氷川紗夜に優しい音色を届けるまで   作:黒マメファナ

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CHAPTER:B-9「決意と名残」

 季節は瞬く間に過ぎていった。二人の時間も、瞬間瞬間は永遠のような輝きを持ちながらも、ほんの瞬きの間に燃え尽きる流星のように過ぎていった。

 夏休みは氷川日菜が振り回すがままに霞ヶ丘昂輝のスケジュールは埋められていった。海に花火、旅行、そして天体観測。一つ過ごすたびに、二人は幸せを分かち合った。

 

「日菜……アイドル業は?」

「ん~? ちゃんとやってるよ~」

「ホント?」

 

 気付けば長期休暇の、出かけていない日のほとんどを、日菜は昂輝の家で過ごした。そうなればバンドメンバーに隠し続けておけるはずもなく、紹介した時はちょっとした騒ぎにもなったが。表面上は何の問題もなく、夏休みは過ぎていった。

 

「昂輝」

「紗夜、ありがと。迎えに来てくれて」

「ええ、もちろんよ……さぁ日菜」

「ずるい! おねーちゃんに言いつけるなんてこーくんずるだよそれ!」

「……何がズルなのかしら、流石にお母さんも怒ってるわよ」

「ごめん、俺じゃ止めらんなくって」

「ふふ、昂輝が強く言えたら苦労していないわね」

「おっしゃる通り」

 

 夏の終わりには姉の紗夜に連絡をして日菜を連行していくという珍事もあった。それ以来日菜が頑として昂輝から離れなくなると決まって、昂輝が連絡をして紗夜が迎えに来るようになった。

 

「いらっしゃい……あ、紗夜」

「こんにちは、今日も空いているかしら?」

「いっつも空いてるみたいな言い方だね」

「事実じゃない。埋まっていることあるの?」

「……ないね」

 

 そうしているうちに、秋が深まる頃にはすっかり紗夜はまた昂輝の家でもある楽器店へと足を運ぶようになった。

 日菜と二人でやってきて、昂輝に甘える日菜を窘めたり、紗夜が昂輝に意見を求めて衝突したり、笑顔の絶えない時間が過ぎていった。

 

「まーた派手にケンカしたねー」

「だってあそこは藍色がほしいんだよ! もっとしっとりしてほしいのに、紗夜はそうじゃないって聞かないから……でも」

「でも?」

「やっぱり紗夜はすごい。日菜も紗夜も……まだまだ俺が奏でる音よりもずっと、キラキラしてるから」

「こーくんの音も、ギュンってしてていーなって思うけどね?」

 

 ただ、幸せだった。昂輝は幸せと言う海に没していた。息ができないくらいに濃密な幸福感と、満たされる喜びに沈んだまま昂輝は日々を過ごしていた。

 だからこそ、秋も深まり、そして赤や黄色に染まった葉も落ちてしまった頃、昂輝は氷川日菜にたった一言を突きつけられた。

 

「あたしと別れて」

「……は?」

 

 身を切るような寒さの中、白い息と一緒にそんな言葉を切り出された。幸福の海が凍り付くような冷たい言葉に、昂輝は一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 別れて、という言葉が何を意味しているのか理解できない。理解することを頭が拒んでいる。酸素が脳に回っていない感覚すらある。けれどそれを冗談だと断定できないのは、(ひとえ)に彼が嘘の色を知っているからであった。

 

「なんで……え? 日菜……?」

「もうこーくんとは付き合えないよ」

「え、まさか、アイドル業が忙しくなったとか、事務所に言われたとか……?」

「ううん、あたしはあたしだけの意志で、こーくんのカノジョをやめたいの」

 

 白い息、血の色ではない。本気の拒絶の言葉。本心から放たれたとわかる声の色に昂輝は目を見開いた。

 クリスマスも、一緒に過ごした。新年も、沢山の時の中で日菜が幸せだと口にした時に嘘はなかった。日菜と同じ大学に合格した時も、一緒に喜び合った。嘘はない。これまでの日々に、愛に、慈しみになんの嘘もなかった。それなのにどうして。昂輝はまるでエラーを大量に溜め込んでしまったように、呆然と日菜を見つめていた。

 

「どうして」

「どうして? 原因はこーくんにあるんだよ?」

「俺……?」

「戻りたかったんでしょ? おねーちゃんのカレシに」

「……っ!」

 

 それは彼にとっても突き刺されるような衝撃のある一言だった。

 本当に、心からそう思ったわけではない。日菜と一緒にいられて幸せだったという想いも嘘ではない。だがずっと、むしろこうして変わっていく中だからこそより強く、彼は考えているのだった。

 ──どうして、紗夜をきちんと愛せていた頃に変われなかったのだろう、と。強い後悔をしていた。

 

「おねーちゃんとまた昔みたいに話すようになって、恋人だったらなって思ってたよね? 今なら悲しむこともなく恋人でいられるのにと思ったでしょ? このまま他人になるのが嫌だって思ったんでしょ?」

「……それは」

 

