氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:A-4「氷川紗夜に優しい音色を届けるまで」

 氷川紗夜が霞ヶ丘昂輝と別れてからの一年、その半年くらいまで、氷川日菜は昂輝と連絡を取っていた。紗夜にはもう、辛くなって欲しくなくて、連絡を取れないようにしたものの、どうしても、その後の彼女が心配で、日菜を頼ったのだった。

 

「今度はあたしを、おねーちゃんの代わりにするの?」

「違うよ、日菜は、日菜でしょ?」

「……うん。だから……」

 

 しかしながらなるべく顔を合わせないようにしようとした理由は勿論、一度男女になってしまった者同士が二人きりという状況で、何も起こらない筈はないから。紗夜の様子を報告する代わりに日菜のわがままを聞き、一度だけ二人きりで会った後、昂輝はそう決めた。そんな紗夜も、半年が経つ頃にはすっかり、否、それ以上にギターに全力になった、という報告を受けて以来、連絡を取ることもなくなっていた。

 ──故に、彼と日菜が会うのは、声を聴くのは、久しぶりで、日菜はその頼みの対価を要求した。

 

「やっほー、こーくん」

「……いらっしゃいませ」

「えー、そんな露骨に嫌そうな顔しないでよー、傷つくなぁ」

「日菜は油断すると食べられるからね」

「あたしは、こーくん(ウサギ)を狩るのに、いっつも全力だからね!」

「……ライオン」

 

 平然としゃべっているものの、日菜の昂輝に向ける色は相変わらず、明度の低くまるで底なしの泥のような常闇で、半年振りに面と向かうと、それこそ捕食者を前に絶体絶命の被食者の気分を味わっているようだ、と震える身体を抑えつけた。カウンター越しでなかったら今頃話どころではなかったのだろう、と予想できるだけに、変わらない日菜からの愛が昂輝の頭を痛めていた。

 

「──それで? 話ってなぁに?」

「ちょっと、紗夜に会いたくて」

「……おねーちゃんに?」

 

 ──昂輝は、鳥肌を立てた。明度どころか、僅かにあった彩度すらも消え、黒一色に染まった日菜の声は、まるで初めて会った頃のように冷えていた。警戒の色……日菜の拒絶の色とも言える圧力に昂輝は、それでもなんとか頷く。紗夜に、氷川紗夜に会いたい。そう思えるまでに、彼は一年で最大限のことを成し遂げたのだった。

 

「俺は紗夜に、言わなきゃいけないことがあるんだ。お願い、日菜……!」

「こーくん」

 

 次に叩きつけられるのは、赤色。マグマのように濃く、明度の低い怒りに昂輝は、それでも引き下がることはない。彼が一年もの間、起こしてきた行動は、そのためにある。紗夜に、届けなければいけないものがある。日菜の拒絶に、怒りに晒されても彼の決意は揺らがなかった。

 ──それを悟った日菜は、まだ怒りを覗かせながらも、別の色を前面に押し出した。

 

「……あーあ、結局、こーくんはおねーちゃんなんだね」

「そう……俺の一年は、そのためだったから」

「あたしの一年が、こーくんへの愛だったとしても?」

「うん、そうだとしても、俺は……紗夜を愛してるから」

「おねーちゃんの一年が、こーくんへの愛じゃなくても?」

「伝えなくちゃいけないことがあるから」

「……なんで、なんであたしじゃだめなの?」

「日菜は、俺に近すぎるから。いつかお互いを傷つけあう」

「いいよ、あたしは傷ついても、傷つけてでも、こーくんが好きだから」

 

 それは悲しみの青色。涙の青。淡く、深い水底のような、美しく、そして残酷な青色を、日菜は口から零した。昂輝の選択を、昂輝が本当に愛していたヒトが誰なのかを、この一年で痛感させられ続けた、その度に呑み込んでいた、悲しみだった。

 ──始めは求めてくれた時は、嬉しかった。紗夜ではなく、自分だけに連絡が来るという優越感に酔った。けれどその求めは、紗夜が立ち直った時にパッタリと止んでしまった。きっと、どれだけ自分が彼を愛そうと、どれだけ姉が彼を拒絶しようと、彼の想いが自分に向くことがない……解っていた、判っていたからこそ、それでも、と彼女は叫んでいたのだ。

 

「ごめん……日菜」

「──っ、こーくんは、ケチだなぁ……こんなに、いっぱいなんだから、ちょっとくらい……返してくれたって、いいのに……」

「それはもうしない、って、決めたから……俺が求めるのは、紗夜だから」

「助けてあげたのに……薄情者」

「巻き込んでごめん」

「二番でも、いいのに」

「日菜を縛り付けるようなこと、しないよ」

「縛ってよ。優越感のまま、あたしを、抱いてよ……」

「ダメ。日菜は日菜なんだから」

 

 それ以上は言葉にはならなかった。カウンター越しに昂輝は、涙を流す彼女の髪をそっと撫で、頬を撫で、額にそっと口づけを落とす。

 ──こーくんは、やっぱりケチだ。日菜は抱き寄せて、唇にキスをしてくれない彼に、カウンターという壁を築いてのやり取りに、最後にそう、言い残していった。

 

