氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:1「紗夜の陽光」

 氷川紗夜と霞ヶ丘昂輝の出会いから時は流れても、かつての契約は続いていた。しかしながら、昂輝の教え方はかなり下手で、とくに技術的なことは殆ど語彙力不足の状態だった。

 

「そこは、もっと……うーん、赤がほしいな」

「だから貴方のソレは難解だと言っているでしょう!」

「うわ、真っ赤! 怒んないでよ!」

「いい加減昂輝は自分の感覚を口で説明することから始めるのはやめてと言っているの!」

「それじゃあ俺だっていつまで経っても紗夜に教えるの下手なままじゃん!」

「進歩がないのよ!」

 

 それなのにも関わらず、昂輝は絶対に一度口で説明しようとし、紗夜が眉間に皺を寄せて抗議、それが喧嘩に発展というやりとりが絶えなかった。そのせいかいつの間にか二人は呼び捨てするようになり、店長には「相変わらず仲良いね〜」と微笑まれる日々を過ごしていた。

 ──そんな彼らの喧嘩の解決法は、ただ一つだった。

 

「いつもそうしているでしょう? 弾いてみせて」

「……おっけー」

 

 昂輝が模範として演奏してみせること、それが口喧嘩を収束させ、紗夜は耳から彼の伝えたい言葉を、彼の世界を聴き取ることができるのだった。彼の演奏と自分の演奏を比べ、赤色は「残響」の意味もあるのか、とメモをとり、イメージを膨らませる。それだけで彼の孤高に寄り添えている気がして……少しだけ嬉しかった。

 

「うーん、紗夜はいつも赤が弱いんだよね」

「……はぁ、私にはその感覚が朧気なイメージにしかならないのよ」

「……厄介な相違だよ」

「それだけ昂輝(天才)(凡人)には、見えてる世界が違うということ」

「その言葉は、嫌いだ」

「事実です」

 

 昂輝の言葉は普通に聴けば音楽に色を付ける抽象的な言葉を並べているようにしか聞こえない。しかし、それは違うことを紗夜は、紗夜だけは知っていた。

 ──霞ヶ丘昂輝の目には音色が見えること。初めは信じられなかったが、調べてみると稀にそういう人間がいるらしい、ということがわかった。音で色が見える、数字や文字列に色が見える……そんな感覚は共感覚(シナスタジア)と呼ばれていた。昂輝は天性の絶対音感と、シナスタジア……音楽神(アポロン)の祝福を受けたような二つのギフトを持つギタリストだった。

 それを知った紗夜に、かつての昂輝は「これは呪いでもあるよ」と言い切った。

 

「不便なんだよ? これ。俺は……紗夜さんの声にも色を感じるから」

「そうでしょうね」

「ほら、今も……えっと、この色は……」

「……同情、です」

「それだ」

「隠す必要がないのですね……昂輝さんには、何も」

 

 音楽を奏でる上ではこれ以上はないくらいの天賦の才に恵まれた彼だが、その代償は日常生活に支障をきたす程だった。声すらも、その声に乗る感情が色になるのだから。

 ──特に、昂輝には嘘が全く通じない。嘘はどんな感情であっても彼曰く「赤黒い血の色」らしく……散々に苦しめられてきたらしい。紗夜はそれを聴いて当然だろう、と感じた。ある程度大人になれば建前で生きていく。あるいは子どもでも……そんな仮面を被った集団の関わりは彼には酷だった。けれど、彼はその耳を嫌ったりはしなかった。音楽に……出会えたから。

 

「紗夜にも見せてあげたいな、俺の見えてるもの。きっと、音楽がもっと好きになれるよ」

「遠慮するわ。昂輝の見えているものはキレイなだけではない、そうでしょう?」

「……そうだね。でも、紗夜の声はキレイだよ」

 

 何気ない一言に紗夜は顔を紅潮させた。心臓の高鳴りを昂輝に聴かれないかと思いながら照れを隠すことなく紗夜は口に出すのだった。

 

「なっ……も、もう! からかわないで!」

「あはは、薄いピンクは……照れ、だっけ?」

「そうね……そんなことよりも、例えば私は今、とてもフラットにしゃべっているけれど、それにも色は付くの?」

「うん。フラットだとその人の色があるよ感情じゃなくて……えーっと、あれ、パから始まる色のやつ」

「パーソナルカラー?」

「それ、それが見える。紗夜は髪の色と同じアイスグリーンなんだ」

 

 よくもまぁ、語彙は足らないのにそんな微妙な色の表現はわかるのね、と紗夜は思ったが、彼は一年前はその色彩に関する語彙もなかった。

 ──紗夜と感覚とイメージを共有するために昂輝は色彩検定なるものまで受けて、そちらの語彙を増やしていた。その時に彼が「お気に入り」と言った色でもあるアイスグリーン……その言葉の真意を測りかねていた紗夜は自分の髪を指であそびながら、「そう」と相槌を打った。

