ハーマイオニーはカサンドラ相手にも物怖じせずにしっかりと意見を言う。カサンドラは決してその力を議論の相手に振るったりするような相手ではないと信じているのだ。
「……ハーマイオニー、とりあえず覚悟はわかった。具体的にはどうするつもりなんだ?」
カサンドラが言うと、ハーマイオニーは羊皮紙を広げた。
「我々の短期目標は――」
ハーマイオニーは朗々と羊皮紙に書いた組織要綱を読み上げる。
「――屋敷しもべ妖精の正当な報酬と労働条件を確保することである。長期的目標は、以下の事項を含む。杖の使用禁止に関する法律改正。しもべ妖精代表を一人、『魔法生物規制管理部』に参加させること。そして、『自由』を望むしもべ妖精の永続的な奴隷身分からの解放を可能とする制度の成立である」
ロンとハリーはポカンとした。
「ハーマイオニー、それは魔法省大臣になってからの予定なの?」
「今から、活動を始めるのよ。活動資金は募金、および入会費2シックル――」
「――2シックル!? こんなわけわからない活動、金貰ったってやるかどうか微妙なのに金取る気なのか!?」
ロンが思わず叫んだ。ハーマイオニーは少したじろいだ。
「だ、ダメかしら。イケると思ったんだけど」
「ハーマイオニー、悪いこと言わないから計画練り直せよ。このホグワーツで一番長く一緒にいた僕らが『金なんか出すか』って思うんだぜ? 他の連中がどう思うかわかるだろ?」
ハーマイオニーは眉間にシワを寄せた。
「まぁ、概ねロンの言う通りだ。募金中心というのもよくないだろうな。少し意地の悪い言い方になるがな。ちょっとしたシミュレーションをしてみよう。
ハーマイオニー、お前の活動に感動したから100ガリオンを募金しよう」
「え――?」
カサンドラは静かに状況を説明していく。
「だが――保護するのは屋敷しもべ妖精の権利だけか? ホグワーツで働くマグルや……スクイブの権利はどうなっている? なぁハーマイオニー、組織の目標にそれを盛り込んでもいいんじゃないか?」
「え、ええ……そうね、それもいいかもしれないわね」
「素晴らしい。では追加でもう100ガリオン募金しよう。では次だ。一体いつこの活動は身を結ぶ? まさか100年かけるわけではないだろうな? 活動資金が足りないと。ではもう200ガリオン募金するから、もう少しド派手に活動しよう」
ハーマイオニーは顔を引きつらせた。
「……な、な……」
ハーマイオニーはワナワナと震える。あまりにも馬鹿にしていると思ったからだ。だが……彼女が蓄えてきた知識は、決して彼女を裏切らない。ほんのすぐ間を置いて、カサンドラの意図を悟った。
「――募金じゃ……悪意ある第三者に介入されやすい……?」
「そういうことだ。学生のお遊びサークルならそんな問題も起こらないだろうが、ハーマイオニー、お前の目標は魔法使い全体を巻き込む。今のままだと隙だらけだ。活動を始めると中々組織の中核は変えられないんだ。学生のうちに、もっとよく練ったほうがいいんじゃないか? あるいは、規模をもう少し小さくするとか」
カサンドラの言葉に、ハーマイオニーはむむむと唸った。確かにカサンドラの言う通りだ。魔法省大臣になったとしても困難な目標を、学生のうちからやろうとしても苦しむだけなんじゃないのか。そんな気持ちが湧き上がる。
「……もう少し考えてみるわ」
ハーマイオニーがそう決断したことで、ハリーとロンはあからさまにほっとした。2シックルがいきなり取られる心配がなくなったのだ。
「個人的には、ハーマイオニーを応援してる。2シックル払って入会するのも吝かじゃない。ただ……まぁ、私はあまりに強すぎる。武力を持った人間が所属しているというだけで、人々は憶測を重ねる。それは、ハーマイオニーのしたいことじゃないだろ?」
「ええ、もちろんよ。でも……その、相談には乗ってもらっていい?」
カサンドラは笑顔で頷いた。
「もちろんだ。ただ、万が一にでも私の名前を名簿に載せるなよ、絶対にロクなことにならない」
「わかったわ」
