――1995年 2月 ホグワーツ湖
その日、ハリーはいつもの通り過ごした。たっぷり寝て、朝日を浴びながら起きる。みんなと一緒に朝ご飯を食べて――この時、今回はちょっと無様かも、なんてことを周囲にアピールすることも忘れない――知らされていた集合場所までゆっくりと移動する。そういえば、朝食にジニーが来ていなかったな。そんなことを考えながら、控室のテントに入る。すると、第一の課題と比べるとかなり落ち着いた様子の代表選手たちがいた。
「ああ、ハリー。どうだ、準備はできてるのか?」
「うん。ちょっとずるしてるみたいで気が引けるけど」
「気にするな。お前は生き残れたらそれで勝利なんだからな。――参考までに、その『ずる』ってなんだ?」
「え」
ハリーはちらりとフラーを見た。見られたフラーは不思議そうに首をかしげる。
「その、カサンドラから『水中で息ができるようになる槍』を借りることになってるんだ。その、第一の課題と同じように、アクシオで」
「ああ、なるほどな」
「ずるいでーす、ポッター」
フラーは不満そうだった。その言葉に、セドリックが怒ったような表情をした。
「何が不満なんだ、ミス・デラクール」
「そんなの決まってまーす! キャシーから物を借りれるなんて羨ましーいです」
想像以上にバカバカしいセリフに、セドリックはようやくそれが冗談だと気づいた。
「あのな、ミス・デラクール。冗談はもう少しわかりやすくしてくれ」
「冗談ではありませーん! 私だってキャシーに心配してもらって、特別にお宝を借りたいでーす!」
「デラクールは、カサンドラが好きなの? その、女として?」
全く意味が分からない質問だったが、フラーには伝わったようだ。彼女は頬を少し赤らめて言った。
「もちろんでーす! でも、ポッター。私はあなたをライバルだーとは、思っていませーん。キャシーは、きっと強い人に惹かれまーす!」
それは、ハリーが弱い人間だと彼女が思っていることに他ならないが、まぁ、特にハリーは否定しようとは思わなかった。
「そうだね、きっとカサンドラはデラクールみたいな人が好きになると思う」
ハリーは今、とても精神的に余裕があった。もはや陰謀を企んでいた『死喰い人』はいなくなり、第二の課題も問題ない。息さえできればあとはどうにでもなるだろう。第三の課題も同じようにしてきっとうまくいく。彼女さえできた。人生の絶頂とまでは言わないが、今のハリーは幸福だった。
「……なんだかつまんないでーす! これだから彼女持ちは嫌いでーす」
ぷい、とデラクールは肩を竦めてハリーのそばから離れて行った。去り際、彼女は首だけ振り返って言った。
「……応援してまーす。彼女の為にも、死んではダメでーす」
ああ、緊張をほぐそうとしてくれてたんだな。ハリーはフラーのやさしさに胸が暖かくなるような思いだった。
――
カサンドラは腕を組んで、4人の子供の前にいた。いや、一人は成人しているチョウ・チャンだったが。まあカサンドラにしてみれば成人したてなんて子供みたいなものだ。
「すまんのう、協力してもらって。よいか、今からお主たちを眠らせ、水中に沈める」
「……あ、あの」
4人の中で最も幼い少女、ガブリエル・デラクールが怯えたように手を挙げた。彼女はフラーの妹で、フラーの最も大事な人として人質に抜擢するため、わざわざフランスの実家から来てもらったのだ。最初はカサンドラが眠らされて水底に沈む予定だったが、そもそもカサンドラは助けられる側ではなく助ける側である。というかカサンドラが捕らえられ、沈められるなど――ハリー以外は――信じないだろう。
「わ、私、死んじゃうんでしょうか……」
「大丈夫じゃよ、ミス・デラクール。ワシが責任を持って、お主の命を保障しよう」
「万が一に備え、私も水中に潜る」
「え?」
隣のハーマイオニーが不思議そうな顔をした。
「水中で息ができる槍って、ハリーに貸すんじゃなかったの?」
「ん? ああ、『ポセイドンの槍』はハリーに貸すが……まあ、私にとって武具に宿った神秘は移し替えることができる。いわゆる……なんだったか、文字に魔法を刻ませる……」
