――1995年3月 ホグワーツ医務室
カサンドラは医務室の壁にもたれかかりながら、腕を組んで聞き取り調査をしていた。かなりの頻度で夢の世界にトリップするクラウチ相手に聞き込みをするのは骨が折れたが、まぁ、経験がないわけではない。少なくとも、ホグワーツにいる誰よりも適任だった。
「それで……お前は結局、奥さんに絆されて『死喰い人』を一人、アズカバンから逃がしたのか」
カサンドラが聞くと、クラウチは恥じ入るように小さくこくりと頷いた。
「私は間違った……。バカ息子を解放などするべきではなかった」
死んだと思われていたクラウチの息子は、死んでなどいなかった。面会の時にポリジュース薬を飲んだ妻と、息子が入れ替わったのだ。アズカバン脱走一番乗りはシリウスではなかったということだ。だが、クラウチは自分の息子を自由の身には決してしなかった。『服従の呪文』をかけ続け、絶対に外に出歩かないようにしたうえで監禁したのだ。世話を屋敷しもべ妖精に任せて。だが、時が経つにつれ綻びが見え始める。クラウチの息子が『服従の呪文』に抵抗し始めたのだ。そして、油断していたクラウチは息子に襲われ、立場がそっくりそのまま入れ替わった。
「馬鹿なことをしたな。しかしクラウチ、私なりに助言するとするなら、人間以外に看守をさせるのはやめたほうがいい」
「私以外に言ってくれ、傭兵。……もはや私はこの魔法界で最も魔法省に相応しくない人間だ」
カサンドラは肩を竦めた。真実を話せば話すほど正気を取り戻しつつあるクラウチはずいぶんとくたびれて、老けたように見える。
「とりあえず……もう少し詳しいことを聞きたい。ヴォルデモートは赤子に乗り移っているんだな?」
「ああ。最も、ちらりと見ただけだが。あの男……ピーター・ペティグリューに大事にされていた」
「あのネズミ野郎か」
状況は最悪に近かった。
「計画は半ば生きているということはつまり、注意するべきは第三の課題か」
「おそらくは」
優勝カップを瞬間移動の魔法アイテム、『ポート・キー』にすることで白昼堂々ハリーを浚うつもりだったらしい。そのために警戒心が高く、『こいつは安全だ』といえばだれもが信じる相手に化けたのだろう。おそらく第三の課題が始まる前くらいにその魔法がかけられる予定だったはずだ。
「お前の息子は今度こそ死んだ。他に奴の手ごまはいるのか?」
「わからない。だが、忠誠を示すべきかどうするかを迷っている者は多いはずだ。警戒しろ、傭兵」
「ああ」
カサンドラが話していると、医務室に誰かが入ってきた。カサンドラは警戒を露わにする。
――入ってきたのは、ダームストラングの校長、カルカロフだった。
「どうした」
「いや、何……そうだ、私は今回のことに深い憂慮を感じている。実行委員会の一人が『狂っていた』なんて、凄まじいことだ。本当に
「断る」
カサンドラは即答した。カルカロフは頬をひきつらせた。
「機密情報を話すと言っているが聞こえなかったのか?」
「聞こえなかったな。今クラウチは『消されやすい』立場にいる。ひと時も離れることはできない」
「だが」
「『守護霊の呪文』は伝言もできるんだろう? それでやり取りすればいいだろう。まさかお前、直接話す以外に秘密の会話のやり方を知らないなんて言わないだろうな?」
カサンドラが言うと、カルカロフは唸った。
「……それもその通りだな。クラウチ、また来る」
カルカロフはそう言って、不機嫌そうに去っていった。
「で、奴は?」
「元『死喰い人』だ。二人きりになっていたら殺されていたかもしれない。だが……それでもよかった」
「なんだと?」
「傭兵。お前に話したこと以上のことは何も知らない。――もういいんだ」
「……うちのボスは用済みになった協力者を捨てるような真似はしない」
だから、胡散臭いところがありつつもカサンドラは4年も雇われ続けているのだ。
「……私にそんな情けはいらん。いらんのだ……」
「まったく。少し休め。私はここにいる。ダンブルドアと交代でお前を守る。――魔法省に引き渡すその瞬間までな」
「……迷惑をかける」
カサンドラは気にするな、とだけ返して黙った。
――
それから、ホグワーツではクラウチのスキャンダルが噂話になることが増えた。ハリーはその当事者としてまた一躍話題の人となった。だが、もはやハリーは自分のところに生徒が話を聞きに来るなんて慣れっこだった。誰よりも鮮やかに人々を捌くと、ロンとハーマイオニー、それからジニーとのおしゃべりに戻った。
