昂輝にとって天体観測というものは、それほど興味のあるものではなかった。
ただ、日菜が目を輝かせて星を語るから、紗夜が少しだけ寂しそうに語るから、ついつい昂輝も目で追うことが増えたというだけ。それ以上のことはなかった。
今日の天体観測会も、日菜との時間を増やしたかっただけで、そこまで理由を持たせたわけではなかった。
「す、すごい」
「でしょー! キラキラだよ!」
けれど、はしゃぎ回るこころと日菜、そして腕を引っ張られていく自分。遠目にはデッキの手すりにもたれかかりながら星を眺める一成がいて、その隣に同じように寄り添う蘭がいる。
その景色は昂輝にとって、日菜との時間以上に満ちるものを感じていた。
「部屋は別だけどあんまりギシギシ揺らすとうるせぇからほどほどにな」
「カズ先生セクハラだし、どーせ蘭ちゃんと……」
「ひ、日菜さんっ!」
部屋割りは一成、蘭が隣同士の別部屋……ということになっていて、日菜と昂輝が同じベッドで寝ることになった。
二人でベランダからゆっくりと西に沈んでいく星たちを観察する時間は、昂輝にとって自分の色がわからないことを悔やむくらいの感情の波を感じていた。
「ね、こーくん」
「ん?」
「こーくんは高校卒業したら、どーするの?」
「どう……か。まだ全然決めてないよ」
「だよね」
そう言った日菜はもう何かを決めているようなそんな納得の色をしていた。
思わず、日菜は? と昂輝は問い返した。瞳の中に明滅する星を抱えた少女は、きょとんと昂輝を見つめ、そしてまた空を見上げた。
「とりあえず大学行こうかなって」
「……日菜が?」
「千聖ちゃんがね、アイドル活動を続けるなら進学でいいと思うわよって」
「アイドル、続けるの?」
「うん、パスパレすっごく楽しいし、飽きないもん!」
芸能活動ができる大学も近くにはある。紗夜も同じ大学を目指していることを知っていた日菜にとって、パスパレと、姉と、全てを得られる環境は大事なものでもあった。
だからこそ、日菜は昂輝に同じ大学に来て欲しいとは言わなかった。日菜はいつしか、一つの想いを抱いていたが故に。
「えへへ~、こーくんあったか~♪」
「日菜もあったかいよ」
「好き」
「なにそのタイミング、俺も日菜が好きって言ってほしいの?」
「うん!」
幸せの渦の中心にいる日菜が考えるのはいつも、いつだって自分がどうして嬉しい気分になるのか、どうして楽しい気分になるのか、ということだった。
こころはその謎を解き明かす上で、日菜にとって大切なキーワードを持っていた。
「そんなの! あたしの笑顔がみんなの笑顔になって、みんなの笑顔があたしの笑顔になるのよ! そうやって笑顔は広がっていくわ!」
「ふーん、そっかぁ……」
みんな誰かの感情に影響され影響し合って生きている、日菜の愛おしい人も同じことを言っていたことを日菜は思い出していた。
──色は移る。伝染するように、明るい色に当てられればその人の暗い色も明るくなる。逆もまたある。
「だから最近ね、自分がどんな色を出してるかわかるようになってきたんだ」
「え、そうなの?」
「うん、俺が誰かに感情を持って話せば、その誰かは同じ色を映してくれる。誰かが別の色をくれたら、俺もその色になるんだ」
それは間違いなく昂輝が人と嘘なく関わり始めてきた証拠だった。今までずっと嘘をついて生きてきた霞ヶ丘昂輝は、いつの間にかありのまま人と関わっていた。
暗い世界にいた昂輝を優しく暗闇で包んでいるつもりだった。でももう、日菜はその役目を負っていないことに、気付いていた。
「ねぇ、こーくん」
「ん?」
真っ暗闇、星の明かりだけが窓から差す世界の中で、日菜と昂輝は身体を寄せ合いながら話をしていた。これまでのこと、これからのこと。
