――1994年12月
絶望が、二人の終着点だった。
「……僕はバカだ」
ロンがグリフィンドール談話室の片隅で漆黒よりもはるかに重々しい雰囲気を醸し出しながらうなだれている。その隣には同じようにうなだれているハリーがいる。
「僕もだ。無駄なのはわかってて、傷つくのはわかってたのに……」
他の生徒たちも遠巻きに二人を見ているだけで、声をかけることもできなかった。何せ二人が『玉砕』したのはホグワーツでも有名だった。特にロンの砕け散りっぷりは今後ロンが卒業するまで語り草になるだろう。それくらい酷い有様だった。
「ハリーはまだいいよ。セドリックはいい奴なんだろ? 負けたって誰もが納得する。でも僕は! 僕は、女に負けたんだ……」
ロンの言葉は、彼の絶望をよく表していたと言えるだろう。
彼はつい先ほど、夕食時にすれ違ったフラーにいきなり駆け寄って、ダンスパーティーに誘ってしまったのだ。大声で、思い出すのも恥ずかしい文言で。普通に断られるならまだ傷も浅かったろうに、フラーはこう言ったのだ。
「ありがとう、でも悪いけど、私、カサンドラを誘ったの。彼女はオッケーしてくれたから……」
幸運なのはフラーはフランス語で答えてくれたことだった。最後の誘い文句、「どうか僕と一緒にダンスパーティーにさんかしてください」をフランス語で言ったロンをある程度は認めたからだろう。フランス語を勉強していなければ、フラーの断り文句の意味も理解できなかっただろうに、ロンには理解できてしまった。
自分が女に負けたということに。
「カサンドラが女もオッケーっていうのは薄々感じてたけどさ……! まさか、本当に、本当にダンスパーティーのパートナーに女でもいいだなんて、そんなこと思うわけないだろ!?」
「うん、そうだね……。僕も、袖にされちゃった……戦略ミスだ……」
ハリーも、同じように最悪のフラれ方をした。
「ごめんなさい、ハリー。あなたのこと、セドリックと比べると、どうしても弟にしか見えなくって」
――年下であることを強調する戦略が破綻した瞬間だった。もはや修正は不可能。ハリーの初恋は永久に敗れ去ることが決定づけられた瞬間だった。まだ男としてアピールしていた方がまだ救いがあったかもしれない。
「ああ、チョウ・チャン……僕はどうして年下路線なんて……」
手痛い敗北だった。セドリックにまた負けた。いや、勝負の土台に上げてすらもらえないなんて初めての経験だった。
「……二人とも、大丈夫? 特にロン、今にも死にそうな顔しているけど」
見かねたハーマイオニーが声をかけると、二人がゆるゆると顔を上げ、ハーマイオニーを見た。――それからしばらく。みるみる元気を取り戻したロンが、立ち上がっておおはしゃぎで言った。
「そうだ……なんでこんなことに気づかなかったんだ!? 僕はバカだった! ハーマイオニー……! 君は女の子だ!」
ぴくり、とハーマイオニーのこめかみがひきつる。青筋が浮かんでいるかもしれなかった。ハリーは思わずロンの顔を見た。まだロンは言葉を止める気はないらしい。ハリーでさえ馬鹿を見る目で彼を見ている。周囲で同情気味に見ていた生徒たちは呆れたような顔をして、女子生徒はロンの物言いが気に入らないとばかりに腕を組んでロンを睨みはじめる。
「そうだよ、最初からそうすればよかったんだ! ハーマイオニー、君が僕らのどっちかとダンスパーティに出ればいいんだ! そうすりゃ解決!」
「……――まあ、そうね」
ハーマイオニーは淡々と言った。氷のように冷たい声だった。
「ええ、最初私はそれでもいいかなって思ってたわ。ええ、否定はしない。ええ、同じ気持ちでうれしいわ、ロン」
「なら――」
「残念だけどそれは『先約がなければ』という前提があってこそよ。あとそれからもうひとつ付け加えますとね。
――こんな最低な誘い方されるとは思ってなかったわ!」