「……というわけで、おねーちゃん。週末、空いてるよね?」

「え、ええ……けれど、その、本当、なの? 昂輝が……」

「うん、検索したら出てきたよ。すごいなぁ、こーくんは。立ち直った……どころじゃないんだもん」

 

 そうして、すべてを間違え続けた二人の再会と、そして別れの時が迫っていた。昂輝が紗夜と会いたい、と言った場所、それは空港のロビー。冬の太陽を反射し、飛ぶ鉄の鳥に運ばれる自分を、見送って欲しいと日菜に頼んだのだった。

 

「え、留学するの、こーくん!?」

「うん。ちょっと、バンドメンバーにそういう伝手を持ってるのがいてさ。海外(向こう)でも、俺……ううん、俺たちの音楽が通用するかどうか、試してくる」

 

 海を越えて、自分たちの実力を魅せる。昂輝が、否、昂輝たちが見つけた新しい目標だった。幸い、昂輝と他二人が高校三年生で卒業、残りの二人は高卒の社会人であったため、教育機関という縛りもない。自由に飛べるとばかりにメンバーの一人の提案に全員が乗った。

 

「ど、どのくらい……?」

「んー、わかんない。三年か、四年か……もしかしたら、永住するかも」

「……おねーちゃんとも、お別れってこと?」

「そうだね、日菜とも、紗夜とも……」

 

 そう悲しそうに呟く昂輝に、日菜は唖然としてから、あきれ顔に変わった。彼がギタリストになる、ということはそういうことなのだと、薄々気づいてはいたが、まさか、こんなにも早くになるとは思っていなかったからだった。

 

「だから、日菜を縛りたくはない。けど……紗夜は、別だから」

「それはずるいなぁ」

「解ってとは言わないよ。けど、そういうことだから」

 

 昂輝は、この結論を出すまでに考えていた。日菜が自分ではない誰かと恋をして、一緒になる。これは、とても喜ばしいことで、手放しで祝福できることだと。

 ──しかし、紗夜が自分ではない誰かと恋をする。誰かの傍で幸せそうに微笑む、ということを想像したとき、彼は心の底から「嫌だ」と感じた。浅ましいまでの独占欲に、自嘲を禁じえなかった。それ以上に、彼はそれこそが、紗夜を心から愛している、ということなのだと気づいた。離れても、たとえ紗夜に嫌われていようと、この想いは、変わらないのだと。だから、彼は紗夜を縛り付けようとしていた。他の誰かに取られたくない、もう二度と会えなくても、自分のものだと、主張したかった。

 

「それで、あわよくばおねーちゃんに追いかけて欲しいってところでしょ?」

「うん、本音はそれ。あくまで、あわよくば、だけど」

 

 そんな都合の悪いことは伝えず、日菜はただ単純に、霞ヶ丘昂輝が最後に会いたがっている、とだけ紗夜に伝えた。それを聴いた紗夜は、悲しそうな表情で「行くわ」と応え、そしてその日は、淡々とやってきた。

 

「……久しぶり、紗夜」

「ええ、久しぶり……昂輝」

「来て、くれたんだね……ありがとう」

 

 実に一年振りの会話は、やはりたどたどしさがあった。避けてきた人物との会話。嬉しいはずの再会が、別れという心の痛み、色々な言葉を堪えての、二人の挨拶は、酷く他人のようだった。

 

「日菜から聴いたわ。頑張ってね、昂輝……」

「……紗夜こそ、噂を聞かない日はないよ」

 

 そんな他人のフリを続ける二人に焦れるのは、当然、傍で会話を聞いている日菜だった。最初こそ、昂輝と紗夜の最後のやり取りを尊重しようと黙っていた彼女も、次第にうずうずと身体を揺らし、そして──爆発した。

 

「もー! 二人とも、言いたいことは早く言って!」

「日菜……」

「あるんでしょ? こーくんにも、()()()()()()()()!」

「紗夜にも?」

 

 昂輝の驚きに、紗夜が居心地悪そうに肯定したことで、再び沈黙が場を満たした。人の話し声やアナウンスといった空港の喧騒にあっても、そこはまるで無言の、無音の世界のように、シンとしているようだった。

 

「……あのさ、紗夜──」

「──待ってるつもりなんて、ありませんから」

「……え──っ!?」

 

 静寂を破ろうと、闇雲に言葉を紡ごうとした昂輝に、紗夜は()()で示した。初めての時と同じように、紗夜はそんな昂輝にふっと微笑みを浮かべて、見上げたまま目を閉じて踵を浮かせた。

 一秒、二秒……三秒の静寂のあと、紗夜が再び踵を床に着け、潤んだ瞳と赤い頬を昂輝に見せる。頭がショートしているような彼の表情が少しだけおかしいと思いながら、依存心とは別の、彼女の決意がきちんと言葉として口を衝いていく。

 

