玄関ホールはダンスパーティーの間にすっかり様変わりしており、まるでお屋敷の庭のような遊歩道に変わっていた。生垣が道を作り、色とりどりの花が目を楽しませる。小さなベンチがいくつもあって、そこに休憩中のパートナー同士がおしゃべりに興じていた。チョロチョロと噴水の音も聞こえる。ハリーとジニー、ロンとルーナ、ハーマイオニーとクラムは三組別々で遊歩道のベンチに腰掛ける。舞うように瞬く妖精の光が幻想的で、ロマンチックな光景を作り出している。まるで観光地のお城のような景観に、ジニーはすっかり参っているようだった。ほんの一瞬前まで返り血がどうこう、英雄の彼女がどうこう言っていたことを頭の隅に追いやって、狩人は今を全力で楽しむことにしたようだ。ハリーの腕に腕を絡ませ、しなだれかかるようにして体をほんの少し預ける。隣の席では雰囲気に舞い上がった男女が熱いキスを交わしていた。耳をすませば、少しだけ大人な音がジニーの耳に入る。
「ねぇハリー、さっきのは——」
「——しっ」
ハリーはジニーの口に人差し指を当てて黙らせると、漏れ聞こえてきた声に集中した。
この場で珍しく男二人の組み合わせで、そのペアはなんとスネイプとカルカロフだった。
「——セブルス、もう無理だ。諦めよう」
「諦める? 随分と弱気なことだ……」
「完璧な計画だったはずだ。だが……あっさりとバレた。もはやあのお方を——することは——」
「——ならば無様に逃げ隠れるか、イゴール」
ハリーは目を見開いた。『イゴール』? 『セブルス』? 随分と仲がいいじゃないか。
「——逃げる? 馬鹿を言うな。まだ『目』はある。もう長いこと待った。これ以上は待てない」
「ならば、好きにするがいい。我輩はホグワーツに残らねばならん」
スネイプは近くの茂みに向かって杖を振るった。生垣がさあっと晴れて、茂みの奥に下着を下ろした二人の男女が見える。
「我輩、未だにマクゴナガル教授の指揮下にあるゆえに、諸君らに罰をくださねばならん。ハッフルパフは10点減点だ、フォーセット。無論、レイブンクローも10点減点だ、ステビンズ! 服装を正してとっとと出て行きたまえ!」
スネイプが怒鳴ると、慌てて服装の乱れを正した男女がパタパタと駆け出して行った。
「……セブルス、客観的に思うのだが、全ての寮から平等に減点していては意味がないのでは?」
「——全く、学び舎をなんだと心得ているのか……。ポッター!」
ぎょろぎょろとまるでムーディの魔法の目のように周囲を見回したスネイプは、ジニーと共にベンチに座るハリーを見ると、実に嬉しそうな顔をして、意地悪そうに顔を歪めて近づいてきた。ハリーは思わずジニーの手を強く握りしめた。
「風紀を乱すような真似はしておらんかね? ん? 勇士は率先して皆の手本にならねばならんのだぞ。それをこんな……。薄暗がりに友人の妹を連れ出して、どのようなつもりだ?」
「僕はジニーに残酷な光景を見せたくなかったんです。拷問なんて、女の子が見る必要はない。そうは思いませんか?」
ハリーは真っ直ぐに、睨んでくるスネイプの目を見て言った。スネイプはハリーのヒスイ色の目を見て、衝撃を受けたようにたじろいだ。その瞳が持つ強い意志の力に、たしかに『彼女』を感じたのだ。
「う……む」
「それに、僕はジニーを大切に思っています。こんなところでどうこうするなんて、そんなわけないじゃないですか」
「——我輩は常に見張っている」
スネイプはそういうと、カルカロフと共に遊歩道の巡回に行った。
「——信用を得なくていいのかセブルス!」
「それは貴様の役目だ、イゴール」
遠くでそんな声が聞こえる。——どういう意味だ?
