――状況は佳境に入っていた。
ロンは現れたビクトールに嫌味を言う事も忘れて、ハーマイオニーが『ヘルミオネー』と呼ばせていることに衝撃を受けていた。
「ヘルミオネー? ずいぶん洒落た呼ばせ方をするんだな」
カサンドラがほほ笑みながら言うと、ハーマイオニーは照れたように顔を赤くした。
「そ、そうかしら? ちょっと女神さまの名前なんて恥ずかしいわ」
「神の系列だがヘルミオネーは一応人間だ。まあ、お前にぴったりだ。なぁ、クラム」
カサンドラが振ると、クラムは頷いた。
「もちろんです、ヘルミオネー。しかし、ヴォクはあなたの名前を呼ぶ練習を怠るつもりはありません」
「名前を呼ぶ練習だって? なあクラム、お前――」
「ロン」
カサンドラは少しだけ厳しい表情でロンを見た。
「お前、男なんかよりも気に掛けるべき相手がいるんじゃないのか?」
「え? ――あ、ご、ごめんルーナ」
ロンが慌てて謝るが、ルーナはきょとんとした表情をしただけだった。
「別に。ロンはハーマイオニーのことが好きなんでしょ? なら、仕方ないモン」
「――え」
ロンはぽかんとした表情をした。
「ぼ、僕が……?」
「ら、ラブグッドさん何言ってるのよ……。わ、私とロンはそういうのじゃないのよ」
ルーナはハーマイオニーの方を見て、もう一度首を傾げた。
「そうなの? ――じゃあ、ごめんなさい」
「いいのよ、ラブグッドさん」
ハーマイオニーはそう言うが、思わずロンの方をまじまじと見る。ロンがパクパクと口を開け閉めして、否定も肯定もできないようだった。もしかしてこの男は自分の気持ちも定まらないままあんな嫉妬全開の言動をしていたのだろうか?
「勇士が固まって何を話してるかと思えば、くだらん」
その時、コツコツと足音を立てながら、ムーディがやってきた。手には口の開いたスキットルがある。
「くだらんとはひどい言い草じゃないか、ムーディ。この年頃は恋に愛にと熱をあげるもんさ」
「ふん。恋愛に気が取られて警戒がおろそかにならんといいがな」
ぐび、とムーディはスキットルの中身を煽る。
「のう、ムーディ」
その時、ダンブルドアがやってきた。その表情は柔和そのものだが、その手にはテーブルを片付けたときに使っていた杖がある。ハリーとハーマイオニー、そしてロンでさえ、校長先生が妙に『緊張』していることに気が付いた。よく考えたら英国紳士たるダンブルドアがマクシームをほったらかしにしてこんなところに来るだろうか? 妙だ。
修羅場に慣れたグリフィンドールの三人はわずかに警戒を強める。ハリーは無意識にジニーの手を強く握り、すぐに動けるように備える。ジニーはそんなハリーを不思議そうに見ている。
「どうした、ダンブルドア」
ムーディは魔法の目でぎょろりとダンブルドアを見る。ダンブルドアは相変わらず、優しげな笑みを絶やさない。
「おぬし、こんなところでも自前の酒を持ってこんでもよかろう?」
「ダンブルドア、私は何度も言うがな、こういう祝いの場で出されたものは飲み食いせんと誓っておる」
ダンブルドアはしかたないのう、という風に顎髭を撫でた。
「懐かしいのう。ジェームズの結婚式でもお主、そのスキットルでスコッチを飲んでおったの」
「――」
ムーディはしばらく悩んだ様子だった。
「――
「そうかの? そういえばのう、ワシの記憶が確かなら、その日の料理と飲み物は、全てお主が確認したのではなかったかのう? 『ワシが安全なだけでは意味がないだろう』――じゃったな」
「ふん。念には念を、だ。できることなら飲食持参にするべきだった」
「そう思っていたのなら、事前にそう言ってくれれば、考慮もしたのじゃがのう」
