――1995年2月 ホグズミード 『叫びの屋敷』
ハリーは顔を青くしているハーマイオニーと、そんな彼女を心配そうに見ているロンを連れて、ホグズミードの郊外、かつてルーピンが幼少のころに人狼病を抑えるために用意された屋敷の前まで来ていた。本来ならハーマイオニーは置いてきてあげたかったが、どうしてもと彼女が言うので、連れてきたのだ。三人は不自然にならないくらいに持ち運びに適した食べ物……パンやらお菓子やらをローブのポケットに詰めて、ここまで来ていた。
「ハーマイオニー、大丈夫かよ?」
「大丈夫、大丈夫よ。別に私が何かしたってわけじゃないから。でも、それでも今頃一人か、もしくはもっとたくさんの人が殺されてるって思うと、ちょっと憂鬱よ」
ハーマイオニーが自身の中傷記事について知ったのが昨日。今朝、朝一番に届けられた大量の手紙の多くはその記事を真に受けた抗議文、あるいは脅迫文だった。中には『吠えメール』も同封されていたが、ハーマイオニーが開けると怒声を放つような郵便を開けるわけがない。強かな彼女はついでとばかりに実験をすることにした。
吠えメールは開けないと『酷いこと』になるという話だが、実際にどうなるかは知らない。なのでホグワーツの森にまとめて放り投げて、どうなるかを調べた。
……今、実験した森は『臓物のピンク、赤色の森』とホグワーツ生に名付けられそうになっている。まあ、女子寮でなくてよかったと思おう。
ともかく、ハーマイオニーは今ごろ人知れず消されているかもしれないスキーターのことが気になって仕方なかった。確かに、正直、あんな中傷記事を書き続ける記者は永久に沈黙してほしいのは確かだが、死んでほしいとまでは思わない。
「……はあ。スキーターも、もう少し冷静だったらよかったのに」
「まあ、でも大丈夫だろ。だって……カサンドラがヤッたら誰がやったなんて一目瞭然だ」
一目瞭然では全くないどころか、ハリーたちでさえカサンドラの関与が信じられないような手段を取るのだが、それを彼らが知るには、号外の新聞を待たねばならない。
「とにかく、今はシリウスおじさんに会おう」
「ええ。とりあえずお説教よ。ハグリッドもシリウスも……去年の私たちの苦労をなんだと思ってるのかしら」
ハーマイオニーは気を取り直したが、だからと言って機嫌がよくなったわけではなかった。シリウスは今、裁判なしでの死刑執行が決定づけられた脱走犯であるということをきれいさっぱり忘れているのではないのだろうか。ハグリッドもハグリッドである。去年あんなに魔法生物関係で苦労したというのに……。ハーマイオニーは去年度彼女の心を発狂寸前まで追い詰めた出来事二つの原因である大人たちを内心で愚痴る。
「仕方ないよ。逃亡生活がきつくて、きっとやせ細ってると思う……多分」
そういえば11月にちらっと顔を見たときはそこまでひどい身なりではなかった。もしかしたらイギリスに来てからは酷い生活かもしれない。ハリーはうんと優しくしてあげようと心に決めた。
「ええ。ご飯を上げて元気になったらお説教よ」
ハーマイオニーはそう言って、杖を引き抜いて警戒しつつ『叫びの屋敷』に入った。周囲を油断なく見渡して、それから、きょとんとした表情になった。
「おや、お嬢さん。ずいぶんとピリピリしてるね」
そこには、きちんと髪が整えられて、パリッとノリの利いたジャケットにシャツ、皺ひとつないズボン、顔が映り込むくらいピカピカに磨かれた革靴を履いて、ほんの少しの汚れもないくらい完璧にきれいな白手袋をはめたシリウス・ブラックが立っていた。
「え、ええ?」
「どうしたのハーマイオニー、もしかして『死喰い人』が……あ、ええ?」
「二人とも何があったって……おったまげー」
三人を驚かせることに成功したシリウスは、ダンディな笑みを浮かべて、悪戯っぽく肩を竦めた。
「どうかな。浮浪者のお世話をしなきゃいけないと思ってたんじゃないかな?」
「いや、そんな……。でも、シリウスおじさん、大丈夫なの?」
「ああ、問題ないさ。今の私を魔法界の誰かが見つけても、呼ぶのは『闇祓い』じゃなくて『マグル対策委員会』だろうな」
くすくすと上品に笑いながら、シリウスはおんぼろの階段を上り、かつてシリウスと出会った部屋に三人を案内した。
「え」
部屋に入ると、さらに三人は驚愕する。おんぼろで汚らしいはずの部屋が、それなりに生活できそうなくらいには正装されていたのだ。埃塗れでぼろっちかったベッドは撤去され、品のいい四人掛けのテーブルと、イスが用意されており、クローゼットにはティーセットも用意されている。簡易的なキッチンもあって、正直言うとハリーの部屋より快適そうな部屋に様変わりしていた。
「どうかな、苦労したんだぞ、ここまで整えるのは。さあ、座って」
