氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:0「いずれ彼らは恋をする」

 ──いつかの頃、氷川紗夜はとあるスタジオで一人で練習していた。必死に、鬼気迫る勢いで。その雰囲気は他を寄せ付けることのない狂気を孕んでいて……そんな彼女の音に集うものは誰もいなかった。

 そんな時……スタジオを借りた礼に「ありがとうございました」と帰ろうとした時、「待って」と声をかけられ、振り返った。

 カウンターに立つ少年。彼女と同じ歳くらいの彼は少しだけ幼さを見せる屈託のない笑みで紗夜に問いかけた。

 

「ねぇ、どうしてキミはそうまでしてギターを弾くの?」

「……なんですか、いきなり」

 

 藪から棒な質問。いつもどこか余裕のない彼女でなくても怪訝な顔をするであろうその言葉に、紗夜は僅かな敵意を見せた。そんな剣呑な表情に慌てた彼はぱっと困り顔に変わって、手を振ることで警戒されるような質問でなかった、ということをアピールする。

 

「いえ、変な意味じゃないんですよ? ただとっても()()()()()()()に演奏するから、なにか理由があるのかなーって」

「その質問……余計なお世話、だとは思いませんでしたか?」

「あ、あれー? もしかして、地雷踏み……ましたね」

「問う前に気付くべきことです。物事を成す理由は……触れられたくないことだってあるのではありませんか?」

 

 ジロリと睨まれ彼は先程の質問への返答を諦めた。

 どうしても気になってしまったことだったのだが、この雰囲気はどうあっても答えては貰えないだろう……空気は読めなくとも、その程度の予測くらいはできるのだった。

 ──しかし、警戒心は解いておきたいと、彼は紗夜の問い返しに返事をすることにした。

 

「そうかなぁ? 少なくとも俺だってギタリストの端くれだけど……やろうと思った理由は、なんとなくだったよ」

「──っ! そんな、適当な理由で……!」

「適当かな? そこで上手くなりたいって思えば一緒だと思うけど。だって音楽は楽しんでこそ、でしょ?」

「たの、しむ……」

「うん! だって『音』を『楽』しむ、で『音楽』なんだから! こーんな顔してギター弾いても楽しくないよ?」

 

 眉間に皺を寄せて紗夜の顔を表現する彼の言葉に紗夜は──険しい顔で吐き捨てるように否定を重ねていった。

 

「私にそんな感情は必要ありません……そんな適当な理由でギターを持つ貴方に、私の気持ちなんて……」

「──音楽を楽しめない人に、ギターを、楽器を持つ資格はないと思うよ?」

「なっ──!」

 

 しかし、否定の途中で、彼の雰囲気はガラリと変わった。先程までの人懐っこく柔らかい雰囲気は鳴りを潜め、鋭利で冷たい感情が彼女の全身に刺さった。どうやら地雷を踏んでしまったのは自分もらしい……遅まきながら彼女はそのことを悟った。

 

「キミのギターが可哀想だ。キミの冷たい灰色の音じゃ、弦を闇雲に傷つけているに過ぎない」

「貴方に、そこまで言われる筋合いは……灰色?」

 

 紗夜の疑問をよそに彼はふっ、と笑ってスタジオの鍵を開けて、「ギター、貸して?」と軽い口調で言う。自信の宿る眼光はまるで「お前よりも俺の方が上手い」と言われているようで少しだけムキになった紗夜が背負ったギターを彼に押し付けた。

 ──上等だ、やってみろ、と。

 

「とっておきを『魅せて』あげるよ」

 

 獰猛な笑みを零し、彼は彼女が直前まで演奏していた曲をコピーして演奏し始める。彼女と同じ、性格無比な技巧。大きな口を叩いた割には大して変わらない……時折ブレたり、外れたりする……そう思っていたが、とある違和感に気づいた。

 

「う、ウソ、でしょ……!?」

 

 いつも苦手で、入りが四分の一拍遅れてしまい等間隔にならない三連符。ほんの僅かに、数字にして10セントズレた音程まで……彼はその全てを完璧に再現してみせたのだった。その事実に紗夜は身震いをした。

 彼の耳は1セントのズレも聴き取り、リズムのズレも、その全てを記憶することすら可能の……天才(バケモノ)……それが彼の正体だった。

 

「ふぅ……こんなもんかな?」

「わ、私の技術なんて……いつでも、真似できると言うの!?」

「え? 違うよ? まぁ、それもそうなんだけどさ」

 

 怒りに震える紗夜に対して、あっけらかんと彼は答えた。彼女はこの完成度へ、誰もが息を呑むほどの完成度に仕上げるまで血のにじむような努力をしてきた。雨の日も風の日も、全てを投げ打つ覚悟で……それをあっさりと模倣してみせた彼の真の狙いはそれではなかった。