ハーマイオニーはふん! と振り返ると、大股で談話室から出て行ってしまった。
「え……今のダメだったの?」
「ロン、正気に戻って。それと、もしそれが正気なら、ダンスパーティーはあきらめよう」
ハリーの言葉が、その場にいた生徒たちの総意だった。
ホグワーツはもはや色恋一色といってもいいくらいダンスパーティに沸いていた。普段は誰もがホグワーツから脱出して実家に戻りたがるたくさんの生徒たちは、去年までがなんだったのかというほど大量に残っている。今年クリスマスに実家に帰るのは、パートナー獲得争奪戦に敗北した敗残兵か、そもそも色恋に全く興味のない下級生くらいだった。正直ロンも敗北者として実家に帰ろうかなんてちらりと思ったが、ここで引き下がってはそれこそ本当に情けない。だが……正直、ロンは女子を舐めていたところはある。
「ハリー……。なんで女の子って群れないとダメなんだ?」
「さぁ……? みーんな固まって行動してるから、誰も隙がないよ」
正直言うと、いなくはない。なのだが、それは唯一浮いている女の子、ルーナ・ラブグッドくらいで、他の生徒はだいたい……下級生ですら上級生や他の生徒にがっちりガードされている。
「どうやって誘えばいいんだ……? というか誰か一人になれよ、なんで固まっているんだ?」
「そりゃあ、お前らみたいのから身を守るためだろうな」
廊下の隅で項垂れていたロンとハリーに、巡回していたカサンドラとマクゴナガルが話しかけた。
「カサンドラ! なんでフラーとダンスに参加するんだよ!? カサンドラは女だろ!?」
ロンが噛みつくが、カサンドラは取り合わなかった。
「残念だがロン、私は勝負事で手を抜くタイプじゃない。素敵なレディと踊りたいと思ってるのがお前だけだと思うなよ」
「う……」
ロンはうまい反論が思いつかず、呻き声をあげる。カサンドラが女かどうかというのはこの際どうでもいい。どっちにしろロンはフラれてしまったのだ。
「ポッター。残念なお知らせがあります。あなたがダンスパーティーに参加することは事前にお伝えした通りです。しかし、もし万が一ダンスパートナーが見つからなかった場合、私があなたの相手を務めることになります」
「嘘でしょ!? そんな最悪なことあるの!?」
ハリーは思わずそう叫んだが、カサンドラは首を振った。
「ハリー、女を引っ掛けたいならどんな女でも褒めることを覚えろ。それにマクゴナガルはいい女だ」
「カサンドラ! 僕にとって、パートナーはせめて3歳年上までなの! マクゴナガルとダンス……? ――それなら、もう仕方ないか……。ロン、行こう」
ハリーは悲壮な表情で覚悟を決めて、ロンを連れてどこかへ行ってしまった。
「マクゴナガル、気にするな。ハリーは子供なだけだ」
「カサンドラ、まさかとは思いますが先程のやり取りで私が傷付いていると思っているのですか? そちらの方が心外です」
妙だな? みたいな顔をカサンドラはした。全く、とマクゴナガルはため息をついた。
「それにしても、ポッターは相手が思い浮かんだのでしょうか?」
「その様子だな。まぁ、これで丸く収まるだろ。ロンの方は望み薄だが」
「ポッターの相手がわかるのですか?」
カサンドラは頷いた。
「まぁ、あいつには根強いファンがいる」
――
ハリーはそれから、なんとかパートナーをゲットすることに成功した。相手はロンの妹、ジニー・ウィーズリーである。元々ジニーは、自分がハリーにとって脈なしだと思っていて、他の人に誘われたらそれでダンスパーティーに参加するつもりだったが、カサンドラからハリーの本命がチョウ・チャンであることを聞かされたジニーは、賭けに出ることにしたのだ。
ハリーはきっと恋に敗れて落ち込む。弱ったその心を一気呵成に攻め込み、落とす。