 

「さてと……お腹減ったね。どこ行く?」

「外ならファストフード店かファミレスにしましよう」

「……ほんとにポテト、好きだね」

「別にいいじゃない」

「確かに、悪くはないね。揚げたてを食べるサクっていうカラフルな音が、好きだもん」

「……そうね」

 

 フライドポテトが好物であることは、紗夜の秘密なのだが……昂輝に隠し事はするだけ無駄だということで彼は紗夜の好物を知っていた。少しだけ黄色……つまり楽しいという感情が宿った紗夜の声に、昂輝は微笑みながら「店長ー、行ってくるねー」と紗夜を連れて歩き出した。

 真夏の炎天下は彼らを溶かしてしまいそうなくらいに暑く、セミの声が鬱陶しい、と紗夜は感じていた。そんな時、昂輝がふと物憂げな表情で紗夜を見た。

 

「Roseliaは……楽しい?」

「そうね。湊さんは問題ないけれど、宇田川さんは昂輝と同じくらい何を言っているか分からないし、白金さんは未だにあまり話さないし、今井さんは逆に話しかけられすぎてしまうけれど……楽しいわ」

「そっ……かぁ」

 

 白く輝く太陽と、優しい緑色のセミの声、そしてそれと同じくらい優しい緑色でバンドメンバーのことを話した紗夜に、昂輝はどこか羨望の言葉を送った。昂輝のような色ではなく、一年でたくさんの言葉と音楽で語り合った紗夜は、その経験から彼の感情を少しだけ見えるように……読み取れるようになっていた。

 

「……昂輝は、バンドを組もうとは……思わない?」

「諦めてはないよ。けど、俺の言葉に紗夜と同じ色を出す人は……見つからないよ」

「そう……ごめんなさい、変なことを聴いてしまって……」

「いやいや、紗夜が紺を……えっと、悪いと思う必要はないよ」

「……昂輝」

 

 頬を掻いて首を振る昂輝に紗夜は悔しさを滲ませた。どこまでも一般人と同じ感覚しか分からない紗夜には、真の意味で昂輝を理解することはできない。その感情に紗夜は胸が苦しくなるのを自覚していた。

 ──その感情の揺れをも、昂輝は見えてしまう。

 

「あ」

「……どうしたの?」

「いや、紗夜の色が、最近新しい色が見えるんだよね」

「……新しい?」

「うん。紺色の下にさ、ピンク……とも違って、なんだか、そうだ、桜とか水が太陽を反射した感じ! ピンクと白がキラキラしてる、みたいな!」

「──っ! それは……」

 

 それは、紗夜が最近自覚した感情だった。胸の苦しみと共に揺れる甘い痛み……その感情の名前は、恋。

 恋愛感情を向けられたことがなく、また周囲の色にあってもなんなのか昂輝には理解できていない色を紗夜は彼に抱いていた。

 

「透明色ってよくわかんないんだよねー。どう表現したらいいのかも……って、紗夜?」

「ごめんなさい……この感情は、まだ、昂輝には教えられない」

「……うん。正直だね」

「ここで知らないと言えば私の声は昂輝の嫌いな血の色になってしまうわ」

 

 故に知らないではなく、教えられない。嘘をつくのではなく真実を隠すことで、紗夜は昂輝に恋心が伝わってしまうのを防いだ。

 ──彼女が彼に話していないことがもう一つあるのだが、それはいずれ……と決めていた。

 

「紗夜……まだ、ってことはさ、いつかは、教えてくれる?」

「……それはどっちも嘘になるわ」

「教えたい、と教えたくない……両方ってこと?」

「ええ」

 

 考えてから紗夜はそう返事をした。怖くて伝えたくないという気持ちと、今すぐにでも好きだと言ってしまいたい矛盾に挟まれている彼女は、昂輝が嫌いな色を出さないように気を配って答える。暗めの深緑……迷いの色を出した紗夜に昂輝は頭を下げた。

 

「ありがと。気を遣ってくれて」

「当然です。誰だって見たくないものはあるわ」

「……ありがと、紗夜」

 

 シナスタジアを理解してくれてありがとう。その色に気を配ってくれてありがとう。

 ──そばにいてくれて、ありがとう。大好きな紗夜。

 寄り添ってくれる紗夜に微笑む昂輝は、恋をしていた。誰も現れないと思っていた自分の理解者。時には「なにをバカなことを」と鼻で笑われたシナスタジアをすんなりと受け入れてくれた時から昂輝は紗夜に特別な感情を抱いていた。それと同時に、恋の色を知らない昂輝は自分の胸に手を当てて、少しだけ悔しい思いをしていた。

 ──自分の感情も、見えれば、紗夜も同じ色を持っているか、わかるのに……と。

 

 ──CHAPTER:1「紗夜の陽光(恋心)」 END

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