三人は椅子に座る。テーブルの上には真っ白なテーブルクロスがかけられており、それには染み一つ見当たらなかった。シリウスは手慣れた手つきで紅茶を用意する。お湯でティーカップを温めたり、しばらく蒸らしたり、とにかく本格的だった。シリウスは高級そうな腕時計でしっかりと時間を計って、さっと紅茶を淹れた。ハーマイオニー、ハリー、ロンの順番で紅茶のカップが並ぶ。
「ハリー、新聞を読んだよ」
「どの新聞かな」
ハリーはすかさず聞いた。今どの新聞の話をしようとしているのかというのは大事だ。特に、ハーマイオニーの前ならなおさら。
「もちろん、君がすばらしい勇士だっていう新聞の話さ」
「そんな新聞あったっけ?」
「ああ。記者も、紙面も、私専用の新聞があるのだよ。それによるとだね、君はちゃんと生き残って、その上で学生生活を楽しめる胆力もある優秀な人間だということだ」
ハリーは首をかしげる。なんというか、大人な雰囲気をしっかりと見せるシリウスは、去年度末に会った時と全然違って見えた。だが、本質の悪戯っぽさが変わらないせいでいまいち話しづらい。
「――とにかく、第一、第二の課題に生き残ったこと、おめでとう。それから、人生初の彼女も、おめでとう。そしてロン。残念だ」
「最近やっと薄れてきたのに傷をえぐるのやめてくれますかね?」
ロンが皮肉気に言った。シリウスは肩を竦めた。シリウスは近くの鞄からペットボトルを取り出すと、マグルの量販ミルクティーを飲み始める。
「え、ええ? シリウス、どうしちゃったの?」
「いや、砂糖ミルクの紅茶割、という感じだが、慣れれば悪くない」
「シリウス、それ、舌がバカになるわよ」
ハーマイオニーがチクリというと、シリウスは肩を竦めた。
「今や大多数の子供たちが紅茶の良しあしがわからない中、ずいぶん古風なお嬢さんだ。残念だが食事までは用意できなくて済まないね」
「あー、シリウス、僕たちお菓子とかパンとか持ってきたんだけど……要る?」
シリウスは三人の好意に、嬉しそうな顔をした。
「君たちは本当に優しいね。だけど、私はいいよ。君たちで食べるといい」
「ねえシリウス、僕シリウスがマグルのところで過ごしてるんじゃないかって思ってるんだけどどうかな」
ロンが言うと、シリウスは頷いた。
「よくわかったね」
シリウスは不思議そうな顔をしているが、三人にしてみれば当然だった。文明レベルが一気に上がっている。どう考えても魔法界の路地裏とかで隠れ住んでいたようには見えない。
「ああ、そうだ、ハリー。ハリーはゲームは好きかな」
「は、え?」
「私は今とても余裕があってね。去年の末に発売された一番新しいゲーム機に『プレイステーション』というものがあるんだがね、どうかな。日本からの個人輸入になるから、今からだと渡せるのは6月ごろになるかもしれないが」
「え、いや、い、いいよ、別に」
「遠慮することはない。まあ、ソフトは……まだ興味が惹かれるのはないが」
プレイステーションだって? ハリーは心底驚いた。確か去年の9月ごろに、ダドリーが来年発売だなんだって言ってたゲーム機のはずだ。日本ではもう発売されてるのか。そしてそれを輸入?
「シリウス、そんなことできるの?」
「もちろん。飛行機で日本に行って、店に売ってあるプレイステーションを買って、飛行機で持ち運ぶ。何も難しいことはない」
「……シリウス、きっと今のあなた、もしかしたら私よりもマグルっぽいかも」
ハーマイオニーだって、欧州未発売のゲーム機があったとしたら、イギリスで売られるまで待つだろう。わざわざ日本に行って買うなんて発想は出てこない。どれほどハリーのことが好きなんだ。
「っていうかシリウス。じゃあ買ってきたえっと……なんだっけ、『ゲーム機』? それってちゃんと英語なのか?」
「……」
シリウスは黙った。
「……多分……日本語よね。ハリー、日本語わかる?」
「さっぱり。あー、でも、日本から来た下級生の子がよく『すみません』って言ってるからそれは覚えちゃったかな」
「ああ、ユウヤか。『ゲーム小僧』が動かないって泣いてたっけ」
「ゲームボーイね。みんなで最新作の『ぷよぷよ』やりたいって言ってたんだけどな」
「ホグワーツじゃ、電化製品は不具合起きるような魔法がかかってるからしょうがないわよ」
三人はそれから日本のゲームについて、下級生のあれこれを交えながら談笑する。しばらくすると、シリウスが楽しそうに言った。
「やはり、ハリーはずいぶんと学生生活を満喫しているようだ。勇士に選出されたときは気が気でなかったが……この様子なら大丈夫そうだな」
「うん。みんな、僕に協力してくれるから。それに、先生たちも表立っては協力してくれないけど、そこはかとなく協力してくれるよ」