「ルーンかのう?」
「そうそれだ」
「……本当、あなたってめちゃくちゃよ」
ハーマイオニーは呆れたような声を上げた。確かにルーン魔術は、本人が維持制御しなくても魔法を使えるという利点がある魔法だ。――だが、武具に宿った神の御業を移し替えられるとは。相変わらず、カサンドラは滅茶苦茶だ。
「わ、私その、怖いんですけど……べ、別の人じゃダメなんですか……? あ、安全なんですよね? それなら私じゃなくても」
「ふむ……カサンドラ、どうかの?」
「あのな」
カサンドラがそう言うと、ダンブルドアはそうじゃろうな、と言った。腰をかがめ、小さな女の子に目線を合わせると、真摯に語り掛ける。
「どうか、ワシに協力してはくれんかのう?」
「うう……わ、わかりました……。お姉ちゃん、助けに来てくれるよね……」
一応の納得はしたようだったが、それでも不安そうだった。
「大丈夫よ、ガブリエルちゃん。カサンドラはものすっごく強いのよ。たとえ大イカだってやっつけちゃうわ」
「まあ、水中は不得手だが、子供の為だ。頑張るとするよ。それでハーマイオニー、お前は……」
ちらりとジニーの方に視線を向けてから、カサンドラは言った。
「まさかお前、クラムの人質なのか?」
「――みたいね。私とあの人、そんな関係じゃないのに」
「しかし、彼の方はまだ未練があるようじゃのう」
ほっほっほ、と好奇の声をダンブルドアが上げる。彼女はうんざりしたようだった。
「本当、やめてください。……フッたってだけで陰口すごくなったのに」
それだけで、付き合わなくて正解だったとハーマイオニーは思う。ハリーみたいな好奇と嫌悪の視線に晒されて、まともでいられる自信が彼女にはなかった。
「まあ、有名人と関わるっていうのはそういう面もある。そういや、ジニーはその点大丈夫なのか?」
「え? ああ、まあ……なくはないけど。大丈夫よ。今すごく幸せ」
「ならよかった」
ジニーは自分の髪をいじりながら、照れている様子だった。その表情に疲れた様子は見えない。母親譲りの肝の強さがあるのだろう。
「チャン、お前はどうだ、不安はないか?」
「ええ。――幸せそうでいいなって思ってただけよ」
ほっこりとした目をジニーに向けながら、チョウ・チャンが言う。
「お前にはセドリックがいるだろう」
「まだ正式に付き合ってるわけじゃないのよ。――今回の件がきっかけで告白してくれないかしら。もしくは、私から行くか」
「セドリックは人気者だ。いいか、男は争奪戦だぞ」
「……なら、決まりね」
チョウ・チャンがクィディッチの試合でスニッチを見つけた時のような鋭い目をした。つまり、狩人の目だ。
「さ、校長先生、早く眠らせてください」
「おぬしが一番、人質に乗り気じゃろうなぁ」
それからほどなくして、人質は眠らされた。
――
カサンドラは水中で水中人、マーピープルの町で待機していた。すぐそばには巨大なマーピープルの像があり、その根元には人質たちが繋がれている。水中人の聖歌隊が歌を歌い、勇士たちをここに誘っている。
(……一番乗りはハリーか)
カサンドラはしっかりと両手に槍を構えて泳いでくるハリーを見つける。泳ぎの能力まで底上げする様な能力はなかったが……本当にハリーは本番に強い。もしこれが正式な勇士なら、彼は間違いなくトップを爆走することができるだろう。
(カサンドラ!? ……人質ってわけじゃなさそう)
ハリーは人質たちに向かって指を指すカサンドラを見てそう判断した。ハーマイオニーとジニー、どちらが自分の人質なのか一瞬わからなかったが……ハリーはすぐにジニーの方へと泳いだ。槍の穂先を器用に使って縄を切ると、ジニーを抱きかかえた。片手で槍を持つのが精いっぱいで、泳ぐ速度は激減するだろう。
(……どうした、早く戻れ)
ハリーはしばらく動かなかった。ハリーは所詮お情け参加だ。なら、ここでちゃんと他の勇士たちがくるかどうか確認してからでもいいはずだ。
(ハリー……! それは私がやる)
カサンドラはハリーの方へと近づくと、ジニーの体を何度か軽く叩いて、それから上を指さした。
(……!)
