冬が終わり、季節と同時に彼と彼女にとっても春がやってきてた。
桜が舞う新しい奇跡の中で、霞ヶ丘昂輝は空を仰いだ。その瞳にはまだ凍えるような北風が宿っていた。
氷川日菜と付き合い始めて数ヶ月、それはつまり、氷川紗夜との別れから数ヶ月という意味でもあった。
未だその傷は癒えず、それゆえに紗夜の様子なども聞けぬまま、新しい季節を迎えてしまっていた。
「こーくんの方は始業式どうだった?」
「どう……と言われてもね。日菜の方は?」
「あたしがばーって挨拶して、みんなポカーンってなってた! 面白かった!」
「ついていけてないヒトを見て面白かった、って言うのたぶん日菜くらいだよ」
同じ日程での式典を終えた二人はファストフード店にて新年度の初デートをしていた。とはいえ日菜は夕方からアイドルのレッスンがあり、昂輝は家の手伝いがあるため、わずかな時間ではあるが。
いつの間にか生徒会会長に立候補し、しかも当選していたという驚きはつい数週間前のことだったな、と昂輝は振り返って苦笑した。こんな無邪気で、今や常に夜空に星を浮かべるような色を放つ彼女が壇上に立つという不思議を、想像していた。
「そうだ。誕生日、なんもできなくてごめんね」
「ううん、大丈夫! おめでとうって言ってくれればそれでるんってきたもん!」
「そっか」
相槌を打ちながら、昂輝はじっとその
「……そんなに見ないで」
「え?」
「そんなに真剣に見られたら……帰りたくなくなっちゃう」
「あー、そういうこと?」
昂輝は日菜がポツリと黒の上に浮かべたピンク色に、彼は苦笑いを浮かべた。言葉にはしなかったものの、
「ムラムラした~」
「しないでよ……」
「だって、バレちゃうんだもん!」
「だってじゃなくてね?」
少しだけ声のトーンを落として、日菜と昂輝は口喧嘩を始めた。
予定がある以上日菜の望みには答えられないというスタンスの昂輝に対して、日菜はそんなものはおかまいなしとばかりに距離を詰めていく。
嘘は通じないがために、本音をひたすらにぶつける。これが彼を押し切る唯一の方法でもあった。
「……ダメだよ、レッスンあるんだから」
「でも……」
「だから、終わってからよかったら、ウチにおいで」
「──うんっ!」
そして彼は見事に日菜の侵入を許してしまった。そして隙を見せた彼に向かって、沢山の星を煌めかせた。流星のように星がぶつかるような感情の波に押し流された昂輝は、幸せの中にほんの少しの罪悪感を浮かべていった。
──日菜はそれが引っかかっていた。ずっと、彼にとっては紗夜が唯一で紗夜との未来だけを目指してきた彼にとっては、日菜を代わりにするということはできなかった。
「……あたしじゃダメってわけじゃないんだけど、やっぱりおねーちゃんなんだよね」
「珍しくオレに頼ってきたと思ったらそれか、バカヒナ」
「だってー、こーくんはあたしの全部なんだもん!」
「重……」
少し前の修了式寸前に、紗夜の影を、悲しみを背負い続ける昂輝を何とかしたい、けれどその方法がわからない日菜は藁にも縋る思いで相談を持ち掛けていた。
相手は不良教師と名高い自分が所属している部活の顧問だった。彼は屋上で吸っていたタバコを携帯灰皿に押し込み、苦い顔で普段はあまり会話のない彼女に視線を向けた。
「センセーだったら、どう思う?」
「そうだな……」
彼は日菜ではなく上空の黄昏の空を見上げた。彼は昂輝の考えをわかる立場であった。わかるほどの過去を持った大人として、安易な同意はすることなく、あくまで教師という立場を崩すことがないまま、生徒を諭すように言葉を紡いだ。
「お前、それは姉に負けてるってことじゃねぇか」
「……負けてない」
「いや負けてる。お前は大敗してる負けヒロインだ、笑っちまうくらいな」
「なにそれ……」
初めて見るような、苛立ちを含んだ声のトーンにその教師は悔しいだろ? と更に日菜の感情を掻き立てた。
何があって姉のカレシだった男と付き合うことになったのかはわからない。けれど、それならあるべき感情を持つのが正解だ、と彼は言葉を続けていく。
「嫉妬してやれ、そうじゃねぇとカレシもずっとお前を見ちゃくれねぇよ」
「……でも、こーくんは」
「さっきからそればっかだなお前、いつものわがまま悪魔はどこ行った」
「だって」
「できねぇ気を回し過ぎなんだよヒナ。お前に必要なのは気を遣うことじゃなくて振り向かせるための努力と振り回す勇気だな」
じゃねぇと一生負けヒロインだからな、と言い残して彼は屋上を後にした。
──振り向かせるための努力と振り回す勇気。その二つを心に秘めて日菜は彼を誘った。その瞳にはまだ紗夜がいる、だが確実に罪悪感の中にも昂輝は日菜といる喜びと愛情を感じている、それならば今まで通りのわがままな自分でいることを決めた。
「泊まるってことは……期待してもいいよね?」
「今日は母さんいるから、まずいかも」
「それじゃあさ……」
元々、紗夜に隠れてその感情を分け合っていたという経験から、日菜はスリルを好んでいる傾向があった。アイドルであるにも関わらず公共の場で堂々と恋人との時間を過ごしているということもその一つ。そしてスリルを適度に味わえる場を提案するのも、また一つだった。
「カギこっそり持ってきてさ……スタジオで、ねっ?」
「え、それは……」
「だって防音だよ? 入っちゃえばバレないって♪」
新しい日々は過ぎていく。未だ罪の意識を背負う昂輝の凍てついた心を溶かすのは、いつだって熱の籠った愛だった。
日菜はそのことを胸に秘めながら、アドバイスされたように昂輝の前で笑い、怒り、素の感情を見せ続けることに決めた。紛れもない、全てを背負う覚悟を籠めて。
──CHAPTER:B-5 END