――1994年11月
ハリーはそれからも穏やかな気持ちで、あるいは勇気をみんなからもらいながら過ごした。数日もすれば話題はお情け参加のハリーよりも真の勇士――このフレーズをハッフルパフ生は殊更好んで使う。かっこいいからだ――セドリックに移ると考えていたし、その通りになった。ハリーは積極的にセドリックのことを応援したし、勇士になんてなりたくない、死にたくないと繰り返しアピールしたのが効いたらしかった。
ひとまずトライウィザードトーナメント関連は、ハリーの頭を悩ます事情ではなくなりつつあった。悲劇の勇士になる前と変わらず、セドリックのことを応援していればいいのだから気楽なものだ。
試験も免除されるし本当に楽なものだ。あとは課題で死ななければそれでいい。
ハリーの生活は思ったより穏やかだったが、数人か、あるいはもう少し多いくらいの生徒は未だにハリーが自分で勇士になったと噂するものがいる。
だが、ハリーは自分のことを羨ましがる生徒に対する究極の反論材料を見つけた。見つけた瞬間も別に嬉しくはなかったが。
反論の材料は『魔法生物飼育学』の授業にあった。尻尾爆発スクリュートである。勇士になるということはああいう化け物と戦うことになるんだといえばきっと、どれほどハリーに否定的なヤツでもハリーに同情するだろう。それほど今のスクリュートはヤバかった。
「ハグリッド先生、もう一度言ってもらえます?」
もはや恒例となりつつマルフォイの『正当なる』抗議である。普段はからかいが多分に含まれているものなのだが、今回ばかりはマルフォイですら正義感の元口を出していた。
「またお前か、マルフォイ。何度でも言ってやる。今からお前さんたちにはスクリュートを散歩させてもらう」
「……こいつらがお互いに殺し合うという素晴らしい状況を解消させると? エネルギーが有り余って仕方ないから同族殺しをするような危険極まる生物を、僕らが散歩? それで、リードはどこに巻くんです? 見たところ首はないようですが」
「胴体につけりゃいいじゃろうが。面倒だからってサボりは許さんぞ、マルフォイ」
「――サボり? 冗談だろう?」
「そっちこそあんまり冗談が酷いとまた『変身術』の出番になるぞ。――さあハリー、ちょっとこっちに来て手伝っとくれ」
「え、ああ……うん」
ハグリッドがハリーと話をしたいというのは分かったが、正直そんなわざわざ理由をつけなくてもと思った。別に教師と生徒が話すことに不都合があるわけでもないだろうし、正直今教師が生徒たちから目を離すのはかなりヤバいんじゃないかと思ったからだ。
ただ、今はハグリッドと話せるのは助かった。ハリーはちらりと尻尾爆発スクリュートを見た。あいつの散歩をしなくていいなら、多少の不合理には目をつぶろう。
もはや弱っちい小さなスクリュートはただの一匹もいなかった。全長は1メートルほどにもなり、鈍い灰色の、分厚く硬い外殻に体全体が覆われており、凶悪そのものだった。鎧のような外殻はしっちゃかめっちゃに飛び出る足の先や、爆発する尻尾の先端まで隙なく覆われており、防御力の高さが推測できる。火花程度だった爆発も、今や小さなダイナマイトほどの大きさに成長しており、凄まじい音と共に爆発し、スクリュートはその大きさに見合わぬ速度で数メートルかっ飛んでいる。どうにかこうにかリードを胴体に括り付けた生徒も、爆発的な加速には対応できず、哀れにも引きずられることになった。
「ハリー、一体だれがやったんだろうなぁ」
その光景を楽しそうに見つめながらハグリッドが言った。
「え、ええ? それより、いいの?」
「なんも問題なんかおきとらんじゃろう? 見ろ、みんな楽しそうだろ? な?」
感覚の違いというのは去年あたりから感じるようにはなっていたが、ハリーは生徒よりもスクリュートのことを考えているような言葉に、さすがについていけなくなりそうになった。
「僕、勇士になんてなりたくなかったのに」
「勇士か……。お前さんはいつも大変な目に遭うなぁ」
しみじみとハグリッドは言った。だが、ハリーはそれどころではなかった。スクリュートがいよいよ、自分たちを繋ぐ存在の非力さに気づき始めた。大人しくリードに繋がれていた個体も尻尾を爆発させて生徒を引きずり回す『遊び』を始めたのだ。ハリーは立ち上がってハグリッドの腕をつかんだ。
「早く止めないと、また去年みたいなことになるよ!」
「何? ……そ、そうか。よし、止めんとな」
