――1994年 11月 カサンドラの居室
ハリーはカサンドラの居室で眉を顰めたまま、新聞紙を丸めて燃え盛る暖炉の火に投げ込んだ。
「カサンドラ、11月22日、ここを使わせてもらってもいい?」
「どうしたんだ?」
カサンドラはハリーが投げ込んだ新聞紙と同じものを広げて、ソファで寛いでいた。一面の見出しをハリーはおもいだす。
『英雄ハリー・ポッターの知られざる一面。オオホラ吹きの警備員の滑稽なる『真実』』
「シリウスさんが、僕と話したいから暖炉で一人になるようにって手紙をくれたんだ。でもグリフィンドールの暖炉だとどうしても人が来るかもしれないでしょ? ここならカサンドラも事情を知ってるし……」
ハリーの提案を聞いて、カサンドラは訝しげな顔をした。
「構わないが。ヤツがどこにいるか、手紙には書いてあったか?」
カサンドラのさりげない質問に、ハリーは首を振る。
「ううん。南国のどこかだって言ってたくらいで、具体的な場所までは」
「南国か。その言い方だとおそらくヨーロッパではないだろうな。エジプトか……あるいはもう少し東か」
「カサンドラなら当てちゃいそうで怖いや。それで……どうなの?」
「私は別に構わんが、門限を破るなよ」
カサンドラが言うと、ハリーは飛び上がって嬉しそうな顔をした。
「やった! ありがとうカサンドラ! さ、それ貸して。暖炉に放り込まなくちゃ」
「いやいや……ハリー、これも大事な情報だ」
「どこが?」
ハリーは不機嫌になって言った。
とんでもない捏造だった。あれほど気を使ってきっぱりと言い切ったにも関わらず、スキーターの記事はハリーがほんの少しも話していないことを書き立てていたのだ。
『僕の力は両親から受け継いだものだと思ってます。今の僕を見たらきっと両親は誇りに思ってくれるでしょう。それを思うと……。今でも、時々夜になると涙が出るんです。両親のことを思うと、つい泣いてしまうんです。
でも、僕は……とっても怖いけど、両親が天国で見守ってくれているから、頑張れます』
「カサンドラ、僕は両親を想って泣いたことなんてただの一度も――なくはないけど、それは子供の頃の話だ! 今は違うし、僕の力は僕が培ってきたものだ! こんな、くだらない!」
「落ち着け。この状況は利用できる」
激昂するハリーを宥めるようにカサンドラが言った。
「利用って? 僕に泣き虫でおセンチな『かわいそうなポッターくん』になれっていうの?」
「残念だがその通りだ」
ハリーは顔をしかめた。どう利用できるかはわからないが、なぜ利用するべきかは理解できる。今回の件もハリーの名誉を守るための作戦に組み込もうということなのだろう。理解はできる。できるが……。
「なんでそんなことまで?」
「ハリー、今の状況は綱渡りに近いのはわかっているな? 例の競技についてだ」
「まぁ、それは思うけど」
「ハリー、時には弱者を装うことも必要だ。屈辱だろう。辛いだろう。だが今の状況なら、同情の目は有利に働く」
「……それも、わかってるよ」
ハリーは憮然とした表情で、そばにあった椅子に座る。
ハリーとしては、『ありとあらゆる規則と法則を捻じ曲げて、望んで勇士になった汚いポッター』になることだけは避けたかった。ハリーを絶望の状況に叩き込んでくれた真犯人はまだ影も形も見つかっていない。その状況でハリーは勇士になりたかったのだと噂が立てば、もはやハリーの名誉はズタズタだ。あと3年も学生生活があるっていうのに、残りのホグワーツを針の筵で過ごすような真似は絶対に避けたい。
だからといって、カサンドラとクソッタレな『日刊預言者新聞』がハリーに提示するプランを喜んでしたいかと言えばもちろん答えはノーだ。せめてもう少し穏やかな感じで行きたかったのに、これじゃ女々しすぎる。
「――僕はまぁ、最悪状況を利用できるとして、カサンドラはいいの? ボロクソ書かれてるけど」
ハリーはカサンドラのことが書かれた箇所を指でさした。
『「ダンブルドアより長生きしている私が推察するに、純血魔法使いなどいやしない。存在するのは神々の血を引く半純血のみ。魔法使いは神々の子孫だ」――そんな荒唐無稽な真実をさも当然であるかのように語った警備員のカサンドラ。彼女は酷く暴力的で、記者リータ・スキーターが調査したところによると、クィディッチチーム同士の諍いを諫めるために周囲の生徒全員に危害を加えたこともある模様である。その事実が公表されていない時点で、ダンブルドアに彼女の悪事を隠蔽しようとする明確な悪意があったと言わざるを得ない。カサンドラという虚偽の現実を認識する警備員を置いているホグワーツは、真に安全と言えるのか』
