門を潜ると、そこは異世界の様相を呈していた。
さっきまでただの電車に揺られていたとは思えないほどに、その景色は二人に、霞ヶ丘昂輝に感嘆を、そして氷川日菜に黄金に輝く感情を与えていた。
初めてのようにはしゃぐ日菜に、昂輝は首を傾げた。子どもの頃に来たって言っていたのだが、日菜がその時の景色を忘れるような人物だとは考えていなかった。
「子どもの頃はコッチじゃなかったからだよ」
「そうなんだ」
二つのエリアに分かれているテーマパークの既知と未知、日菜はより楽しむために迷うことなく未知を選んでいった。子どもの頃に感じたおもちゃ箱のような世界ではなく、石造りと目の前に広がる港の景色に日菜は息を大きく吸い込む。
「こーくん、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
ふとした時によくない色が入ってきてしまう時はもちろんないわけではないけれど、そんな時には楽し気な彼女を向けばいい。絶対に自分に嘘を吐かないと決めてくれた彼女を信じることで、昂輝は人混みを歩くことができていた。
「それで、まずどの絶叫から乗る?」
「絶叫確定なんだ……」
「そりゃそーでしょ! 落ちる? 回る?」
「下調べしてることにびっくりしてる」
「あはは! そりゃね!」
姉の紗夜ならば時間を噛みしめるようにこの景色をゆっくりと歩きたいと願うだろう。だが日菜は常に楽しいことに飢えている。事前に買ったカチューシャとファンシーなサングラスという変装をした彼女だが、まるで最初からアイドルではないかのように昂輝の手を取り、彼を振り回していく。
「ぐるんってしたー! あと二百回くらい行きたい!」
「それは流石に時間がないでしょう」
縦に一回転するコースターも、彼女の前にはスリリングというよりも一種の楽しさに変換されてしまう。ジェットコースターなどの落ちていく浮遊感がなんとなくクセになる、と日菜は言い、昂輝は苦笑いをするしかなかった。
「やっばー! 最後めっちゃ高かったよね!? あははは……ってこーくん大丈夫?」
「……なんとか」
昼ごはんを食べる前か食べた後か悩んで食べる前にしておいてよかったと回想しながら昂輝はベンチに腰掛け背中を預けながらぐったりとしていた。
テンションを跳ね上げた日菜は、頬を緩ませながらぐったりとした昂輝の足に触れて、身体を寄せた。
「……日菜?」
「おなか減っちゃった」
「えっと、あの」
それが食欲だけではなく、言わばムラムラした、ということだと昂輝はすぐに気が付いた。しきりに日菜の白くて美しい指が昂輝の太腿を往復する。吐息は熱く目は潤み、頬を赤くしたケダモノは、弱っている昂輝、被食者を見つけお腹を空かせてしまったのだった。
「お昼さ、ホテルでの予約してるんだ」
「え」
「ほらホテルのチェックインも済ませないとだし……ね?」
戸惑う昂輝に日菜は大丈夫、ホテル、このパークの中にあるからすぐ戻れるよと笑った。
夢の国にいても、日菜は日菜だと昂輝は呆れずにはいられなかった。どうやら二日目も同じところに行く、という日菜にしては珍しい提案をしたのには、こういった理由があるらしいことを漸く察することができたのは、暮れゆく日の中、満足そうに寝息を立てる裸の彼女を抱きしめていた時だった。
それから少しして、完全に復活したらしい日菜と、またそれに振り回される昂輝はパーク内に再入場していた。
「んー! よく寝たぁ」
「ホントにね」
「あはは、夜寝られなかったら付き合ってね~」
「ちゃんと寝ようね?」
日菜は寝られるまで一緒にいてね、とかわいらしく、だが言外に今夜は寝かさないという意味も含まれた言葉に乾いた笑いをするしかなかった。
だが、昂輝に隠していた日菜の感情はただ一つ、焦りだった。確かにこの一年、日菜が立てた願いは一年だけは昂輝の恋人でいたいという願い。そしてそんな昂輝との幸せを胸に紗夜の元に送り出すということが、彼女が考えていたプラン
「日菜? どうしたの?」
「え……ちょっと、迷ってることがあって」
「迷ってる?」
「うん」
昂輝と触れ合い、昂輝に愛されるたびに、日菜の願いは音を立てて崩れていくものだった。強固な願いで、これが本当に自分がしたかったことなのだと言い聞かせてきたはずなのに昂輝に触れるだけで、欲に満たされていく。屋上で煙と共に吐き出された言葉の通り、氷川日菜は本来、他人の幸せが自分の幸せ、というほど弱い人物ではないのだから。
「……お土産、どっちがいいと思う?」
「え?」