「組織が腐敗していく様は結構見てきた。どんな素晴らしいお題目もそれを扱う人間によっては邪悪になり得る。共産主義がいい例だ」
ハーマイオニーは苦い顔をした。
「
「みんなで幸せになりましょうって考え方だよ。元はな」
「?」
ロンはよくわかっていないようだった。ハリーも同じらしい。
「ハーマイオニー、私はもう行くが、悩んだらいつでも部屋に来い」
「ええ、ありがとう」
カサンドラはそう言って、グリフィンドール談話室から出て行った。
「――さぁて、また図書室に行かなきゃ。計画の練り直しよ!」
ハーマイオニーは木箱と羊皮紙を引っ掴むと、グリフィンドールの談話室から出て行った。ただ、その表情は生き生きとしていて、楽しそうだった。
「……話が難しすぎてわかんなかったよ。ロンは?」
「同じだよ」
――1994年10月
ハリーとロンはそれから数日、楽しそうに計画を練り直しているハーマイオニーを横目に授業を受ける日々だった。シリウスから手紙が来てイギリスに戻ってハリーに何かあった時に備えて待機すると言い出した時は本当に焦った。遠い国に逃亡しているのに、ハリーがちょっと傷が痛んだくらいで戻ってくるなんて、明らかに心配のしすぎである。ハリーは慌てて傷の痛みは勘違いであること、わざわざ戻ってくる必要などないと言うことを手紙に書いて送った。
「ハリー、嘘はよくないわ」
昨日手紙を送ったことを昼食時に言ったら、ハーマイオニーがそう言った。
「でも仕方ないだろう? まさか――イギリスに来てもらうわけにはいかないし」
「それはそうよ。でもあなたの傷のことは大人が一番詳しいの。呪いに詳しい人に意見を聞かないと……」
ハリーとハーマイオニー、ロンの三人で話している中、カサンドラにイカロスが手紙を届けた。
『――カサンドラへ
ハリーへ返事を書いたら傷のことは勘違いだと送られてきた。そんなわけはないよな? おそらく私が国外に逃亡していると思っているから遠慮しているんだ。私はハリーの力になりたい。どうにかしてハリーに私が大丈夫であることを伝えてくれないか? そうすればきっと、ホグズミードの叫びの屋敷かどこかで会えるようになるはずだ。頼むよ。
――お前の家政夫より』
それは無理だとカサンドラは返事を書いて送った。シリウスの行方は少なくともカサンドラは感知していないことになっている。ダンブルドアが伝えるのでもギリギリだろう。つまり、シリウスがなんとかハリーを言いくるめるしかないのだ。
今のシリウスをハリーが見たら本当に同一人物か疑われるだろうが、流石にそこまで気にしてやる義理はなかった。
――
それから数日、シリウスから度々手紙が来て『自分は大丈夫』『絶対にバレない』なんてことを言ってきているが、ハリーは取り合わなかった。シリウスが万が一にでも魔法省に捕まって吸魂鬼にキスされるようなことになれば、ハリーは悔やんでも悔やみきれない。どれほど向こうがハリーを心配に思ってくれていたとしても、絶対に逃亡生活をやめるようなことはあってはならないのだ。
ハリーはカサンドラにも言えない悩みを抱えていたが、2回目の『闇の魔術に対する防衛術』の授業が始まった途端、それらの悩みは吹き飛んだ。いい意味ではなかったが。
「さて――今日は『服従の呪文』に対する訓練をする」
ムーディは始業の鐘が鳴るなりそう言った。
「服従の呪文は最低最悪だ……。場合によっては死の呪文よりも。幸いにしてかけられた人間が抵抗することができる。ならばどうするか。訓練をするのだ。服従の呪文の効果を何度も受け、その感覚を打破する」
「今服従の呪文を受けるって言った?」
ロンが思わず言った。ガヤガヤと教室がざわめくが、おしゃべりの内容はロンの疑問と大体同じだった。
「先生」
ハーマイオニーが何と言ったものか、という表情をしながら言った。
「その……服従の呪文は人に使ってはならないと……先生はおっしゃいました」
「いかにも。だが……グレンジャー。訓練次第で防げる呪文の訓練をせず、ぶっつけ本番で対抗するのか?」