「随分とマイルドに書いて貰ったな。アレシアのことも出さずか」
「マイルドって……。魔法使いが神々の血を引くなんて、スキーターが考えたの? いくらなんでも捏造がひどいよ」
いや、とカサンドラは首を振る。
「かつて来たりし者たちが神だと言ったのは私ではないし、正確なものではないが、だいたいは実際にあった発言だ」
「ええ……? マルフォイも神の子孫てこと? やだなぁ」
「イスは神に近しいが、それではない。それにハリー、神々は善き者ばかりではない。嫉妬に狂い、戦争に酔い、上位者の権力にしがみつく、人間臭い存在だよ」
カサンドラの言葉は、ハリーにはにわかに受け入れ難かった。なぜならハリーが思い描く神は、全知全能の存在だからである。
「ふーん……。それで、カサンドラはスキーターをどうするの?」
「多少
カサンドラはハリーの記事を読み進めて、目をわずかに細めた。
『悲劇の勇士、ハリーはホグワーツで愛を見つけた。ハリーをよく知る友達に話を聞くと、マグル生まれの優等生の女子生徒と深い関係にあるという。とびきり可愛らしいその女子生徒がハリーのそばを離れることは滅多になく、誰もがお似合いだと口を揃えて言うようだ』
「――僕はハーマイオニーと付き合ってなんかない! 僕が好きなのは……――!?」
ハリーは慌てて自分の口を手で塞いだ。真っ赤な顔で、カサンドラの方を見る。
「大丈夫だ、ハリー。私はスキーターのような女じゃない。誰が誰を好きかなんて、詮索する趣味もない。だがハリー、『死ぬかもしれない試練』に立ち向かう前に告白するって言うのは、女としては効くんじゃないか?」
カサンドラが助言をすると、ハリーの目がわずかに輝いた。
「その手が……!」
「だが、結局は口説き文句のセンスだ。イタリアのナンパ男に言わせれば、どれほど状況を整えようと、シチュエーションを凝らしても、肝心要の言葉の如何によっては失敗する。逆に、女に刺さる言葉を言えたなら、そこがスラム街の路地裏だとしても上手くいく、だそうだ」
「あ、ありがとうカサンドラ。参考にするね。その、僕には関係のないことかもしれないけど」
僕もう行くよ、とハリーはソワソワした様子で言った。自分が告白を上手くやった光景でも思い浮かべたのだろうか。
微笑ましい気持ちでハリーを見ながら、カサンドラはさらに言う。彼の片思いの相手はおそらくチョウ・チャンだろう。
「年上には『英雄ハリー』と『泣き虫ハリー』どっちが効くんだろうな? 頑張れよ」
「うん! ――ハンカチ手に持ってた方がいいかな?」
どうやらハリーは泣き虫ハリー路線で行くことにしたらしい。
「わざとらしい……いや、『あざとい』のは嫌われるぞ」
「あ……そうかも。ありがとうカサンドラ」
部屋に新聞紙片手にやってきたときとは全く違って、ドキドキした様子のハリーにカサンドラは微笑みを深くした。あの年頃の子供には、恋愛関係はとても効く。ハリーの方はこれで大丈夫だろう。問題はハーマイオニーだ。彼女がこれで傷ついていなければいいが。カサンドラはあまりにもゴシップ的なその新聞を傍に置くと、立ち上がって武装し始める。
「さて、行くか」
部屋を出てホグワーツの廊下を歩いていると、ヒソヒソとカサンドラを見て噂話をする生徒が何人かいる。新聞のことだろう。だが、カサンドラはそこまで気を張ったりはしていなかった。それよりも遥かに、ハーマイオニーの方が心配だった。
「ハーマイオニー、ハリーと付き合ってるんだって? 涙を指で拭ったって本当かしら?」
ちょうど、廊下でミリセント・ブルストロードと話している最中らしかった。揶揄うような声に、ハーマイオニーは肩を竦めて返した。
「私がハリーにそう言うことするように見える? ――まぁ見えるでしょうね。でも、私の好みはリードしてくれる大人な人よ。ハリーを助けたことはしょっちゅうでも、その逆は滅多にないわ」
どうにも妙だった。グリフィンドールとスリザリンがゴシップについて話していると言うのに、そこまで険悪な雰囲気ではないのだ。
「ハーマイオニー」
にこやかなまま会話が続いているようなので、カサンドラも同じように柔和な雰囲気でハーマイオニーとミリセントのところまで歩く。