「それで、カサンドラが言うには最後の課題は要注意なのね?」
「うん。なんか『死喰い人』が色々細工してるかもしれないって。それからね、こっそり教えてもらったんだけど、最後の課題は『リタイア』ができるみたい。だから僕、始まってすぐくらいにリタイアしようと思ってる」
「……ハリー、それ、ちょっと恥ずかしくないかしら」
ジニーが苦笑しつつ言った。正直に言うと、ハリーに危険なことはしてほしくない。でも、ハリーのかっこいいところを見てみたいという気持ちもあるのだ。
「ごめんね、ジニー。僕は死にたくないんだ。君と過ごす日々を守るためなら、学校中から笑われたってかまわないよ」
「はいはい、そう言うセリフは二人っきりの時に言えよな! ……――ごめんやっぱなし。絶対に二人きりになるんじゃないぞ」
ロンがいつもの苦言を呈した。チョウ・チャンとセドリックが……つまり、ハリーと同じタイミングで結ばれたカップルがもうすでに行きつくところまで行っていると知ったロンは、最近特に神経質にジニーとハリーの仲を監視している。
「あのね、ロン。もう諦めなさいよ」
「あきらめるもんか。いいかいハリー、ジニーはまだ13歳だ。つまり、法律で『そういうことをしていい』年齢になっていないんだ。わかるかい? 僕は君が罪を犯そうとするなら止めないといけないし、罪を犯したなら、そう、マグルの憲兵に」
「警察ね」
「――警察に訴えかけることも辞さないよ。だからいいかい、ハリー、ジニーと『
ロンは必死に説得する。ハリーは何度も頷くが、ロンは縦方向に首を動かしているだけで全然わかっていないんじゃないかという疑惑を払しょくすることができなかった。
「もう、お兄ちゃん。私はハリーの彼女なのよ?」
「じゃあママに報告してみろよ。いくらママでもハリーにキレるぞ」
「う……」
はいはい、とハーマイオニーは言う。
「まあ、ハリーも、ジニーも、お互い少し年齢が幼すぎるわ。それにハリー、ちゃんと避妊の仕方知ってるの?」
「え? あー、その。薬局に行けばいいんだよね?」
「違うわよ。その、使い方よ」
「あー……うん、知らない」
ハーマイオニーは呆れ返った。
「ジニー、いい、ハリーはこんな調子なの。絶対に体を許しちゃだめよ。望まない命を宿して苦しむのはあなたなんだからね」
「え、あ……はい、ハーマイオニー先輩」
「ハリーも! 絶対に無理矢理迫っちゃだめよ」
「もしもの時は、僕カサンドラからショットガンだっけ? それ借りてくるよ」
「カサンドラも喜んで貸すでしょうね」
ハリーはちょっと寂しそうな顔をした。この件について友達が味方になってくれたことがないのだ。カサンドラもできれば避けろみたいな言い方するし。
「……ハリー、ごめんね。でも私……みんなの言う事を聞いた方がいいと思う」
ジニーはそっとハリーの手に手を重ねて言った。ハリーはそれだけで胸の奥底からじんわりと暖かい気持ちになるのを感じた。
「うん。僕も同じ気持ちだよ、ジニー」
「ホントかよ」
「ロン!」
ハーマイオニーとジニー、二人に怒られて、ロンは肩を竦めた。
「と、とにかくさ、すぐリタイアするならもう安泰じゃん。走り込みもやめようぜ」
「ダメです。そもそもリタイア自体が妨害されたらどうするのよ? 最低でも課題が終わって優勝者が決まるまで生き残るだけの実力は要るわ。だから、走り込みは続けるわ」
「は、ハリー、頑張ってね。私、飲み物とか用意してるからね」
ジニーはすっかりハリーのマネージャー気分を楽しんでいた。走り終わった後、ハリーやハーマイオニー達にタオルを渡したり、飲み物を渡したり。荒く息を吐くハリーが妙に色っぽくて、そんなハリーを見れる毎朝が楽しみだった。
「兄貴相手に『頑張って』は言ってくれないらしいぜ、ハーマイオニー」
「もう、僻まないの」
ハリーたちは、概ね学生らしい生活を続けていた。
――
ハリーはトレローニーの『占い学』が退屈過ぎて、うとうとを通り越して完全に寝入っていた。
……ハリーは夢を見ていた。どうやらハリーは薄汚れた館の一室にいるらしい。いるといっても、まるで映画を見ているように、固定されたカメラから部屋の中を眺めているような感覚だった。
『叫びの屋敷』のような寂れた屋敷の一室に、二つの影がうごめいていた。
一つは……大蛇だ。だが影こそあれど、蛇の姿は見えない。何かの暗喩なのだろうか?