 認めるのはよくないことだと思いながらも、昂輝はその通りだと感じていた。思わなかったことはない。しかしだからこそ、今の日菜を大切にしたいという想いもあった。それを否定されたような悲しさに、胸を抑えた。

 

「おねーちゃんも、こーくんと復縁したいって。できるならもう一度、今度はちゃんと恋人として、同じギタリストとして、一緒にいたいって」

「……紗夜が」

 

 どちらかを捨てることしかないと思っていた。けれど昂輝はこの一年で紗夜以外の、そして日菜以外の人物と沢山関わって、少しずつ変わっていった。

 誰かの色が誰かに移るように、黒でしかなかったはずの昂輝はゆっくりと、ゆっくりと色々な色で、虹色に輝くような一年を過ごしていた。

 

「あたしは、世界みーんなの笑顔のために、これからもスマイルでいくわ! それがあたしだもの!」

「あの、独りでいなきゃって考えるより、背中を見てくれるヒトがいるってほうが……燃える時もありますよ」

「ね! 日菜と一緒にいる時の昂輝くんはキラキラしてるじゃん!」

「俺たちがいるから、安心して失敗しろよ! な?」

「僕はただあの迷惑お嬢様の傍にいることしかできないけど……それでも幸せにはなれると思いますよ」

「ガキは悩むのが仕事だろ。死ぬほど悩んで、頭を使って、んで見つけたものがなんであれ、お前が考え出したもんなら……そりゃ正しくなくたって正解ってヤツだな」

「あんなに毎日日菜ちゃんと一緒にいて平気だなんて……羨ましいわね」

「日菜は日菜で脆いヤツなんだよなぁ、だからさ、アンタが分かってやってくれよ?」

「……氷川さん、は……強く、なりました……だから、あなたも」

「うん、僕もそう思う。キミは強くなるべきだ。意志を貫くべきだよ」

「──昂輝くん。俺は昔に失敗して、傷ついて、傷つけて、それでも今は沢山幸せを持ってる。だから昂輝くんが大切にするのは、()()()()()()()()()()()()()()ってそう考えることじゃないかな。キミの癒しって、誰なんだろうって考えることが大事だよ」

 

 色々な人が背中を押してくれた。背中を見せてくれた。

 ──だからこそ、前を向けていたのに。日菜はそんな昂輝に違う道を指し示した。霞ヶ丘昂輝は、氷川紗夜と幸せになるべきだと。

 

「あたしと別れて……こーくん」

「俺は……日菜を幸せにしたい! それは本心だよ」

「うん知ってる」

「だったらどうして」

「あたしはもう()()()()()()。じゅーぶん、こーくんから優しい音色をもらったから」「──っ!」

 

 日菜の言葉に血の色のような嘘はなかった。どこまでも、初めて会った頃とはくらべものにならないくらいにキラキラと優しく輝く感情の色に、昂輝は視界がにじむのがわかった。

 その一年が確かに日菜にとっては最高で最良の幸せだった。その一方で日菜がどこまでも願うのは、霞ヶ丘昂輝が最良の幸せを掴むこと。そのためなら身を引くことすらも、幸せだと、決めていた。

 春に天体観測会をした時から、ずっと。

 

「日菜……!」

「大好きだよこーくん。でもね、あたしはあたしの意志でこーくんのカノジョをやめたいんだ」

「……これは」

 

 日菜が昂輝に手渡したそれは、昂輝が日菜にねだられて買ったシンプルな指輪だった。夏のある日、露店で見つけたシンプルな銀色のそれに、日菜は心奪われて、昂輝の前に見せていった。安物かと思いきやその輝きは約束の色に近く、昂輝は何か問題があるのではと疑ったものだった。

 

「それは、約束の指輪。愛するものにつけられることで望みをかなえることのできる指輪ですよ」

「……うわ」

「露骨に怪しいね、確かに」

 

 それでも日菜の押しには勝てず、昂輝はサイフの紐を緩めて購入した。

 じゃあつけてよ、と丁度嵌る指……左手の薬指にそれを嵌めた瞬間、日菜は驚いたような表情をしたのだった。

 

「……え」

「ど、どうしたの日菜、なんかヤバかった?」

「……あ、あはは……そっか、これが、これが……あたしの」

 

 日菜は、それから一日たりとも、その指輪を首から下げたまま、指に嵌めることはなかった。

 それを返した。約束を返上した。

 ──それが最初からそうするつもりだったと知ることは今日までなかったのだが。

 

「おねーちゃんにつけてあげて」

「どうして?」

「これは約束の指輪だから……さ」

「だから日菜に!」

「ううん、おねーちゃんに届けてあげて、この優しい音色を」

 

 最後だから、と日菜はキンと切り裂くような寒い空の下、昂輝の唇に熱を与えていった。

 たっぷり数秒の名残惜しい触れ合いの後、日菜は笑顔でさよなら、と昂輝の前から去っていった。

 ──全ての愛情と約束だけを残して。

 

――CHAPTER:B-9 END

 

 

 

 

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