ハグリッドはみんなの苦労がなんだったのかというほどあっさりと全てのリードを手早く回収すると、一気に自分の方へと引き寄せ、一瞬でスクリュートを服従させた。
「いいかお前さんたち。スクリュートはこうやって言う事聞かせりゃええ」
「僕らがそれをやるって言いました?」
マルフォイの疑問はどこまでもクラスの総意だった。
――1994年11月
ハリーは正直に言うと、不思議な気分だった。二年前の秘密の部屋の件で、自分がスリザリンの継承者だと疑われた時を思い出すと、イベントの中心にいるというのに否定的な視線を向けられていないというのは、実に不思議な気分だった。校長先生や他の大人たちがハリーの名誉を守ろうと必死になってくれたのもあるし、ハーマイオニーが決死の覚悟で抗議すると表明してくれたのもそうだろう。今もそうだ。セドリックが数名の女子生徒に囲まれている。セドリックがハリーを見る目も、彼を囲んでいる女子生徒の目も否定的なものではない。それがハリーにとってどれだけ救いとなったか。
「セドリック!」
「ハリー」
セドリックに駆け寄って、ハリーはにこやかに挨拶した。セドリックも同じように笑顔で挨拶を返す。
「セドリックはどんな対策をしてるの? 僕この前『呼び寄せ呪文』で居残りさせられるくらい集中できてなくて」
「んー、ハリー、『呼び寄せ呪文』は便利な呪文だ。無機物を手元に寄せられるというのは、意外な場面で生きる。できれば無言呪文で唱えられるのが望ましいだろう」
「わかった。ちょっと練習してみるね」
「ああ。頑張れよハリー。上級生や先生たちからよく話を聞いて、課題に備えるんだ」
「うん。セドリックこそ、頑張ってね。セドリックなら絶対優勝できる!」
「ありがとうハリー」
和気藹々とわかれた二人。このような光景はここ数日でよく見かけられるようになった。ハリーはホグワーツで過ごしてきて、世間の目というのは意外と地道なアピールが効くのだということを学んでいた。――くしくも、この手管の大半は聖マンゴ在住の『有名学』教授から教わったものだった。
「ハリー、どうだった?」
ハリーが廊下を曲がると、待機していたハーマイオニーとロンがいた。
「うん。今日も上手く行けたと思う」
「地味だなー」
ロンは若干不満そうだった。
「『一日一回セドリックとちょっと会話して、別れ際にセドリックを応援する』。こんなんでハリーの評判守れるのかよ?」
三人は、というかハーマイオニーはハリーの評判が悪くなることを危惧し、カサンドラを頼った。長いこと人間を見てきたカサンドラは、すぐにハーマイオニーにいくつか策を授けてくれた。現状、策は上手いこといっていて、ハリーの評判は悪くない。このまま維持し続ければ、次第にハリーが『勇士の座をかすめとった』という人間はいなくなるだろう。
「カサンドラが言うには、毎日の積み重ねが大事らしいわ。重要なのは、隠れることじゃなくて、溶け込むことなんだって」
と、言うわけで、とハーマイオニーは小脇に抱えた木箱をハリーに渡した。
「これは? またスピュー?」
「エス・ピー・イー・ダブリュー! ……そのことはもういいのよ。見て」
ハリーは元『SPEW』の会員バッジだったそれを一つ手に取った。アルファベット四文字が刻まれていたバッジは、今は文言が変わっていて、ハッフルパフをイメージした黄金色の文字が輝いていた。
『セドリック・ディゴリーを応援しよう――ホグワーツの真の勇士を!』
「……ハーマイオニー、ディゴリーのファンクラブでも作ろうってのかい? で、会員登録料に2シックル――」
「――それも、もういいの! とにかく、これを配って回りましょう。これをハリーが配るって言うのは強烈なアピールになるはずよ」
ロンの冗談を鋭く跳ねのけたハーマイオニーは木箱の中からバッジを二つ手に取った。一つをロンに押し付け、もう一つを自分の制服の胸に付けた。
「ここまでやる必要あるか? 今そこまでハリーは評判悪くないだろ?」
ロンは自分の制服にバッジを付けながら、疑問を口にする。
「油断大敵!」
「やめろよなそれ!」
急に大声で叫んだハーマイオニーに、ロンが怒鳴り返す。
「ごめんなさい、なんか癖になっちゃうわね、あの標語」
「君だけだ。それで、何が油断だって言うんだ?」
「いい、ハリーは徹底的に『優勝に興味ありません』ってアピールしておくの。これを配るか配らないかで守られる名誉があるのよ」
「ハーマイオニー、僕それ知ってる。政治活動っていうんだ」
とにかく、とハーマイオニーは木箱からいくつかのバッジを取ると、ローブのポケットに押し込んだ。