「……絶対に、追いかけてみせるわ。そして、私は貴方以外を愛することなんて、ないわ」

「……な、なんで」

「昂輝の考えることくらい、予想できます。これでも、伊達に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──宣言をした。自分はまだ、そしてこれからもずっと、昂輝の愛だけを求めて、昂輝にだけ、愛を与えると。だから、()()()()()と。

 

「ふ、ふふ……やっぱり、紗夜は紗夜だね…………はい、それじゃあこれは、プレゼント、になるのかな?」

「──! これは……」

 

 笑ったせいか、嬉しかったせいか、目尻の涙を払いながら、昂輝は紗夜の手に、簡素な銀色の指輪を置いた。恥ずかしそうに「本当は去年の誕生日プレゼントだったんだけど……」と頬を掻きながら、そして、またこうして恋人として認められた喜びに頬を緩ませながら。

 

「なんかね……これは、願いを叶える指輪なんだって……お店の人が言ってた」

「……あからさまに怪しいわね」

「……やっぱり?」

「ええ、とんでもない値段だった……というわけではないのね?」

 

 昂輝は慌てて頷く。寧ろシンプルだが美しい銀を放つ指輪にしては安価で、だからこそ、紗夜が喜ぶだろうとプレゼントにしていたのだが。彼のロマンティックな一面に、微笑みながら、紗夜は「それで?」とあくまでいつも通りの表情を装う。

 

「昂輝はコレにどんな願いを込めたの?」

「……ううん、これは、着けたヒトの願いを叶えるものなんだって。込めたとしたら、紗夜がこの指輪で幸せだと感じてくれますように、ってところかな?」

「そう……じゃあ、着けさせて、昂輝」

 

 甘えるような、紗夜の言葉。やり取りの一つ一つが、まるで離れてしまう前の、幸せだった日々をなぞっているようで、昂輝は間違えたと思っていた彼女との出逢いも、この先の未来に繋がっていることを、今更ながら感じていた。

 ──紗夜に出逢ったから、彼は仲間を見つけた。紗夜と別れたから、彼はギタリストになることができた。そして……今は悲しい別れも、また幸せに笑いあう未来になっていく。走馬燈のように今までの紗夜との思い出をなぞりながら、銀色の指輪が、測ったわけでもないのに、左手の薬指にピッタリと、嵌った。

 ──その瞬間、紗夜の中で何かが変わった。音が明瞭になったような、そんな感覚に驚きの表情をしていると、「どう?」と昂輝に声をかけられ……その目を益々驚きに見開いた。

 

「……なに、これ」

「なにが?」

「し、視界に色が……」

「そっか……それじゃあ」

 

 昂輝が話す度に視界に色が映る。それではまるで……昂輝と同じ、シナスタジアのような……それに戸惑っていると、昂輝が白色の光る感情を向けながら苦笑いを作った。まるで、紗夜は仕方ないな、とでも言いたげな表情と、水色だった。

 

「それが紗夜の願いだったんだね」

「つまり……私は」

「紗夜はずっと、俺の見ている世界を……霞ヶ丘昂輝を真の意味で理解したいって願ってくれてたんだね」

 

 紗夜は、今度こそ感極まって……涙を零した。ずっと、それこそ初めて逢ったその時から、ずっと彼女は自身の耳、目に映る景色を語るときに、孤独を感じさせていた昂輝を理解したかった。彼の目になりたいと思ったことは、一度や二度ではなかった。そんな叶わないと思っていた、昂輝を理解できる。昂輝と同じ色を見ることができるのだと泣きじゃくる紗夜を、昂輝は優しく抱きしめた。

 

「夢じゃ、夢じゃないのね?」

「うん、ここは現実だよ……信じがたいけどさ」

 

 シナスタジアが感染、または後天的に発生するという事例は存在しない。生まれついての脳機能の異常なのだから、誰もが理解する()()()()だが、そんなオカルトチック……否、ファンタジックな奇跡が、ここには存在した。

 

「やっと、やっとわかる……これが、貴方の見ていた世界なのね……昂輝……」

 

 氷川紗夜の願い、そして霞ヶ丘昂輝が指輪に込めた願いも、叶った。紗夜は彼の世界を理解できる。昂輝は自分の贈り物で、彼女が最高に幸せな笑顔を見せてくれる。

 ──別れは、二人の新しい約束となった。

 

「昂輝、いつか……いいえ、貴方の所へ私が行く時、貴方にも同じものを送るわね」

「……期待して待ってる」

 

 とあるところに、傷ついたギタリストがいた。天才と呼ばれる妹を前に絶望し、闇雲に技術だけを磨き続けた、心のない、ギタリスト。

 空だったその器に、心をもたらした出逢いは、そのギタリストを、妹を凌ぐ天才に仕立て上げた。

 ──その天才の名は、氷川紗夜。そして、彼女は、ただ一つの音を愛していた。彼から贈られる、虹色に輝く優しい音色を。

 

 

 ──氷川紗夜に優しい音色を届けるまで。THE END

 

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