ムーディはスキットルを口から離し、手を腰の近くに下ろした。スキットルを手放したらすぐに杖を引き抜ける場所だ。ハーマイオニーは顔のすぐそばに来たスキットルから漂う香りをほんのわずかに嗅いで、首を傾げた。
「――ダンブルドア。もっとはっきり言ったらどうだ? 私を『怪しんでいる』と」
「おお! そんなことを思われるとは、ワシは悲しいよ、ムーディ。そう、当然の警戒というやつじゃ。『
「ほう、なら好きに調べるとよかろう? しかし、私が死喰い人だと疑われるとは、なかなかダンブルドアも『わかって』きたじゃないか、え? さあ、どんな魔法で――」
「――先生」
ハーマイオニーが立ち上がって、カサンドラの陰に隠れながら言った。クラムも同じように裾を引っ張ってカサンドラの陰に隠した。ハリーもロンも、ハーマイオニーの姿を見て警戒を露わにする。そして、ハーマイオニーは疑問を口にする。
「――なんでスキットルに『ポリジュース薬』を入れてるんですか?」
「――なに?」
ムーディがそう言うと同時、カサンドラが動いた。ルーナの手を握っていた右手を素早く動かし、スキットルを持っていた手首をつかみ、ねじり上げた。左手はムーディの首を掴み、ギリギリとねじ上げている。そこかしこで悲鳴が上がった。
「ダンブルドア!」
「わかっておるよ。――ふむ、確かにこれは……ずいぶんと酷い味の酒を嗜むのじゃな、ムーディ」
スキットルを拾い、それの口から漂う悪臭を僅かに嗅いで、ダンブルドアは厳しい表情をした。
「ぐ、あ……な、なに、なぜ」
「校則違反も時には役に立つもんだな、ハーマイオニー」
暴れようとする男を容易く押さえ込みながら、カサンドラは普段通りの口調でハーマイオニーに話しかける。
「え、ええ。その、ええ。猫になりかけてよかったと今思ったわ」
「ああ、ニャーマイオニーは可愛かったな」
ロンが思わずぽろっと漏らした感想に、ハーマイオニーは顔を真っ赤にした。
「も、もう」
「さ、ロン。パートナーをエスコートしてやれ。できれば、目と耳も塞いでやれ」
カサンドラはちらりと氷に覆われた床を見る。注文通りの会場であることに今更ながらに気付いて、ニンマリと笑った。
「水はけもいいことだし、派手にやるとしようじゃないか、ムーディ」
ハリーはぞっとした。水はけが良かったら何だって言うんだ。派手にやるっていったい何を。
「か、カサンドラ、ご、拷問はするのもされるのも趣味じゃないって言ってたじゃないか」
「ん、ああ、そりゃな。ただまぁ、必要に迫られたらその限りじゃない。なぁ、ムーディ」
「ぐ、わ、私は、なんのことだか」
ムーディの言い訳をカサンドラは全く考慮しなかった。
「ほら、ジニー、ルーナ、早く離れろ。キレイなドレスを返り血で汚したくないだろ?」
「か、か、返り血!?」
ジニーが怯えてハリーにしがみついた。ハリーもジニーを抱きしめ返す。ジニーの肩は小さく震えていた。
「ン……つまり、ムーディ先生は『悪い人』だってこと?」
「そういうことらしいぜ。ほらルーナ、早く行くぞ。トロールみたいに殺されるムーディを見たくないだろ?」
こくり、と頷いたルーナは、ロンに手を引かれてバルコニーの方へと歩いて行った。
「ジニー、僕らも行こう」
「ひ、人がここで死ぬの? クリスマスなのに!」
「大丈夫、たぶん外までは聞こえないよ」
「え、ええ……?」
嫌に冷静なハリーの言動に、ジニーは少しだけ引いた。彼氏になったら、英雄として修羅場を潜り抜けてきた胆力に付き合わないといけないのかと思うと、少しだけ気後れする。だが、そんなハリーが弱音を吐けるように、そんな彼女になりたいな、とジニーは考えた。――半ば現実逃避気味に。
「クラム、行きましょう」
