魔法が使える』こと以外何もかも何百年前で止まってるのよ! 進歩がない上に新しい血を拒絶する風潮が幅を利かせてるなんて……滅亡まったなしじゃない!」
「ハーマイオニー、言いたいことはわかる。なんとかしたいという気持ちも汲む。だが、お前は本当にそれに人生を捧げる気か? お前がしようとしていることはキング牧師でも、ガンジーでも出来なかったことなんだぞ。こんな子供のうちから何百年後かのために働いて、お前の幸せはどこにある?」
ハリーとロンはカサンドラとハーマイオニーの白熱した議論にほんの少しもついていけない。ポカンとした顔でなんでこんなにも……ただの『クラブ活動』にカサンドラが反対するのか理解できなかった。
「幸せって……。確かに、それはそうだけど……。でもカサンドラ、私知っちゃったのよ。ここホグワーツでも当然のように奴隷制が続いてる。ダンブルドア先生は偉大な人よ。でもその人だって……自分の城で働く召使いに給料も定休日も与える気はないんだわ。カサンドラ、わかるでしょ? 今は1994年よ? なのになんでずーっと昔に廃れたはずの制度がイギリスで当然のように残ってるの? おかしいわ。でも誰も変えようとしない。『今までそうだったから』『あいつらはそう言うやつだから』。……そんな理屈で停滞を許して、それで許されるというの?」
「ハーマイオニー、何度もいうけどな、ウィンキーのアレは普通なんだ。あいつらは奴隷でいたいんだよ。屋敷しもべ妖精は奴隷なのが
違うわ。ハーマイオニーはロンの言葉を真っ向から否定した。
「私は例外がいることを知ってる。直接見たことはないけど、ドビーっていう屋敷しもべ妖精は支配からの解放を喜んだんでしょう?」
ハーマイオニーがハリーに視線を向けると、彼は頷いた。
「まぁ、うん」
「他にもドビーみたいな屋敷しもべ妖精がいないって誰が言えるの? 解放されたがってる屋敷しもべ妖精は、ほかの人のために永遠に苦しみ続けろって、そういうのがロンの言う正しいことなの?」
「そりゃ……そうは言わないけどさ。だからってハーマイオニーがなんで頑張ろうとするんだよ」
「今現在やろうとしているのが私しかいないからよ。魔法省大臣に近いクラウチさんですら屋敷しもべ妖精を奴隷として扱ってるし、魔法界では本当にありふれているのよ。でも私は、それを『当然だ』なんて受け入れたりできない!」
ハーマイオニーはバッジを一つ取り出し、それを胸につけた。
「たった一人でも、私はやる。――カサンドラの言う通り、きっと一生かけてもできないと思う。でも誰かが最初の一歩を踏み出さないといけないの」
ハーマイオニーは、完全に覚悟を決めていた。