もう一つの影は小さな中年男だった。ハリーはそいつに見覚えがあった。ピーターだ。悍ましき、唾棄すべき裏切者、ピーター・ペティグリューだった。
「ワームテール」
蛇がしゅるしゅると舌を出し入れしながら言った。
「何もかも台無しになろうとしている」
「申し訳ありません……」
ピーターは平伏したまま、ただただ謝罪を繰り返していた。
「もはや、多くのことが明るみになった……」
「申し訳ありません!」
「まったく運のいいやつよ……最後の目は残っている……」
「ご主人様。全く……わたくしめはうれしゅうございます……ありがとうございます……」
蛇は満足そうだった。
「だが、成功しようとしまいと手駒は一つ減る。そうなったのはワームテール。貴様のふがいなさが原因だ」
びくり、と男が震えた。
「ご主人様……お許しを……ご慈悲を……」
「もう二度と、失敗は許されない。失敗したらどうなるのか……それを貴様に教育するとしよう……さあ、痛みと苦しみを受け入れるのだ……喜んで」
ふわりと、椅子の奥から杖がふわりと浮いて出てきた。
「ご主人様、どうか」
「『クルーシオ――苦しめ!』」
身を引き絞られたような、悲痛な絶叫がハリーの鼓膜を震わせた。
額の傷痕がまるで焼き鏝を当てられたときのように強烈に痛んだ。ハリーも同じように苦しみに呻いた。叫んだ。もはや、額の痛みは到底我慢できるようなものではなかった。
「ハリー!」
は、っとハリーは目を覚ました。床に倒れている。周囲を見ると、トレローニーをはじめ、教室にいた全員がハリーを取り囲んでいる。
「どうなさいましたの? 不吉な予兆? 亡霊? さあさあ、何があったのです?」
「なんにも」
ハリーは額の傷痕を押さえながら体を起こす。
「大丈夫か、ハリー」
ロンがハリーに手を差し出す。ハリーはお礼を言うと、彼の手を借りて立ち上がった。
「ありがとうロン。――なんにも見えませんでした、トレローニー先生」
「
ハリーはもはやトレローニーの声もよく聞き取れなかった。それぐらい頭が痛かった。
「……医務室に行ってきます。頭……痛い……」
「いいえ、あなたは今、今こそ『占い学』の本領を見ようとしているのです! 今この部屋を出て行けば、その機会が失われてしまうのです!」
「僕、今頭痛薬以外何もいらない……」
「先生、僕付き添い行ってくる。行くぞハリー。転ばないよう僕の肩を掴んでろよ」
「ごめん……」
ハリーはロンの肩を借りながら、教室を出た。
「ロン、ダンブルドア先生のところに……」
「え? 医務室は?」
「行きたいけど……先生に嘘ついたんだ。……『
「……おったまげー。あの先生インチキだけじゃなかったんだな。わかった、校長室だな」
ロンは驚いたように、ほんの少しだけトレローニーを見直した。それはそれで、まだインチキだと思っているが。
ロンは医務室から進路を変更して、校長室へと向かった。そこで校長に全てを報告するとき、魔法省大臣とすれ違った。ずいぶんと怒った様子だった。
――不穏の種はすでに、撒かれている。そして今、闇が芽吹こうとしている。ハリーはそのことを薄々、感じ始めていた。