氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:B-2「同一の二人」

 氷川日菜は充足していた。

 アイドルとして、ギタリストとして、そして恋をする乙女として、彼女は今満ち足りた望月の如く、全ての星が祝福しているのだと信じて疑わなかった。

 才能という真っ暗闇の世界にいた天才(バケモノ)同士の傷の舐め合いは、氷川日菜を幸せにしていた。

 

「あら、随分とご機嫌じゃない? 日菜ちゃん?」

「あ、千聖ちゃん!」

 

 芸能事務所にて、氷川日菜と同じバンドのベースを担当している白鷺千聖は、日菜の仄暗い幸福感を敏感に察知していた。

 仄暗い悦び、男を知った息が詰まるほど甘い蜜の匂い、それらが発する感情の矛先を千聖は見極めようとする。

 

「……男、かしら?」

「まぁね~、あ、バレないようにするからだいじょーぶ!」

「バレなければいいという問題じゃないのよ?」

 

 バレなければ犯罪じゃない。そんな言葉をあっさりと口にした日菜は千聖の言及をひらひらと手の振りで躱した。

 ──誰にも邪魔はさせない。誰にも邪魔をさせるつもりもない。そんな昏さを持つ瞳で、日菜はもう一度だけ、大丈夫だよ、と繰り返した。

 

「あたしはこーくんが大好きなんだもん」

「……日菜ちゃん」

 

 それは制止の声でもあったはずなのだが、日菜は千聖の声を無視して去っていった。

 恋はヒトを狂わせる。彼女は霞ヶ丘昂輝という同じ星のような輝きを持つ彼に出会い、恋をして、歪みを生み出した。

 

「こーくーん!」

「日菜、いらっしゃい」

「うんっ!」

 

 日菜の大きな声に、昂輝は店番のカウンターから出て、彼女を抱き寄せながら唇を重ね合わせた。重ねるだけの愛情を伝えるほんの触れ合いのつもりだったのだが、日菜はそれでは伝えきれないのか、うっとりした表情で塞いだ唇を開き、舌を彼の口内にやや無理やりねじ込んだ。

 

「ひ、日菜……!」

「やっぱりこーくんはサイコーだね……るんってきた」

 

 ぞわりと昂輝の肌が粟立つほどの昏く、しかし楽しい(きいろ)を見せた日菜に彼は、ほんの少しだけ困ったような顔をしてから、求めてくる唇を躱し、クセのあるアイスブルーを指に通していった。

 

「なにかあった?」

「……え?」

「今日は黄色が弱いから……嫌なことあったのかなって」

 

 素直に喜べていない。楽しいと感じられていない、ということが明滅で判別できたらしい彼の言葉に、日菜は一瞬だけ何を言われたかわからない顔をして……唇の目的地を彼の唇ではなく胸元に変更し、甘えるように顔を埋めた。

 

「こーくんに隠し事はできないよね」

「そりゃあね? ヒトの感情を無遠慮に視ちゃってるから」

「怒られるにきまってるよね、それ」

 

 そうそう、と昂輝は頷いた。

 ヒトの感情がわかるということは、嘘がわかるということ、内心がわかってしまうということ。彼は共感覚(シナスタジア)を信じられないという相手が、秘めた内心を見抜かれ、狼狽し、赤色を彼に撒き散らしながら血の色を吐き出すという経験をした。

 

「覗いてほしくなんてないでしょ……誰も、本当のことなんて」

「……あたしは、覗いてほしいよ」

 

 昔を思い出したのか、くしゃりと顔を悲しみで歪めた昂輝に対して、日菜は優しい声で返した。

 紗夜もそれが人間なのだからと肯定した。誰も本当の気持ちなんて知りたいとは思わない。人間はキレイな感情だけではないからと。だが、日菜はそれを真っ向から否定した。

 

「あたしのことだったらなんでも覗いていいよ、あたしが何を思ってるのか、何を考えてるのか、こーくんに知ってほしい。あたしは、こーくんの全部を知りたいもん。あたしは、こーくんになりたい」

 