「ほら、紗夜に買ってこないと拗ねそうじゃない? でもぬいぐるみとかにしようかお菓子にしようか悩むよね」
ほら、と日菜は内心で自分が望んでいるはずの昂輝の感情を嘲る。それほどまでに彼女は彼と過ごした時間を、大切にしすぎてしまっていた。その感情がまた日菜の色を黒に染めていく。
「……おねーちゃんは、どっちでもうれしいと思うよ」
「そうなんだろうけどね」
「あとさ、コレ見て」
「なに?」
それはパークの中にあった露店のようなアクセサリーショップだった。店主はにこやかに二人にいらっしゃいと言ってから、昂輝が手に取ったアクセサリー、リングにファンタジーを押しているパークらしい説明をしゃべりだす。
「これはね、願いを叶えてくれる魔法の指輪なんだよ」
「まほうの」
「ゆびわ……」
二人が一瞬で怪しいという表情に変わる、しかし店主はにこにこと表情を崩さずにホントだよと付け加える。
リングを付けたものが真に願ったものを与えてくれる。そのための道筋を示してくれる。そういわれて、昂輝はどう? と冗談交じりに日菜に差し出した。
「これは日菜へのプレゼントってことで」
「あたしに? なんで?」
「なんでって、なんか最近さ、悩みがある
「……こーくん」
昂輝の思いやりに日菜は快く応じることにした。迷いがあって何か願いがあるなら力になりたい、そんな気持ちに応えるように彼が財布からお金を取り出し、店主に手渡した。ありがとうございます、良い旅を、という言葉に手を振り二人は近くのベンチに座った。
「サイズ大丈夫かな」
「あはは、確かにそーだよね」
しかし、懸念したのも束の間日菜が冗談と、ほんの少しの独占欲のままに左手の薬指にリングを通すと……それはまるでサイズを測ったのかと思うほどピッタリと、日菜の指に収まった。
「──!」
その瞬間、日菜の意識は別のところへと向かってしまった。
本当に魔法にかけられていたのか、それとも日菜が迷いを感じ縋ったが故なのか、日菜はそこで小さな少女に出会った。
「ただいまー
「あ、日菜ちゃんおかえり!」
まるで幽霊のように意識だけがそこにある状態で見たものはどこか保育施設で自分にそっくりの少女に抱き着かれ笑顔を浮かべる自分だった。
奏、と呼ばれた少女はせんせーばいば~い、と手を振り、日菜もまた頭を下げていく。
──その景色に日菜は苦笑せざるを得なかった。これが自分の望みなのかと。結局は姉に譲りたくないがゆえに見てしまった夢なのだと、また日菜は自嘲した。だが、それは間違いであることにすぐ気づいた。
「ねー日菜ちゃん」
「なーに?」
「パパと
「ん~、ちょっと待ってね」
手を繋いで、未来の日菜は立ち止まりスマホをのぞき込んでから二人とも遅くなるってさと笑った。けれど少女はさみしさを出すことなく、じゃあまたおうた歌ってよ~と日菜にじゃれついていく。
──ママ、と確かに少女は口にした。未来の日菜は日菜ちゃん、と呼ばれていて、それでもやはり自分そっくりな少女、それが示すものがわからないわけではなかった。
「おねーちゃん、奏のママの歌にしよっかな~」
「うん! アレがいい! でたー、みねー、しょん」
「じゃあ家まで急ご~!」
「おー!」
まるで親子のように歩く自分と奏の後ろ姿を見て、言葉を聞いて、日菜は確信した。
彼女の名前は霞ヶ丘奏、霞ヶ丘昂輝と紗夜の娘なのだと。
自分が目指してきたものは決して、間違っていないのだと。
「──日菜?」
「……あ、こーくん……?」
次に日菜が見たものは心配そうにのぞき込む昂輝だった。ぼーっとしていたよと言われて、日菜は謝罪をしながら、指輪を外していく。これはいわば迷ってしまったことで起こってしまったズルであり、そして罪に対する罰なのだと。
「大丈夫?」
「ん、平気!」
「でも」
「こんなのに頼ってるんじゃないってカミサマに怒られちゃっただけ」
そう言って、日菜はそれをポーチに仕舞い込んだ。これは姉にこそ手渡されるべきものなのだという確信をもって。
迷うことなく、自分が思った方向に行けばあの未来にたどり着く。紗夜と昂輝が幸せになり、そしてその間に日菜が入り、三人が、そして子どもが幸せでいられる時間に。
ならばもう、自分は自分の思ったように昂輝を愛せればいい、そして自分の思ったタイミングで紗夜に話、昂輝に別れを告げればいい。
──いつかまた、忙しい両親の代わりに娘に優しい音色をあげるものとしてそこに存在するために。日菜の瞳に、声にもう、迷いの色は消えていた。
CHAPTER:C‐3「