「じゃあ、少しずつ配っていきましょう」
ハーマイオニーの言葉に、二人はうん、と頷いた。
――
ハリーは小さな教室に呼び出されていた。『魔法薬学』の授業を一つ免除され、その時間を『杖調べ』に充てることになった。指定された教室に入ると、他の勇士はもう到着していた。セドリックを見つけたハリーはいつものように話しかけようとして、慌てて近寄ってきたセドリックに止められた。
「ハリー、何も言うな」
「――え?」
セドリックは小さく振り返って、教室の中央に置かれた、ビロードのカバーがかけられた長机に座るルード・バグマンと話す魔女を見た。濃い赤紫色のローブを着た魔女で、にこやかにバグマンと話してはいるがその目はねっとりとしていて、まるで獲物を狙う蛇のようだった。彼女の傍らには羊皮紙と羽ペンが浮かんでおり、羽ペンは会話に合わせて素早く動いていた。
「リータ・スキーターだ。『おはよう』をどんな風に拡大解釈されるかわかったもんじゃない。黙っていろよ」
ハリーはどうしてこの場でデラクールとクラムが仏頂面で黙っているのかを理解した。ゴシップ記者がいるからだったのだ。
「――『日刊予言者新聞』として、重ね重ね記者のホグワーツ入城を許可いただき感謝いたします」
魔女、リータ・スキーターがお辞儀をすると、その隣にいる男、黒い大きなカメラを持った中年太りの男も合わせてお辞儀した。
「おお、来たな、ハリー」
バグマンが改めて部屋を見回すと、部屋に到着していたハリーを見つけた。きらりとスキーターの眼鏡が光ったような錯覚をハリーは感じた。
「悲劇の勇士、ハリー。他の勇士にはもう説明し終わっているんだがな、今日は杖調べをすることになっておる」
「杖調べ……ってなんですか?」
ハリーが聞くと、バグマンはうむ、と鷹揚にうなずいた。
「君が使う杖が万全の機能を備えているかを調べる儀式だ。
ハリーがうなずくと、バグマンは説明を続けた。
「そのあとは、勇士たちで写真を撮る。『日刊予言者新聞』の記者、リータ・スキーターさんだ」
「よろしく。……記事は長くなりそうかも」
スキーターはまっすぐにハリーを見ていた。獲物を見る目だった。スキーターの髪は念入りにセットされていて、かっちりとセットされており、ヒスイで縁が飾られた眼鏡をかけている。鰐皮のハンドバックを握っている。
「ルード、儀式が始まる前に、ハリーとお話ししてもいいかしら?」
ハリーの方を見たままスキーターが言うと、バグマンは嬉しそうにうなずいた。
「だが、ハリーが良いというならだがな?」
「あの」
ハリーの言葉をさえぎって、スキーターがすかさずハリーの腕をがっちりとつかんだ。
「素敵ざんす」
ハリーを引きずるようにして歩きながら、スキーターは周囲を見回した。
「取材は対象とふたりっきり……私のポリシーざんす。ああ、ここなら」
スキーターが入り込んだのは箒置き場だった。冗談だろう? ハリーは言いたくなった。まるで手入れもされていないような場所で何の取材をするっていうんだ。
埃っぽい箒置き場へと連れてこられたハリーは、後ろ手に内鍵をかけられて、いよいよ逃げられなくなった。
「実に……素敵ざんす」
スキーターは素敵だ素敵だと繰り返しながら、鰐皮のバッグから新しい羊皮紙と羽ペンを取り出すと、宙に放り投げるようにしてその二つを浮かせた。
「ハリー、私は自動速記羽ペンQQQを使って取材するざんすが……そっちの方が自然に話せるざんしょ?」
ハリーはにまーっと笑うスキーターを見た。彼女は椅子になるものを探す時間すら惜しいといった風で宙に浮く羽ペンの先を指先でちょん、と叩いた。すると羽ペンがわずかに震え、ひとりでに羊皮紙の左上にペン先を置いた。
「テスト、テスト……わたくしはリータ・スキーター。『日刊予言者新聞』の記者です」
ハリーはものすごい勢いでしゃかしゃかと動き回る羽ペンを注視する。羽ペンが羊皮紙の上をすべるようにして走り書きをしている。
『魅惑のブロンド、リータ・スキーター、43歳。その忌憚なきペンは多くの『でっち上げられた名声』を叩き潰した』
ハリーはいよいよ持って言葉を選ばざるをえなくなった。自己紹介をしただけでこんな風になる羽ペンのことにハリーの言葉を捏造させるわけにはいかなかった。だが、対処方法がさっぱりわからない。
「素敵ざんす。今日も絶好調ざんすね」
さて、とスキーターは改めてハリーの方を向いた。
「ハリー、君はどうして