ぎょろり、とムーディの視線が女子生徒を見回す。
「この訓練を疎かにした場合、地獄を味わうことになる。
自分の親を殺したいか? 子供を拷問したいか? 家族を死喰い人に突き出したいか? 違うのなら真剣にやることだ……。だが」
ムーディはちらりと教室の入り口を見た。
「私は男だ。たとえ授業の一環で、校長も認めているとは言え……女子生徒は気分が良くないだろう……。何をさせられるのかと、恐々とすることだろう。故に」
ばん、と扉が開いて剣を携えたカサンドラが入ってきた。
「――私が授業の領分を超えた余計な命令をした場合、カサンドラ先生が私の
「そういうことだ。女子はせいぜいその場で踊る程度で済む。いいか、支配に抗うのは並大抵ではない。だが、自らを強く持て」
カサンドラが言うと、ムーディは杖を取り出した。
「最初は誰だ?」
ムーディがそう言って、過去最高に危険な訓練が始まった。
カサンドラはムーディのすぐ後ろに立って、一瞬たりとも気を抜くことはなかった。
授業の範囲を超えた命令を下した場合即座に血の花が咲く。そんな状況で続く訓練だったが、これがなかなか上手く行く生徒が出てこない。早々に女子生徒の大半が脱落し、男子生徒も殆どが抵抗の余地なく命令に従った。ロンですらあっさりと見事なタップダンスを踊ってしまい、脱落した。残ったのはハーマイオニー、ハリーの二人だった。
「ポッター、行くぞ」
ハリーは頷く。すると、ムーディから服従の呪文が、飛んでくる。
――幸せな気分だった。ありとあらゆる苦悩から解放されて、穏やかで、満たされている。漫然とした幸せがハリーの心を揺蕩う。ふわふわと浮いているかのような心持ちになった。
机に飛び乗れ
命令が聞こえる。従えばもっと幸せになれる。快くなれる。ハリーは確信していた。
幸せな……幸せに……。
机に飛び乗れ
……――これが幸せ?
ハリーはほんの僅かに違和感を覚える。
去年、死ぬほどの思いをして幸福な記憶とは何かを追求した。
溢れるような幸福とはこのような気持ちだったろうか?
――もっと言えば……今の気持ちのまま守護霊は出せるだろうか?
――違う。
机に飛び乗れ
こんなものは幸せじゃない。こんな簡単な気持ちじゃない。幸福はもっと、もっと、もっと素晴らしい気持ちだ。
机に――
――嫌だ!!
ガタン!
ハリーは力強く机を両手で叩いた。――そしてそこで止まった。
「そうだ! それだ! グリフィンドールに5点! よくやったポッター!」
ハリーは思考にかかっていた靄が晴れ、ようやく冷静に周囲を見た。教室が拍手に包まれていた。ハリーは照れ臭そうに頬を掻くと、生徒たちの輪に入った。残っているのは一人だった。
「準備はいいか、グレンジャー」
「はい先生」
ムーディは同じようにハーマイオニーに服従の呪文をかけた。
――不思議な感覚。
ハーマイオニーはハリーと同じように漠然とした幸福に包まれていた。こんな満たされた感覚、子供の頃母親に抱きしめられていたとき以来ではないか。そんなことさえ思うほど強い安心感だった。
踊れ
踊る? それはいいかもしれない。きっとこの声に従えばどんなことだって上手く行く。この声に従えばずっと幸福でいられる……。
踊れ
だがハーマイオニーの体は動かなかった。なぜ? もっと幸福になれるというのになぜ抵抗するのだろう。
――それは、自らの将来を見据えたからだった。
人以外の生物の権利向上。差別撤廃。それだけではない。この4年間で見えた魔法界の問題点。それらを必ず変えてみせる。たとえ一生をそれに捧げることになったとしても。
周囲が思うより遥かに強く、ハーマイオニーは覚悟していた。
――歩んだ先に幸福はないと知っていても。
歴史上名を残している活動家の末路なんて酷いものだ。だが、それを理由に止まるつもりはなかった。
幸せなどにかまけてなどいられない。
進むんだ。
憧れの女性と同じように、命が潰えるその瞬間まで、進歩し続けるのだ。
――その場で踊れ!!