再三カサンドラに指示され、ハリーは渋々水上に向かって泳ぎだした。
(全く。人質も槍も持っていて、どう助けるつもりだったんだ)
だが、その心意気は買う。その優しい気質は間違いなく勇士に相応しい。年齢さえ達していれば、ゴブレットはハリーを選んでいただろう。そうカサンドラに思わせるだけのものをハリーは示し続けている。しばらくすると『泡頭呪文』をかけたセドリックがチョウ・チャンを、頭だけをサメに変身させたクラムがハーマイオニーを、それぞれ助けて水上に上がっていった。
だが、いつまで経ってもフラーが来ない。カサンドラは腕時計を見る。もう一時間は経った。
「最後の勇士は来ない。救出する」
ごぼごぼと泡交じりで全く英語として発音できなかったが、水中人にはそれで十分だったらしい。
「了解した」
逆に返ってきたのは流ちょうな英語だった。カサンドラは頷いてガブリエルに近づくと、縄をアサシンブレードで切って、彼女を担いで泳ぎ始めた。容易く湖面まで上がると、マダム・ポンフリーが人質と勇士にせかせかとお世話をしているのが目に入った。毛布を着せたり、暖かいココアを手渡したりして暖めている。ダンブルドアとバグマンがカサンドラを見てにっこりと笑いかけた。マクシームが湖の中に戻ろうと半狂乱でもがいているフラーを必死に押さえていた。
「ガブリエル! ああ、ガブリエル! あの子は! 私が……! あの子は無事なの!?」
「心配するな、フラー」
カサンドラは岸まで上がると、眠るガブリエルをフラーに渡した。
「キャシー! ああ、ガブリエル! ごめんなさい、私、水魔に襲われて……ああ、もうダメかと……!」
「大丈夫ですか、カサンドラ」
「ああ。ありがとう、ポンフリー。私より勇士や人質たちを」
「はい」
フラーは妹を強く抱きしめて泣き続けている。その背にポンフリーは毛布を掛けた。
「ありがとう、キャシー……! あなたはガブリエルの命の恩人よ!」
「いや、フラー。勘違いするな。私は仕事をしただけで、もしダメだったとしてもお前の妹は救出される手はずだった。恩に着る必要はない」
「……――それを言ってくれるあなただから、私は好きになったのよ」
カサンドラは肩を竦めた。まあ、並みの男ならこれで『行ける』と思うだろう。
「そこまで恩に着る必要はない」
カサンドラは周囲を見回す。クラムはハーマイオニーを抱きしめ……そして、ハーマイオニーにパッと離れられてショックを受けた顔をした。ジニーはハリーの腕の中でロマンチックな会話をずっとしている。このままだとここでキスしそうな勢いだった。チョウ・チャンとセドリックも同じようにして抱きしめ合い、何事かを囁き合っている。
「……マクゴナガルに言ってやらんとな」
学校行事がカップル成立を手助けしているようだが? と。
――ふと。
カサンドラは観客席の一角を見つめた。彼女が見つめる、いや、睨むその先には、醜悪な笑みを浮かべて羊皮紙に何かを書き込む記者、リータ・スキーターの姿があった。
「……生徒について書けば殺すと言ったつもりだったんだがな」
カサンドラはぽつりとつぶやいた。さて……どう消すか。
「キャシー? どうしたの?」
「ん? いや、なんでもないさ。勇士としての視点もまあ悪くないな、とそう思っただけだ。ただ、フラー。今回は残念だった」
「本当よ。でも、第三の課題で挽回して見せるわ。私の活躍、見ててねキャシー」
「もちろんだ」
フラーとそんな風に会話をしながら、頭の中では残酷な計画が次々と、着々と立てられていた。
「……ハーム・オウン・ニニー。寒くはないですか」
「ええ。お陰様で。助けてくれてありがとう、クラム。じゃあ、私はこれで」
「……お姫様を助けた騎士には、ご褒美があってもいいとは思いませんか?」
ハーマイオニーはその通りだと思った。だが。心苦しいが彼女は首を振った。
「ごめんなさい。面倒な記者が私を見てるわ」
「ああ……」
クラムはちらりと観客席を見た。
「ヴォク、前からそこまで記者は好きじゃなかったですが、今回で一層嫌いになりました」
「ごめんなさいね」
クラムは首を振った。
「いいえ。安全が保障された課題でキスをねだるなんて、大人げなかったです」
クラムはどこまでも大人だった。
――フラーは首位争いから脱落した。だが、いまだに優勝の目がないわけではない。第三の課題の結果によっては、まだ、優勝できる可能性はある。