「——ハリー、スネイプ先生ってあんなに意地の悪いこと言う先生だったの?」
「え? ああ、うん、そうだよ。僕とかハーマイオニー相手にはいつもそうだ」
「……ちょっと幻滅。厳しいし、嫌なとこもある先生だけど、そういうことはしないって思ってたのにな」
傷ついた風のジニーの顔を、ハリーはよく見る。
「……僕は気にしてないよ」
「ハリー」
ハリーはジニーを見つめる。ジニーは彼に見つめられていることがよくわかる。ぎゅう、と繋いでいる手に思わず力が籠る。だがハリーは痛いともやめてとも言わない。触れ合うほど近い距離にある肩が、さらに近くなる。ハリーがほんの少し顔をジニーの方に向けた。
「……。——ハリー……」
ジニーも同じように僅かに顔をハリーへと近づけて、そして、期待するかのように……目を閉じた。その妙に色っぽいその表情に、ハリーの心臓がドキン、と跳ねた。痛いくらいに心臓が跳ねる。
——何も考えられない。
悪くない気分だった。緊張でどうにかなりそうで、じっとりと汗で濡れる掌が、ジニーに伝わってやいやしないか、彼女が不快に思わないか、そんなことばかり考える。
——そしてきっと、似たようなことをジニーが感じているのだと、ぼんやりと理解する。
ハリーはゆっくりと、ぎこちなく、ジニーの唇に、自分の唇を寄せて。
——そして、二人の影が、完全に重なった。
「……んっ」
浅いキスを繰り返す。まるで子供同士がするみたいなキスだ。隣のカップルがしている大人で、慣れた感じのキスとは雲泥の差だった。
だが、二人にとってはそれでもよかった。
「——ジニー」
きっと、このままなあなあで付き合うこともできるだろう。ハリーにはそんな確信があった。言葉にせずに、まるで真に迫ったごっこ遊びのような関係を続けることだってきっとできる。ジニーはそれでも文句は言わないだろうし……改めて何かを言ってと要求することもおそらくないだろう。
そんな彼女が相手だからこそ、ハリーは言いたかった。
もう一度軽くキスをする。
ハリーは空いた手をジニーの肩に置いて、より深く、より近く。
——別に、ハリーはジニーが好きとか、そういうわけじゃない。いい雰囲気になって熱に浮かされて流されている自覚はある。ちょっと急にジニーが女の子っぽく見えたギャップにやられているのだと自己分析もできる。
それでもハリーは、ジニーを彼女にと望んだ。
他の男に渡したくないと強く願った。
なにより、こんなにもいじらしくハリーのために自分を変えてくれるジニーを、可愛いと思ったのだ。
「ジニー、僕と……僕と、付き合ってください」
「ああ……ハリー……。ええ、もちろんよ。私こそ、どうか私の彼氏になってください」
「——僕の方も、もちろんだ」
ジニーとハリーは抱擁を交わし、深く、深くキスをした。
——一方、妹を親友に取られて……あるいは、親友が妹に狩られたロンは、随分と眉間のシワが解れたようで、ルーナとぎこちないながらも会話を交わしていた。
「——それでさ、去年の末なんて酷いのなんの。ハーマイオニーとハリーが時間を飛んで大立ち回りしている間ずーっとマクゴナガルの罰則受けてたんだぜ? ったく、毎年こんなんばっかだよ。今年も、ハリーはホグワーツ中から応援されて勇士になってる」
「羨ましい?」
「半々かな」
ルーナはくすりと笑った。その仕草は、巷で言われているような『ルーニー』っぽさはなく……ごく普通の女の子のようにもみえた。
「私も、わかるかも。私、ニュート・スキャマンダーに嫉妬してたことがあるンだ」
「ニュート・スキャマンダーに? そりゃまたどうして」
ルーナはしばらく何も言わず、口籠っていた。決心がついたのか、ルーナは自身の過去を語る。
「私のパパ……クィブラーで編集者やってるの。新種の魔法生物を発見したっていってるンだけど……スキャマンダーと違って誰も信じてくれなかった。