「はい。でも……いいのですか?」
「いいのよ、先生方に任せましょう」
ハーマイオニーはクラムの裾を引いて、そのまま外に連れ出した。
「さあ、外野はいなくなったぞ。さあ、答えてもらおうか。お前は誰だ」
カサンドラが首をさらに締め上げた。ぐ、とムーディが苦しそうにうめく。魔法の目がほんの少しだけ、遠くにいる魔法省の人間……パーシーの方を見た。
「そういえば、私はずっと気になっていたことがあってな。ポリジュース薬は変身後の人間の欠損も再現してくれるらしいじゃないか。そこで、だ。変身した後に欠損すればどうなるんだろうな? 例えば、指を端から詰めていくっていうのはどうだ? 変身が解けた後に指が生えてくるかどうか試してみようじゃないか。もし生えてきたら、もう一度詰めることができる。――いや、最初はオーソドックスに生爪ってのはどうだ? それとも、残った目玉をくりぬくっていうのもいいな」
カサンドラの身の毛もよだつような脅しに、ムーディは屈さなかった。残った左腕で器用に杖を引き抜く。
「マグルに私がやられると」
カサンドラはムーディの首から手を離す。そして、手首に仕込んでいるアサシンブレードを引き出した。
シャキリ
カサンドラはムーディの杖を持つ腕の手首をしっかりとつかむ。すると、ちょうど手首の腱を断ち切るようにアサシンブレードが刺さる。
「ぐ、あっ!」
からん、とムーディの杖が床に落ちて、じわりと滲み出すように血液が溢れる。ポタリ、ポタリと氷の床の上に血が広がっていく。だが、不思議と悲鳴は聞こえなかった。カサンドラが周囲を見ると、霧のようなものがかかっている。
「隠蔽はお手の物だな、ダンブルドア」
「ほっほっほ。ワシはその言葉は好きではないと言ったと思うのじゃがのう。見るべきでないものを、見ずに済むようにしただけじゃ」
カサンドラはニヤリと笑う。
「今年のダンブルドアは一段と苛烈だな」
「否定はせんよ。なにせ、この者が誰かということは究極、どうでもよろしい。あと1時間もすれば自ずとわかることじゃ。じゃがのう、ムーディ。ワシが『磔の呪文』を使うことになってでも知りたいことがどうしてもあるのじゃよ」
カサンドラは目に見えて瞠目した。あのダンブルドアから磔の呪文なんて言葉が出てくるとは、案外本気で怒っているのかもしれなかった。いや、案外どころか……。ダンブルドアは死喰い人には厳しく、苛烈な英雄として接する。おそらく、1時間後魔法薬が切れて判明した正体がか弱そうな女性だったとしても、ダンブルドアはその『知りたいこと』を知るべく凄惨な拷問にかけることも辞さないだろう。
「いつ、どこで。そして本物のムーディは今、どこじゃ?」
「とっとと答えろ。それともお前、ダンブルドアの磔の呪文を食らった初めての人間になるか?」
「くく、くくく……」
返答は、押し殺したような笑いだった。カサンドラはアサシンブレードをムーディの腕から引き抜く。堰き止められていた血が溢れ出し、ぼたぼたと床を汚した。手首から止め処なく血が流れ出すが、ダンブルドアはその怪我に見向きもしない。冷たい目で、ただ見下ろしているだけだった。
「ひひ、くくく、ダンブルドア先生、ひひ、俺はあのお方の不利になることは何も言わない」
「——では、やむをえんかのう?カサンドラよ、ワシがこの魔法を使ったこと、くれぐれも生徒たちには言わんでおくれ」
「もちろんだ」
ダンブルドアは杖を振り上げ、その呪文を唱える。かつてカサンドラに最も恐ろしく、悍しいと言った魔法を。
「『インペリオ——服従せよ』」
ダンブルドアの魔法が効果を発揮した。カサンドラは肩を竦めて、ムーディから離れる。
