魔術師の少女の、ブリテン旅の物語 作:斉藤さん
それは、とても大きかった。
見上げて思うは小山の如き巨人。しかしその実、それは唯の魔獣であった。
アルトリアを覆いつくし、尚余りある影を落とす体躯は周囲の木々すら超えて。なぜそんな体躯を持つ魔獣が今まで見つかっていなかったのか。
体に刻まれているのは数多の戦傷……いや、青白く輝くそれは、紛れもない神秘を纏っていた。
高濃度の神秘の塊は、それだけで一種の武器となり、鎧となる。師匠の教えだ。
これは……それだけではないことが、一見しただけで理解できる。
その有り得ない巨体に反し、目を逸らしたら見失ってしまいそうな、矮小な存在感。
最も原初の魔術。「祈り」と呼ばれる、意志による神秘への性質付与である。
付与されているのは「隠蔽」であろうか。もっとも原始的であるがゆえに、獣ですら扱える技術。
しかし、今の世でそれを行使するには、あまりにも神秘が薄れている。
あくまでも「祈り」が簡単に神秘を操るのは神代の話。
神々と決別したこの時代において、そうそうそんなことができるほどの神秘など、起こりうるはずが
そう、
いま、実例が目の前にある。
何故「祈り」による神秘操作ができるのか? 馬鹿馬鹿しいような答えだが、余りに単純な答えが存在する。
神代ほど高濃度な神秘が無ければできない?
なら、それだけの神秘を集めればいいじゃないか。
ああ、馬鹿馬鹿しい。頭が可笑しくなるような、机上の空論。
だがしかし、それをやってのけたというのがこの魔獣なのだ。
堂々と佇む姿はまるで王者の如く。しかし、その風格は感じられない。
或いはそこらの平民より弱いのではと侮ってしまいそうになるが、アルトリアは理性でもって敵の格付けを上昇させる。
幻覚ではない。幻覚の筈がない。
あの師匠の幻覚を受け続け、一般の幻覚など感覚で見破れてしまえるアルトリアは、それが紛れもない実態であると見破っている。
むしろ、そんなアルトリアであるからこそ、その隠蔽を超えて魔獣を見つけられたのだ。
ギュウッ、と杖を胸の前で握りしめ、帽子に寝そべっているキャスパリーグを、頭を振って落とす。
「キュウ!?」
「すいません、キャスパリーグ。貴方はどこか遠くに逃げてください。これは……私でも、きつそうです」
「フォーウ……」
暫くして、後ろから存在感が消えたことを察し、きっとどこかへ逃げてくれたのだろうとアルトリアは判断する。
それから右足を引き、杖の先で相手の心臓を指し、関節を常に視界に収められるように遠くから戦うことを決める。
真に不本意ながら、アルトリアは魔術を持って、
旅は異なもの。袖振り合うも他生の縁とは言うが、一体彼女と彼の魔獣に如何なる縁があったのか。
微睡んでいた穏やかさから、一転して気の抜けない戦闘に入ったアルトリアの思考は、そんなことを考える暇もなく、余裕もなく、高速で混乱していた。
相手は魔術に対する天然の結界を所持する魔獣。かといって、肉弾戦を挑めば容易く吹く飛ばされるだろう。
故に、遠距離から魔術で一方的に攻撃するしか選べる手段は無い。
とはいうものの、自身の魔力がそこまで持つのだろうか。
……ああ、師匠の幻術が、とても恋しいです。
弱音を吐いてしまう思考も、当然のこと。
何故なら彼女は、まだ至高の
時代が時代なら、野原を駆け回る姿こそ尊ばれる幼子。
だが、危機は相手の年齢など気にしてはくれないのである。
さあ、生存競争を始めよう。
初めに動き出したのは魔獣――――――ではなく、アルトリアだった。
当然のことだ。あのような巨体が動き出し、大きな歩幅で駆けだした場合に。万が一にも見失ってしまえば再度の視認は困難となる。
あの巨体にも拘らず、だ。
ソレが、その身を覆う隠蔽の祈りの恐ろしさ。
故にこそ、その場に釘付けにしなければいけない。
魔獣を中心に円を描くように回りながら、アルトリアは徐々に魔獣から離れ、その全貌を確認する。
大地に根を張るかのような、巨木の四肢。
小娘など容易く切り裂けてしまうと確信できる、恐ろしき爪。
黒鉄で鍛え上げられたらこうなるのだろうかという、硬質な毛皮。
如何程の家屋であろうと超えることのできない、馬鹿げた体躯。
神秘の霧を吐き、そこらの名剣よりも鋭いであろう牙の並ぶ口元。
木々を貫き、世の果てまでも届こう、獲物を追う鋭き双眸。