どうする。しばらくハリーは考えた。
「僕は参加してない」
きっぱりとハリーは言った。それから素早く、羽ペンが何事かを高速で書き連ねていく。
『悲劇の勇士、その過去も悲劇……。悍ましき置き土産、恐るべき傷痕を惜しげもなく晒した彼は、可愛らしい顔を挑戦的に歪ませていた――』
「ハリー、羽ペンのことはもういいでござんしょ?」
「よくないです。なんですかこの捏造」
「――どうして
スキーターは誤魔化すことすらせず、質問を続けた。
「僕は参加してない。僕は優勝資格のないお情け参加だ」
きっぱりと、解釈の余地もないほど力強く宣言したハリーに、スキーターは困ったように眉尻を上げた。
「大丈夫、ハリー。叱られるんじゃないかなんて、心配する必要はないでござんす。それに、悲劇の英雄を読者は好むでござんすよ」
「僕は何もしてない」
ハリーは何度も繰り返す。だがスキーターは取り合わない。
「これから出る課題をどう思う? わくわく? 怖い?」
「怖い。死にたくない」
つい答えてしまって、ハリーはしまったという顔をした。にんまりと三日月形に歪んだスキーターの唇は実に嫌味に見えた。
「過去に代表選手が亡くなっていることは知ってるわよね? そのことはどう思う?」
「なんにも思ってない」
警戒心の強まったハリーに、スキーターはさらに攻勢を強めた。
「ハリー、君は」
スキーターはごく普通に、ずけずけと聞いてきた。
「死に直面したことがあるわよね。君にどういう影響を与えたと思う?」
ハリーは顔を顰める。『泣かせよう』としている質問なのは明らかだった。両親のことを言われて、ハリーが涙の一つでもこぼすのを期待したのか……あるいは、こぼしたことにするのか。だからハリーはもう半ばやけくそになって、スキーターの考えてることからぶっ飛んだことを言ってやろうと思った。
「……必要なら」
ハリーはわずかに笑みを浮かべる。
「必要なら誰かを殺すことだってやらなきゃいけないんだ、って思ってるよ」
「――」
ハリーが杖をローブから引き抜くと、スキーターは冷汗を額に浮かべた。
「そ、それはどういう意味かしら?」
「どういう意味だと思う? ああ、そういえば」
ハリーはカサンドラから聞いた話をぼそりと、今思いついたかのように言った。
「僕が知ってる人が、こんなことを言ってました」
「どんなことを言っていたのかな?
「『ペンは剣よりも強し』とは言うけれど、ペンを守るのは剣なんだって。ペンでペンは守れない。そのことを忘れた記者は、行方不明になるんだってさ」
「――」
スキーターの視線が、ハリーが無造作に持つ杖に釘付けになる。
「僕が『死に直面したか』って聞いたよね。うん、そうだよ。だからね、僕は『どうすれば人が死ぬ』のかよく知ってるよ。呪文も、効果もね」
スキーターとハリーはお互いに見つめ合った。自動書記羽ペンは変わらず何事かを書き連ねていた。それからしばらくしてようやく羽ペンが止まったころ、箒置き場の鍵が開いて、扉が開いた。外からダンブルドアとカサンドラが入ってくる。
「ダンブルドア先生!」
スキーターは助かったという風にダンブルドアを迎えた。ハリーが瞬きするうちに、羊皮紙も羽ペンも消えてなくなっていた。
――僕への取材はご法度なのか? ハリーは目ざとく推測を立てた。
「ふむ、ふむ――」
「お元気ざんす? この夏にわたくしが書いた『国際魔法使い連盟会議』の記事をお読みいただけたざんしょうか?」
「――ふむ? おお、そうじゃな、魅力的な毒舌じゃった」
ダンブルドアは一瞬、箒置き場全体に視線を巡らせて、それからキラキラとした目をスキーターに向けた。
「ワシを『時代遅れの遺物』と表現なさったあたりが実に素晴らしい。老骨がいつまでも最先端など、不健全じゃからのう」
「ま! ダンブルドア先生、わたくしはただ少し古臭い考えについてご指摘しただけで――」
「――慇懃無礼の理由についてはリータ、後日に回してもらっても構わんかの? 儀式のときが来たのでの」
ハリーは急いで杖をしまい、ダンブルドアのそばに駆け寄った。
「……マグルの警備員さん?」
「ん?」
ダンブルドアがハリーを引率しようとしていたまさにその時、スキーターがカサンドラに話しかけた。わずかに嫌悪をにじませた目だった。
「お時間があれば、今からお話を聞きたいのですが、よろしいざんしょか?」
「ボスに指示を仰ぐ。少し待て」
カサンドラは即答すると、ダンブルドアの背を追いかけた。
ほどなくして、カサンドラへの取材が許可された。