――1994年 12月 ムーディの居室
カサンドラは『闇の魔術の防衛術』教授の居室を蹴り破った。砕け散った木製の扉の破片が部屋の中に散らばる。カサンドラは警戒しながらも中に足を踏み入れる。中は異様な光景が広がっていた。
まるで、スネイプの居室のようだった。壁に掛けられた様々な魔法薬の材料。部屋の中央に鎮座する巨大な大鍋にはおたまが入っており、自動で薬をかき混ぜていた。鍋の中を覗き込むと、凄まじい悪臭がする泥のような液体がある。もしかしてこれがポリジュース薬だろうか。それならば……ムーディの偽物はホグワーツに来てからこれを一時間ごとに飲んでいたことになる。そういえば、とカサンドラは思い出す。あいつは食事の時、かなり過剰にスパイスや調味料をかけていた。もしかしてクソ不味い薬を常飲してたから味覚が麻痺してたのか? カサンドラは周囲を見回す。
「本棚か……『闇の魔術に対する防衛術』の教科書や……論文? もしかして偽物は本気で授業に取り組んでいたのか?」
だとしたら、少し妙ではある。また偽物で、生徒たちは適当な知識を植え付けられたのかと懸念していたのだが……? カサンドラは思いなおす。一度、本職に生徒たちの知識の確認をしてもらわなければならないだろう。カサンドラは他にも気になるものがないか部屋を調べる。
「スキットルと……漏斗か。そういや奴は酒が好きなんだと思っていたんだが、違ったわけだ」
職員室にいるときも、生徒たちと交流するときも、偽物はスキットルを手放さなかった。酒飲みかと思っていたカサンドラだったが、事実は違っていた。酒だと思わせておいて、変身薬を飲んでいたのだ。
「私物が少なすぎるな。どこかにまとめてあるのか?」
部屋をあらかた捜索したカサンドラは、この部屋には生活感が全くないことに気が付いた。私物はともかく、たとえば着替えや、クローゼットすらない。ベッドはあるが、生活していた痕跡はその程度だ。カサンドラは居室の中にどん、と鎮座している巨大なトランクに目を向ける。
「この中にまとめてあるのか。どれどれ」
カサンドラはトランクを開けようと手にかける。鍵がかかっている。
「鍵か。マスターキーはあったかな」
カサンドラはそう言って、居室から出て行った。自分の居室にいったん戻り、
「斧じゃないが……まあ、鍵には申し分ない」
カサンドラは振りかぶり、フルスイング。がごんと凄まじい音がして、トランクのカギと蓋が吹き飛んだ。カサンドラはハンマーをそばに置くと、トランクをのぞき込む。
「――なんてことだ」
トランクの中は妙に広い空間になっており、そしてその空間の奥には、やせ細った一人の男が横たわっていた。
彼こそが、本物の『マッドアイ』ムーディだ。
――1994年 12月
クリスマスの翌日、みんなが寝坊して眠りこけている間、ハリーはジニーと会っていた。グリフィンドールの談話室は昨日と比べて打って変わって静かだったし、数少ないが談話室にいる人も夢見心地で、ソファで二人隣り合っていちゃつくハリーとジニーに意識を向ける人はいない。ハリーはジニーの手を握りながら、他愛もない会話を楽しんでいた。こんなにも幸せなことは、クィディッチで優勝したとき以来だった。もしかしたら、この瞬間の光景を思い浮かべれば守護霊を簡単に出せるかもしれない。
「ハリー……ジニーもまぁ、おめでとう」
楽しい会話をしていると、いつも早起きのハーマイオニーが起きてきた。シニヨンにまとめられるほどまっすぐだった髪の毛はいつも通りふわふわのウェーブに戻っていた。
「ありがとう、ハーマイオニー」
「ハーマイオニー先輩、おはよう」
「おはよう、二人とも。ふわぁ……。幸せな二人を見てると、逃した魚は大きかったかな、なんて俗っぽいこと考えちゃうわね」
ジニーとハリーは揃って首を傾げた。
「とにかく……水を差すようで悪いけどハリー、第二の課題について、そろそろ考察しなきゃいけないんじゃないの? 宿題もあるし……」
「わかってる、わかってるから。もう少し幸せな気分でいさせてくれたっていいでしょ?」
ハーマイオニーは肩を竦めた。
「お好きにどうぞ。まだ大広間って朝食やってるかしら……」