——スキャマンダーは、簡単に信じてくれるのにって、子供の頃すごく嫉妬してた」
「そりゃ……まぁ、うん、そうだよな」
色々言いたいことはあった。そりゃゴシップ記事信じる奴なんかいないだろとか、お前のパパマジであんな雑誌の編集者なの、とか。だが、いくらロンでもそれを言ったらおしまいだと、カサンドラにしつこくしつこく叩き込まれていた。
「なぁ! あんた、俺と一緒だ」
茂みの奥で、聴き慣れた声がして、ロンはそっちの方を見た。ハグリッドとマクシームが向かい合って深刻そうな話をしている。
「わたくしとあなたで何がどう同じなのでーすか?」
「あんたは……俺と……俺と同じ、半巨人だ」
ぴくり、とマクシームは頬を引きつらせた。ロンは慌てて周囲を見る。——奥まった場所だ。だが完全に密室ってわけじゃない。誰が聞いてるのかわかったもんじゃない。
「ルーナ、協力してくれ。ハグリッドを守るぞ」
しっかりとハグリッドの方を見据え、半巨人であることをほんの少しも、なんとも思っていないロンの姿を見て、ルーナは少し彼のことを見直した。
「ウン、いいよ。どうするの?」
「僕とルーナで迷い込んだことにしよう……でも口実がないな」
ロンは悩むが、ルーナにはいつでもどこでも彷徨えるだけの口実があった。
「『ルーニー』でもいいって思えたの、今日が初めてだ」
ルーナはそう言うと、ロンから離れてマクシームたちの方へと歩き出した。茂みをかき分け、今にも怒り出しそうなマクシームとしまった、と言う顔をするハグリッドがいる広場に出る。
「——あなたは?」
マクシームが鋭い声で聞く。
「……あ、先生。この辺に……ナーグルがいるんじゃないかと思うンだけど、見かけなかった?」
「な、ナーグル? イギリスの魔法生物ですか?」
「お前さん……。ナーグルはこの辺にはおらんぞ。たぶんな」
「そうなンだ。ねぇハグリッド。ナーグルがいるって、信じてる?」
ルーナが聞くと、ハグリッドは迷うことなく頷いた。
「もちろんだ。誰も見たことないから『いない』ってのは、そんなこたぁねぇだろう。俺ぁ、お前の親父さんが正しいって証明するのはお前さんだと思ってるぞ」
ハグリッドの言葉に、ルーナはにっこりと微笑んだ。隣のマクシームも、感心したような表情をしている。
「よかった」
「——おい、ルーナ、どうしたんだ?」
ロンがまるで今までずっとルーナを探していましたとでも言うふうに現れた。
「なんでもないよ。ナーグルを探してただけだモン」
「そうか。……ハグリッド! パーティーは楽しんでる?」
「あ、ああ。まぁな」
「アグリッド」
マクシームが複雑そうな表情をして、ハグリッドに言う。
「あなたがなぜあんなデリカシーにかけーることを言ったのか、わかりまーせんが……」
「デリカシー? 俺は、同類を……」
「わたくしは、違います。——。おねが太いだけでーす」
マクシームはそう言うと、大股歩きで去っていった。
「……ハグリッド、あれはヤバイよ」
「——聞いてたんか」
「聞こえたんだよ。こんな……誰が聞いてるかわからないところでこんなの、もうちょっと考えてやれなかったのか?」
「——ロンがデリカシーについて説教してる。スゴいンだ」
「頼むから、黙っててくれ」
ルーナは肩を竦めた。
ハグリッドは顔を覆って、二人がけのベンチに座った。それでもまだ小さそうだった。
「お前さんたちはどう思った? その、俺の生まれのことを」
「気にすることかよ? まぁそりゃ、驚きはしたよ、ウン」
正直に言うと、ロンはハグリッドに対する否定的な気持ちが湧かなかったといえば嘘になる。あまりにも普通の人と認識が違うのは『そういう』理由だったんだ、と変に納得もしてしまった。だが、それはそれとして、ハグリッドは友達だ。ロンは今でも堂々とそう言える。