狡猾で、すこし打算に満ちたやり方だったが、ジニーはなりふり構ってはいられなかった。たとえ狡い女だと思われてでも、ハリーに女として見てもらいたかった。恋人でなくとも、そういう対象であると認識させなければ恋愛戦争に参加すらできないのだ。
――結局ジニーは賭けに勝った。落ち込んでどうにもならなくなったところでハリーは自分のことを好きな女の子を一人思い出し、その子をダンスパーティーに誘うことにしたのだ。もののついでみたいな誘われ方に不満がないわけではない。だが、ようは意識させればいいのだ。
ロンもロンでなんとか相手を見つけることに成功した。ハーマイオニーに対する無体な態度が女子に伝わって、どんなふうに誘っても袖にされるという地獄を経験した彼だったが、唯一女子生徒のコミュニティから浮いた女子生徒を見出し、誘うことに成功した。
そのお相手はルーナ・ラブグッド。『ルーニー』ルーナ・ラブグッドである。
――といったふうなことを、カサンドラは本人たちから聞いた。カサンドラは自身の居室に相談に来た女子生徒の二人を快く迎え、お茶会がてら恋の話に花を咲かせていた。
「なるほどな。それで、私のところに」
「ええ」
ジニーは隣にいる、干したカエルの足のイヤリングをしたルーナにちらちらと視線をやりながら頷いた。
「カサンドラ、ハリーはどうすれば私を女だと思ってくれるかしら」
「まあ、さりげなくアピールしていくしかないだろうな。ダンスパーティーではボディタッチを増やしてみろ。それから、女っぽい話題を多めに振ってみろ。
ただ、ジニー。ダンスパーティーでボディタッチを増やせば女として見てもらえるかもしれないが、そのまま『しけこむ』ことになりかねないぞ?」
カサンドラの忠告に、ジニーは照れたように顔を赤くした。
「も、もう、カサンドラったら。そうなったら素敵だけど……きっとハリーはそこまで考えてくれないわ。それに、そういうことしたいってハリーが思うわけないわ」
「ふうむ……まぁ、いいか。男は野獣だということは忘れるな。気を抜けば付け込むやつはごまんといる。それで、ルーナは何か困りごとが?」
年頃の子供特有の、異性への神聖視をカサンドラは訂正しなかった。夢を見る時期も必要なのだ。ハリーも、一皮向けば獣である男なのだと。だが、ハリーは親友の妹をその場のノリで襲うような真似はしないだろう。なら、しばらくは幻想のままでも特に問題はないだろう。
「ん……私、一人だから誘われたみたいなんだ。オッケーしたけど……なんか、嫌」
月の狂気に侵されているともっぱらの噂の『ルーニー』ルーナ・ラブグッドも、ロンのおざなりなパートナー選出には不満らしい。カサンドラは苦笑すると、ルーナに飴玉を一つ渡した。
「まあ、ロンは女心がわかっちゃいない。ただ、ルーナ。いい女ってのは、女心をわからせるヤツのことを言うんだ。――まぁ、特に好きでもないなら適当に踊って料理を楽しむといい。文句を言ってきたら、『私のこと好きなの?』……これでヤツは黙る」
「ん……わかった」
ルーナとカサンドラのやりとりに、妹としては何かを言いたかったが、否定できる材料が何一つなかった。兄が男としてダメダメな行動ばかりしているのは妹としても申し訳なかった。
「ホント、情けないお兄ちゃん。そういえばカサンドラ、ハーマイオニー先輩がビクトール・クラムに誘われたって知ってる?」
「まぁな。クラム本人から報告を受けた」
「クラムと話したの?」
カサンドラは頷いた。ブルガリア語を話せるカサンドラはダームストラング生に重宝されており、特にクラムとのやり取りは群を抜いて多かった。
「真摯に勉学に励む様が、煌めいて見えたそうだ。ありゃ本気だな」
「うそー……。でも、ハーマイオニー先輩は、きっと、誰とも恋愛する気はないんじゃないかしら」
「それは違うんじゃない? もしそう見えるなら、『ラバースティール』の仕業だよ」
ルーナがそう言うと、ジニーとカサンドラは揃って不思議そうな顔をした。
