日菜は走った。彼がどこへ行くのか、どうしているのか、わからないけれど、必死になってスマホを耳に当てながら走った。
寒空の下を走る。日菜の背中には紗夜の想いも乗っている。諦めるなんて、最初からできるわけがなかった。
「……っ、はぁ……はぁ……こーくん……っ、こーくん!」
「ヒナ! 見つけた?」
「ううん、まだ!」
少し前まで学校で一緒だった今井リサが、隣に男性を連れて探してくれていた。男は他の知り合いにも探してもらっている旨を日菜に伝えた。男と同じバイト先である、松原花音や上原ひまり、青葉モカ、日菜と同じバンドの丸山彩を始めとして、日菜と紗夜の想いを運んでくれていた。
「だいじょーぶだよ、こんなにみんな探し回ってるんだから、見つかるって! ね?」
「うん、こころにも連絡してるし、すぐに見つかるだろうな」
「……ありがと」
「いーって」
お互いにヒトを寄せ付けなかった日菜と紗夜が一年間で紡いできた縁が織りなした奇跡のようなものだった。変わらなかったら、見つけられなかっただろう居場所も、日菜のスマホに連絡が来るくらい、日菜も紗夜も変わっていた。だからこそ、今度はその縁で昂輝を救う番だと日菜は悲鳴を上げる脚に鞭打ち、再び走り出した。
「こーくん……」
「……日菜?」
すっかり日の暮れた公園で、日菜は迷子のような目をした彼を見つけた。頼りない街灯の下で、すっかり目許を赤くした彼に、日菜は肩で息をしながら、微笑みを浮かべた。いつもの雰囲気でやっと見つけた、と笑った。
「ほら、帰ろーよ」
「……帰れない」
「どーして?」
「紗夜を……大切なヒトを傷つけた。それなのに、帰れないよ」
帰れない、その言葉に日菜は胸を痛めた。紗夜のことを振ることすら痛みで、嫌いになったわけでもない。ただ、一緒にいられなくなっただけなのに、彼女の涙を見てしまったという悲しみ、怒り、やるせなさ、それを独りで抱えていた。もし紗夜ならばここで彼を叱咤できたかもしれない、あるいは、諭したかもしれない。だが、日菜はそのどちらもしなかった。
「じゃあ、あたしもここにいる!」
「……え」
「だって寒いじゃん! 一緒にぎゅーってしてあったまろー」
「寒いなら帰っても……」
「こーくんと一緒なら帰ろっかな?」
日菜は昂輝の隣のベンチに腰掛ける。そして白い息を吐きながら、寒いねぇと昂輝の腰に腕を回し、肩にあごを乗せた。
紗夜を振ってしまった傷は、日菜が何を言っても癒えるものではない。それだけ昂輝にとって紗夜は大切だったし、愛したヒトだった。ギターを辞めて、捨ててほしいとすら思えた相手だった。
「──おねーちゃんは、こーくんのためなら捨てれたと思うよ?」
「うん、そうだね」
「……よかったの?」
「……寂しいし、悲しいし、痛いし苦しいけど……俺は、紗夜のギターも好きだから」
ギターを弾く紗夜が好きで、そんな紗夜が自分のためにギターを捨てるのは嫌だと思った。同時に、そんな紗夜に依存しているのはよくないことだと昂輝は気付いてしまった。微睡みのような幸せから、目覚めていた。
「紗夜には、ギターを弾いててほしい」
「……あたしもだ」
「俺が紗夜と幸せになるためにギターがあっちゃいけないなら……俺は紗夜のために身を引く」
「うん」
日菜は昂輝を抱き寄せた。いつものまるで嵐のような周りを巻き込む性格も、愛情も全てが鳴りを潜め、ひたすらに、彼を包み込んだ。
同時に日菜は楽しいだけが愛情ではない、風速が早いだけが愛ではないと感じることができた。
「ぎゅーってして、なんもしゃべらなくても幸せなこともあるんだね……なんて」
「……日菜は、どんどん大人になっていくね」
「そう?」
「うん、初めて会った時はホントに無邪気で最悪な子どもみたいだった」
「ひどいよー」
それが今は優しい笑みで包んでくれるのだから、人間は成長するということを昂輝はハッキリと感じ取っていた。
氷川日菜はきちんと人間の感情を理解し、学んでいる。そうでなかったのなら昂輝を助けるということはできなかった。
同時に、彼女は一つの気持ちを知ることができた。その気持ちが彼女を優しくしているのだった。
「帰ろ、こーくん」
「……日菜」
「あたしがいるよ? おねーちゃんには敵わないかもしれないけど、あたしがこーくんの傍にいる。あたしは本気だもん」
「ありがと」
「だから、どこにも行っちゃやだよ? あたしはこーくんの傍にいたい」
──気持ちを知ってほしい。自分のことをわかってほしいという欲、それは今までの日菜には存在しえなかった感情だった。
泣けるほど苦しくて、それゆえに甘く切ない想い。紗夜が昂輝に、昂輝が紗夜に抱いていたものを日菜もまた、昂輝に抱いていた。眩しいくらいの愛情、暗闇の中に生まれた一等星のような輝きを有する声に、昂輝は彼女の唇を奪っていた。
「ん……こー、くん?」
「ずるいこと、してもいいかな?」
するりと腰に手を回し、昂輝は日菜を見つめた。夜の公園の街灯に照らされて、日菜は昂輝の満たされない愛情を受け止めていった。
日菜によって涙の代わりに降り注いだ唇を全て受け止められた昂輝は、もう一度日菜を見つめた。わずかな明かりの中で頬は朱色に染まり、瞳が、彼女の中の星が潤むその世界に見惚れた彼は、敢えて、悪い言葉を使った。
「日菜……紗夜の代わりになって……紗夜の代わりに、俺の恋人になって」
酷い告白だった。あまりにも紗夜にとって、そして日菜にとっても不誠実な言葉を昂輝は発した。それで日菜が拒絶してくれたらいいと、自分と関わったらいずれ日菜すらも傷つけてしまうのではないかという恐怖のままに。弱々しい言葉だった。
だが、日菜はそれを力強い言葉で返していく。
「うん、いいよ。あたしはこーくんのカノジョになる」
「……でも」
「いいよってゆったのに~」
「いやだって……俺は、紗夜の代わりって」
「
日菜の言葉に昂輝は目を見開いた。今度は日菜が彼の唇を奪う。まるで紗夜への贖罪をしながらされたものを返すように、紗夜がもらうはずだったものを奪い去るように日菜はリップ音と吐息で、激しい愛情を伝えた。
「あ、でもおねーちゃんの代わりってのはな~、今はいーけど、ちゃんとあたしを見てね、あたしのこーくん?」
「もちろん……じゃあ、俺の決意も聞いてくれる?」
「なぁに?」
「バンドを、また探そうと思うんだ。まだ、誰かと演奏する夢を追いかけてみたいんだ」
その言葉に、昂輝が前に進むという決意をした言葉に、日菜は瞳の星を輝かせた。こーくんなら絶対、今度はうまくいくよ、という根拠もなにもない声にこもった自信に彼はようやく、微笑むことができた。
──今はまだ、彼の目にはいつも紗夜がいる。彼がギターを弾きたいと思ったのも、氷川紗夜に優しい音色を届けたいということを、日菜は知っていた。だから彼女は届けられる側ではなく、一緒に届ける側になろう。
二人で一緒に大切な彼女に優しい音色を届けようと決意を固めた。
――CHAPTER:B-4「