まるで、神話の時代に住まうとされた、太陽を呑む魔狼。フェンリルの如き勇士に、知らず知らず唾をのむ。
こんな相手に勝てるのか。いや、勝てるわけがない。逃げるのだ。どうにかして、逃げ切るのだ。
それが現実的でないことぐらい、アルトリアにもわかっていた。
分かっていたのだが、そんな甘えた考えを抱いてしまうくらい、現状は絶望的であった。
「ッ! 行きますよぉぉおお!」
意を決し、アルトリアは自身の放てる最大出力で魔術を行使する。
術式は単純な魔力砲。しかし、単純故に最も魔力の変換ロスの少ない術式。
正しくアルトリアの最大火力。純粋な火力で言えば、森を荒野に変え、山に風穴を開けるだろう、鬼札。
その、アルトリアの最大の一撃は隙だらけのどてっ腹にぶち当たり。
――――――そして、何の痛痒も見せない魔獣だけがその場に残った。
アルトリアは目を疑った。
幾ら神秘を纏っているとはいえ、少しぐらいは傷を付けれるだろう想定が、全くの無傷だったのだ。
しかし、考えてみれば当然だ。
あの身に纏うのは神秘の鎧。であれば、神秘、率いては魔力のみを用いた魔力砲は、その力を最も発揮できるだろう。
せめて、何かしらの物質か法則に変えてから放つべきだった。そう歯噛みする。
脳内でため息をつき、肩まで手を挙げて「やれやれ」等と首を振るう師匠を吹き飛ばし、使用する属性を選んでいく。
火はダメだ。木が燃えれば、隠れる場所がなくなる。
水はどうだろう。あの巨体なら、私の生成できる程度の量の水で窒息させられない。
土は鈍い。万が一避けられてしまえば、終わりだ。
となれば風しかない。咄嗟に用意できる術式が属性変換しかない以上、これが最善の選択。万が一の時は、かっくれることもできるのだ。今すぐ変換を開始しよう。
ここまでを無意識下に判断し、自身の未熟さに呆れる。生き延びたら、苦手な術式も万全に扱えるよう、研究のし直しである。
まあ、生き残れたら、の話だが。
彼我の差は、話に聞く王都の大通り。街門から城までの距離はあろうか。
それほど離れてなお、全貌を収めるしかできない大きさには驚く以外の感情が無い。
だが組み上げた術式は完成した。ここからはもう、驚愕に浸る余地など無い。
ただ殺そう。そうでなければ生き残れない。
そして、風刃を放つ。
それは、厚みが無い。故に何よりも鋭い刃になる。
それは、色が無い。故に何人たりとて見定められない。
それには、ただ、自然の殺意のみがあった。
風刃が空気を掻き分けて突き進み、刹那の内に魔獣の毛皮を切り裂く。
はらはらと黒い毛が刈り取られただけのように見えたが、視力を強化したアルトリアにはその下の小さな裂傷が見えた。
やった、と小さく喜び、しかしその傷の小ささに、自身の魔力量ではどうあがいても殺せないと悟る。
それでも最後の一瞬まで生き足掻く為、アルトリアは次の刃を用意しようとする。
その時だった。
傷が煙を上げて治っていく。自己再生能力があるのだ。
ああ、なんてことだろう。ならば幾ら魔術を放とうが、彼の魔獣から逃げきれる道理ない。
少女の命運は、此処で尽きるのか――――――
――――――いや、そうではない。
少女は見た。魔獣が首を垂れる姿を。
少女は見た。深みのある藍の瞳が、此方を見返したことを。
そして、少女は見た。魔獣が引き返していく姿を。
アルトリアは呆然とした。これから死力を尽くして戦う気だった相手が、簡単に引き返していくのだ。そりゃあ、呆然ともしよう。酷すぎる肩透かしだ。私には食べるほどの肉が無いという事か? 失礼な。未来の姿はきっとぼいんぼいんです。
しかし、それに喜ぶことは無い。むしろ、戸惑うばかりで、魔獣の姿が認識できなくなってからようやく気付くのだ。
先ほどの魔獣後ろ姿が、自然と思い返される。
引き返すその背は、どこか悲しげで。
ああ、思えば。その魔獣は、害意を持って現れただろうか。私にその爪を振るっただろうか。
何より、あんなに警戒心の高いキャスパリーグが、何故あそこまで
もしかしたら私は、とんでもない思い違いをしていたのではないのか?
それに気づいたとき、私は魔術も掛けずに駆け出していた。
時間が無いので前後編に。
とりあえず今日は此処まで。
怠慢ですいませんっ!
でも、今のピックアップはロリンチちゃんだし、別にいいよね……?
どうか汝に