春が舞う、二色の空に浮かぶ笑み。澄んだ青と淡い桜色。
二人は手を繋ぎ、桜並木を歩いていた。幻想的な景色に目を輝かせるのは氷川日菜、そんな表情を横目に見る霞ヶ丘昂輝。その瞳はどこか、憂いにも見えた。
「こーくん! ほらほら笑ってよ!」
「日菜……」
「折角のデートなんだもん、あたしのことだけ考えてよ」
腕を取り、自分の家にあるシャンプーの匂いをさせる彼女に、昂輝は少しだけ困ったような、けれど同時に羞恥の奥にある独占欲が顔を出した。
日菜の進言通りに防音設備のあるスタジオで上階に母親がいるというのに構わずお互いを貪ったせいか、それとも同じことをそこで言われたせいか。
「日菜はさ、アイドルじゃん」
「ん? うん」
「だからあんまり、なんて言うんだろ……独占したら悪い気がするから」
「えー、あたしがいいってゆってるからいーの~!」
肩に当たるくらいにまで顔を近づけられ、昂輝はまずいと顔を逸らし肩を両手で抑えようとした。
だが日菜の速度の方が早く、背伸びをした彼女の唇と体重を受け止めるために肩ではなく腰に手を回してしまう。
「ここ、往来」
「独占してほしい。なんだったら、見えるところに……キスマークほしい」
「それはだめだからね」
撮影とかでキスマーク見られたら大変でしょうと昂輝が反論するが、加工とかして消えちゃうから大丈夫、という昂輝からすれば色んな意味で驚きの発言をされ、思わず溜息が出てしまった。
「彩ちゃんなんかさ、首元にアトつけてきて千聖ちゃんに説教されてたよ」
「……聞きたくなかった」
アイドルというのは不可侵であるのが普通の感覚で、日菜だけが特別なのだと考えていたのに、昂輝から見ても一番アイドルとして輝きを放つ丸山彩にそういう相手がいる、というのは少しショックな話題だった。アイドルにカレシやそれに近い相手はいますかと問いかけたらどのくらい血の色を放つのか、考えただけで身震いをしてしまった。
「なんか、怖いな」
「……大丈夫? 今から会うんだけど」
「ん、今なんて?」
「今から会うんだよ? 彩ちゃんに」
彩ちゃんだけじゃないけど~、と笑う日菜に何も聞かされずただお花見しようよと連れられただけの昂輝はまさまさかの待ち合わせ相手に焦りの表情を浮かべた。
リサちーもいるよと言われるが、それは果たしてフォローになっているのか、昂輝は胃痛がする思いだった。
「あれ、こーくんリサちーのカレシの話聞いてなかった?」
「興味あると思う?」
「あ、こーくんだもんね」
メンバーを指折り昂輝に伝える日菜は、小指だけを立てて笑った。
丸山彩、今井リサ、ここまでは先程の話あったり実際にかかわったりしている。だが後ろの二人、松原花音ともう一人は全く関わりのない人物だっただけに、不安の雲がかかった。特に彩にカレシがいてリサにカレシがいて、だが男はその四人目一人、という状況にも、また。
「おっはよー!」
「あ、おはよう日菜ちゃん!」
「あれ、大雅さんは?」
「リサちゃんと買い物だよ」
「じゃんけん……負けちゃって」
「あはは、相変わらず面白いね」
目的地についた昂輝は二人と簡単な自己紹介をしあった。特に松原花音に昂輝が驚いたのは行きつけのファストフード店でよくレジをしてくれるふわふわとした泡のような水色をカラーとする女性だったということ、丸山彩もそこで働いていたということだった。
「霞ヶ丘さんなら、たぶん大雅くんのことも知ってるんじゃないかなあ?」
「その大雅ってヒトも?」
「そうだよ~、私達、バイトで会ってるから」
意外な繋がりを感じているところで、リサの明るい声が昂輝の視界に入ってきた。明るくも優しい朱色に近い日差しのような赤色をパーソナルカラーにする彼女と、同じく優しい黄色のような日差しを印象付ける、だが特にこれといった特徴のない青年が並んで歩いていた。
「大雅さん! なに買ってきたんですか?」
「注文通りジュースと紙コップだよ」
「お弁当はあるからね~」
まるで主人を見つけた犬のように元気な黄色を振り撒く彩に唖然としていると、日菜がこーくんのびっくり顔がいっぱいだと心底面白そうに笑う。