「私は……よくわかンない。だって、私たち魔法使いは『かつて来たりし者達』の子孫なんだモン。それに……みんな、デラクールさんに夢中だ」
「はは、そうだよな」
ロンは苦笑した。確かに、半巨人がダメなら四分の一ヴィーラだってダメだろう。結局のところ、半巨人だからどうこうというのは、実態を伴わないマヤカシ……もっといえば、偏見という奴だ。
「——お前さん達は優しいなぁ。でも、これがバレたら俺ぁ、もう教師は続けらんねぇ。かつて闇の陣営に、巨人は参加した。してしまったんだ」
ハグリッドの慟哭のような嘆きは、静かな広場によく響いた。
——
「……ビクトール」
「なんでしょう、ヘルミオネー」
ハーマイオニーは生垣に囲まれた小さな広場にクラムを連れ込んだ。周囲に人がいないかをよく見回した。それから杖を振って防音をしっかりすると、クラムに相対する。
「アプローチしてくれて嬉しかったわ。ええ。嫉妬の視線が心地よかったのは否定しない。でもこれだけは聞いておきたいの。ビクトールは私とどうなりたいの?
その、今年限定の恋人なら、申し訳ないけどお断りよ」
ビクトールは笑みを絶やさない。
「最初は……そうですね、そのつもりがなかったかといえば……。嘘になります。けど今は違います。あなたの活動……まぁS・P・E・Wという名前はともかく、素晴らしいものです。並大抵の覚悟で臨んでいるわけでもないこともわかりました。
だからこそ、ヴォクはあなたを望んでいます」
ハーマイオニーは目を見開く。それから、困惑したように聞いた。
「私は……。ただの、でしゃばりよ」
「一歩踏み出さなければ、二歩目はないんです。ヴォクは、あなたをでしゃばりだという人よりも、あなたの意志を優先します。ヘルミオネー、どうかヴォクの恋人になってください」
——!
ハーマイオニーは目を見開く。まさか、こんなふうに直球でこられるとは思わなかった。
このまま付き合ってもいいんだろうか。軽い女だと思われないだろうか。
こんなこと言っているが、本当は遊びなんじゃないだろうか。実はダームストラングには彼女がいて、自分は『現地妻』くらいの意味合いなんじゃ……
いろんなことがグルグルと頭を回る。不安要素は多い。その逆に、安心できる要素はあまりにも少なかった。
確かにビクトールはいい男だ。大人で、勇士としても素晴らしいほどの実力。そしてなによりも、活動的なハーマイオニーを受け入れてくれている。
だが、ハーマイオニーはクラムと付き合うとなった瞬間に、世界中の女性ファンを敵に回すことになる。そして、なによりも。
——ロン。
ハーマイオニーは別に、ロンが男として好きなわけじゃない。あんな風にデリカシーのない男、願い下げだとすら思う。
思うのに。
なぜか、ロンの顔が、ちらちらと脳裏にチラついて離れない。好きではないはずだ。それなのに、ロンと男女の関係になる可能性がなくなる未来を忌避する自分が確かに存在する。
長い沈黙を、クラムは拒絶だと受け取ったのだろう。クラムは肩を竦めた。
「……ヴォクは、何度か女性にアタックしましたが、いつも、『私は相応しくない』と断られます。こういう時、プロチームになんか入るものじゃないと思ってしまいますね。
——さよならです。もう二度とあなたを誘うことはないでしょう。これからは、ホグワーツ生と、ダームストラング生として接することにします。それでは、良い夜を。
——……ハーミー・オウン」
クラムは返事も聞かずに、スタスタと去っていった。ハーマイオニーは何も言えず、見送った。
彼の目に浮かぶ涙が、ハーマイオニーの脳裏に焼き付いて離れなかった。その背に、最後に声をかける。
「……ごめんなさい。私は……付き合えないわ。
——クラム」
勇士の恋は、破れ去った。