まだ何も決まっていない、未来という真っ暗闇な道を、二人の感情で照らしていた。
「今年はいーっぱい、遊ぼうね」
「なにそれ……いいよ」
「やった、言質取ったよ?」
「わかってるよ、日菜に振り回されてあげる」
「いっぱい振り回されてね」
胸にうずもれながら、抱きしめながら、二人は幸せを分け合っていく。
アイドルもあるけれど、バンドもあるけれど、沢山季節を感じながらこの忙しくて愛おしい一年を過ごしたい。その想いは同じだった。
「おい、バカヒナ」
「ん?」
「……オレは言ったよな。てめぇの幸せのためにヒトを振り回すのはアリだってな」
「うん」
決意をした翌日の朝、日菜は珍しく早起きをして部屋を出て、ウッドデッキでタバコに火をつけていた一成を発見した。その顔は心配そうな、それでいて何かに苛立っているような表情をしていた。
一成がタバコを吸うのはやり切れない、消化しきれない感情を火につけて紫煙と一緒に吐き出すためだった。そして蘭の前では気を遣う一成も、日菜の前では遠慮なく吸う。日菜が気にしないという姿勢を取っているために、隣に来ても構うことなくタバコの先を赤色に変えた。
「ふぅ……お前、変わったな」
「そう?」
「去年の時はヒトのことなんかこれっぽっちも考えてねぇただのクソ悪魔だったのに……そんなカオするようになっちまってんだな」
「褒めてる?」
「
一成の苛立ちは自分に向けられたものだと知った日菜は、目を見開いて溜息をついた。生徒一人一人に向き合うことのできる先生。自分だって変わってるクセに、と呟いてから日菜は明るい表情でなんでわかったの? と返した。
「あたし、これでもケッコー隠せてると思うんだけど、こーくんにもバレてないし」
「知らねぇのか、汚ぇ大人の目はな、見たくねぇもんも見えるんだよ」
「えっちだなぁ」
「は? お前ホントそういう返しすんのやめろっての」
「
瞬間に、生徒との肉体関係を指していると察知した一成はお前は抱いてねぇからと反論する。じゃあ蘭ちゃんは? と問われれば黙って紫煙を吐くことしかできないのだが。そして話を露骨に逸らしていくのだった。
「先生って呼べっつってんだろメンヘラクソ悪魔」
「生徒をその呼び方ってどうなのー、あはは」
「こーくんはあたしのものなのに~、とかほざいてたやつがよく言いやがるな」
「あたしのだよ」
「……否定材料ねぇよ」
──だが日菜は続けて、でもね、とすっかり星のない朝日の、淡い赤と青の混ざった空に白い息を吐いた。
涙があふれる。それを一成は、携帯灰皿にタバコを押し込み、その手で日菜の頭をずっと撫で続けた。
「……バカヒナ、それでホントにお前は幸せなのかよ」
「今は違うよ……今はね」
「そんなんだったら未来なんていらねぇよ、未来のために今のお前が犠牲になるなんて……バカにもほどがあるだろ」
「あーあ、優しいなぁ、カズくんは」
「オレ、蘭のカレシなんでな。あんまりベタベタすると怒られるから、ほどほどにだけどな」
「え、カズくんって浮気しちゃえるタイプでしょ?」
「……知らねぇな」
それはまるで羽丘の屋上のような温かさがあった。
日菜が全部の感情を吐き出し、また昂輝の温もりを求めに戻ったあと、一成は二本目のタバコに火を点けた。かつての想い人の香り、想い人の味、それらで肺を汚し、空気を汚して、一成は空を見上げた。
「……蘭にもギャンギャン言われるし、そろそろ辞め時かな」
明日なんて信じる方がどうかしてる。今幸せならそれでいいじゃねぇかと一成は日菜の部屋に視線を移して、乱暴に頭を掻いてから美しい緑に灰を落としていった。
彼に日菜の想いは覆せない。誰にも、霞ヶ丘昂輝にさえ。それ以来、日菜がその言葉で泣くことはなかった。一成が日菜から涙が零れるのを見たのは、その日が最後だった。
──CHAPTER:B-8 END