 最後の言葉に少しだけ、意味を理解できずに昂輝は呆けた。だが、日菜の言葉は真剣そのものだった。

 日菜の言葉はいわば、お互いの考えていること全てを知り、理解できるなら、それは正に同一の存在と言える、そんな人間からはとても理解もできない狂気にも似た言葉だった。

 氷川日菜の考える、他者を理解するという言葉の元々が、こんなにも重くて、狂っていたのかを知った昂輝は、本当に彼女が彼と()()だと言うことに気づいた。

 

「こーくんはさ、知りたかったんだよね? 自分じゃないヒトを」

「知りたかった……そうなのかな」

「だって、こーくんはみんなと見ている世界が違うんだもんね」

 

 昂輝はゆっくりと、確実に頷いた。みんな自分の見えている世界が万人に共通するものだと考えていること事態が、彼にとっては不思議で、そして不条理なものだった。

 ──彼の景色は彼しか持ちえないもの。だからこそ、自分の世界を知ってほしいという願い以上に、他のヒトの世界を知りたいというのは昂輝のささやかな願いだった。

 

「あたしが教えてあげる。あたしの世界を」

「……日菜」

「ね、知りたいでしょ?」

 

 夜闇に輝く星のように、日菜は昂輝の首に腕を巻き付かせた。自分の感情が溶けていく感覚、彼の感情が自分の心に溶け込んでくる感覚は、日菜にとっても幸せと同時に戸惑いがあった。誰かの心が入り込んでくるというのは、自分だけの世界に誰かがやってくるということであるが故に、恐怖があった。だが、その恐怖を越えるための翼を日菜も既に手にしていた。

 

「あたしが助けてあげる……たとえ悪者になってでも、こーくんを幸せにしてあげるね」

「どうして……?」

 

 どうしてそこまで自分という存在に、ちっぽけなただの落ちこぼれた元天才に手を差し伸べようとするのか、昂輝はそれを訴えた。

 助かりたい、日菜の手を取りたいという本心とは裏腹の、罪悪感や紗夜という光に照らされた彼の迷い、それを振り切らせるように日菜は魅惑の表情で、魅惑の肢体で、霞ヶ丘昂輝という男の本能を揺さぶった。

 

「こーくんがいれば、あたしはあたしになれそうなんだもん……こーくんをこーくんにしてあげられるように」

 

 そのためならばアイドルという立場も、最愛の姉に嫌われてもいい、日菜は霞ヶ丘昂輝を救うために全てを……己の存在全てを懸けていた。

 これから先も溶け合うような幸福感を得るため、意識が一つになったような全能感を味わうために。

 

「それが、日菜の愛してるって意味なんだね」

「そーなのかな?」

「だって、その言葉の色が……俺を愛してるって言ってくれた時と同じ、一等星みたいな輝きだったんだ」

「……そっか、あは、ほらね」

 

 さっそく、昂輝を通じて自分を知ることができたのだと日菜は唇同士の触れ合いで伝えていく。

 日菜は凡そ、自分の感情の根源がわかっていない。そう感じることはあっても、結局は喜びの仕草も、怒りの仕草も、悲しみの仕草も、楽しい時の仕草でさえ、しょせんは誰かの仕草をコピーしただけの贋作でしかなかった。

 ──それを本物と定義してくれる存在が、感情が色として見える彼だった。日菜は彼の目を通すことで初めて、自分の本来の感情(いろ)を知ることができていた。

 

「んっ……は、あ……ね、店番、いつ終わる?」

「あと三十分……だね」

「じゃあそれまでギター弾いてるね……終わったら、こーくんのお部屋で……んっ」

「……今日は母さんが帰ってくるんだ」

 

 母さんは自分が何をしていても、ナニをシていても気にしないだろうけどね、と昂輝は自嘲気味に笑った。

 しかし、決して無関心ではなく、かつ忙しない母を休ませてあげたいという子ども心があり、流石に部屋に女性と籠るのはよろしくないと昂輝は考えた。

 

「偶にはホテルに行こっか」

「うん」

 

 性格にはラブホテルは18歳未満は立ち入り禁止だけどね、と言うがその確認を正確に取っているわけではない。三十分経ち、店長が戻ってきたことで、二人はのんびりと歩きながらそんな大人が入る世界へと足を踏み入れていった。

 ──交じり合いの中で、昂輝が感じていた気持ち、日菜から与えられた感情は、いつの間にか大きく、彼の決意を歪め始めていた。

 

 ──CHAPTER:B-2「同一の二人(昂輝と日菜)

 

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