驚くことも無理はなかった。恋愛の感情を、三人が雨野大雅ただ一人に向けていくのだから。
「理解ができないよ」
「まぁフツーの人はそうだよね」
「あの状態で、壊れてないのが怖いよ」
四人の少し離れたところで、昂輝は日菜にその言葉を打ち明けた。まったく未知のものを見てしまったような恐怖。三人に愛を囁くという異常な光景に彼はゆっくりと息を吐いた。
──あんな景色が許されるなら、自分はどうして苦しんだのか、どうして今も苦しんでいるのか。まるで紗夜と日菜と、そして自分の中にあった葛藤を全て無にされているようで、昂輝には腹立たしさすら感じられた。
「……こーくんは、ああなりたいとは思わない?」
「え?」
「大雅さんはさ、苦しんだんだよ。好きな人が沢山いるって矛盾に、そんな好きな人たちが争ってきたっていう矛盾に」
「だったら、無理矢理にでも……選ぶしかないじゃないか」
「ううん、大雅さんは選べなかった。だからああやって……異常な関係を続ける選択をした」
もしも、もしも紗夜と日菜、どっちもといられたら。そんなこと考えなかったわけではない。だがそれは思考停止にも近い愚行だとすら思っていた。だが目の前でその景色を見せられた昂輝は、ポツリと漏らしてしまった。
「……だったらあの時、紗夜と……」
紗夜と別れた意味はなんだったんだ。別れたくて別れたわけじゃなかったのに、そんな弱い言葉を、よりにもよって日菜の前で漏らしてしまった。
──結局、自分はあの過去を忘れられはしない。だから、日菜といる時にもふとした時に紗夜を感じてしまう。
霞ヶ丘昂輝が愛したのは、紗夜なのだから。
「……少し、いい?」
だが、その昂輝の前に彼がやってきた。
昂輝にとって理解の外。人外とすら思う恋愛観を持った人物、雨野大雅。彼はリサから聞いた情報と日菜自身の話、そして昂輝の迷いから自分が何かを届けたいと思ったのだった。
「昂輝くんにとって、日菜さんの存在ってなに?」
「カノジョ……?」
「えっとそうではなくて……あ、じゃあカノジョってどういう存在?」
「……え、っと?」
唐突な質問に昂輝は首を傾げた。恋人という存在の意味、そんなものを考えたことはないと下を向く昂輝は、そこでふと、それなら大雅は恋人という存在にどんな意味を見ているのか、そんなことが気になった。
「癒し、かな」
「癒し……」
大雅は少し迷ってから語り始めた。アルバイトで生活をなんとかしなければならなかった心に余裕のない生活の中で、放っておけない傍にいてくれた二人の同期たち。そして後輩たち。自分は独りでは生きてはいけないということを実感した彼は、すっかり余裕を持った表情で、言葉を紡いでいった。
「──昂輝くん。俺は昔に失敗して、傷ついて、傷つけて、それでも今は沢山幸せを持ってる。だから昂輝くんが大切にするのは、
「幸せ」
「日菜さんがいて、昂輝くんは幸せそうだったから……違った?」
「い、いえ……違います」
違わない。昂輝にとって恋人とは絶え間のないはちみつ色を運んでくれる存在なのだということ、それを当たり前のように言葉にした大雅に、驚きが隠せなった。
それ以上に、彼が何も選べなかったとは思えないほどの、強さを感じ、昂輝は桜色に染まる空を見上げて、羨ましいと呟いた。
「強くはないよ。これでも俺、脆すぎるって怒られるし。割と依存気味だし」
「……見えません」
「でもリサや花音、彩……今日は確かAfterglowでこころの家にいるんだっけかな? あの二人がいないとすぐダメになるから」
「俺も、そんな感じです。日菜と紗夜がいなきゃ、俺はダメだった」
けれどそんなダメな彼にもつい最近仲間ができた。日菜は既に会ったことがあるのだが、そんなバンド仲間たちとの出逢いも、きっと紗夜がいなければ、日菜との出逢いも紗夜がいなければ成り立たなかった。
──だから彼には紗夜が必要だということを、もうこの時、日菜は敏感に感じ取っていたのだった。
CHAPTER:C-1 「