ハーマイオニーは確固たる意志のもと、杖を引き抜いた。その杖の先はピタリとムーディの顔に向かっていた。
「そうだ、そうだ!! グレンジャーもよくやった! グリフィンドールに5点!」
拍手と共に、魔法の影響がなくなってようやく、ハーマイオニーは杖を下ろし、安堵の息をついた。
それからムーディは何度もハーマイオニーとハリーに服従の呪文をかけ、ほんの僅かの影響も与えられることがなくなるまで訓練を続けた。
「素晴らしい……! 今日は記念すべき日と言えるだろう! 服従の呪文が全く効かない魔法使いが二人も現れた!」
ムーディはそう言って、もう一度二人をほめそやす。最後に、とムーディはカサンドラに杖の先を向けた。
「何のつもりだ?」
「お前も訓練していくがいい」
「監督係が服従の呪文にかかったら意味ないだろ?」
「だが、私は絶対に必要な訓練だと考えている。カサンドラ先生、もし自分が操られた場合、お前を止められるのは一体誰だ?」
カサンドラはしばらく悩む。
「ダンブルドアくらいだな」
「つまり魔法界にとっての絶望だ。嫌とは言わせんぞ」
カサンドラは剣をしまった。
「わかった。さっさとしてくれ」
「無論。『インペリオ――服従せよ!』」
カサンドラに服従の魔法が当たる。
――その場で踊れ
その感覚はカサンドラには覚えがあった。冒涜的な声。人間を支配しようとする脳裏に響く感覚。
だが、その声の圧力は『秘宝』よりかはずっと弱い。
「ダンスを披露するのはまた今度だ、ムーディ」
「……」
あっという間に支配を脱したカサンドラに、ムーディが目を見開いた。
「……こ、ここまで早いとは…よ、よくやった。安心するといい。カサンドラが服従の呪文を受けても操られて敵に回る可能性はなくなった」
ムーディの授業は、それで終わった。
ムーディから出た宿題、『服従の呪文』についての本を一冊読むという軽いものだが、ハリーたちにはそれすらも負担だった。
「……いつ読めって言うんだよ。どの先生も宿題の数が去年の倍、下手したら3倍だぞ。逆転時計貸し出しサービスでもないと絶対無理だ」
「マクゴナガル先生は来年に備えろって言うけどさ、無茶だよね」
ハリーたちは来年5年生になる。ホグワーツ5年生に襲い掛かる試練、『
『占い学』のトレローニーはハリーたちが書き上げた『創作率100%』の素晴らしき災厄リストにいたく感動し満点を与えたが、ハリーに同じ方法を使わないよう釘をさしたうえで、来月分も同じように予言書を書き上げるように言いつけた。もはや不幸のストックは尽きていた。
『魔法史』のビンズからは18世紀の「ゴブリンの反乱」についてのレポートを毎週提出するよう宿題を出した。
『魔法薬学』のスネイプは万能解毒剤の調合を研究課題に出した。クリスマスまでに一名が犠牲になって毒薬を飲み、研究成果が利くがどうかを試すと言ったので、真剣に取り組まざるを得なかった。
生徒に甘く、試験も宿題も楽々なことで有名なハグリッドですら、困難をハリーたちに課した。
例の化け物「尻尾爆発スクリュート」は誰も好物を見つけておらず、なおかつ何かを口にしたところを誰も見たことがないのにも関わらずすくすくと育ってきており、その成長スピードはハグリッドが大喜びするくらいであり、つまり恐ろしい速度ということだ。
ハグリッドは喜びのあまり「プロジェクト」の一環として毎日生徒が持ち回りでハグリッドの小屋にきてスクリュートの特殊な生態についての観察日記をつけると言い出したのだ。それを提案したときのハグリッドと言ったら、まるでサンタクロースがクリスマスに特大のおもちゃを袋から取り出したような表情だった。
「一体だれがやると思ってるんですかね」
だが、生徒の反応は冷ややかだった。
「こんな未知の生き物、授業で近づくのも恐ろしいのに……毎日観察? 冗談じゃない。絶対に、嫌だ」
ハグリッドの顔から笑いが消えた。
「言われた通りにしろ」
「しかしですね」
「ムーディ先生にされたことを思い出させてやろうか。立派なケナガイタチになるそうじゃねえか」
マルフォイは顔を顰めて黙りこくった。クラス中もシン、と静まり返った。信じられない、という顔をハーマイオニーがした。『それ』はしてはならないとマクゴナガルがはっきりと宣言したことは誰もが知ってる。ムーディのあれは一回目の暴走だったからまだ許されているのだ。――それを脅しに使うなんて。
「ハグリッド、それは……」
ハーマイオニーが思わず言った。
「なんだ、ハーマイオニー? お前さんもマルフォイなんかの肩をもつんか?」
「そういうことじゃ……」
「……もう決まったことだ!」
マルフォイはそれっきり何か悪態を吐くことはしなかった。だが、ハグリッドと同じ気持ちをした生徒も、誰もいなかった。