「多分。今日はみんなまだ起きてないし」
「みんな夜遅くまで騒いでたからかしらね。――一応聞きますけれど、ハリー。あなた、親友の妹に昨日の今日で『無体』を働いてはいないでしょうね?」
「え? 僕がそんなことするわけ――」
ハリーはそこまで言ってようやくハーマイオニーが言いたいことを理解した。
「僕がそんなことするもんか! そりゃ、その、まあ、いつかはって思うけども」
「はいはい。信じてるわよ。あとそれから、二人とも『深い関係』になる前にカサンドラに話聞きに行った方がいいわよ。『ショットガン・マリッジ』する羽目になりたくなければね」
「う……」
ハリーはうめく。もしそうなれば、もしかしたらアーサーが杖を片手に磔の呪文で脅しながら結婚を迫ってくる可能性はあった。ハリーだって、もし将来娘ができて、その娘が未婚で子供ができたら、相手の男を磔の呪文にかけることになんの躊躇いもないだろう。気を付けよう。ハリーは心からそう思った。
「ハーマイオニー先輩、昨日みたいに髪の毛まっすぐにしないの?」
「ん? ええ。昨日は『スリーク・イージーの直毛薬』を大量に使ってようやくまっすぐになったから。あんなの毎日続けてたら髪の毛痛みそうでね。昨日限定よ」
「えー、そうなの? 昨日のハーマイオニー先輩とってもきれいだったのに、残念。今も可愛いけど。うちの兄貴って本当に見る目ないのね」
「ありがとう、ジニー。まあ、ロンは……まあ、ロンだしね」
ハーマイオニーは半ばあきらめつつも、受け入れたようなそんな言葉を言った。
「さ、寝坊助たちは放っておいて、食事に行きましょう?」
ハーマイオニーの言葉に、ハリーとジニーは頷いた。
大広間は予想通りというかなんというか、ホグワーツに現在残っている人数に比べてすさまじく人がいなかった。テーブルが各寮ごとに別れてはいるが、そのテーブルに座っているのは一人か二人で、大多数は今もなお寮で眠りこけているに違いなかった。
「あら? ……ムーディがいるわ」
ハーマイオニーが不思議そうに首を傾げた。昨日、ムーディは偽物だったはずだ。ハーマイオニーとハリーはお互いに顔を見合わせた。
「ジニーはここで待っててね」
「お願いよ」
ハリーはジニーから手を離すと、代わりにローブのホルスターから杖を引き抜く。ハーマイオニーも同じように杖を抜いた。その瞬間に、遠目にいるムーディが同じように杖を抜いて立ち上がった。
「止まれ!」
ムーディの声は記憶にあるより若干しわがれていた。だが、声質そのものは一緒だ。二人は素直に足を止めた。周囲の生徒がハリーたちを見る。
「なんの用だ、小僧ども」
「偽物か本物かわからないんで、カサンドラに確認しようとしてたんです」
「なら逆に問うが、貴様らは本物なのか」
「え」
ハーマイオニーとハリーは揃ってそんな声を上げた。
「お前たちが生徒に化けた『死喰い人』じゃないと誰が言える……そうだ、お前も、お前らも、みんな……ワシを狙っている」
「落ち着け、ムーディ。二人とも、こっちへ来い」
隣のカサンドラがムーディの杖を握る手にやさしく手を添えると、ゆっくりと下ろさせた。その次に、肩を掴んで着席させる。
「紹介するぞ、彼女はハーマイオニー。お前の偽物を見破るきっかけになった才女だ。隣の男はハリー。『生き残った男の子』だ」
ムーディはじろりとハリーを見て、稲妻型の傷を見た。
「――そうか。お前が。……なるほどな。それで、本物だという確証はあるのか?」
ハリーとハーマイオニーは本物の疑心暗鬼というものの面倒臭さを今思い知っている。偽物はここまでひどくなかった気がする。
「私が証人だ。それじゃ不満か?」
「不満だな。ここに真実薬がある。飲んでみろ」
ことり、とムーディは懐から青白い色がついた薬瓶を取り出した。
「先生、もしかして毎回こんなことするつもりですか?」
ハーマイオニーが薬瓶を掴んで、ぐい、と飲んでハリーに瓶を手渡した。ハリーも同じようにするが、ふと気づいて、きょろきょろと周囲を見回す。
「ん、これでどうだ。そういう気づかいができるようになったのはいいぞ」
カサンドラがハリーの意図に気付いて、新しいゴブレットを手渡してくれた。ハリーは瓶の中身をゴブレットに入れると、一気に飲み干した。