 

「ん──しょっと!」

「──っ!」

 

 彼は同じ曲を弾く。しかし今度は先程と全く音が違う。難しい連符も、技巧も、音程も、全てが完璧という言葉すらも生温いサウンド。同じ楽器であるにも関わらず、まるでキラキラと輝き、生き生きと感じるギター。

 ──彼は一体何者なのか。紗夜はその場に立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「ほら、これがこの曲の、そしてこのギター色……ああいや、本当の魅力だよ。このくらい楽しく弾かなきゃね」

「…………そうやって、貴方まで」

「へ?」

 

 彼女の脳裏で、彼が自分の見知った人物に重なり、強い憤りに転じる。自分の真似ばかりする妹、ギターしかないと思った自分に、そのギターですらも追いかけてきた……氷川日菜(天才)の無邪気な笑顔。紗夜にとっては何よりも嫌悪する人物だった。

 

「私はっ! もうギターしかないの! そのギターすらも、貴方たちは……っ、どうして……!」

「え、え、なんで? 俺はただ、キミに……」

「──そんな力の差を見せつけておいて、楽しめ!? 冗談じゃないわ! 貴方は……貴方たち(天才)はそうやって無自覚に、多くの人の未来を、夢を奪っていくだけじゃない!」

「……俺が、未来を」

「そうでしょう!? 貴方の演奏は素晴らしいわ! 非の打ち所のないくらい……私では到底、追いつけないくらいに──」

「──どうして、そう決めつけるの?」

 

 感情の発露。平静の鬱憤。そんなものがドロドロと真っ黒な泥のように溢れた紗夜に、彼は顔を顰めた。

 その目の奥にある感情は──怒り。紗夜と同じ、怒りの感情だった。

 

「確かにギターは才能が必要だよ。俺にはその耳に恵まれた。けどさ……だからなんなの? 未来を奪った? 勝手なことを言うね! 逃げる理由に他人を使って、楽しめないだって!? 力の差がどうこうだの、くっだらない理由で辞める理由を他人に押し付けて、仕方ない!? なら今すぐギター(こんなもの)なんて叩きつけて、壊してしまえばいい!」

「──だめっ!」

 

 天才は孤高であり孤独だ。彼の「楽しい」という感情の前に大勢の人間は楽器を続けることを諦めた……それを彼は何とも思わなかったのか。

 ──否だ。彼は常に去っていく「同志」たちを見て怒りを胸中に燻らせていた。その中でも一番「勿体ない」人物が諦めようとしていたところで、その燻りは胸から溶岩のように溢れ、噴き出していたのだった。

 ──振り上げ、言葉通り叩きつけられるはずだったギターは、その怒りを受け、彼女の縋るような言葉に止められた。

 まだ、諦めたくない。ギターを続けたい。そんな感情が、彼の手を止めていた。

 

「……未練があるなら、そんな顔をしないで。キミはまだ完成なんかしてない。キミのギターは未完成で……そう、未完成でここまでの完成度を誇ってるんだよ?」

「貴方は……それを、伝えようと演奏を?」

「…………キミにとっての天才がどういうものか、知らないけど……少なくとも俺は、キミにもっとギターを続けてほしい。ただ弦を闇雲に傷つけるだけのギタリストになってほしくない」

「……はい」

 

 しかし、紗夜には今の殻を破るにはどうしたらいいのか、わかっていなかった。つまらない音で、ギターの弦を傷つけているだけと言われた、その演奏の先が、彼女には見えていなかった。

 ──彼はそんな彼女の一筋の光となりたかった。

 

「またウチにおいでよ。俺でよければ……教え方下手で、弾いてみせることしかできないけど」

「……いえ、また。今度は技術を真似る対象として、聴かせてもらいます」

「決まり! よろしくね……えーっと」

「紗夜……氷川紗夜です。貴方は?」

 

 言いたいことを言い合い、漸くお互いに自己紹介すらもしていなかったことに気付き、少しだけ苦笑い気味に紗夜は自分の名前を名乗り、そして彼も、「あ、そうだね」と名乗るのだった。

 

「俺は霞ヶ丘昂輝(かすみがおかこうき)。よろしくね、紗夜さん?」

「……いきなり下の名前ですか」

「え? だめ?」

「いえ……好きにしてください……昂輝さん」

「そうさせてもらうね」

 

 運命の円環は回る。彼らを……昂輝と紗夜を乗せて……抗えない最期の時へと。

 この時、まだ彼らは15歳……高校一年生の、雨の降る夏の出会いだった。

 

 ──CHAPTER0「いずれ彼らは恋をする」END

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