「カサンドラ。巡回かしら?」
「そんなところだ。記事を見たぞ。ゴシップに惑わされてやしないかと思ってな」
カサンドラがいうと、隣のミリセントが唸り声のような笑い声を上げた。
「ハーマイオニーが? ポッターと? あいつとハーマイオニーは全然釣り合ってない」
「もう」
ブルドッグのような厳つい顔は今、楽しげに笑っていた。
「仲良いのか、二人とも」
「去年の末くらいから。その……重力の影響から逃れるにはどうすればいいのかって相談受けて」
「ああ、なるほどな」
カサンドラは納得した。ハーマイオニーは可愛らしくなった。すらりと伸びた手足に、引き締まった身体。鍛え上げられた肉体に、溢れる英知。体重が気になる年頃の乙女としては、健康的な美しさを得るためならば、血がどうこう言ってられないのかもしれない。特にミリセントは、彼女の教えを受ければきっと綺麗になるだろう。
「そうだ、カサンドラ、今朝の新聞のインタビューだけど、私たち魔法使いがイスの子孫って本当なの?」
ハーマイオニーが聞くと、いきなりカサンドラの隣にアレシアが現れた。
「!」
ハーマイオニーは隣のミリセントを庇うようにして彼女とアレシアの間に入り、杖をアレシアに突き付けた。
「ハーマイオニー、大丈夫だ。ただのホログラムだ」
「ほ、ホログラム? こんなに立体的な……?」
「ハーマイオニー・グレンジャー、お前とは話がしたいと考えていた」
カサンドラは内心で驚く。イスの連中なんて何考えてるのかさっぱりわからない上に、アレシアは特に神秘的な傾向が強い。そんな彼女がハーマイオニーに興味を示すなど、一体どういう風の吹き回しだろうか。
「わ、私に?」
同じことをハーマイオニーも思ったらしい。困惑した様子でアレシアに聞き返した。
「そうだ。先ほどお前がカサンドラにした質問に答えると、イスの子孫である可能性は高い。お前にも我々の血が流れているのだ。
――多くのマグル生まれはホグワーツで普通の人間であったことを忘却の彼方に追いやる。だがお前は未だにマグルとしての学問も続けている。それはなぜか」
アレシアの質問に、ハーマイオニーはポカンとした。
「なぜって……当たり前でしょ? もしこっちで就職うまくいかなかったらマグルの世界で大学に通うつもりだもの」
「そんなことできるの?」
ミリセントの質問に、ハーマイオニーは頷いた。
「ホグワーツを卒業すれば一応、高校に通ってたことになるみたい。校長先生に聞いたわ」
「だがその制度は形骸化された状態に近いはずだ」
「まぁ、そうなんだけど。でもせっかくマグルとしても生活できるなら、そっちの道でも行けるように勉強するのが普通じゃない?」
ハーマイオニーの言葉に、アレシアは頷いた。
「理解した。お前は必要と定めた努力を苦に感じないのだな」
「それがどうしたの?」
「お前のような人間は貴重だ。これからも努力を続けていくといい」
アレシアはそう言うと、しゅん、とテレビの電源が落ちるようにして消えた。
「……あいつ何がしたかったんだ?」
「さあ……? でもなんとなくわかるかも。多分……私と同じじゃないかしら? 知りたいし、聞ける状況だったから、聞いたってことだと思う」
なるほどな、とカサンドラはひとまず納得した。
「とにかく、元気そうでよかった。ハーマイオニー、中傷記事はどんな人間もボロボロにする。無理だと思ったら私に言え。煩い口は塞ぐに限る」
ハーマイオニーはすぐには答えなかった。ハーマイオニーはカサンドラなら絶対にやると確信していた。
――誰もが、ワールドカップで『死喰い人』を殺して回ったのは『死』だと考えている。だがハーマイオニーは知っていた。狩猟用の小さなハンド・クロスボウ。矢の長さはだいたい10センチ前後。人の頭に撃ち込めば、矢は脳内に完全に入り込む。
――そんな道具を使う必要があったのは、あの場ではカサンドラただ一人。
「ええ、もし本当にダメだったら、その時はお願い」
だが、ハーマイオニーはそれを言ったりはしない。正しいのか、正しくないのか。それは今のハーマイオニーにはわからないが、少なくとも、カサンドラが死喰い人を殺してくれたおかげで、ハーマイオニーは五体満足無事にこうしてホグワーツに通えている。今はそれでいい。
「じゃあな、ハーマイオニー」
「ええ、カサンドラ」
ハーマイオニーは誰の予想をも超えて、成長しつつあった。その目覚ましい成長が、アレシアの目に留まったのかもしれない。