「……で、僕らはどんな質問に答えればいいんですか?」
「いや、もう不要。まだ可能性がゼロになったわけではないが……。ひとまず、信用しようじゃないか」
「真実薬の飲み損じゃないですか」
「ただの水だ」
ハリーとハーマイオニーは揃ってぽかんとした。
「ともかく、勇気があるのは認めるがな、他人が出したものをほいほい飲むな。ワシが真実、『死喰い人』だったらもう貴様らは終わってる。いいか、『油断大敵』! 貴様らがするべきことは、これが本当に真実薬なのか、あるいは、毒が入っていないかを他の教師に確認させることだった。ワシが『闇の魔術に対する防衛術』の教師として働く以上、もはやこんなポカはやらかさんよう教育してやろう」
ハリーとハーマイオニーは非常に嫌な予感がした。
『偽物の方がいい授業をする』という最悪の可能性が脳裏によぎったのだ。
「えっと……でも、先生。あなたが飲むように言ったんじゃないですか」
「無論。飲まねばならんと思わせるように言った。ワシがお前らを偽物じゃないかと思っていたことは事実だ。だが、『本物だと思ってほしい』という気持ちを利用されていたということは自覚せねばならん」
「ええ……」
ハリーはさっそくついていけなくなりそうだった。
「まあ、ムーディの教育は特殊だが……ある意味、実践的だ。本物の悪人やプロの暗殺者は手練手管よりも『人がどう思うか』を知り尽くしている。視線の動き、何に注目して、どんなものなら忘れやすいか。それさえ把握していれば、白昼堂々人殺しをしても容易く逃げおおせることができて、なおかつ誰の記憶にも残らない」
「しかり。――警備員のくせにえらく詳しいな? もしや貴様本職か?」
「いや? ただの警備員さ。マグルだと探偵やってるからな」
「ワシを魔法使いだと思って馬鹿にしとるな? ただのマグルはそんなことを知らん」
「なら、年の功だと思ってくれ」
「……全く、不気味な女だ」
本物のムーディは本物の疑心暗鬼らしい。新学期がいきなり不安になってきた。
「あ、そうだ……。カサンドラ、僕、ジニーと付き合うことになったんだ」
「……なに?」
カサンドラはちらりと大広間でちらちらとこちらを見ながら食事を始めているジニーに目を向けた。
「そうか。まあ、大事にしてやれ。ただ、ヤることヤる前にはちゃんと私のところに来い。つける物を渡してやる」
「……つけるもの? ってなに?」
その場にいる全員が呆れたような顔をした。
「あのな、ハリー。お前……。わかった。いいか、後で私からジニーに言っておくからな。絶対に、それを知るまで深い関係になるのは禁止だ。わかったな?」
「え? な、なんで」
「黙って、頷くんだ」
カサンドラの割と本気の凄みに、思わずハリーは頷いた。
「あー、その、僕、もう行くね。ジニー待たせてるし」
「ああ。行け」
ハリーは怯えたようにそそくさと去っていった。
「……信じられない。もしかしてロンもそのレベルだったりしないわよね?」
「さあな。そういやホグワーツってそういう教育どうなってるんだ?」
「私が知るわけないでしょ……」
カサンドラは肩を竦めた。
「つまり、14になるまでは何一つしないってことはわかった。あとでダンブルドアに確認しとくか……」
「警備員。そんなに気にすることか?」
ムーディが不思議そうに聞いた。
「当然だろう。命は祝福されて産まれるべきだ」
カサンドラはきっぱりとそう言った。
「カサンドラってそういうところ、マグル的よね。古代ギリシャだとどうだったの?」
「あー、うん、まぁ、してたことはしてた。今ほど確実ではなかったが」
カサンドラは言葉を濁した。動物の内臓を使って『袋』を作っていたのだ。ソーセージも出てくる食事の場で言う事ではとてもではなかった。
「ともかく。とりあえずしばらくハリーには第二の課題に集中してもらう。
「うそでしょ?」
「本当だ。もはや契約はなっている。――理不尽だがな」
カサンドラは苦々しく言った。
――とりあえずは、今はまだ平和だ。脅威が取り除かれ、真実は明るみになった。
だが、今なお、不穏な影はホグワーツを覆っている。