第二の課題が終わった今だからわかったことだが、フリットウィックは難しい呪文の筆頭として『泡頭呪文』を何度も挙げていたし、スプラウトは生食するだけで魔法薬と同等の効果を得られる魔法植物の代表例として『鰓昆布』を挙げていた。マクゴナガルは水棲生物に変身する場合の注意点と危険度について繰り返し述べていた。
「そうか。私は……まあ昔ならともかく、今のホグワーツならそれなりに信頼している。だが、油断はするな」
「どういうこと、シリウス?」
シリウスは新聞を一枚、鞄から取り出した。『日刊予言者新聞』だ。
「あのクソッタレなゴシップ記者が」
「多分、クソッタレ
ハーマイオニーが複雑そうな表情で言った。シリウスはいきなりの言葉にも不思議そうな顔をすることなく、納得したような顔をした。
「ああ、なるほど? ――まあ、いい。とにかく、スキーターが絡んでいない、まともな記事の一部だ。魔法省の役人、クラウチが病気でもう長いこと出勤していないことや、魔法省の魔女がいまだに行方知らずなことを重く見た魔法省大臣が動いたことなどが記載されている。みんな、ホグワーツでの動きは緩やかかもしれないが……イギリス魔法界にはまだ不穏な影がある」
「でも、もうホグワーツに『死喰い人』はいないよ?」
いや、とシリウスははっきりと言った。
「カルカロフが元『死喰い人』だ。……いや、あいつは一度として自分が『服従の呪文』で操られていたとは証言しなかった。もしかしたらまだ『死喰い人』なのかもしれん。それに、もう一人」
「もう一人? ねえシリウス、『死喰い人』ってどれだけの規模の集団なの?」
ハーマイオニーが思わず聞いた。
「おそらく、今現時点ではそこまでではないはずだ。それに、今年のクィディッチ・ワールドカップで相当数を減らしたはずだ。だが、警戒するに越したことはない。もう一人の『死喰い人』。それは」
シリウスはしっかりと三人の顔を見て、そして言った。
「スニベルス……スネイプだ」
「……スネイプ先生が?」
「いかにも、だろう? あいつはホグワーツに入学した時点でもうすでに闇の魔術に頭からどっぷり嵌っていた。気味が悪くてべっとりと脂っこい髪をした子供だったよ、奴は」
ハリーとロンは顔を見合わせてニヤリとした。嫌な教師の弱みを握った気分だった。
「ヴォルデモートが最盛期になったとき、ほぼ全員が『死喰い人』になったスリザリンのグループがあって、スニベルス……奴はその一員だった。今でもそのグループで生きているのは……レストレンジ夫婦。こいつはアズカバン。
エイブリーは『例の言い訳』を使って難を逃れ、いまだ自由の身だ。
――だが、スニベルス……スネイプは一度として『死喰い人』であるという嫌疑をかけられたことはない。だが、それはヤツの潔白を証明するものではない」
あ、とハリーはクリスマスの夜を思い出した。
「そういえばスネイプ」
「――先生」
ハーマイオニーのいつもの突っ込みも、そこまで力がなかった。
「――先生、クリスマスの日にカルカロフと会ってた。お互いを『イゴール』、『セブルス』って呼び合ってた」
「デキてんじゃないのか?」
「ロン! スネイプ先生がそうだったとしたら、きっと名前を呼ぶときはベッドの上だけ……違う、違うのよ、誤解しないで。お茶会みたいな雰囲気だからつい」
ロンは呆れ返ってため息をついた。
「ハーマイオニー、もしかして女子っていっつも『そんな』会話してるのか? くっだらない」
「ええ、そうね。知らないってホント幸せだと思うわ」
ロンとハリーか、ハリー、ロン、ドラコの三人いっぺんか。実に議論の分かれるところである。
「はは。女子はいつの世も変わらないな。リリーも長らく私たちマローダーズの仲を疑っていた」
「……ホントは仲が悪いと思ってたの?」
ハリーの質問に、シリウスは肩を竦めた。
「なに、仲が『よすぎる』んじゃないとな。まぁ、今はいいじゃないか。とにかく、スネイプとカルカロフには気を付けろ。何か仕掛けてくる可能性はある」
「うん、わかったよ、シリウス」
「……なら、辛気臭い話はここまでだ。さ、もっと楽しい話をしよう。具体的には……私の名付け子の初めてのガールフレンドについて、かな」
それからハリーたちは楽しくおしゃべりをして、それからホグワーツに帰った。最後に、ホグワーツでシリウスのことを話すときは、シリウスのことを『スナッフルズ』と呼ぶように言いつけた。
――ずいぶんとマグルに被れた……それこそアーサーよりもマグルに詳しそうに見えるシリウスは、思ったより元気そうでよかった。ハリーはそう思った。
文中でプレステを1994年8月時点(炎のゴブレット編プロローグ)でダドリーが所有していない旨の文がありますが、ミスではありません。日本での発売が1994年12月で、欧州での発売は1995年9月です。ダドリー坊やがプレステを壊される事実はなかった。よかったね、ダドリー