「随分と、本気じゃないか。てっきり、なんだかんだ言って甘いことするんじゃないかと思ってたぞ」
「そうじゃな、おそらく……カサンドラと会う前のワシなら、もっと穏便に事を済ませようとしたじゃろう」
「へぇ?私がお前にそこまで影響を与えられるとはとても思えないが?」
ダンブルドアは苦笑した。
「『鷲の傭兵』が愛読書なのは嘘でも冗談でもないのじゃよ。憧れだった傭兵の英雄ぶりを見て……ワシも変わるべきだと、そう感じたのじゃ。ワシは誰に優しくあるべきで、誰に優しくするべきでないのかを、年甲斐もなく長々と考えたものじゃ」
「その結果が、これなわけだ」
「しかり。ワシが守るべきはホグワーツと、ホグワーツに通う生徒たちじゃ。なにせワシは、ホグワーツの校長先生なのじゃからな」
そうにこやかに話していた二人だったが、妙なことに気がついた。本来ならダンブルドアに命令されて色々喋るか何かをするかしているはずのムーディが、微動だにしないのだ。この光景をカサンドラはつい最近見たことがあった。
「ダンブルドア、これ抵抗してないか?」
「なんと……」
ついに、ムーディは目をカッと見開くと、大声で笑い声を上げた。
「ははははは!偉大なる御方よ!我が忠誠をどうか、お受け取りください!ははははは!」
ムーディの口から、まるでドラゴンのように炎が吹き出した。その炎は蛇を形どり、ダンブルドアとカサンドラに向かって鎌首をもたげた。
「な……あ、『悪霊の炎』じゃと?一体お主何者……」
しかし、炎がダンブルドアたちに襲い掛かることは無かった。口から噴き出していた炎は制御を失ったのか四方八方に燃え広がり、あっという間に業火がムーディの体を焼き尽くし、正体が不明なまま、痕跡の全てを、ありとあらゆる情報一切合切を灰へと変えてしまった。
「……このようなことが……」
「とにかく、私は本物を探す」
「しかし、情報は途絶えてしもうた」
カサンドラは首を振った。手がかりは少ない。だが、ないわけじゃない。
「ポリジュース薬……2年前にハーマイオニーが作ったときに大まかな効果は聞いてる。大事なのは効果が1時間しか保たないことだ。つまりこのホグワーツから1時間以内に移動できる場所かつ、誰にもバレずに済む場所に本物は生きて監禁されているはずだ」
そして、その場所はだいたい予想がついている。
「彼の居室じゃな」
「そうだ。私は調査に入る。ダンブルドアはこの場を頼む」
ダンブルドアは頷いた。
「よかろう。ホグワーツだからと遠慮する必要はない。敵が侵入していたとしたら、務めを果たしておくれ」
「了解だボス」
ダンブルドアが手を振るうと、霧が晴れて困惑した様子の生徒たちが目に入った。カサンドラは真っ先にフラーのところに駆け寄ると、その手を握って謝った。
「すまないフラー。仕事が入った」
「そんなふうに中座されるのも初めての経験よ」
「お前は私が気に入っていると思っている。これが贖罪になればいいが」
「え?」
カサンドラは半ば強引にフラーの腰を引くと、無防備な唇を奪った。男子の怒号のような絶叫がダンスフロアに響いた。長く、深いキスを1分ほど続けた頃、カサンドラはフラーから顔を離した。
「じゃあな」
カサンドラはフラーの返事を聞く前に駆け出し、大広間から出て行ってしまった。
「……バカ」
フラーはしばらく放心し、自分の唇を人指し指で軽く撫でた。
カサンドラは警戒を続けながら駆け出す。
目指すは『闇の魔術に対する防衛術』教授の居室。おそらくそこに本物のムーディがいるはずだ。死んでなければいいのだが。
それにしても、偽物のムーディの正体は一体誰だったんだろうか。
カサンドラは走りながら、その疑問について考え続けた。だが結局は情報が足りず、答えは出なかった。