「――ラバースティール?」
「恋愛のエネルギーを吸い取る魔法生物だよ。思春期の女の子に取り憑いて、恋へ向かうはずのエネルギーを吸い取っちゃうの」
「ええ……?」
ジニーの困惑は『そんなのいたっけ?』である。カサンドラは首を傾げながらも、楽しげに笑っている。
「そいつは怖いな。ラバースティールの対策は何かあるのか?」
「ん……難しい。だってラバースティールが満腹になるくらい強い気持ちが必要なんだモン」
「吸魂鬼みたいだな」
「似てるかも。ハーマイオニーはきっと、恋をするためのエネルギーが足りないから、恋愛に興味持てないんだよ」
ジニーは困惑していたが、カサンドラはだいたいルーナの言いたいことがわかった。
「まあ、今あいつは屋敷しもべ妖精の幸せに夢中だからな」
「ああ、あの、
「エス、ピー、イー、ダブリューだそうだ」
「でも、なんでハーマイオニー先輩はわざわざあの……彼らの幸せを?」
カサンドラは肩を竦めた。
「ハーマイオニーは理不尽を見過ごせないんだ。虐げられ、搾取される人間が、『自由』を侵す仕組みやら何やらをなんとかしないと気が済まないんだろう」
言いながら、まるで彼女はアサシン教団の理想を体現しているかのようだと思った。彼女は、理不尽を強いる存在を消すことを選択肢に入れるだろうか。
――どうだろうな。
カサンドラはきっと、ハーマイオニーは最後まで対話をやめないだろうと結論づけた。彼女は理性ある人だ。そう言うところに、クラムも惹かれたのだろう。
「――ちょっと難しいわ。カサンドラ、それよりもウチのバカ兄貴をなんとかしてよ?」
「どの兄貴だ?」
「ハーマイオニー先輩と仲のいい兄貴よ。ハーマイオニー先輩がクラムとダンスパーティー行くって知った途端もう見苦しい嫉妬で鬱陶しいったらありゃしないわ」
ジニーはプンスカ怒っていた。隣のルーナも不満げだった。
「……私、パートナー。なのに、放置」
「そうよ! ハリーだって『着ていく服とかアクセサリーは持ってる? ないなら言ってね、プレゼントするよ』って言ってくれるのに!」
ちなみにパートナーの服やアクセサリーに気を使えとアドバイスしたのはカサンドラである。カサンドラ自身、フラーに質の良いパーティードレスやアクセサリーを新しくプレゼントした。
「……。話しかけてもくれない」
「なんてこと! あの、バカ兄貴!」
「まぁ……。恋人ってわけじゃないんだ、ある程度は仕方ないだろう?」
「それはそうだけど、ウチのバカ兄貴はハーマイオニー先輩のことばっかり気にかけてるのよ?
『なんでクラムのパートナーになったんだ』
『クラムのこと好きだなんて一言も言ってなかったじゃないか』
……見苦しいわ!」
流石のカサンドラもロンの対応には眉を顰めざるをえなかった。パートナーに話しかけないのはまぁ、恋人として見ていないから仕方ないとしても、他の女に気があるかのような振る舞いは控えるべきだろう。これではルーナがあまりに哀れだ。
「……私、数合わせのお人形なのかな」
「そんなことないわよ! センスはちょっと微妙だけど、ルーナは可愛い女の子よ! それをあのロンが! カサンドラ、とっちめてやってよ!」
「あー……まぁ、一言注意くらいはしても良いが……ルーナ、余計惨めな気持ちにならないか?」
「ん……」
ルーナは悩んでいるようだった。もしかしたらルーナ自身、こんなにも男女のことで悩むのは初めてなのかもしれなかった。はじめてのダンスパーティーの相手が、全然別の女の子を見ている。ちょっと……いやかなり女として自信をなくしそうな状況である。
「……別にいいよ、カサンドラ。――ラバースティール、私のところに来てくれないかな」
ぽそりと、ルーナは言った。男女の機微で悩むその姿は、『ルーニー』というよりは、年相応の女の子に見えた。
原作のこの時期恋愛全開で大好きです